第32話 シセリア、死す
俺が猫になりたかったわけじゃねえ!
もう一度言おう。
俺が猫になりたかったわけじゃねえッ!!
降って湧いた猫人合一の奇跡に場の空気はめちゃくちゃだ。
先ほどまでの深刻な雰囲気は霧散してのぽかーん。
まあ囚われ状態のおチビやわんわんたちはそれどころではないものの、反応できる奴らはみんな唖然としている。
かく言う俺だってあれだ、猫が変な臭い嗅いだあとに見せるぽかん顔をしているはずだ。
で、そんな状況にあって一人号泣している奴がいる。
「うぉぉーん! あ、兄者! おおーん! 俺は、俺はもう、涙で前が見えぬぅ……!」
ゴーディンである。
もはや立っていることもままならず、地面に突っ伏して人目を憚ることなく盛大に男泣き。
いやまあ気持ちはわかるというか、ずっと願っていた『夢』が目の前で成し遂げられたのだから感激はするだろうし、厳しい状況におかれていたから、なおさら心が揺さぶられてしまったのもわかる。
わかるんだけども……。
そしてこのなんともしがたい空気の中――
「ね、猫になれるからなんだと言うのだ!」
いち早く復帰して騒ぎ始めたのはベインだった。
「ええい、駄犬! なにをしておる、殺せ! 使徒を殺すのだ!」
「うおおー! うおぉーん!」
ベインが急かすも、ゴーディンは今それどころではない。
「ぐぐ……この役立たずめ! くそっ!」
ずっと側にいたベインだから今のゴーディンに指図しようとしても『無理』というのはすぐにわかったのだろう、苦々しい表情で罵倒すると、今度は俺に目を向ける。
「ならば使徒! ゴーディンを殺せ! 猫に殺されるならばそいつも本望であろう!」
「にゃうー……(ええぇ……)」
まったく、節操のない切り替えをしてきやがる。
だが明晰な頭脳を持つ俺は、この命令をひらりと躱す唯一の方法をすみやかに実行した。
「にゃうんにゃー(なに言ってるかわかんないニャー)」
奥義、猫のふり。
俺はふわふわの毛に覆われた手――今となっては前足――をしょーりしょーりと舐め、その手でぐしぐしと顔を擦る。
そのあと四つん這いという、正しい猫の立ち姿となり、上半身を捻りつつ屈めて地面にごろんと横倒しになると、今度はお腹をしょーりしょーりと毛繕いしてみせる。
ふっ、我ながら惚れ惚れする猫っぷりだ。
断言しよう。
今この世界に、俺ほど猫の演技が上手な者など存在しない!
「使徒! 貴様ふざけ――いや、本当に猫なのか……? この状況で、あんな散々わめいて、ただでかいだけの猫になってみせたというのか……? だがそんな……状況が悪化しただけではないか! そんな馬鹿な話があるか! なにがしたかったのだ貴様は!」
大騒ぎするベインを、俺は『なんだこいつ』という顔で見つめてやる。
毛繕い中、ふと顔を向けてくる猫の真似だ。
「く……! 猫……猫なのか……!」
「うおぉーん、おーん、おーいおいおい……!」
「やっかましいぞ駄犬がぁ!」
男泣きするゴーディンに苛立ちをぶつけるベイン。
だが俺は無視して毛繕いを再開だ。
「これはまさに猫……! いや、違う! そんなはずはない! だが……くっ、頭がおかしくなりそうだ!」
元からおかしかったと思うが……まあともかくベインは勝手に混乱を始めた。
これが吉とでるか凶とでるか。
俺はこの隙に、再度この会場の様子を探り、そしてふと気づく。
これまでよりも、よりはっきりと気配を感じることができるようになっていることに。
今は自分を中心として、どれくらい離れた位置に誰がいる、なにがあると手に取るように認識ができるのだ。
まるで探知……ってかこれが探知なんじゃねえの?
えっ、じゃあ俺がこれまで使っていた〈探知〉っていったい……。
つい戸惑うことになったが、そこで俺は猫になる前は気づけなかったものが地中に埋まっていることに気づいた。
会場のあちこちに埋まっているなにか。
コボルトたちが掘り返した地面になにかを埋めるなんて話は聞いていないし、おそらくこれが『わん殺団』の隠されていた奥の手なのだろう。
感じからしてたぶん爆弾っぽい物、これで俺たちをまとめて吹っ飛ばしてやる腹づもりだったようだ。
なるほど、そう考えると、ベインが魔法を禁止したのも納得、流れ弾で起爆するという事故を防ぎたかったのだろう。
俺が魔法で地面から壁を生やしたとき、何気に焦ったんだろうな。
となると、この物騒な物はこっそり始末したいところだが……できるか?
