第50話 猫の尾を踏む勘違い
俺は気づいた。
この決闘で要となるのは腕っ節ではなく精神力なのだと。
あの変態を理解しようとすること自体がまず間違い。それは深淵を覗きこむ愚行、あるいはやらなきゃならない仕事があるのについスマホに手を伸ばしポチポチしてしまうようなもの。
しかるに今、俺に必要とされるのは、奴の変態性を無視することができる心の強さであろう。
そう論理立ててメンタルを立て直そうとする俺。
しかし、リクレイドはそんな余裕も与えてはくれない。
「とどけッ、この念いッ!」
おしげもなく晒されるふしだらな下腹部、リクレイドは丹田の位置に両手のひらを使って邪法の印――ハートマークを形作る。
「萌え萌えぇぇ――きゅんッ!」
キュンッと発射されるビーム。
集束したハート型の変態力――絶対食らいたくねえ!
「うニャァッ!」
なりふり構わずジャンプして避ける。
おそらく見物人たちには、後ろに置いてあったキュウリにびっくりして高々と飛び上がった猫のように見えたことだろう。
そんな俺の行動はリクレイドの目論見通りであったか。
奴は下っ腹にあった両手を大きく広げながら上へと、その人差し指で光の軌跡を描きながら動かしていき、自分の正面に大きなハートマークを作り出した。
「逝ってらっしゃいませ、ご主人様ッ! ハッ!」
今度は広範囲の攻撃を目的としたビーム。
なんとか〈空飛び〉で回避しようとしたが――ダメだ、躱しきれずに俺は奴のビームを受け吹き飛び、威力によるダメージはそうなかったが著しく不愉快な気分になって悶絶する。
落下までの短い時間。
俺は仰ぐことになった空に、とばっちりでハートマークの風穴を開けられた雲が浮かんでいるのを見た。
ああ、妖精の世界でお空にハートとくればロマンティックなはずなのに、実状はただただルナティック、あれほどおぞましいハートマークを俺は知らないし、知ることにはなりたくない。
などと――。
すっかり弱気になりつつ身を捻って着地した、そんなとき。
「おいこら馬鹿猫! なにを好きなようにやられている! お前、負けたらそいつの飼い猫だぞ! いいのかそれで!」
「!??!?!」
シルの声援、あるいはヤジ。
脳裏をよぎるは、シルがするように俺を猫可愛がりするメイド姿の変態で、そのビジョンは俺の心胆を寒からしめるに充分な破壊力があった。
「い、嫌ニャ、それは絶対に嫌ニャァ!」
ストレスで毛が抜けてスフィンクスになっちゃうだとか、もはやそんなレベルの話ではない。
が、このまま精神を疲弊させられていったら、どこかの段階でうんざりして音を上げてしまう可能性はゼロでもないのか?
今、俺は認めなければならなかった。
リクレイドは手強い――手強いのだと。
これまでにいなかったタイプの敵……って、こんなのいてたまるか!
視界に捉えていると精神にスリップダメージが入るとか、行動の追加効果で困惑の状態異常を付与してくるとか、思考力を低下させてくるとか、もはや人間のやることじゃねえ。
きっと『SAN値が減る』という状態はこんな感じなのだろう。
てめーは邪神か!?
「爺さん! あんたいったいどんな教育してこんな怪物こしらえたニャ!」
「知らんよ!? 儂ゃ知らん!」
あせるオルロイド爺さんに嘘は見られず、となるとリクレイドは生まれついてのモンスターということになる。
もしかしてあいつ、実は森に捨てられたとかじゃなくて勝手に森に帰ったんじゃねえの?
「おっと、親父を巻き込むのはよしてもらおうか」
「ニャおっ!?」
急に話し方を戻されると、それはそれでビビるものがある。
「ふっ、どうやら俺のメイド力はお前に通じるようだな」
「通じるもなにも、おめーはメイドを勘違いしてるニャ! それは違うやつニャ!」
「やはりわかるか……。そう、この力は異世界のメイドについてレンから学び、俺なりに昇華したものだ!」
こいつ話も通じねえ。
ってかそれよりも!
「ちょっとレンにゃんんん!?」
「話しましたよ! ええ、話しました! でも、こんなことになるなんて予想できるわけないじゃないですか!」
逆ギレ――いや、正当な憤りかもしれない。
レンとしても見たくなかっただろう、恩人のこんな姿、こんな醜態は。
ましてそうなった原因の一端が自分にあるともなれば。
「正直なところ、ネーネには悪いがこの姿、俺とて……つらい! だが、これは必要な戦闘力を得るための代償! まして、この姿がお前に効くとわかったならばなおさらな! このまま悩殺してやろう!」
「ニャ……?」
ちょっと待て。
待て。
お前まさか、俺がそのメイド姿に惹かれていると考えているのか?
