第52話 野良猫たちの宿
「ここは……どこだ?」
急にニャスポンが「カッパだ!」と騒ぎだし、かと思えば悲鳴と共に痙攣を始め、終いは人と猫――ケインとシャカに分離した。
実に騒がしいというか、目まぐるしいというか。
「(確かシセリアの話ではニャスポーン状態から戻れなくなっているはずだったが……。戦いで消耗したからか?)」
そうリクレイドは疑問を抱くも、それについて質問をする間もなくシャカによってネーネと共に見知らぬ場所へ転移させられてしまった。
始末……というわけではないのだろう。
シャカから攻撃性は感じなかったし(むしろケインに向いていた?)、シセリアが言うにはあの猫は飼い主と違い基本的には善性、であれば敗者にわざわざ鞭打つようなことをするとも思えない。
そう思考を巡らしつつ、リクレイドは周囲を確認する。
自分たちがいるのはどこかの町、その道端。
時刻は朝頃と思われるが、周辺ではすでに多くの人々が働いており賑わしく、それはむしろ喧しいくらいであった。
なにしろ一帯のほとんどで建物の建設が行われており、カンカン、コンコン、ドンドンとそこかしこから聞こえ、さらに大工たちの大声が加わってと、とにかく音に溢れているからだ。
そして――
「森ねこ亭だと……?」
真正面にある建物、その看板に刻まれた屋号を目にしたことでリクレイドは自分たちがどこに転移させられたのかようやく判断できた。
「つまりここはユーゼリアのウィンディアということですか」
「間違いないだろうな」
シセリアから聞いたとおり、森ねこ亭の左右にはそれぞれ特徴的な建物がある。
一方はアイウェンディルが取り仕切る鳥料理専門店『鳥家族』であり、もう一方はユーゼリアの守護竜たるシルヴェールの別荘だろう。
「どうしてここに転移させられたのでしょう?」
「わからん……。ネーネ、すぐに妖精界へ戻れるか?」
「今すぐというのは……。しばらく……夜くらいまで休めば可能と思われるのですが……申し訳ありません」
「いや、無理をさせたのは俺だ。しかし、あれでも使徒にすら届かないとなは。『猫』を視野になど、ただの無謀であったか……」
苦笑し、リクレイドはため息をつく。
どういうつもりでシャカが自分たちをこの場所へ送り込んだのか。
明確な意図があったのか、それともないのか。
どちらにしろ、すぐに精霊界へ戻れない。
であれば――と、リクレイドが考えたときだ。
「おや……?」
森ねこ亭から掃除道具を手にした男性が現れ、リクレイドを見つけるとすぐきょとんとして動きを止めた。
が、それもわずかな間。
「あれ!? もしかしてリクレイドさんじゃないですか!?」
「あー……ああ、そうだ」
森ねこ亭から出てきた、そして自分を知っているということで、リクレイドはすぐにこの男性が誰なのかを察した。
この森ねこ亭の主人であるグラウだろう。
「やっぱりそうでしたか! いやー、レンさんから聞いてはいましたが、本当にお若いままで。あ、お隣の女性がお付き合いされているシルキーのヴィネルファーネさんですか」
「どうぞネーネと――お付き合い!? いえっ、あのっ、違いますよ!?」
グラウの発言にネーネがぎょっとして取り乱す。
そんな様子のネーネを見るのは久しぶりで、リクレイドは少し懐かしい気分を味わった。
「わっ、私とリクレイド様はそういう関係ではありませんから! 私は……その、古い屋敷と共に朽ちようとしていたところを救われ、恩返しをさせてもらうために側に置いてもらっているのです! そういう関係なのです!」
「なるー……ほど? そうでしたか。これは早とちりをしてしまい申し訳ない。あ、すみませんが、少し待っていてもらえませんか? ぜひ妻にも会ってもらいたいんです。すぐに呼んできますから!」
そう言うやいなや、グラウは宿に引っ込む。
「……シディアー……! シディアー……! たいへんたいへん……! ちょっとぉー……! シディアー……!」
奥から聞こえてくるのは、大慌てで妻を呼ぶグラウの声で、やがてその妻――シディアの驚いた声も聞こえ始めた。
「い、いかがなさいますか?」
「まあ、少しくらい付き合うさ……」
遠慮がちな視線を向けてくるネーネに、リクレイドはそう答える。
どうせ夜まで暇を持てあますことになるのだ。
それに、もしかしたらこれがシャカの『意図』なのかも――。
△◆▽
夫婦揃ってどたばたと戻ってきたグラウとシディア。
まずは挨拶があり、それからかつて助けられたことをとても感謝されることになったが、どうも長くなりそうだ。
