第31話 ファンタジーの可能性
ゴーディンからすれば状況はかなり詰みだ。
信頼していたであろうベインの裏切りにより、人生の大半をかけて辿り着いた場所ですべて叩き壊された。心の内は並大抵の混乱ではないだろうし、これが現実であると信じ切れない気持ちもあるだろう。
だがそれでも、今この状況で自分が選べる最善の行動をとろうとしているのは実に立派ではないだろうか。
誰から殺せとは言われていないならば、殺そうとしても殺せない相手として俺を選んだのは間違いじゃあない。
シルもそれに当てはまるが……反撃で逆に殺されそうだからとか、そんな理由ではないと思う。
しかしながら、この選択はなんらかの変化が起きるのを待つという時間稼ぎでしかない。
「ほうほう、まずは使徒を殺すか! いいぞ、やってみせろ!」
ベインが楽しげなのは、ゴーディンの狙いを理解しつつも、自分たちの優位性は揺るがないという自信があるからか、足掻く姿が見たいからか。
「あー、みんなはちょっと離れといてくれ」
ゴーディンとの戦い、近くにいてはとばっちりを受ける可能性があるため皆に避難しておいてもらう。
シルなら受けても平気だろうし、エレザとかルデラ母さんあたりもまあ大丈夫なのだろう。
でもアイルあたりはきっと大ダメージだし、クーニャであれば重傷、トロイは木っ端微塵になって死ぬ。
それはちょっと寝覚めが悪い。
「あとシル、どうも服に気を使いながらってのは無理っぽい。悪いな、せっかく用意してもらったのに」
「そんなことは気にするな」
ため息まじりに苦笑したシルが肩パンしてきて最後にさがり、これで俺はゴーディンと一対一。
「兄者……」
皆が避難する間、固く瞑っていた目をゴーディンはカッと見開く。
強引に気持ちを落ち着かせたか、迷子の子猫ににゃんにゃん鳴かれて困り果てた犬のお巡りさんのような雰囲気は消え去り、死力を尽くしこの戦いに臨まんとする強者の気迫をほとばしらせる。
殺る気100倍、わんわんマンの誕生だ。
「この戦い、俺は封じていた爪を立てる……!」
「?」
手加減はしないと言いたいのだろうか?
本人は真面目なのだろうが、こっちとしては戦い前に戸惑わされると気が抜けて困る。
「では――ゆくぞ!」
繰り出されるわんパンチ――いや、それは握られた拳ではなく、ぐわっと爪を立てるように広げられた手のひらだ。
前にバイゼス王との決闘で見せた、猫の肉球を模した拳とはまた違う。
あれは手加減のための技だった。
であればこれは?
明確な脅威を感じるね!
「覇猫爪斬掌!」
咄嗟に頑丈な土の壁を生やし盾に。
これで化け猪が突撃しても大丈夫。
だが――
「にゃおうっ!」
ずごんっ、と。
ゴーディンの手は土壁をやすやすとくり抜き突き出された。
それはさながら、障子を突き破って飛びだしてくる猫のごとし。
さらに、くり抜かれた土壁が細かく寸断され、バラバラに飛び散った。
この程度じゃ牽制にもならないか。
そう思ったとき――
「おい使徒! 魔法など使うな!」
ベインからクレームが飛んでくる。
攻撃したわけでもないのに、ちょっと地面から壁生やしたくらいでそう目くじら立てんでも。
「野蛮な貴様らには殴り合うのがお似合いだ!」
「野蛮て……」
言われたくないなぁ、『賢者の棍棒』とかイカれた儀式に臨んだ先祖を誇りに思っている奴には。
言われると怒りよりも戸惑いの方が大きいだろうが。
まあもとより魔法を多用するつもりはなかった、禁止にされてもそう問題はないからいいんだが。
でもそうなると、ゴーディンのにゃんにゃん波も禁止か?
ふむ、これは自分たちが流れ弾で蒸発するのを警戒しての制限……あるいは、なにか別の理由がある……?
