第55話 ごめんねドラゴン
翌日――。
エレザが王宮から持ち帰った魔法鞄を受け取り、シセリアは超ご機嫌。
さっそく俺は食品工場にされてしまい、シセリアの望むまま、魔法鞄がいっぱいになるまであれこれと生産を続けることになった。
割合はお菓子が七、料理が二、飲み物が一といったところか。
シセリアがいちいち試食したり、邪妖精たちのおねだりがあったりしてスムーズとは言えなかったものの、なんとか作業はその日のうちに終えることができた。
「くっくっく、なるほど、これが『力』というものですか……」
もはや一種の食料庫と化したシセリアがしたり顔で呟く。
すべての悪役がこれくらいで満足してくれるなら、どんな物語もきっと平和なものなんだろうな。
ともかくこれで『シセリアうっかり置き去り事件』は決着。
尋常ではない量のお菓子を保有することになったシセリアはかつてない万能感に満たされているようで、その日からちょっと妙な言動が見られるようになった。
まあ本当に『ちょっと』だし、周囲に迷惑がかかるようなものではないのでそう問題でもないのだが。
たとえば――
「さあ妖精さんたち! 今日もあの忌々しい鎧を懲らしめてやるのです!」
『あいあいさぁー!』
このところ毎朝の日課となっている陰湿なスプリガンいびり。
森ねこ亭の入り口横、魔除けとして鎮座しているスプリガンに邪妖精をけしかけるのだ。
最初のうちは、現場に出勤してくるドワーフたちもなんだなんだと見物していたが、今では『あ、今日もやってる』くらいの感覚になってしまって通りすがりにちらっと眺められる程度になっていた。
「おらー! おらぁー!」
「くらえこんにゃろぉー!」
「すました顔してんじゃねーぞぉー!?」
ぺちぺち、ぽこぽこ。
邪妖精たちが寄って集っての激しい暴行(?)をスプリガンに加え、その様子をシセリアは高笑いを上げながら眺める。
よっぽど鬱憤が溜まっていたんだなぁ……。
「はっ、今日はこのくらいにしといてやるぜぇい!」
「シセリアさんに逆らうからこういう目に遭うんだぞ!」
「もう舐めた口きくんじゃないわよ!」
一仕事終えた邪妖精たちは痛めた手足をさすりさすりしながらシセリアのもとへ集合。
そして報酬のお菓子を貰う。
「ひゃっはー! 新鮮なお菓子だー!」
「たまらねぇたまらねぇ!」
「シセリアさん、いつもありがとうございます!」
お菓子を貰って喜ぶ邪妖精たち。
そろそろシセリアで遊んでいるのか、付き合って遊んでいるのか、それともわりと本気なのか判断が難しくなってきた。
で、この朝のお遊戯を当のスプリガンがどう思っているのかというと――
『ふっ、奴らめ、主人の影響ですっかりポンコツになっている。この調子だ』
実はわりと喜んでいたりする。
そりゃ大昔や妖精界での悪さを基準にすれば、こんなのは悪事でもなんでもないのだろう。
まあつまり、今日も森ねこ亭は平和ということだ。
△◆▽
シセリアは無駄に元気いっぱいだったが、一方でニャスポンロスに陥っているおチビたちは相変わらずしょんぼりしている。
ただそれで食欲が減退したり、睡眠不足になるようなことはなく、これまでどおりちゃんと食事は取るし、おやつも食べるし、夜はぐっすり眠るどころかお昼寝も欠かさない。
行動は健康そのもの。
でもいつもの元気がないのだ。
重傷なのはノラ、ディア、メリアの三名。
ラウくんだけはペロたちがつきっきりで犬派に転向させようと犬成分を過剰に供給しているためそこそこ元気だったりするが。
「んあうー……」
「あうあー……」
シルさん家の居間、畳の上で仰向けになって転がっているノラとディアが気怠いうめき声を上げている。
彼女たちのお腹には、それぞれニャンゴリアーズのクロとシロが目を細めてぬくぬくと香箱座りで居座っていた。
二人の近くにはメリアも転がっており、お腹にはミケ、股の間にすぽっと挟まるサバト、そして顔の上にはでーんとマヨが鎮座している。
