第40話 野良猫の恩返し
ワシは孤児でな、とオルロイド爺さんは話を始める。
ろくな幼少期ではなかった、と。
「物心がついた頃には親分の下で盗みの手伝いをしておった。親分といっても子供でな、色々と手口を教えてくれたんじゃ。物盗り、スリ、しかし儲けは取り上げられ、代わりとしてメシを食わしてくれた」
拠り所のない子供たちのグループ。
いわゆる少年ギャングか。
「なんとか生きていられるという状態じゃ。とはいえ仕方ない。なにしろ子供、どうしたらいいのかわからん。肝心なそれを教えてくれる親がおらんのだ。孤児院にいる子供なら、そのあたりはまあマシか」
それは遠い昔の話。
しみじみとオルロイド爺さんは語る。
「わかるかのう。道がわからないというのは、実に難儀なことじゃ。生きるための道だけではなく、そのための道、子供が大人へと向かうための道。働き手となる仕組みから放り出された哀れな子供たち。どうしようもない迷子。それがワシらじゃった」
不幸な生い立ちのオルロイド爺さん。
その転機は――。
「あるとき親分がとっ捕まって、ワシら一党は散り散りとなった。ほかの党に入る者もいたが、ワシは冒険者を始められる年齢にまでは生き延びられたのでな、まあ実際にその年齢であったかどうか怪しいところじゃが、なんとか冒険者になった」
冒険者か……。
こういう話を聞くと、冒険者ギルドってあれでちゃんと貧困層の受け皿になっているんだな、と認識できる。
行きつけの冒険者ギルドはろくでなしがたむろしているだけだから、そういう良いところはわかりずらい。
「冒険者としての生活は良いものじゃったよ。どうしたらいいか、ある程度は教えてもらえたというのもあるが、ささやかな仕事をこなすことで、慎ましい報酬が得られ、質素な食事をとれたからのう。それだけでとても嬉しかった」
上に巻き上げられていた少年ギャングの頃とは違い、ちゃんと報酬を手にでき、自分のために使えるというのは大きかったか。
「今思えば、ワシは丈夫であったのじゃろう。そしてそこそこ才能もあったようじゃ。有名になろうなんて思ってはおらんかった。ただ日々の糧と、宿と、それだけのために順当に仕事をこなし、いい歳になった頃には金級冒険者まで成り上がることができておった」
「冒険者になってからは順調だったニャ? それがどうして『さまよう宿屋』なんて妙なことを始めることになったのニャ?」
「ほほ、猫さん、そう急がせんでくれ。ここからじゃ。――ある日、ワシは調査依頼を受けた。妙なものがいる、と噂された森へと出かけ、そこで出会った。幼い子供じゃ。野良猫のような。髪はボサボサで固まっており、目はギラギラとしておって、かつて服だった布きれをかろうじて纏うようにして、靴なんか履いてない、そんな子供じゃ」
なるほど、その子供が、か。
「ワシは衝撃を受けた。そしてこの子供を救わねばと、強い使命感を覚えた。どうしてそう思ったのか……。かつての自分よりも哀れな子供がいたことに驚いたためか、それとも、目を逸らし続けていたものをどうしようもなく突きつけられたからか」
「目を逸らし続けたものってどういうことニャ?」
「冒険者として活動するなか、自分の稼ぎを自分のためだけに使い暮らしていたこと。わかっていただろうに、少し目を向ければ餓えた子などどこにでもいたことなど」
自分が生きるのに必死、だからそれは仕方なかった――。
なんて慰めは求めていないのだろう。
「その子供は、おそらくこの森に捨てられたのじゃろう。餓えた子供であれど、人里から出るようなことはない。そんな発想ができる子であればなおさらな」
森という場所は恵みも多いが危険も多い、と爺さんは言う。
確かにそのとおりだ。
「恵みを享受するためにはそれ相応の知識と経験が必要で、それなしでは大人であろうと無謀な話。いきなり森で暮らすなど自殺のようなものじゃ」
この爺さんにそんなつもりはないのだろうが……。
なんか耳が痛い。
「ワシはその子供を保護することに決めた。ところがひどく警戒されておってな、逃げられたら面倒じゃし、はてどうしたものかと頭を悩ませた。幸い言葉は通じる。ならばどんな言葉を? そんなおり、口をついて出たもの、それが『さまよう宿屋』じゃった。ワシは『さまよう宿屋』をやっていて、出会った者が宿を求めていれば泊めてやるという嘘っぱちじゃ」
それで――と驚いたのはレンだ。
誕生秘話といえば聞こえはいいのだろうが、できれば内緒のままにしておきたい感じの話である。
