第16話 地獄への道は善意で舗装されている
現れた猫娘、年の頃は二十歳前後といったところ。
着ているのは白を基調とした厚手のコートで、金の玉縁があしらわれていることもあってかそこはかとなく高貴さとか神聖さを感じさせる。
デザインは周りで見かける神官たちが着ているものに近いが、こちらのほうが洗練されており上等のようだ。
頭に被るのは、ほどんど帽子のような聖職頭巾。
頭頂部には穴が開けてあるため、肩ほどまでの髪色と同じ、青みがかった深い灰色の猫耳がぴょこんと出ていた。
ここまで駆けてきたのか、猫娘二号は上気しており、少し恥ずかしがるような微笑みは人懐っこそうな印象を受ける。
そんな猫娘二号の登場に、大人しくしていたパレラが「なうーん」と甘えた声を上げ、慣れた様子でその足元に擦り寄った。
「ああ、パレラ、ごくろうさまでした」
ふうふうと少し息を切らせながらも、猫娘二号はパレラをひょいっと抱きあげ、労うようによしよしと撫でる。
抱っこされて温かいパレラはさっそくごろごろ唸り始め、その様子を猫娘二号は愛おしそうに眺めていたが、やがてこちらに顔を向けてキリッと表情をあらためた。
「はじめまして、私はヴァレンティーニャ。この度、皆様の案内人という大役を仰せつかりました、ニャザトース大神殿に籍を置く祭儀官です。どうぞ私のことはお気軽にヴァーニャとお呼びください」
猫娘二号――ヴァーニャは琥珀色の瞳で真っ直ぐこちらを見つめ自己紹介をしてきたが、すぐに表情を崩してまたにこっと愛嬌のある微笑みを浮かべた。
「使徒ケイン様、お目にかかれて光栄です。そして、あちらがシャカ様ですね。ああ、なんと立派な御姿なのでしょう。みなさんがああして祈りを捧げてしまうのもよくわかります」
よかった、どうやらあのゲリラ拝謁についてはお咎めなしのようだ。
すでに円陣になるような人集り、拝まれるシャカは猫よけペットボトルに包囲された猫のようにちょっとお困りな感じになっている。
俺に挨拶したあと、ヴァーニャはさらに皆へ順に声をかけていったのだが、その様子を観察した感じ、初対面にも拘わらずこちらに親しみを覚えているような印象を受けた。
そんな挨拶の最後はクーニャ。
同じ神官、身内だから最後に、ということなのかと思ったが――
「クリスティーニャさん、常々お会いしたいと思っていました! 貴方の記録はいつも興味深く拝見しています!」
なんかクーニャだけ勢いがすごい。
お気に入りは最後、みたいな話だったのか。
「なかでも、ニャルラニャテップ様がご降臨なさった際の描写は克明であると同時、まさに我々信徒がその場に立ち会った際に覚えるであろう感動を表す素晴らしいもの! 何度読んでも強い共感を覚え心が震えます!」
「あー……ありがとうございます?」
「どういたしまして! それでですね、私はあの記録をもっと多くの人々に呼んでもらうべきと考えているのですが、現状は大神殿の一部関係者のみが閲覧できる極秘資料扱いなのです! これは由々しき事態です! 信仰の重大な損失です!」
くっ、とヴァーニャは悔しそうに表情を歪め、それを心配したのかパレラがちょいちょいと前足を伸ばす。
本当に仲がいいようだ。
「そこで私は考えました。クリスティーニャさんの記録はすでに膨大なものであり、そのすべてを人々が自由に読めるよう本にするというのはさすがに困難なものになる。――そこで! ニャルラニャテップ様がご降臨なさった部分だけを編集してはどうかと! これなら本一冊程度、現実的です!」
ちょっと待て。
ニャニャが降臨したところだけで、本が一冊できちゃうような文章量なのか?
いったいクーニャはどんだけの思いの丈を書き綴ったんだ?
「ニャルラニャテップ様のご降臨はすでに公の話! 秘匿する必要性は薄いはずです! なのであとは……あとは枢機官団の皆さんのお目こぼしが少しあれば! あの記録は『ニャルラニャテップの降臨』、あるいは『ニャスポーンの産声』といった標題を与えられ本となり、多くの人々に大きな感動をもたらすと同時、より一層信心を深める手助けとなることでしょう! どうですか、クリスティーニャさん! どう思いますか!」
「え、えっと……素晴らしいと思います」
「ですよね!」
すげえ、信仰関係の話題でクーニャが押されてやがる。
それもクーニャ自身が果たした仕事の成果でだ。
俺はこれまで記録について、本当にそんなもの必要あるのかと半信半疑だったが、こうして一人の読者がクーニャを軽く引かせるほどのめり込んでいるのを目の当たりにしたことで、無意味どころか実は害悪なんじゃないかと危惧するようになった。
おそらく、枢機官団はクーニャの記録を読んだヴァーニャの様子を見ているから、記録を極秘資料のままにしておこうとしているのだろう。
良くも悪くも、読んだ者の精神に影響を及ぼす文書群。
そんなの、ほんまもんの魔導書ではないか。
で、ヴァーニャはそんな危険物の断章を世にばら撒こうと……?