ちょっと考えたいところだったが――
「ぬぅえぇぇぇい!」
「あ、ちょっ」
少しタイム、なんてわけにはいかない状況だ。
俺が暮らしていた森に近い環境の魔界で、すくすくこんなにでっかく育っちまった大男がぶっ殺すつもりで攻撃を仕掛けてくる。
そりゃあいくら俺でものんびり物思いにふけりながら相手するなんてのはちょっと無理。
ただの拳や蹴りであっても、その威力はでっかいハンマーでぶっ叩いてくるような理不尽なもんだし、これが技となるとさすがにダメージを受ける。
とくに――
「猫掌揉撃波!」
「そいつはちょっとお断りぃ!」
繰り出される拳を受けぬよう、腕を払ってそらす。
なんか攻撃の効果が遅れて表れるやつ、これは食らいたくない。
だって内臓なんて鍛えられてないもん。
内臓を破壊されたらつらい。
俺の思わぬ弱点だ。
「覇猫爪斬百烈掌!」
「ちょっ、おまっ……!」
最初にぶっぱした技、それを連打とか。
必死に躱しつつ、無理な場合は腕で受ける。
内臓と違って腕はすっかり頑丈、痛かったりミミズ腫れになるくらいでダメージはない。
でも余波なのかなんなのか、着ていた服が袖からパラパラと細切れになって散って舞う。
どんどん舞う。
腕から二の腕、肩から胸へ。
ようやくゴーディンが攻撃を終えたとき、俺はすっかり上半身裸になっちまった。
でもズボンは無事だから被害は実質ゼロだ。
そうほっとしたのもつかの間――
「はっ、さすがに使徒は手強いか! だがいつまでも見物しているわけにはいかんのでな、使徒、貴様はこれから抵抗をするな!」
「ああん!?」
ベインの野郎、無茶苦茶な注文しやがる。
だがここは従わざるを得ず、俺は棒立ち、ゴーディンは逡巡を見せたものの攻撃を再開する。
そりゃあ無抵抗なんだからやりたい放題だ。
殴られるわ蹴られるわ、格ゲーの乱舞技みたいなの仕掛けられるわ。
いくら頑丈な俺でも、ゴーディンの攻撃をもろに食らうとなるとさすがに効いてくる。
もうなんか森で暮らしていた頃を思い出すほどだ。
嫌な懐かしさである。
「ぬおぉぉぉ――――ッ!」
ゴーディンは攻撃の手を休めることなく必死。
一方の俺は痛いは痛いが、痛いのはまあ慣れたものだし、これだけ猛烈に攻撃を受けているせいか『適応』が仕事して、そろそろ体が慣れ始めていた。
そんなわけで、俺は為すがままやられながらも休憩、ちょっと落ち着いてものを考えられるようになり、それとなく周囲の様子を窺ってみる。
ベインたちは俺のやられっぷりを嬉しそうに見物し、うちの面々は心配そうに見守っている。
シルとか今にもこっちに飛び出してきそうで、クーニャが腕にしがみついていた。
心配すんなと伝えてやりたいところだが、ちょっと立て込んでいて無理。
そう思ったらシャカがあっちに現れて、クーニャが通訳してくれたっぽく落ち着いた。
耳栓してたのによくシャカの鳴き声がわかったな。
まあいい、シャカならちゃんと伝えてくれただろう。
無抵抗でやられっぱなしなこの状況であるが、案外、これでよかったのかもしれないと俺が考えていることは。
懸命に、健気なまでに攻撃を続けるゴーディン。
その一撃の威力、技のキレ、それらはこいつが猫になるためと頑張った証で、そして今となっては無意味となってしまったもの。
悔しいだろう、無念だろう。
ならばせめて、受け止めてやるのが志す者として、曲がりなりにも兄と呼ばれた俺の務め。
相手が俺である意義、俺でなければならなかった意味。
それは確かにあると思う。
わかるとしたら、アイルくらいかもしれない。
まあガラでもないとは自覚している。
まったくらしくない。
どうしてここまで、と自分でも不思議に思う。
仕方なしと付き合うことにした奴だが、なんだかんだでゴーディンのことを気に入っていたのだろうか?
