第15話 破れぬ夢をひきずって
「師匠、なんか想像と違くね……?」
「うむ……」
相手は魔界統一を目指す王、さらにペロの行方不明を口実に隣国へ攻め入ろうとする奸雄であり、俺がこうして立ち塞がろうものなら「野郎、ぶっ殺してやるぅ!」と襲いかかってくることを予想していた。
それが……いや、確かに見た目はごつく、こいつもしかしてエレザより強いんじゃねえかって気配を感じさせるのだが、それでいていきり立った兵をとどめ、突然現れた俺たちを迎えようとするその理性的な言動、これが俺たちを大いに戸惑わせた。
「こりゃちょっと早まったか……?」
とりあえず喧嘩を売り、懲らしめて言うことを聞かせるという予定だったが……どうもそれが通用する気がしない。
この王からは、いくら懲らしめようとあきらめることはないという凄味を感じるのだ。
「ケイン殿は俺に用があるようだ。皆は休め」
「陛下、なりませんぞ! この大事な時に、得体の知れぬ者に関わるなど! 陛下の覇道を妨げんと現れたに違いありません! もし本当に使徒であるというなら、その証拠を示させるくらいはせねば!」
「ベイン……」
喧しい只人――ベインにゴーディンは閉口し、困り顔で言う。
「ケイン殿、どうだろう、証拠になるようなものはあるだろうか?」
「証拠と言われてもな……。神殿に問い合わせてもらえばはっきりするんだろうが、そんな悠長な状況じゃねえし、額に光る肉球を浮かび上がらせるような状態でもねえし……」
「ふむ、そうか……」
ゴーディンは一考すると、集まった者たちに向け言う。
「ベイン、そして皆も聞け! ケイン殿が使徒であるか、それは明らかではないが、それでも俺はケイン殿が信用にあたいする人物であると感じた! 余計な手出しは無用だ!」
「しかし陛下――」
「そもそも、ケイン殿が俺を害すつもりであれば、すでに俺は生きていないだろう! ケイン殿は俺以上の強者である! お前たちにはわからぬだろうが、俺にはわかる。感じるのだ、俺の中の――いや、ともかく下がれ! これは王命である!」
命令されては仕方なく、兵たちはしぶしぶさがる。
ベインからは仇のように睨まれてしまった。
「ではケイン殿、そして門弟殿もまずは中へ」
そして俺たちはゴーディンに招かれ天幕の中へ。
内部はさすが王様の天幕と言うべきか、寝台、棚、テーブル、イスなど簡素ながら家具が置かれ、それなりに快適に過ごせるようになっていた。
と、そこでゴーディンがはたとする。
「しまった。椅子を用意させるべきであったな」
「あー、大丈夫、こっちで用意できるから」
俺は自分とアイル用にイスを創造し、もう喧嘩を売るような空気ではないのでお茶とお菓子もついでに用意する。
「ほう、いただこう。――うまい!」
いきなり現れた不審者が用意したクッキーを平然と口に運び、旨い旨いと顔をほころばせる王様。
不用心と思うべきか、それとも信頼を示していると考えるべきか。
うーむ、なんかやりにくいな……。
戸惑う俺が見守るなか、王様はクッキーを平らげ、最後にお茶をぐびびーっと飲み干してひと息、そして言う。
「ではケイン殿、用件を聞こうか。ああ、もちろん薄々は気づいているのだがな」
「そうか。じゃあ手っ取り早く要求だけ言うが、隣国に戦争ふっかけんのはやめて引き返せ」
「ふむ。しかしな、使徒殿の要求でも、これは従うわけにはいかんのだ。この軍は――いや、ある程度の情報は得ているのか。であれば引けぬことはわかってもらえそうだが?」
「侯爵家のペロ――じゃなくて、ヴェロアなら戻ってきたぞ。まさに今日な」
「なに!? 無事か!?」
「ああ、元気いっぱいで走り回ってるよ」
「そうか……。うむ、ならば良し」
