第2話 にゃんこ不可逆性
猫になったばかりの頃は、どうせそのうち元に戻るのだろうと考えていた。
しかし待てど暮らせど、寝れど起きれど、さっぱり人に戻る気配はなく、さすがに考えを改めざるを得なくなってきた。
もしかすると、俺はこれからずっと猫のままなのでは……?
いやいや、まさか。
パワーアップのために変身したらもう元に戻れない敵役でもあるまいに、いくらなんでもそんな馬鹿なことは。
しかし、まわりの人々が猫のままでいる俺を、もうそういうものと受け入れ始めている現状に言い知れぬ不安がもこもこ湧いてきて、心配になった俺は自主的に人に戻るための行動を起こすことにした。
そこでまず話を聞きにいったのは、竜と人、姿を双方自在に変えることができるシルさんのところである。
「困ったな……。お前は私がなにか特別なことをして姿を変えていると思っているようだが、そんなことはないのだ。まあそんなことより見ろ、もう少しで家が完成するぞ!」
残念、いよいよ完成間近となった家を仁王立ちで見守るシルさんは、頼りにならないばかりか相談にすら付き合ってくれない。
「なうなうなーん(『そんなこと』ってひどくねえ)?」
「そうですねえ、こちらの守護竜様はニャスポーン様よりも自分の家の方が重要なのでしょうね。まったく、役に立たない」
「なんだと? お前だって役に立たないではないか」
通訳のクーニャが余計なことを言ったせいでシルが気色ばむ。
しかし――
「ニャスポーン様のお悩みに関しては仰る通りですが、通訳としては助けになれていますので、貴方よりはましだと思いますよ?」
「ぐぬぬ……」
えっへんと胸を張るクーニャに、シルは言い返すことができないようで悔しげに唸る。
まあ実際、現状ではクーニャの存在が助けになっていた。
主に俺がどう身振り手振りで意思を伝えようとしても、自分に都合のよいように曲解して最後に抱きついてくるおチビたちに対して。
「ニャスポーン様のお世話をするようにと、ニャルラニャテップ様から直々に御沙汰があったというのに、ひどい話ですねぇ」
「ぐぎぎ……」
さっきまでご機嫌だったシルはすっかり不機嫌に。
やがて――
「ええい、くそっ」
なにを思ったのか、シルは俺に抱きついて激しくもふもふ。
うん、どういう思考の帰結でこうなったの……?
「なっ!? 役立たずのくせになんという暴挙を! お願いしても私は抱きつかせてもらえないというのに!」
クーニャはちょっと変態的なので、抱きついてこようとしたら顔面への張り手で阻止している。
通訳してもらっているのに容赦ないと思われるかもしれないが、顔面で感じるでっけえ肉球の感触はそれはそれでよいものらしく、クーニャはひとまず満足しているようなので問題はないはずだ。
「ぎりぎりぎり……」
先ほどまでの勝ち誇った様子からは一転、クーニャは俺をもふるシルを歯軋りして睨む。
が――
「あ、でも役立たずを受け入れるなら、しっかり役に立っている私は受け入れてくださいますよね! そうですよね!」
ちゃっかり状況を利用しようとするクーニャ。
お前、そういうとこだぞ……。
しかしここでクーニャを拒絶すると、シルとの諍いは俺のふさふさの毛がはらはらと秋の落ち葉のように抜け落ちるまで続くかもしれず、これで丸く収まるならと甘んじて受け入れることにした。
「このっ、こんなにもふもふになって! もふもふ! もふもふ!」
「あー、この滑らかな毛並み! 素晴らしい、素晴らしいですよー! 肉球も良いですがやはり毛並みが! はぁ~ん!」
「なうー(なんだこれ……)」
為すがまま。
シルとクーニャに抱きつかれ、存分にもふもふされる俺の感情は虚無。
もしかして、撫で繰り回される猫は皆こんな気持ちでいるのだろうか?