さすがに苦しかろうと俺はマヨをどけてやったのだが――
「うぅ……ニャスポン、ニャスポン……」
なんか苦しみ始めたのでそっとマヨを戻す。
途端に収まる症状。
どうやら心に空いた穴を猫たちが塞いでいるという状態らしい。
これがアニマルセラピーというものなのだな、と俺は一つお利口さんになった。
「ねえ、貴方やっぱりニャスポンに戻らない?」
「だから戻ったのよ?」
仲良くなったおチビたちがあんまりな惨状なものだから、心配したマリーはまだシルさん家に残っており、これにレンも付き合っている。
「戻る戻ったはいいのよ。それよりどうなの?」
「どうなのって言われてもな……」
気乗りはしないが、時間経過で戻れることはわかったのだ。おチビたちのニャスポンロスがあまりに長く続くようなら、またニャスポーンになるのも考慮すべきかもしれない。
そう考えた俺は、ちょっと心の中でくつろいでいるシャカに確認。
『んなー……』
すげえ嫌そうだ。
いや俺だって望んでるわけじゃないけど。
「(じゃあさー、ちょっとこっち来てでっかくなってくんねー?)」
『なうー……』
シャカは『仕方ねーなー』とでも言いたげな素振りでよっこらせっと立ち上がり、前足伸ばしのびー、後ろ足伸ばしのびーしてから、にゅっとこちら側に現れ、畳に着地するとむくむく大きくなった。
「……? ――ふわっ!? ニャスポンだー!」
「えっ、ニャスポン!? ニャスポン! ニャスポンがもどった!」
「ふが!? ふがふがふが……!」
まずでかくなったシャカにノラが気づき、それを聞いてディアが騒ぎ、メリアは猫三匹の重しのせいで身動きが取れずじたばた。
それから三人娘はいそいそと治療してくれていた猫たちをどけると、わっとシャカに抱きつき、久しぶりとなる体全体でのもふもふを堪能し始める。
「あら、すっかり元気が戻ったわ。これで一安心ね」
うんうんとマリーは満足げだが、もふられまくるシャカはというとやや不満げである。
まあ猫だからな、過度に構われるのは好まないのだろう。
△◆▽
三人娘の大騒ぎが落ち着いたところで、一応これはシャカであってニャスポンではないと説明しておいた。
ニャスポンそのものでないことを三人娘は少し残念がったが、見た目はそのまんまだし、もともと出現がレアなシャカとの触れ合いを求めていたこともあって歓迎し、ニャスポンロスは影を潜めた。
「やれやれ、これでやっとお暇できるわね」
はしゃぐおチビたちに安心したマリーは帰ることにしたのだが――
「えー、マリーお姉ちゃん帰っちゃうのー?」
「もうちょっといませんか?」
すっかり仲が良くなっていたこともあって、ノラとディアはマリーを引き留めようとする。
メリアも同じ気持ちのようだが……二人ほど恐い物なしではないからか、ちょっとしょぼんとして見守るだけになっていた。
「いやー、長居しすぎるのは……さすがに姉さまに悪いから。貴方たちもあんまり入り浸るのはよくないわよ?」
マリーはなにやら気まずそうに言うのだが……それが意味するところがよくわからない。
「そのうちまた来るわ。それに連絡ならいつでも取れるでしょう? だからね?」
なんとかノラとディアをなだめ、マリーはお見送りをと集まった皆に軽く挨拶をして回る。
マリーと一緒に帰るレンも挨拶していたが、一足先に終えたようで俺のところにやって来た。
「色々とお世話になりました。貰った料理が尽きたらまた来ますんで、その時はよろしくお願いします。ホントお願いします」
「しゃーないな、まあ同郷のよしみだ。今回はあれだったが、その時はゆっくり話でもしよう」
「ええ、そうですね」
レンはこれからも『さまよう宿屋』を続けるようだ。
リクレイドのなかなかアレな姿を目撃することになったものの、恩人は恩人だし、なにもアレが本性というわけではないのでそこは割り切るとのこと。