そこでリクレイドは妖精界で会ったディアーナやラウゼからもお礼を言われたし、もう充分だからとなんとか話を終わらせる。
「それでリクレイドさんはどうしてこちらに?」
「いや、実は自ら足を運んだわけではなくてな……」
と、リクレイドは突然の転移があったこと、すぐには妖精界へ戻れないことを説明した。
実に漠然とした話となったものの、グラウとシディアは不審に思う様子もなくすぐに納得してくれた。
ちょっとお人好しすぎないだろうかとリクレイドは心配になる。
「ということでな、夜までどこかで時間を潰す必要があるのだ」
「そうでしたか。ではぜひうちで休んでいってください。ちょうど一部屋空いているんで、なんならそちらで休憩することもできますよ」
もしかしてそこはケインの部屋なのでは……とリクレイドは思うも、これは余計なことかと発言は控え、誘われるまま宿の中、食堂へと案内される。
席に着いたリクレイドとネーネに、グラウとシディアはお茶とたくさんのお菓子を用意してもてなした。
「これはうちのお隣さんのところにいる猫さんからいただいたものでしてね、とても美味しいんですよ。ぜひ召し上がってください」
その猫というのはニャスポン――つまりはケインのことだろう。
用意されたお菓子はどれも味も質も良く、レンから聞いた異世界のお菓子とはこれほどの水準かとリクレイドは密かに驚いた。
シセリアがお菓子お菓子とむせび泣いていたのも、少しはわかるような気がする。
「(やはり惜しい……)」
リクレイドはそう思わずにはいられなかった。
ケインはこのお菓子のみならず、料理も、また原材料も望むままに生み出すことができ、さらには構造が単純という制限はあるものの異世界産の道具も創造できるのだ。
彼がいれば、勝利できていれば――。
そんな未練を感じつつ、リクレイドはグラウとシディアの話に付き合う。
聞くに、二人はレンからある程度こちらのことを聞き、把握しているらしい。
世界宿計画までは知らないようだが、ここでわざわざ話して聞かせる必要はないだろうし、そもそも終わってしまった話だ。
「実は、二人をどこで助けたか覚えていなくてな」
「まあそうでしょうね」
「ええ、昔に、一度だけのことでしたから」
グラウとシディアは気にした様子もなくほがらかに笑う。
それから話は二人が冒険者を引退して宿屋を始め、今日に至るまでの話となる。
今でこそ順調なものの、なかなか経営は厳しくグラウなどは冒険者の仕事までして存続に尽力したらしい。
つい「なら宿を閉めたほうがよかったのでは?」と口を突きそうになるが、この宿は二人の夢であったのだ、軽はずみなことは言うべきではないとリクレイドは自重し、そんな宿を二人から取り上げてしまう計画を進めていたことを気まずく思った。
「(もしかして――)」
シャカは自分の反省を促すためここに転移させたのだろうか?
そんなことをリクレイドが考えているなど露知らず、グラウはしみじみと話を続けている。
「ときどきお金がなくて路頭に迷っている人とかただで泊めてあげることもありましたね。冒険者の先輩だった人からは、そんなことをしたら自分も自分もと食詰め者が集まってくるぞと脅されたものですが、幸いなことにそんなことはありませんでしたよ。それになんのお代もなしというわけではなかったんで」
「というと……?」
「貴方に泊めてもらうことで助けられたように、自分たちも泊めることで助けられるようになれたらと思っていたんです。そんな宿屋をと。なら夢は叶ったわけで、お代はもらっていたんですよ」
「夢か……」
「それと、今日また一つ別の夢が叶いました」
「ええ、恩人をこの宿に招くことができましたからね」
そう笑うグラウとシディア。
穏やかな夫婦だ。
「なるほど、な……」
リクレイドはようやくシャカの『意図』を理解したように感じだ。
シャカは問うたのだ。
届かぬ夢はここに芽吹いている。
もしかすると、ほかにも、どこかで。
にもかかわらず、お前はまだそれを摘み取るつもりなのか、と。
「(これは負けだな……)」
心が認めてしまった、もう挽回はできそうにない。
「(結局、猫にしてやられることになったか。やれ、それにしても決め手となった宿がケインの常宿とは、まったく皮肉な話だ)」
少しおかしくなり、リクレイドは小さく笑う。
「親父にはあの都市とこの土産話で勘弁してもらうか……」
そして囁くように呟くのだった。