「子供は『金なんかない』と言った。だからワシは『金なんかいらん』と言った。こんなの怪しまれて当然じゃが、どういうわけかワシの口はぺらぺらと嘘を重ねた。どうしてそんな宿屋をやっているのか。まずは自分の生い立ちを、望んでいたものを。食べ物も安心して眠れる場所も得られずに過ごしたくそったれな現実があり、であれば自分が用意してやろうと始めたのが『さまよう宿屋』であると。もちろんデタラメじゃが……はたして本当にデタラメであったのか」
と、爺さんは苦笑する。
「すらすらと口をついて出る言葉は、ずっと秘めていた夢の吐露であったのかもしれん。懺悔であったのかも。だからなのかのう、その子供は『泊まってくれた』んじゃ。こうして受け入れた最初の客は、ワシが用意した粗末な食事を終えると、ほぼ野ざらしのような寝床で静かに眠った。それを見てワシは泣いておった。はたしてワシが救ったのか、ワシが救われたのか」
こうして子供を確保できた爺さんは寝ずの番をしたらしい。
その夜は長く短い夜となり――。
「そしてワシの覚悟が決まった。この『嘘』を突き通すと。思えばなかなか気の利いた名称じゃと自画自賛した。まったく、さまよっておったのは誰であったか」
あー、うん、なんか悟りっぽいのがきちゃったんだな。
でもそういうのって良し悪しがあるんだよなぁ……。
「朝になったところで、ワシは子供に話をもちかけた。弟子にならないかとな。お前なら『さまよう宿屋』になれると。干し肉を囓りながら子供はうなずき、ワシの弟子になった。息子になった。名前はリクレイドとした。なんとなくワシの名前に似せた」
こうして弟子となったリクレイドは優秀な子供だったそうだ。
思えば幼いリクレイドが森で生き延びることができたのは、その優秀さゆえだったのではないか、と爺さんは語る。
「それから一緒に過ごすなか、息子は『さまよう宿屋』についてあれこれと尋ね、ワシはその度に嘘をついた。いずれは真実として実践すべき嘘を。そしてワシらは語りあった。もっと多くの、『安心して眠れる場所』を求めさまよう者に宿を提供してやれたらと。それは楽しい時間で、しかし終わりはいつか訪れるもの」
オルロイド爺さんは老いていき、『さまよう宿屋』を続けるのが難しくなっていった。
とはいえリクレイドが継いでくれたので――。
「それを良かった、と喜んでいいものか。息子は優秀じゃ、ワシのデタラメから始まった『さまよう宿屋』を続けさせてはもったいないのではないか。なにしろ王金級冒険者、冒険者の頂点じゃ。尋常なことではない。望めばもっと自由に生きられる。それをワシの『嘘』が縛っていいのか。ああ、しかし、『嘘』であったなど言えはせん」
そりゃあ言いにくいだろうが……なにもすべて『嘘』であったわけではあるまいに。
貫き通したがゆえ、もはや『嘘』は『嘘』でなくなった。
「出る答えはいつも違った。息子のことを思えば解放してやるのが最善であろう。しかし、このまま『さまよう宿屋』を続けてくれたらと、この老いぼれは浅ましい希望を抱いてしまう」
そして――と、オルロイド爺さんはその小さな肩を落とす。
「このとおり、ワシはいよいよ老いぼれた。しかしそんなおり、息子はレンと出会い、『さまよう宿屋』を継がせ三代目とした。ワシは安堵した。これで息子は自由に、自分の望む人生を歩み始めることができると。だが――」
違った、と爺さんは固く目を瞑る。
「息子は言った。あと十年生きてくれと。その間に、自分たちの夢を形にすると。ワシはようやく気づいたんじゃ。『さまよう宿屋』どころではなかった。息子は夢をあきらめていなかった。さすがにこれは駄目だと思った。いよいよ人生を棒に振らせると。夢に殉じ朽ち果てることになると。焦ったワシはこれまでのすべてが嘘っぱちであったと告げた」
「それでリクレイドはどうなったニャ?」
「わからん……。しかし息子はこんな老いぼれた詐欺師を未だにオヤジと慕い、かつて語り合った馬鹿げた夢を実現しようとしている。やめよと言っても聞かんのだ」
それはヤケなのか。
それとも実現できると確信があるからこそ頑ななのか。
「夢は夢でいい。息子にはもっと自分の人生を生きてもらいたい。もっと楽しんでもらいたい。そのためには止めてやらねばならん。しかしワシでは止めてやることができなかった」
だから猫さん、と爺さんは言う。
「どうかお願いだ。ワシらの夢の、息の根を止めてくれ」




