第30話 あるいは一種の自己紹介
悟りという言葉には良い印象がある。
しかし、実際のところはどうなのだろう。
悟りとは狂気の向こう側。
なんらかの苦悩、抑圧といった環境に対する必死の反撃であり、それは無意識の領域から浮かび上がってきた荒ぶる『聖魔』だ。
そもそもが現状を突破するものであるため、環境とは相容れないものになるのは仕方ない。
とある到達者の教えは、歴史のどこを見渡しても戦乱の火種となったほどだ。
では、『わん殺団』の開祖もこれであったのか?
いや、それにしては、あまりにその教えは拙く乱暴だ。
もしかすると、開祖は悟りまで到達できず『魔境』止まりであったのではないだろうか。
魔境とは、悟りへ至る過程で訪れることになる精神の状態。
もしこれがおぞましいものであれば人は避けよう、あるいは抗おうとするのだろうが、しかし魔境とはそれまでの人生で体験したことのない神秘的で素晴らしいものの訪れであり、それ故、至った者はこれを『悟った』と誤解する。
やっかいなのは、魔境が経験した者の自我を肥大させること。
圧倒的な自己の肯定が起こり、万能感を得て、場合によっては自分を宗教的な指導者であると自覚するようになる。
強力な自己同一性の獲得。
それは反作用として、社会性の弱体化を招く。
こうなると常識的な判断など期待できるわけもなく、また非道徳的な行為とて、自分のためならばと肯定するようにもなる。
魔境から飛び出すのは『聖魔』ではなくただの『魔』。
こんなものが、社会に受け入れられるわけもない。
禅僧であれば師がこれを律し、社会的同一性を復活させるのであろう。しかし修行者でもない一般人であった場合は、そのままの状態で社会に飛び込み、己の魔を周囲にまき散らすことになる。
もし、運が良ければ、社会性を再構築するまでの止まり木に巡り逢うこともあるのだろうが……。
まあ普通は拒絶されるだけなのだろう。
で、だ。
さらに希有な例として、そのままを人々に受け入れられてしまった場合はどうなるか?
おそらく、それが『わん殺団』なのだ。
「それで、その真の勇士の末裔とやらは、のこのこ現れ名乗り出て、戦争になってほしかったとのたまったわけじゃが、この場でなにをしでかそうとしておったんじゃ? まさか顕示欲を満たすために長々と語っておったわけではあるまい」
「もちろん戦争ですよ。正確には、そのきっかけ作りです。悲しいことに数で負けてしまう我々は、今も昔も変わらず、その程度のことしかできないものでして」
「昔も……? 昔? おい、まさかそれは……」
「おや、やはりご聡明であらせられるようで」
なにかに気づき、唖然とする爺さん。
対し、ベインは得意げに続ける。
「そう、我々の先祖は精一杯の後押しをしたのです! 魔界が誕生してのち、まさにこの地にて犬狼がのさばり始めるのを、ただ指を咥え見守っていたわけではなかったのですよ。試練を乗り越えた真の勇士といえど、わずか数名では、正面から挑んでも敗北は必至。そこで犬狼どもの間に不和をもたらすことにしたのです」
ああ、そういうことか――。
ようやく俺も理解した。
「もとより犬狼は優れた者が長となり群れを率いる習性がありましたので、不和はすぐさま諍いという形で芽吹きました。滅ぶべき者どもが、滅ぶべき者同士で殺し合う。ああ、実に合理的、素晴らしい話だとは思いませんか?」
「外道が!」
長く続いた魔界の戦国時代。
わんわんたちの習性もあるが、争いがより燃えあがるようにと焚きつけたのは『わん殺団』であったのだ。
「先祖たちは犬狼どもの争いを後押ししつつ、各勢力に食い込んでいきました。これは只人であること、また『弱い』――つまりいざとなればどうとでもなるという犬狼の慢心が有利に働いたようですね。先祖たちは常に権力の傍らにあり、表面的には従順、甲斐甲斐しく働きながら、騒乱がより長引くよう敵勢力にいる者とも連携して務めを果たし続けました」
「あ――」
不意に爺さんが動揺。
その隙を突き、ベインがすっと片手を挙げた。
なんだ――と思った次の瞬間。
「くあっ……!」
クーニャが苦悶の表情を浮かべ、頭を抱え込むようにして身を屈める。
いや、それはクーニャだけの話ではなかった。
舞台の上にいるゴーディンを始めとした王たち、さらにはこの会場にいる者たちも苦しみ始めたのだ。
「クーニャ! おいクーニャ、いったいどうした!」
「お、音が……! ひどい音がして……!」
「音……?」
そうは言われても、俺にはそんな音など聞こえない。
シル、エレザ、アイル&ピヨ、トロイ、ルデラ母さんも平気。子供たちの方はペロやテペ、ペル、フリードと、わんわんたちは苦しんでいるが、ノラ、ディア、ラウくん、メリア、あとシセリアは戸惑っているだけだ。
これは……。
「可聴領域の差か!」
さすが筋金入りのわんわん嫌いと感心するような嫌がらせ。
クーニャは……まああれだな、とばっちりだ。
ひとまず多少はマシになるだろうと耳栓を創造してくれてやる。
この『わん殺団』の嫌がらせに、会場は一気に混乱。
それに乗じて、会場に来ていた只人の作業員たちが動いた。
作業員たちはそれぞれゴテゴテとした――携帯電話基地局に設置されているアンテナみたいな杖を手に各国要人を包囲。
さらに杖を地面に突き立てると、杖同士をジグザグに波打つ光の線が結び、囲まれた人々はさらなる苦境に立たされる。
いったいどのような効果が及んでいるのかはわからないが、囲われた者たちは立っているのもつらそうで、片膝をつく者も。
子供たちに至っては、うずくまってしまうのがほとんど。
音波攻撃は平気だったノラやディア、ラウくん、メリアも、これには四つん這い状態になっていた。
が――
「あれっ、ペロちゃんたちだけでなく、今度はみんなも……!? どういうことです!? ってか私だけ平気なのはどうして……!?」
知らんがな。
つかシセリア、お前マジでどうして平気なん?