安堵の表情を浮かべるゴーディンは、純粋にペロが無事であったことを喜んでいるように思え、これには俺ばかりかアイルもきょとんとすることになった。
「だがヴェロア嬢はこれまでどこにいたのだ?」
「あ、ああ、それについてはだな――」
と、俺は王様の反応を引き出すためにも、事のあらましを説明して聞かせた。
「つーわけで、隣国は関係ないんだ。試練の一環だったんだよ」
「なんと……! では……むぅ、まいった。隣国に攻め入る必要も理由もなくなってしまったか……」
必要――ということは、ゴーディンは本気でペロの行方不明に隣国が関わっていると考えていたようだ。
そして同時に口実でもあった。
だがこの様子だと、ヴォル爺さんが危惧していたように、ペロの帰還を無視してまで攻め入ろうとはしないようだ。
「これは引き返さねばならんな……」
悔しそうではあるが、思わず『あれ?』と首を傾げるほどあっさりとゴーディンは帰還を選択する。
「やけに聞き分けがいいんだな」
「そうか? いや、そうかもしれんな。ケイン殿が――使徒を公言する者が俺の前に現れたと知ったとき、すでに心の中であきらめが生まれていたのかもしれん。これは啓示――やはり誰もが納得する正当な理由がなくては、魔界統一は叶わぬのだろうとな」
「信心深いとは聞いていたが……。そうなると不思議なんだが、なんでまた魔界を統一したいんだ? 八カ国で安定してるのをわざわざ引っかき回してしまうのは、達者に暮らせよって魔界を用意してくれた神さまの気持ちに反するんじゃないか?」
「確かにそうかも……いや、すべては俺の野望ゆえだ。魔界統一は魔界が誕生してより、一度も成し遂げられたことのない偉業。偉大なるニャザトース様が我ら犬狼のためにと創造された魔界をまとめ上げることは、その信仰の強さを示し、また同時に魔界が新たなる段階へ進んだことを上奏する機会となる」
そうか、信徒であるが故にそういう考え方もあるのか。
「魔界統一を成し遂げた時、俺は犬狼を超えた存在――犬狼帝となり、ひいては一匹の猫となるのだ」
「???」
あれっ、最後の一言で急に話がわからなくなった……!
「……猫?」
「そうだ。猫だ」
「……にゃんにゃん?」
「ああ、にゃんにゃんだ」
滅茶苦茶真面目な顔してゴーディンは言う。
残念なことに聞き間違いではなかった。
「あんた、猫になりたいの? 猫の獣人ってこと?」
「いや、獣人ではない。猫そのものになりたいのだ。なれるのであれば、この際性別は問わん」
「いやそこは問えよ」
これもうわかんねえな。
そんなことは不可能だ――。
そう告げるのは簡単だが、どうもこの王様ったら本気で魔界を統一したら猫になれるって信じてるっぽく、こうなると迂闊に否定なんてできなくなる。
ああ、くそっ。
わかった。わかってしまった。
俺が、そしておそらくアイルもこの王様に感じていたものの正体。
共感、シンパシーだ。
それはもちろん俺やアイルが猫になりたいなんて話ではなくて、どうしても叶えたい夢を持っているという話だ。
なにがなんでも悠々自適を実現したい俺。
なにがなんでも世界で一番の鳥料理人に、そして『鳥家族』を広めたいアイル。
本気だからわかってしまう、こいつも本気なんだと。
これは本当に扱いに困る。
実は俺をからかうための妄言だった、そう言われた方がどれだけ安堵することか。
「馬鹿げた話、と笑わないのだな」
「無茶なこと言ってるとは思うが……俺は、ほら、使徒なんて別の世界からやってきた人間だし、それに比べたらまあ、ねえ?」
「ふっ」
頭ごなしに否定されなかったのが嬉しかったのか、ちょっとはにかむ王様。
うんこれ、なんなんだろうな。
同一性障害……とは違うか、一緒にすんなと各方面から怒られてしまう。
なら自分は宇宙人だとか、吸血鬼だとか信じて肉体改造する人みたいなものか?
