第3話 日本家屋の醍醐味
日本家屋は猫に優しい。
引き戸は自分で開けられる(もちろん閉めない)し、障子戸であればズババーンと突き破ってのサプライズ登場も可能だからだ。
ほかにも畳はバリバリ爪とぎすると楽しいし、座布団なんかはくつろぐのにちょうどよく、縁側は日向ぼっこに最適とくる。
そんなわけで、俺は猫から人に戻るまでの間、ちょっとシルさん家の居間にでも居候させてもらおうと考えていた。
もちろん、猫のような悪さをして不用意にシルさんの機嫌を損ねるつもりはまったくない。
居候として当然の配慮である。
「うむ、みんなよく来てくれたな!」
よく来たもなにもお隣なのだが……。
家が完成したその日の午後、興奮冷めやらぬシルさんはさっそく自宅を見せびらかしてやろう――ではなく、お披露目しようとお手隙の者どもを招集した。
で――
「来た!」
「来ました!」
「……た!」
「お招きいただき、ありがとうございます」
「なんかすごい木のにおいがするー」
「わん!」
「わふ!」
結果として庭に集合したのはおちびーズ、それからシセリア、エレザと、まあ要するにいつもの面子であった。
なにくわぬ顔でクーニャが紛れているのもいつものこと。
「お前は招いていないのだがな……」
「確かに招かれてはいませんね。しかし、私には聖女としてニャスポーン様の日々の記録をつけるという使命がありますので」
「ぐぬぬ……」
シルは不服なようだが、現状、俺がいれば通訳としてほぼクーニャが一緒にいるという状態なため招くもなにもなかったりする。
そんな竜娘と猫娘が軽く牽制し合うという、そろそろ日常の風景になりつつある一悶着もあったが、シルさん家見学会はそのまま決行。
まずは一度、庭の塀に設けられた裏口から通りへ出て、それからあらためて正門へまわる。
そこには立派な、なんちゃって高麗門が。
このまったく見慣れない建築様式の登場に、おチビたちは物珍しそうに見入る。
門はまだ真新しい無垢の色だが、アホの子のように『ほわーほわー』と言いながら、ぺたぺた柱や扉を触るおチビたちがすっかり大人になる頃には、経年変化によって趣のある色合いに変化を始めていることだろう。
「見事なものですね……」
そうこぼしたのはエレザ。
なんちゃってとはいえ、俺の絵を基に立派な門を作り上げたドワーフたちの腕前よ……。
こうして出来上がったものを見ると、奴らはただカラアゲを食べて酒を飲むだけの髭モジャではないと再認識させられる。
「さて、では中に入るか」
皆の評価ですっかりご機嫌にもどったシルは、さらに皆をお宅へと誘導する。
「さあ上がってくれ。あ、この家はな、ここで靴を脱いでから上がるんだぞ」
立派な玄関へ入っての上がり框の前、シルは俺から聞いたことをさも自分は慣れ親しんでいるような感じで得意気に語る。
もちろん空気の読める俺は突っ込んだりしない。
なにしろ居候予定だ、シルの機嫌を損ねるようなことは避けねばならず、むしろ積極的に好感度を稼ぐよう努めなければならない。
ということで――
「にゃうな~ん、おうあうおぅー」
「脱いだ靴は揃えておきましょうね、と仰っていますよ」
クーニャを介してお行儀の指導。
おチビたちは『はーい』と素直に脱いだ自分の靴を揃え始める。
その間、俺は自分で足拭きカーペットを用意してこれを踏み踏み。
するとテペとペルもこれに倣う。
「……おりこう」
「わふっ」
「おんっ」
よしよしとラウくんに褒められ、わんこ弟妹は嬉しそう。
そして自分だけ褒められなかったペロは「むー……」と不満そうである。
「よし、では中を案内するぞ」
すこぶるご機嫌なシルに続き、みんなで家の奥へ。
が、その時であった。
ゴッ、と。
「んお?」
なにやら鈍い音が響き、シセリアが声を出す。
そして――
「おぎゃぁぁぁ――――――んッ!」
『――ッ!?』
悲鳴を上げながら崩れ落ちるシセリア。
いったいなにが起きたのかと誰もが唖然とするなか、シセリアは横倒しにうずくまった状態で右足を押さえていた。
あー、うん、そうか。
どうやら足の小指を柱にぶつけてしまったようだ。
やれやれ、招かれてものの数分で日本家屋の醍醐味を満喫とは、まったくとんでもない欲張りさんである。
「んぎゃぺばあぁぁぁ――――――ッ! い、いまだかつてない痛みがッ、今ッ、ここにぃぃぃ――――――ッ!」
人生初となる足の小指の激痛。
もはや泣き叫ぶことしかできないシセリアの姿は、まるでこの世に生まれ落ちたばかりの赤ん坊のようである。
ならば、せめて祝福を。
ハッピーバースデー。
ハッピーバースデー、シセリア。
このイカれた世界へようこそ!