疑問ではあるが、しかし、今それは重要なことではない。
ここはひとまず救出を急ぐべき。
であったが――
「そこの使徒! 忠告だ、余計なことはするなよ! 我らは自分たちが弱者であることをよくわかっているのでな、危害を加えられた場合はもろとも吹き飛ぶための魔道具を身につけてこの場に臨んでいる! また、備えはそれだけではないぞ!」
「ああん!?」
手出しはさせないってか。
ちっ、と舌打ちしたのはシルで、皆も口々に呟く。
「迂闊に動けんな」
「クソが! ダリいことしやがってよぉ……」
「ピヨ!」
「一瞬で片付けるには敵の数が多いですね」
「命に別状はないようだけど……。くっ、娘たちには少し耐えてもらうしかない……」
「つまらない、実につまらない魔法です」
戦力ならこちらが圧倒的なのだ。
なんならシルさん一人でも過剰戦力である。
しかしそれが封じられるとは……。
無駄に知恵が回るアホどもとは、これほど厄介なものなのか。
俺たちが手をこまねいているしかない状況で、さらに『わん殺団』であった作業員たちが、今度は攻撃的な形状の杖を持ちだして人質たちに向け、数名は舞台へと上がっていった。
舞台では未だ爺さんがベインに光の刃を突きつけていたが……今やそれはなんの脅しにもならなくなってしまった。
「陛下、貴方に滑稽と告げた理由がご理解いただけましたか? いくら優れた王であろうと、ただ一人では対処できることなどそう多くないのですよ。私を警戒していたのは正解でしたが、しかし、それだけでした。さて、そろそろこの物騒なものをさげていただきましょうか」
「くっ……」
にやにやとしたベインの言葉に抗うことができず、爺さんは渋々光の刃を消し去る。
「……おいケイン、どうもちょっと不味い状況だ。多少のことには目を瞑るから、なんとかできないか?」
「できるっちゃできるんだけども……」
ざっと『わん殺団』を〈探知〉すればまるっと解決はできる。
気配を探ってみたところ、この会場にいる連中のほか、ちょっと離れたところにこの場をぐるっと包囲している連中もいた。
たぶん音波攻撃を仕掛けているのはそいつらなんじゃないかと思うんだが……どっから湧いてきたんだ?
考えられるのは、集落跡の整備をしている間に山を越えてやってきた、くらいか。まあ記憶喪失になるため頭をぶん殴り合う連中の末裔だ、それくらい平然とやるだろう。
しかし不思議なのは、俺がそれに気づけなかったことだ。
常に気配を探っているわけではないが、明確な敵意があればわかる。
それが利かなかったのはどういうことか?
もしかすると、わんわんへの敵意がもはや敵意ではなく、意識にすらのぼらないほど普通の感覚になっていたからわからなかったとか?