「覇猫牙穿拳!」
だから――
「んなつらそうな顔すんな」
「――ッ!」
つぶやくと同時、俺の首めがけ伸ばされた手が寸前で止まる。
「く、く……ぐぅ……!」
腕を伸ばしたままの状態でうめくゴーディン。
その表情からは葛藤がみてとれ……俺は余計なことを言ったと後悔した。
こいつは俺を『敵』であると、懸命に気持ちを誤魔化して戦っていたのだろう。
そこについ気遣うようなことを言ったせいで、その暗示が解けてしまったようだ。
いやそもそも、もう限界が近かったのか。
こんなでかい図体して強面なくせに、なんて哀れな奴なのか。
騙されて、猫になりたいとか、そう願って。
もともとは、きっと、猫と仲良しになりたかった子犬だったのに。
「どうした、やれ、やるのだ! 使徒はまだ死んではおらんぞ! 猫になりたいと鍛え上げた貴様の力はその程度であったのか!」
嘲笑うベイン。
あいつが叩いた。
棒で叩いて、こいつをこんなところまで追いやった。
「であれば貴様にもう用はない! 死ね、死ぬがよい! もしかすると猫に生まれ変われるかもしれんぞ! はははっ、その方がよほど可能性があるとは思わ――」
「うるせえッ!」
思わず怒鳴っていた。
これほどゴーディンに同情を覚えるのは、おそらく、俺もまた心無い邪悪な者たちに騙され、取り返しのつかないところへいってしまった過去があるからであろう。
他人事ではすませられなかったのだ。
「使徒、貴様……それは、猫の紋章か!」
ベインが驚いたように言う。
どうやら俺のおでこには肉球マークが光っているようだ。
それでようやく理解した。
「ああ、そうか、俺は怒っていたのか……」
妙に冷静になれていてよくわからなかった。
カッとなってチュドーンッとはずいぶん違ったから。
「ふ、ふん、猫の紋章が浮かんだからなんだというのだ! 我々に歯向かうか? 野良犬のように。はっ、できるものならやってみろ!」
「そうだなぁ……」
いつもならとりあえずぶん殴りにいくのだろう。
でも今の俺はそんな気になれなかった。
妙に落ち着いて……なんだろう、殴るよりも語る方を優先させたかった。
今ここで、俺は言ってやりたかったのだ。
「まあ、こんなでけぇ野郎が、可愛らしい猫になりたいとか、そりゃ普通は笑い話だろうさ。でもな、こいつは本気なんだよ。きっかけはてめぇのでまかせだろうと、こいつは本気でそう願ってたんだ」
ふいに、のっしりと頭に重みがかかった。
この状況で俺がうっかり怒り大爆発を起こさないか心配してシャカが頭に乗ってきたのだ。
「だから、俺は考えを改めたよ。猫になる。いいじゃねえか、誰にも迷惑なんてかからねえ。どこぞの異端と違ってよ」
「あ、兄者……」
これまではお茶を濁してきたが、ゴーディンは打ちのめされすぎて精神がまいっている。
なら、言ってやらねば。
「お前らさ、本当に神さま信じてんの? 信じてんならこいつの願いを笑うことなんてできねえだろ? よく考えてみろ、猫が神さまなんだぞ? 猫が世界の創造主で、その世界には別の世界から移住者はくるわ、竜や子犬が人の姿になれるんだぞ? だったら――」
ここに、味方が一人いると。
「だったら人が猫になれたってなにもおかしくねえだろうが! あんたらにゃあわかんねえだろうが、この世界はファンタジー、ファンタジーなんだよ! ファンタジーつったら、人が思いつくような程度のことはなんだって実現可能なんだ! ファンタジーなめんな!」
「にゃ!」
そうだ、とシャカが同意する。
「俺は信じた! 俺だから信じられた! なれる! なれるんだよ、人は猫になれる! そうだよなぁ!」
「にゃう!」
「ほら、うちの猫ちゃんもなれるつってんだろぉ! 人はな、願い続ければ猫にだってなれるんだよぉぉぉ――――――ッ!」
「にゃぁお――――――――ん!」
俺の叫びに負けじとシャカも鳴く。
その時であった。
突然、まばゆい光が視界を覆い尽くす。
「なんだ!?」
「にゃ!?」
攻撃を受けた?
いや、だが痛みなどはまったくないし、むしろ心地がいい。
わけがわからず戸惑っていると、そこで、ふいに光が消え失せる。
「……?」
特別なにが変わったというわけでもなく……?
「あ、兄、者……?」
目の前のゴーディンが唖然とした表情で俺を見てくる。
よくわからず周りを窺うと、反応できる余裕がある者たちはみんな同じ表情だった。
俺になにか異変が……?
そう思い、俯いて自分の姿を確認する。
と――
「にゃ?(は?)」
俺の腹は白いふわふわの毛に覆われていた。
「うにゃん!?(どういうこと!?)」
慌てて見た手にはでっかい肉球。
これは――と一瞬理解しかけ、いやまさかそんなと否定する。
するとそのとき――
「ケ、ケイン様、あの、こちらを……」
エレザの声。
顔を向けると、エレザはこっちに手鏡を向けていた。
その鏡に映るのはでっかいシャカ。
ではなく――
「うにゃにゃにゃぁぁぁぁぁん!(ここで俺が猫になってどうすんだよこれよぉぉぉ!)」
シャカとなった俺が映っていた。