「んほほおぉぉぉ――――――んッ!」
「さ、さすがに大げさではないか……?」
泣き喚くシセリアを眺めながらシルは呟くが、俺はそれに対し首を振った。
人生初の小指ゴッツンコとなれば、これくらいの反応になってしまうのも仕方ない。
これは体験した者にしかわからない痛み。
ああ、たった一歩を踏み出すための足の振り、その日常的にどれほど繰り返すかわからぬありふれた動作に、まさかこれほどの地獄が潜んでいようとは……!
その瞬間が訪れるまで人は予想すらできず、訪れたのちは悶絶の中で『これ折れたんじゃね!?』と小指の心配をすることになるのだ。
「と、とうとう世界が、牙を剥いてきました……とうとう……がくっ」
さんざん喚き散らしたシセリアがここで沈黙。
なんだか死に花を咲かせようと、ファイナルシャウトで人を驚かせる死にかけの蝉のようだ。
「し、死んじゃった……?」
あまりの落差に、ノラはシセリアが天に召されたと勘違い。
いや、ノラばかりか、この場の雰囲気からして、なんかヤベえ発作を起こした人を看取ることになっちゃったような空気だった。
「にゃにゃん、なうおんごろにゃん(シセリア、貴様やはり持っているようだな)……」
薄々気づいてはいたが……シセリアは人にはない『何か』を持っているようだ。
とはいえ、それを人が羨ましがるかどうかは別問題。
神さまが憑いているとしても、それが貧乏神だったり疫病神だったら誰も羨ましがらないし、笑いの神だって微妙なところだろう。
芸人であれば役立つ機会もあるだろうが、一般庶民となると笑いの神が憑いていても良いことはない。
笑いものにされるか、迷惑がられるか……。
ともかく、誰も羨まないものが憑いているシセリアは皆が見守るなかちょっと動き、これによりおチビたちはシセリアがまだ生きていると安心。
ノラとディアはしゃがみ込んでよしよしと慰め始めた。
しかし衝撃的な体験をしたシセリアは起きあがる気力が湧かないのか転がったまま。
正直、このままみんなでシセリアを見下ろしていても、それは大雨の翌朝、道端にでろんとくたばっているでかいミミズを眺めるのと大差ない無駄な時間だ。
「なうなごなー、なごなごなーん」
「ひとまずシセリアさんを居間に運んで休ませては、と仰っていますが……」
「そ、そうだな。そうしようか……」
「あ、では運ぶのはわたくしが」
重傷(?)のシセリアを居間で休ませる案が採用されたことでお宅拝見は一時中断。
ぐったりしたシセリアをお姫さま抱っこしたエレザはシルについて居間を訪れると、畳(私が創造しました)の上にごろんと転がす。
「うーん、うーん、世界が……世界が……」
シセリアはうめきながら畳の上をゴロリンゴロリン。
幸い、この居間は広間といっていいほど広々としているので、シセリアがどれだけわがままゴロリンしても大丈夫だ。
「やれやれ、ここは最後に案内しようと思っていたのだがな。……まあいい」
苦笑しつつシルが閉じていた戸をすべて開け放つと、居間からは縁側を挟んで広い庭が見渡せるようになった。
わあっと声を上げるおチビたち。
そう、俺が居候場所にと考えているこの居間は、こうした解放感のなかでごろごろすることができる絶好のくつろぎ場所なのだ。
「いずれは庭も整えようと思っているんだ。季節によって表情を変える庭……きっと素晴らしいものだろうな」
しみじみと言うシル。
それも俺の提案であったが、まあ黙っておこう。
その後、ごろごろシセリアを真似てテペとペルが畳の上を転がり始め、それを見たおチビたちもこぞってごろごろし始めてしまったのでシルさん家拝見ツアーの再開はしばらくあとのことになった。