なんかできそうな気がする。
俺は右にごろりん、左にごろりんと猫の真似をしながら、埋められていた危険物を地の底へ底へと送り込む。
なにやら魔力的な繋がりもあったが、そんなものはちょちょいと誤魔化してやった。
うん、なんか俺、シャカと合体して魔法の扱いが上手くなっているっぽいな……。
それは素晴らしい話ではあったが、飼い猫と合体して上達ってのは内心ちょっと複雑である。
俺は猫以下であったのか。
切ないが……まあいい。
危険物をすべて地の底に送り込んでやったら、もう俺を縛るものはない。
いつもの〈探知〉で『わん殺団』をきれいに吹っ飛ばして事件解決だ。
みんなプードルになっちゃうけど、状況が状況だ、きっと許してくれる。シルも一緒に謝ってくれるし。
俺は猫のふりをしつつ、すみやかに危険物を処理。
だがここで――
「いや、いや、そんなわけがない! そんなわけあるかぁ!」
もう少しで作業完了というところでベインが錯乱。
近くの仲間から攻撃的な形状の杖を引ったくりこちら側に向ける。
「私を謀ろうとしても、そうはいかんぞ! ガキどもがどうなってもいいのか!」
ごばぁんと杖から発射される魔力弾。
野郎……!
いや、あれは威嚇、子供たちの手前に着弾――
「ちょっとなに考えてんですかー!」
だがシセリアにはそんなことわからなかった。
咄嗟――たぶん深い考えなどはなく、魔法の包囲を突破して子供たちを守ろうとしたのか前に飛び出してしまう。
チュドーンッ!
「にゃうにゃぁぁ!(シセリアァァァ!)」
噴き上がる土砂、飛び散る鎧。
ああ、なんということか。
シセリアは木っ端微塵。
そしてそれは見事なまでの無駄死になのだ。
いや、だが、たとえそれがうっかり死であっても、根本のところには子供たちを守ろうという、騎士に相応しき心意気があった。
きっと子供たちには、青空をバックに微笑むシセリアの姿が見えていることだろう。
実におしい娘を亡くし――
「ぬあぁぁぁ! さすがの私も怒っちゃいますよこれは!」
いや、シセリアは死に絶えてはいなかった……!
ってなんで?
着ていた鎧は吹っ飛ばされたのに、シセリア本体はぴんぴんしている。
コントの爆発後演出のように、ずいぶんズタボロな姿になっているが、どうも傷は負っていないっぽい。
これにはベインもびっくりだ。
「き、貴様……! どうして平気なのだ……!?」
「はあぁ!? 知りませんよそんなこと! どうせ大した魔法じゃなかったんじゃないですか! 道具任せの心がこもっていない魔法なんてそんなものですよ! 面白さが欠片もありません!」
若干混乱しているのだろう、なんかトロイみたいなことを言っている。
するとそこで叫ぶ者が。
エレザだ。
「シセリアさん! 叫んでください! スプリガンと!」
「へ……?」
なんのこっちゃわからず、きょとんとするシセリアであったが――
「早く叫ぶ!」
「ひぃえ!? ――え、えーっと、ス、スプリガン!」
エレザにきつく急かされ、言われた通り叫んだ。
すると直ちに異変。
シセリアの頭上に、瘴気としか表現できないような黒い靄がごばぁっと溢れだし、その中からずんぐりむっくりな小人を模したような、禍々しい気配を放つ鎧の塊が姿を現した。
「なんか出てきたぁぁぁ!?」
シセリアはびっくりしていたが……。
うん、あれ見たことある。
見たことあるぞ。
以前、ノラと出会った時、正体を隠して現れたエレザが着ていた鎧だあれ。
『うぉんうぉん、ぬぶるぁぁぁぁ!』
出現した鎧は唸り、そして唐突に分解される。
頭、胴、腕、足とパーツにわかれた鎧は、下であたふたしていたシセリアに問答無用でどんどん装着されてゆく。
「ぴぃ! ぴょえっ!? ぴやぁん!?」
うん、あれも見たことある。
見たことあるぞ、アニメでだけど。
聖なる闘士的なやつだ。
「なんですこれ! なんなんです!? 私どうなっちゃうんですか!?」
「安心してください! シセリアさん、貴方は呪怨鎧装スプリガンに主と認められたのです!」
「どこに!? どこに安心できる要素が!?」
そうシセリアが戸惑っている間に鎧の装着は完了。
禍々しい気配を発散させ、瘴気を燻らせるその姿。
もし『どうもこんにちは、魔王です』と名乗ろうものなら、誰もがそれを信じざるを得ないほどに邪悪なものであった。
「なん、なん、なんじゃこりゃぁぁぁぁッ!?」
己の意志など関係なく、邪悪な鎧を纏うことになったシセリアは絶叫するばかり。
と――
『弱きを助け、強きを挫く……それがこの我、スプリガン!』
「鎧が喋ったぁぁぁぁッ!?」
なんということか。
あの鎧はただ『邪悪そう』というだけではなかったようだ。