「ニャッ、ニャワワッ、ニャッ、ニャワッ……!」
ふいに俺の口から発せられた短い鳴き声。
それはいわゆるクラッキング、猫の狩猟本能の発露だ。
見つけた獲物が手出しできない場所にいるなど、猫が苛立ちを覚えた際の行動――つまりストレス下にあることを意味するもの。
では俺の場合は?
「おめーとんでもねえ勘違いしてるニャァァァ――――――ッ!」
そう、すべては屈辱がゆえ。
これほどの屈辱を味わったのは……さっき以来だ!
「マジおめえホントふざけんニャ! こちとらうっかりぶっ殺したりしないようそれなりに気をつけようとしてんのに、それをそんな無礼失礼極まりない勘違いで押してるとか思ってたのかニャ!?」
「むっ、それが猫の紋章か……!」
激しい怒りに、奴に対し感じていた気色悪さとか忌避感とかがいっぺんに薙ぎ払われ、ようやく意識がクリア、集中できるようになった。
だがもうそんなことはどうでもいい。
野郎、もう容赦しねえ。
というわけでここからは無慈悲な攻撃だ。
食らえ!
「んにゃぉおぉぉぉ――――――――んッ!」
鳴き声と共にお口から発射されるビーム。
それはかつて不幸な行き違いからシルと喧嘩することになった際、協力してくれたシャカが放った『ねこねこ波』に他ならない。
シルにも通じたこの攻撃。
リクレイドなどひとたまりもないだろう。
もし死んじゃったらその時はその時、猫らしく誤魔化してやる。
あれだ、『捕まえたネズミさん、遊んでたら動かなくなっちゃったにゃん!』と残念な顔でもしてやればきっとなんとかなる。
などと思っていた。
が――
「ご主人様ッ! おいたはいけませんッ!」
リクレイドは俺のねこねこ波を受け止め――いや、いったい如何なる変態力の働きか、優しく抱きしめるようにして捕らえると社交ダンスでもするようにくるくると回って渦を描かせる。
まるで光の大蛇を抱擁しつつぶん回しているようだ。
そして――
「いけないご主人様にはお仕置きですッ! フンッ!」
野郎、ねこねこ波を返してきやがった!
「ギニャァァァ――――ッ!?」
【悲報】とっておきのねこねこ波、あっさり返されて無事俺に直撃する。
さすがにこれは結構なお手前、大きなダメージとなり、俺は少し冷静さを取り戻すことになった。
まず抱いたのは疑問だ。
シルにもちょっと効いたのに、ねこねこ波をノーダメージで返してくるのはおかしい。
いくらなんでもおかしい。
見た目はもちろんのこと、奴はその強さも異常だ、強すぎる。
こんなこと有り得るのか――。
そう困惑したとき、遠くからゴゴゴッと地鳴りが聞こえてきた。
「ニャ……?」
この『ねこねこランド』から望めたビルが四つほど、周囲に霞のようなものを放出しながら沈み込むように低くなっていく。
どうも異変が発生しているようだ。
「なにか起きてるようだニャ。のん気に決闘してる場合じゃないかもしれないニャ。でもいまさら放棄はさせないニャ」
「問題ない。あの宿は空き宿。誰もいない」
「んニャ?」
ネーネと合体したからこそ把握できているのだろうが……しかし、まったく意に介さないというのはどういうことだ?
この都市は奴の計画の第一歩であり要であるはず。
そんな都市の異変を切り捨てるほどこの決闘に入れ込んでいる?
確かに俺を手に入れたら計画は成功すると宣言していたほどだ、ちょっとくらい都市が崩壊しても――いや、違う、そうじゃない。
ああ、わかった。
ネーネはシルキーであり、宿屋都市がその力の源。
あの異変はねこねこ波のダメージを肩代わりした結果だ。
そう気づいたことで、俺はようやくリクレイドの真意に辿り着く。
つまりは短期決戦。
俺が『適応』してしまう前に決着をつけようと、この都市すら天秤にかけ最大出力で決闘に臨んでいるのだ。
その作戦は『正解』と言うべきだろう。
本当に勝つために、できることをやろうとした。
それは実に潔く、感心すら覚える。
第一印象から『悪そうな奴』と色々勘ぐったが、被害を出すような悪さはしていないし、もしかするとこれで案外実直な奴なのかもしれない。
まあ、いくら実直でも今の姿ですべて台無しなんだが。
ともかくこれで俺はようやく状況を把握できた。
勝つだけなら、のらりくらりしのげばそれだけで勝てる。
だが、そんな勝ち方では意味がない。
白黒つける。
灰色が混じる余地もないほどに。
そのためにはまず、あの不器用な変態に『すべて』を吐き出してもらう必要がありそうだ。