こうしていよいよお別れ、となったところで――
「貴方には……まあ色々と思うところもあるんだけど、ひとまずそれは置こうと思うの」
マリーは最後に俺へ話しかけてきた。
まだ俺への抵抗はあるようだが、最初に比べればだいぶマシ、ずいぶんと態度は軟化したと思う。
「邪険にしてごめんなさい。でも、貴方も悪いのよ? いつまでたってもうちへ挨拶に来ないんだから。さすがにそれは不義理だわ」
「……挨拶? 不義理? どゆこと?」
「どういうことって、そんなの親族のいち――」
「ぬあぁぁぁ――――――――――――――――――ッ!!」
突如として叫んだのはシルだった。
叫び、姿が霞むほどのダッシュでマリーにタックル。
いったいどれほどの威力だったのか、シルはマリーに抱きついたまま庭をずどどどっと抉りながら突き進む。
竜二体の揉み合い。
この予想もできない事態に仰天したのが猫五匹と犬三匹と熊一匹。
ニャンゴリアーズはすごい勢いで居間から飛びだしていき、フリード、アラスター、ベクスターはパニックを起こして庭を駆け回り、クーマーは外へ逃げ出そうと塀を登ろうとしたものの、焦るあまり登るに登れずもたもたしたのち、どすんと尻もちをついてすべてをあきらめ悟りを得た。
「なに!? えっ、なんなの!? 姉さま!?」
「マリー! マリー! 話をしよう! マリー! 話を!」
「え? え? え?」
姉によって地面に抑え込まれたマリーはなにがなんだかわからないようで困惑しっぱなし。
もちろん見ていた俺たちも同様だ。
それからシルはマリーに覆い被さるようにしてなにやら話を始めたのだが……声を抑えているためあいにくこちらにはどんな会話をしているか聞こえなかった。
ニャスポーン状態だったら聞こえてたのかな?
とりあえず竜二体の間に割って入るのは自殺行為だと誰もがわかっているようで、みんなして見守るだけになっている。
やがて――
「は・な・し・が・ち・が・う!」
「……マリー、声が大きい……! 声が……!」
マリーがいきり立ち、シルが必死になってなだめ始める。
若干、会話が聞こえるくらいになった。
「じゃあ、父さまや母さまや兄さまが話していたことはデタラメってこと!? 全部私の誤解!? ええっ、そんなの、私がすんごい嫌な奴ってことになっちゃうじゃない!」
「……それは悪いと思うが、誤解なんだ……! そういう関係ではないんだ……!」
「家まで貰っておいて!?」
「……いやそっ……うん、貰ったけども……! あとマリー、声を小さく……! 頼むから……!」
シルの嘆願にまた会話が聞こえなくなる。
するとここで、レンが額に手を当ててうめいた。
「あー……」
「ん? レンは話の内容がわかったのか? どうも俺が家を建ててやったのが問題っぽいんだが……」
「それは……すみません、僕が話すのは筋違いだと思うので」
「筋違い?」
「はい。詳しくはシルさんか、マリーに聞いてもらうしか……」
いやそんなこと言われても、である。
あの調子だとシルは教えてくれそうにないし、シルが言うなと命令するならマリーだって喋ったりはしないだろう。
やがて話は終わったのか二人はゆっくり立ち上がり、シルは土まみれになったマリーの体をぱたぱた叩いてぺこぺこ平謝り。
しかしマリーはそんな姉のことなど無視するように、俯いた状態でゆらりゆらりと俺の前にやってきた。
「……」
沈黙のマリー。
その異様な雰囲気に、俺はもしかして殺されるんじゃなかろうかと不安に駆られる。
と――
「ご……」
「……ご?」
マリーが声を発し、俺は聞き返す。
瞬間、マリーはばっと顔を上げて叫んだ。
「ごめんなざいぃ……!」
「どういうこと!?」
いきなりの、自責の念で憤死するんじゃないかってくらい気持ちのこもったマリーの謝罪。
なぜ謝る、なぜ半泣き。
突然のことに俺はただただ困惑するしかなかった。




