第34話 ネコの裁きは突然にくる
神さま、神さま、来てください。
迷える猫をお救いください。
迷える犬をお救いください。
ついでにアホを叱ってください。
俺は清らかな祈りを捧げつつ肉球を合わせて合掌。
天を仰いで神さまの〈召喚〉をおこなう。
と――
「にゃ……?」
手応えはすぐだった。
なにか、とてつもなく強大なものへ祈りが繋がったことを感じ取ったのだ。
途端に異変が起き、空がぐにゃんぐにゃんとうねって歪む。
「にゃーん?(あれー?)」
なんか、規模が、おかしい……?
神さまの見た目は普通の白猫である。
空があんな変貌しなくとも、シャカみたいに小さい亜空間へのゲートが開いてにょろんと出てくればそれですみそうなもの……。
「おいぃ! そこぉ、なにやっとんじゃぁー!?」
ここで爺さんが俺の〈召喚〉に気づき、大慌てで杖を投擲。
殺してでも止めるという決意でも込められていたのか、杖は俺を貫くほどの剛擲である。
が――
「ふん!」
あわや猫の串刺しというところでゴーディンが素早くキャッチ。
「老師、兄者に無体はいけない。まして今は猫なのだ、いけない」
「うっさいわボケェ! そんなこと言っとる場合ではないんじゃ! 止めろ! 早くなんとかしないと! どんなことになるかわからんぞぉー!」
杖を止めたゴーディンに爺さんはブチキレだ。
また、ブチキレなのは爺さんばかりではなく――
「おいこらぁぁぁ! ケインお前なぁにやってるぅぅぅ!」
飛行していたシルが急降下してきて、俺の前にどしーんと着地。
だが――。
シル怒りの猛説教が始まる、その前だ。
割れた、空が。
歪みに歪んだ空に一筋の光が走ったかと思うと、左右にゆっくりと開いていく。
そこで俺たちが目の当たりにすることになったものは、割れた空の向こう側にあった青い空と緑の大地であった。
咲き乱れる花、舞う蝶、群れをなして飛ぶ赤い小鳥。
向こう側の景色はとても遠いはずなのに、まるでその場にいるようにありありと様子が把握できた。
ここまでくると、もう誰もが異変に気づいて空を見上げ、突然現れたどことも知れぬ場所の景色に目を奪われ動きを止めた。
今までの大騒ぎが嘘であったように場は静寂、人々はただただ空に広がる別世界の光景を見上げるばかり。
そんな誰もが見つめる景色のずっと奥、そこには大きな大きな木がそびえており、その根元には一匹のでっかい黒猫が寝そべっていた。
黒猫……そう、黒猫だ。
白ではなく黒。
神さまは白猫だったので、それはつまり、あの黒猫は神さまとは別の猫ということである。
まずい。
これはまずい。
とんでもない猫違いをやらかしてしまった。
あれは、たぶん化け猫なんてちゃちなもんじゃねえ。
神さまを喚ぼうとしてしくじった末の別猫。
つまりそれは、あれは神に比肩するような猫ってことなのだ。
どうしようと思っていると、黒猫はぱちっと金色の瞳を開き、のっそりと起きあがると『こちら』に向かっててくてく後ろ足立ちの二足歩行で歩き始めた。
するとそこで、『わん殺団』に連れてこられた猫たちに異変が。
『にゃる、しゅにゃん! にゃる、がしゃんにゃ! にゃる、しゅにゃん! にゃる、がしゃんにゃ!』
神殿猫というわけでもあるまいに、猫たちは鳴き声とも呪文ともつかない不気味なハーモニーを狂ったように奏でる。
まさに異様。
この雰囲気に恐れをなした俺は、大慌てで〈召喚〉を中断。
必死になって割れた空を閉ざそうと試みる。
空は〈召喚〉が中断されたことによりするすると閉じ始め、これならばあの黒猫が『こちら』に到達する前に閉じてくれそうであった。
が、しかし。
いよいよ空が閉じるその直前、ぬっと、とてつもなく巨大な猫の手が隙間に割りこみ、ぐぐいと閉じかけた空をこじ開けてしまう。
そして――
『喚・ん・だ・か・ニャ?』
ぬっと覗く、とてつもなく巨大な猫の顔。
見上げた視界がその猫の顔で埋まるほどの巨大さ。
あまりに巨大すぎるため、遠近感が狂いすぐ目の前に猫の顔があるように錯覚するほどだった。
「にゃうぉぉぉ――――んッ!(喚んでませぇぇぇん――――ッ!)」
『嘘・は・い・け・な・い・ニャ』
黒猫は自分がこじ開けた空の隙間に体をねじ込み、にゅるーんと魔界側へと這いでる。
ああ、落ちてくる、黒猫が――。
あれほどの巨大さ、この会場などすっかりぺしゃんこにされてしまうのであろうと、予想できた未来にただただ茫然とする。
ところが、落下する黒猫に合わせて視線は自然と下へとおろされていき、やがて、俺はすぐ近くにすとんと降り立つ黒猫を確認することになった。
大きさは今の俺と同じくらい。
ずっと目を離すことなく見つめ続けていたのに……。
いつの間に小さくなったのかまったくわからず、それはもしかすると黒猫が自分の都合に合わせて世界の方をねじ曲げたのではないかと不可解な想像をしてしまうほどの困惑をもたらした。
たぶん神さまは凄すぎて、その『凄さ』がわからなかった。
でもこっちはかろうじて、その『凄さ』がわかる、そんな存在だ。
俺はいったい『何』を喚んでしまったのか……。
「あ、あかん、あかんぞ、これはあかん……」
静まり返った会場に、爺さんの震えた声が微かに響く。
誰もが黒猫を見つめたまま動けず――いや、そこで一人、よろよろと黒猫に近づいていく者がいた。
クーニャだ。
「にゃ、にゃる、しゅにゃん……にゃる、がしゃんにゃ……」
猫たちが奏でた呪文を呟きつつ、クーニャは恍惚とした表情で黒猫の前に膝をつき、そのままぱたりと倒れ込む。
いつもの五体投地……?