そんなことを思いつつ、二人が飽きるのを我慢強く待っていると――
「あー! お姉ちゃんたちがニャスポンもふもふしてる! 私もするー!」
おかわり入りました。
宿の方からノラの声が聞こえたかと思うと、すぐにわーっとおチビたちが駆け寄ってくる。
エレザ監督のもと課題をやらせていたのだが……そうか、課題は終わったのか。
それは俺が自由に動ける時間の終わり。
それまでわりと懐いていたおチビたちだったが、猫になってからはその懐き具合たるや尋常ではなく、可能な限り俺と一緒にいて絶えずもふってくるのである。
今日もニャスポン、明日もニャスポン。
おチビたちの頭の中はニャスポンでいっぱいで、綴る日記はもちろんニャスポンのことばかり。
このところの俺は、どうして猫が子供を苦手とするのか、その理由をしみじみと実感することになっている。
ノラ、ディア、メリアは空いてるところを見つけてひしっと俺に抱きつき、ラウくんとペル、テペは尻尾をにぎにぎしたり、じゃれついたり。
そんなおチビたちから外れているのはフリードとペロ。
フリードは主人がすっかり猫狂いになってしまって悲しそうにしょぼくれており、あれから幼女姿のままでいるペロはやや不服そうである。
ラウくんや弟妹の関心を独り占めにしている俺が気に入らないようではあるが、チャンスがあればもふもってくるので完全に敵対しているわけではないようだ。
一応、ペロにも姿をどうやって変えているか確認してもらう。
が――
「うーん? わかんない!」
なかば予想はしていたが、どうやって人型になったのかペロにはわからず、そもそも犬型への戻り方もわからないことが判明。
ある意味、俺と同じ状態ではあるが、ペロの方は人型、意思疎通が簡単になってこれまで以上にラウくんに付いて回ったり、逆に引っ張り回しているので今の方が良いまである。
羨ましいことだ。
△◆▽
もふもふ祭りは続き、やがて夕方となったところで爺さんがトロイに跨がって学園から帰ってきた。
ちょっと気が進まないものの、こうなると背に腹はかえられず爺さんに相談をする。
ところが――
「そんなこと相談されても困るんじゃが……」
「にゃう(なんで)!?」
いきなり匙を投げられた。
ちょっとした助言くらいはあるだろうと期待していたのに、いったいこれはどういうことか。
爺さん自身、自分を妖怪ジジイに変化させたんだから、なにか言えることはあるはずだろうに。
そう思って俺がにゃごにゃご不満をこぼしていたところ――
「のうクーニャ嬢ちゃん、此奴、なんと言っておる?」
「え、えーっと、魔導王と称されていたわりには、その、あまり頼りにならないなーというようなことを……」
じろっと爺さんに睨まれたクーニャは、俺の愚痴をかなりマイルドに改変して伝える。
ブラックコーヒーとコーヒー牛乳くらいの違いだ。
で――
「儂は魔導学の専門家であって、超常現象の専門家ではないんじゃ!」
爺さんはキレた。
まいったな、こいつはとんだ『キレる老人』だ。
いや、そもそもこの爺さんは出会った時からキレまくりだったか。
「お主は不思議なことはなんでもかんでも魔法で片付けておるようじゃが、明確な違いというものがあるんじゃ! 一緒くたにするな! ええい、こうなったら良い機会じゃ、魔導学のなんたるかを、お主が理解するまで説明してやろうではないか!」
「にゃ!?」
俺は逃げた。
爪切り、お風呂、あるいは動物病院の気配を感じた猫が『お断りにゃん!』と戦略的撤退をおこなうように、すたこら逃げだした。
やれやれ、爺さんも頼りにならないとなると、この猫モードを解除する方法を見つけだすのはひどく困難なようだ。
これはもう少し様子を見るしかないか?
考えてみれば、意思疎通がしにくかったり、やたらもふもふされるくらいで、シセリアのように致命的な不都合があるわけでもない。
果報は寝て待て。
思いついたことはやったのだから、これはもう猫らしくごろごろ寝てなにかしらの変化があるのを待つ方がいいだろう。
そう思い立った俺は、それからもふられたり、ごろごろしたり、もふられたりしながら過ごしたが、日常に変化が起きたのは俺ではなくシルだった。
ようやく待ち望んだ家が完成したのである。