目の間に蚊が飛んでいたら、とりあえず叩き潰そうとするような、無自覚な殺意であったのでは……。
「できるが、なんだ?」
思考が横に逸れていたところ、シルがさらに尋ねてきた。
「あー、えっとな、木っ端微塵にしてやっても、どこからも文句がでないどころか感謝されるような連中なんだけども、やっちゃうとね、お集まりの皆さんの頭がすごいことになるもんで……」
『……』
俺の『なんとか』がどのような手段か理解したらしく、みんな黙った。
やっぱ魔界の要人をまとめてプードルにしちゃうのはね……。
「ま、まあ、命にはかえられんのだ、やるしかあるまい。あとで私も一緒に謝ってやるから……」
「いや、懸念はそれだけじゃなくて、まだ奥の手とかあった場合、被害がでるかもしんないだろ? あいつら無駄に用意がいいから、みんなやられた場合、こっちも道連れにするための仕掛けとか用意してるんじゃないかって」
いっそ会場ごと吹っ飛ばす、とか計画されていてもおかしくないのだ。
これで『なんか危険なもの』なんて〈探知〉したら、結果は笑えないコントになっちまうし……。
「(シャカさんや、なんとかなんない?)」
『なーうー……』
「(そっかー、ちょっと難しい感じかー……)」
頼みのシャカも対処しきれないとくる。
今は耐えるしかないのか。
いやまあ本当に耐えてるのはおチビたちなんだが……なんとかするからそれまで頑張ってほしい。
「我々の努力も虚しく、魔界は八つの国により安定を始めてしまいました。しかしそれは、我々の敗北を意味するものではないのです。我々は機会を待ち続けました。そして現れたのが、ゴーディンという名の駄犬であったのです」
「お、俺が、だと……?」
「そうだ。我々の仕事の一つに、魔界に住む猫たちを汎界へと逃がすというものがある。幼き頃の貴様は、私が避難させた猫を恋しがり、ずいぶんと悲しんでいたな。まさかあの時に言った気まぐれで、貴様がこれほどの強者になるとは思いも寄らなかったぞ」
「な……!?」
愕然とするゴーディン。
いや俺だって愕然だ。
すげえぞ『わん殺団』。
脱帽だ。
思わず感心するほど碌な事しねえ。
「貴様が……ふふっ、猫になるためと犬狼帝を目指し国王となったところで、戦争が現実味を帯びた。我々は、各国の同志と連携して血みどろの戦いを実現するはずであった。が、しかし、開戦の発端にと計画していた侯爵家の娘の暗殺は失敗、予定が狂った。それでもどうにか理由をつけて出兵させてみたが、今度は使徒に邪魔をされた。それどころか、さらにはたったの一匹すら犬狼が死なぬまま魔界の統合という結末だ、まったく使徒は碌な事をせん」
おいぃー! ふざけんな!
お前にはだけは言われたくないんだけど!
「しかし、こうして各国の要人が一堂に会する状況を実現させたことには感謝せねばならんかもしれんな。ああそれと、誰でも使用できる転移門も素晴らしい。今後はぜひとも活用させてもらう」
なるほど、奴らの目的は集まった各国の要人の殺害、そしてにゃんこ門というわけか。
「ゴーディンよ、貴様は充分に役目を果たした。あとはさっさと自害でもしてもらいたいところだが……最後に、もう少しばかり役に立ってもらおうか。この場に集まった者たちを殺すのだ」
「ふ、ふざけるな……! 俺が、そのような暴挙を、おこなうと、思うか……!」
「さて、どうか」
ベインは仲間たちに手で招くような合図を送る。
すると、数名が鳥カゴのようなキャリーに入れられた猫たちを連れてくる。
そこは一応なのか、猫たちには防音のためと思われるヘルメットみたいなものを被らせられていた。
まあめっちゃ嫌がっていて、逃げだそうと藻掻いているが。
「貴様が従わぬならば、我々はあの猫たちを殺さねばならん」
「ば、馬鹿な……! 猫を殺すだと……!?」
「我々とてやりたくはない。だが、貴様が従わぬなら殺さねばならん。貴様のせいで、我々は仕方なく猫を殺すのだ」
「くっ、そのような……! おのれ、にゃんにゃんを……! ぐ、ぐぎぎ……そ、それでも……! 俺は、やらぬ! あまり、見くびってくれるなよ……!」
「ならば猫たちが死ぬのを見守るがいい。猫の次は子供だ。こちらは猫と違い、我々としても気が楽でよい。――いや、むしろ子供から殺すべきか? そうすれば、我々が本気なのだと否が応でも理解できるだろう?」
「き、貴様の血は何色だ……!?」
「もちろん赤よ。そういう貴様ら犬狼の血は何色なのだろうな? これは確認せねばならん」
あー、これはダメっぽい状況ですね。
こうなったらもう一か八か、〈探知〉をやっちゃうしかないっぽい。
が、そう思った時だ。
「くっ、く、くあぁぁぁ――――――――――ッ!!」
ゴーディンが咆え、直後、舞台から跳躍。
そして俺の正面へと降り立った。
「すまぬ、兄者すまぬ……!」
その相、涙する修羅である。
「兄者、死んでくれ……! 俺はもう、涙で前が見えんのだ……!」
「あー、そうきたか……」
オーケー、オーケー。
んじゃまあ、とりあえず殺し合ってみせることにしますかね。