ということは、あの黒猫は神さまの関係者なのか……?
推測していると、黒猫は俺の方によっちよっちと歩み出す。
クーニャは足元でうつ伏せになっていたので踏まれてしまい、「ぐぇっ」とか「うぎゅっ」とか嬉しそうなうめき声をあげたが、まあそんなことはどうでもいい。
黒猫が動きを見せたことで、側にいたゴーディンが跪き、それを皮切りに、状況を息を潜めるようにして見守っていた者たち――わんわんのみならず『わん殺団』の連中までもがあたふた慌ただしく跪き始め、それに倣って子供たちも戸惑いつつ跪いた。
大はしゃぎしていたスプリガンすらもトロイから降りてうやうやしく跪き、爺さんや王様たち、ベインらは舞台から飛び降りてその場に跪く。
「ケイン……! 跪くんだ……! 早く……!」
人型になったシルが焦った様子で小声で言ってくるも、猫となった俺にそれは無理な話である。
それは言ったシルもすぐに気づいたのだろう。
「あ……じゃ、じゃあ……いや、お前は大丈夫なのか……? いやだとしても、あーっと、絶対に失礼なことだけはするなよ……!」
俺のことはあきらめ、シルは自分だけ跪く。
そこで黒猫は俺の前に到着し、すぐに話しかけてきた。
「ニャー様を喚ぼうとしたのはお前だニャ?」
「にゃ、にゃうん、なごなーご……」
「なに言ってるかわかんねーニャ。無理に猫の真似しなくてもいいニャ。普通に喋ったらいいニャ」
「にゃうにゃーう?(これでいいのか?)」
「それでいいニャ。我輩にはちゃんとわかるから大丈夫ニャ」
「のーぅ……にゃうおあーん?(それで……ニャー様ってのは?)」
「ああ、うっかりしてたニャ。ニャー様ってのはニャザトース様のことだニャ」
「なうなうおーう……なーんなおぅーおあーん(なら確かに神さまを喚ぼうとしたのは俺だが……どうも間違えてしまったみたいだな、あんたを喚ぶつもりではなかったんだ)」
「べつに間違えてはいないニャ。でもニャー様を喚ぶのは無理ニャ。だから我輩がきたんだニャ」
「なうーん?(どういうこと?)」
「我輩はニャー様に世界の管理を任されているニャ。名をニャルラニャテップというニャ。ニャニャと呼ぶがいいニャ」
「ニャニャにゃ……にゃう?(ニャニャは……偉いの?)」
「もちろん偉いニャ。ニャー様が一番なら、我輩は二番だニャ。地上代行者ニャ。お前がニャー様を喚ぼうとしたから、何事かと様子を見にきたんだニャ。ちょっと待つニャ」
そう言ってニャニャはお尻ふりふり。
猫が獲物に飛びかかる前に見せる動作っぽい。
そして――
「う~ニャッ! ……ちょっと成り行きを見てきたニャ。鳥たちの関係でお前のことは前々から知ってはいたものの、これですっかり把握したニャ」
ニャニャは妙なことを言う。
成り行きを見てきたって、ニャニャはもともとここにいたんだから見てきたもなにも……?
あれ?
違うか?
俺がこっちの世界に来てからずっと一緒……じゃねえ!
いねえよ、いるわけがねえ!
でもいたような気がするせいで混乱する!
あと鳥ってなんだ!?
もうなんか恐いんだけど……!
「ニャ~、そんな警戒しなくてもいいニャ。お前はこの世界に来て、たった二年ちょっとで猫になるまでいったニャ。なかなか見所があるニャ、だからちょっとくらいのおいたには目を瞑ってやるニャ。それにシャカは善い猫ニャ。このまますくすく育つといいニャ。我輩、知ってるニャ。こういうのは、お前の住んでたところでは泥中の蓮っていうんだニャ?」
え、俺、泥なの……?