会って早々、ちょっとヴァーニャが心配になってきたが、ともかくこれで彼女が俺たちに親しみを覚えているのは、無闇やたらとクーニャの記録を読みふけっているから、という推測によって腑に落ちた。
記録は主に俺がメインだとしても、俺が関わった相手のこともそれなりに記述してあるだろうし、それが約半年分とくれば、会ったことのない人物でも『よく知っている』という感覚を覚えるだろう。
「ふふ、クリスティーニャさんの賛同を得ることができました! これで計画は一歩前進です!」
ヴァーニャは実に嬉しそうだが……どうなんだろうね?
正直なところ、クーニャはヴァーニャを止めたほうがいいと思うのだが、そもそもが同じ穴のムジナ、いや、穴を掘ったムジナ、ヴァーニャをこうしてしまった魔導書を書いた当の本人、著者である。
初めて出会う熱烈なファンに面食らっている様子ではあるものの、ヴァーニャの言動自体を否定する雰囲気はない。
このままではいずれ、妙な騒動が起きてしまう可能性も……。
「なあ爺さん、これは俺、悪くないだろ?」
「ニャルラニャテップ様をお招きしたのは誰か。誰であったか」
あかん、余計なこと言ったわ。
やぶ蛇だ。
「ヴァレンティーニャさん、まさか私の提出した記録がそれほど熱心に読まれているとは思いもしませんでした……。こうしてヴァレンティーニャさんにお会いしたことで、私は自身の役目をあらためて誇れるようになります。どうかお礼を言わせてください。ありがとうございます」
「ああそんな、お礼だなんて! こちらこそ素晴らしい記録を残していたけていることに感謝の念が絶えません。あ、それとクリスティーニャさん、私のことはどうかヴァーニャと」
「でしたら……私のことはどうかクーニャでお願いします」
「わかりました。クーニャさん」
猫娘二人は嬉しそう。
普通なら微笑ましい光景のはずなんだがなぁ……。
「ヴァーニャさんは私のことをすでにご存知ですよね? ですが私はヴァーニャさんのことをよく知りません。なんとなく……大神殿で立場のある方だとはわかるのですが」
「いえいえ、私など、大層な立場ではありませんよ。一応、ここ地元では大聖女と呼ばれたりしているんですが」
「だ、大聖女……ですか?」
「ただの俗称です。大神殿にいる聖女なので、ほかの聖女と区別しやすいよう大聖女と呼ばれるんです。正直、恐れ多いんですよね。ニャルラニャテップ様の寵愛を受けたクーニャさんのほうが大聖女に相応しいと思います」
大神殿では猫に踏んづけられることを寵愛って言うのか?
「クーニャさんはその能力と実績で聖女と認められましたが、私は能力だけの聖女です」
「どのような能力なのです?」
「特別な猫たちの存在を感じられる、という能力でして、パレラが戻るのもこれでわかりました。神猫様たちの存在も感じることができるんですよ? 一番強く感じたのは魔界での騒動があったときでしたね。最近は……ちょっとよくわからないのですが、どうも神猫様たちは落ち着きをなくしているように感じます。時期的に、ある地域から大神殿に越してくる猫たちが増え続けていることと、なにか関係があるのかもしれません」
「ある地域から、というと?」
「おおよそですが、ここ聖都より南東、元大国であったウェスフィネイ王国の辺りです」
「なん……!?」
ぎょっとして声を上げたのは爺さん。
なんで、と一瞬疑問に思ったが、そういえばそのウェスなんとか王国って爺さんが国王をやっていた国だったか。
「クーニャさんは猫たちと意思疎通がとれるのですよね? よければ越してきた猫たちから事情を聞いてもらえませんか?」
「わかりました、引き受けましょう。ただ、相手は猫ですから、人のように詳細な情報を得ることはできませんので、そこはご了承願いします」
「ああ、それはもちろんです。では――」
と、猫娘二人の話はまだ続くが、気になる話題が出たのでこっちでちょっと話し合いになる。
「祖国に異変じゃと……? ヘイルヴォートの奴の話を聞くに、なにか騒動が起きるほどの活気はないようじゃったが……」
……。
ヘイルヴォートって誰?
「たぶんあれだろ、『鳥家族』で王子にカラアゲ揚げさせてるのがバレたんじゃね? 国民が王子を取り返せって騒いでるんだよ。知らんけど」
「そりゃまずいな師匠、あいつがいなくなったら今後の計画はめっちゃくちゃだ。ちょっとその国へ殴り込みして黙らしてきてくんね?」
「お主ら、黙っとれ」
爺さんは俺とアイルを無視し、エレザに話を振る。
「エレザ嬢ちゃんはなにか知っておるのではないか?」
「……多少は。発端は王都で誘拐騒動を起こした連中からの情報ですが、どうもウェスフィネイ王国がおかしなことになり、その影響が周辺国にまで波及している、と。あいにく詳細までは把握していなかったようで、現在は裏付けをとるための調査をおこなっています」
「ふむ、そうか……」
「陛下は有事にまで発展する可能性を考慮し、いざというとき国内がまとまりやすくなるようにと旗頭を用意なさいました。杞憂ですめばよいのですが……」
旗頭……。
もしかしてアレのことか。
崇められるシャカをぽけーっと眺めながら、暇だからってもしゃもしゃお菓子を食べ始めちゃったアレの。