それとも古の時代、転生といったらムー大陸だった頃に、自分はムー人の転生者だと言い張ってお手紙投稿で仲間を募っていた人たちとか、そんなものだろうか?
ともかく王様は猫になりたいらしい。
どうも俺たちには話しても大丈夫と思っちゃったらしい王様は、それから自分のことを饒舌に語り始めた。
もうこれ気がすむまで語らせるしかないと判断した俺とアイルは、追加のお菓子をもしゃもしゃしながらひたすら聞き手として相槌を打つ。
そんなおり――
「それでな、ここだけの話なのだが、実は、俺の心の中には猫が住んでいるのだ。どのような猫になるべきか、そればかりを考えていた俺の心に、いつしか現れた可愛らしい猫だ」
「へー、師匠と同じじゃん」
「あ、おまっ」
触れたらやべえところに、アイルがうっかり触れてしまった。
するとだ。
「おお、やはりケイン殿も心に猫を住まわせる者か! 感じたのだ、俺の心の中の猫が、ケイン殿の中の猫を!」
ああ、ゴーディンがますます目を輝かせ始めた……。
「師匠の猫はシャカつーんだけど、すげえぜ。なにしろ普通に出てくるんだ」
「なに!? ケイン殿はすでにそのような領域にいるのか!」
くわっと目を見開き驚くゴーディン。
もうこうなるとしらを切るわけにもいかず、仕方ないのでお休み中のシャカにお伺いを立てた。
へそ天だった日中よりは元気になったのか、横倒しで寝そべって尻尾の先をぴこぴこ動かしていたシャカに、ちょっとだけ出てきて挨拶してくれるようお願いする。
「にゃ」
テーブルに空間の渦が生まれ、にょろんと現れたシャカ。
ゴーディンはまずは唖然とし、そして――
「にゃ、にゃんにゃん……! にゃんにゃんが出てきたにゃん……! すごいにゃん……!」
ぶわっと涙を溢れさせる。
ごつい体の厳めしい顔した大男が、にゃんにゃん呟いて涙を流す様子は正直不気味であった。
「にゃーうー」
「おおぉう、おおおぉう……!」
それからゴーディンは仕方ねーにゃーといった感じのシャカにじゃれついてもらってご満悦。
もしかしたら俺たちの存在を忘れているのかもしれない。
「なあ師匠、オレたちはなにを見せられてんだ?」
「なんなんだろうなぁ……」
これがおチビたちなら微笑ましいのだろうが、こんなごつい大男だとやっぱり違和感が――いや恐怖すら感じるわ。
やがてシャカはサービスは終わりとばかりに、にょろりんと内的世界に戻っていった。
ゴーディンは名残惜しそうにシャカが消えた虚空を眺めていたが、そのうちイスから立ち上がると、俺の前に跪いた。
「ケイン殿、これより貴方を兄と呼ばせていただきたく……」
「なんでやねん」
「よかったな師匠、弟ができたじゃん」
「なんでやねん」
もう本当になんでやねんという状況だが、元々懲らしめて舎弟的な立ち位置にする計画だったので、これは労せず結果を出したと言うべきなのだろうか?
しかし――だ。
「なあゴーディン、今回、戦争おっぱじめるのはあきらめたんだろうが、正直なところ、機会があればまたやろうと思うか?」
「はい。兄者の言う通り、猫になる夢はあきらめられません」
「だよな……」
俺とて破れぬ夢に取り憑かれた者。
だからわかる、わかってしまう。
「師匠、どうする……?」
考え込んでいるとアイルが尋ねてきた。
どうやらこいつも思いついてしまったようだ。
「しゃーねーから、いっちょ魔界統一やってみっか」
ゴーディンの目的が純粋に『猫になりたい』のであれば、戦争なんか起こさなくてもやりようはあるのだ。