神さまほどではないが、この猫もなかなか辛辣だ。
「猫になれる奴は野良人でもそうそういねーニャ。誇るといいニャ。お祝いに我輩が名前を授けてやるニャ。特別だニャ。んにゃーっと、そうだニャ、これからはニャスポーンと名乗るがいいニャ!」
「みにゅーん……(お断りしたいんですけど……)」
「断るのは認めねーニャ! これからお前はニャスポーンだニャ!」
「にゃぁ……(ええぇ……)」
マジいらねえ、なんだよニャスポーンってよぉ……。
明らかにふざけてんのに、妙に言いやすいのが苛立つわ。
「それから……シルにゃん」
「は――はい!」
ニャニャが急にぼすっと前足を頭に乗せてきて、シルはビクッと。
「よい働きをしたニャ。無駄な災いをよく未然に防いだニャ」
「あ、ありがとうございます……?」
「身に覚えがないかニャ? まあそれも仕方ないニャ。訪れなかった未来の話なんてされても戸惑って当然ニャ。でも我輩はここで褒めるべきだと思ったニャ。これからもこいつの面倒を見てやるといいニャ」
「は、はい……!」
そう答えたシルは若干嬉しそうな?
でもってニャニャは次にゴーディンへ語りかける。
「お前はまだまだ精進が必要ニャ。まずは心に住む友達を外に出してやるのを目指すニャ。頑張るニャ」
「あぁ……おあぁ……はわぁ~ん……」
もはやろくに受け答えもできず、ゴーディンは恍惚とした表情を浮かべ唸るばかりである。
「さてさて、それじゃあ始末をつけちまうニャ。ニャー様が魔界も立ち入り禁止にしておけばこんなことにはならなかったニャ。でも仕方ないニャ。ニャー様は猫だから、仕事がちょっと雑なんだニャ」
ぶつぶつ言いつつニャニャは万歳。
抱きあげろ、との催促……ではない。
みるみるニャニャの存在感が増していき――
『ニャルラニャテップが犬を憎む者たちに告ぐニャ』
その声はどこからも響く。
まるで魔界全体から声がしているように。
『すべては猫への道を誤った者が始まりだニャ。いくらニャー様に近づきたいからって、犬たちをイジめるのは筋違いニャ。お前たちの一番の過ちは、そのおこないが善いか悪いか、己に問いかけることをやめてしまったことだニャ。もう処置なしニャ。我輩はニャー様ほど優しくねえニャ。そんなに猫と仲良くなりたいなら、我輩がそうしてやるニャ。感謝するといいニャ』
ほわわ~んとニャニャの体が光る。
そして光りは広がっていく、どんどん広がっていく。
この会場、この地域、もっともっと――。
「ぬあぁぁぁ……!」
「ぐおぉぉぉ……!」
「あひぃぃぃ……!」
光は寒い日の日差しのように温かく心地よいものであったが、ベインたち『わん殺団』の連中は苦しみ始めた。
やがて体に異変。
みるみる縮み、そして――
「……ちゅう」
みんなネズミになってしまった。
なにこれ……。
『これより、魔界では勝手な理由で犬を憎悪する者はネズミになるニャ。でも悔い改めたらちゃんと戻れるようにはなってるニャ。それくらいの慈悲はくれてやるニャ』
慈悲……。
いや、まあ、うん、慈悲っちゃあ慈悲かな?
ニャニャは魔界にいる『わん殺団』すべてをネズミに変えることで、その問題を解決したのだ。
それは神のごとき奇跡。
しかし、裁きの奇跡であるため、目の当たりにしたわんわんたちは震え上がって尻尾くるん、である。
ネズミとなった『わん殺団』の連中があたふたして、あちこちに逃げだしても誰もそれを止めようとはしない。
ニャニャの降臨、そして奇跡の行使。
もう今は邪悪なネズミどころではないのだろう。
「ふう、いい仕事したニャ」
やがてニャニャは光るのをやめて、挙げていた前足をおろす。
「あとのこまごましたことは弟妹たちに任せるニャ」
「にゃうにゃ?(弟妹たち?)」
「あちこちの神殿でごろごろしてる猫たちニャ。シャカはちょっと違うニャ。まあ気にするほどのことでもねーニャ。シャカはシャカだニャ」
ニャンゴリアーズはやはり普通の猫ではなかったか。
シャカはちょっと違うとのことだが、『ちょっと』ってことは、ある意味ではそうってことになる……?
「それじゃあ我輩はもう帰るニャ。お昼寝の続きニャ。では、さらばだニャ」
そう言い残し、ニャニャは地面に映る自分の影にぬるんと潜り込んで居なくなる。
『…………』
嵐というか、天変地異というか、ともかくニャニャは去った。
あとに残るは沈黙だ。
居合わせた者たちは緊張が抜けてくれないのか跪いたまま。
これで根深い魔界の問題はまるっと解決したのだが――
「にゃんにゃにゃぁ……(これやっぱ怒られんのかな……)」
静寂のなか、俺はぽつーんと突っ立って、いずれ訪れるであろうお説教を思い憂鬱になるのであった。




