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これが最後だから

会場からバルコニーに出ると、ひんやりした気持ちのいい風がエマの頬を撫でた。振り返ってバルコニーの奥から会場を見ると、光の当たる一番目立つ場所に立つルークが見えた。


会場からルークを褒め称える大きな拍手が聞こえる。

それを見ると、エマとルークは違う世界の人間なのだと思い知らされる。


心に穴が空いたような気持ちを振り切るようにエマは会場から視線を逸らせて、バルコニーの先を見つめた。

会場で流れる楽団の曲が聞こえてきて、パーティの最後のダンスが始まったとエマは理解する。


何度も練習したワルツのリズムに自然と体が反応して、足がワルツのステップを踏む。

でも、もうダンスを踊ることはないかもしれない。

そう思っていると、背後から声がした。



「踊りたいの?」



学生生活できっと一番聞いた声に振り返ると、そこには腕を組んだルークがいた。



エマは反射的に顔をしかめる。

「踊りたいわけじゃないけど」

「そう?踊りたそうにしてたけど」

ルークはそう言って後ろの会場を指さした。

「きっとこれが最後のダンスだよ。戻って踊ったほうがいいんじゃない?」

「だから踊りたいなんて言ってないでしょう?」

ルークはエマの目の前まで歩いてきて、ものすごく嬉しそうな顔をした。


「こんなところで一人で練習していて、踊りたくないとか、一体なんの強がりなの?」

「強がっていないから!」

エマは右手を上げてルークの肩をめがけて振り下ろした。



だけどその手は伸ばされたルークの手に掴まれた。

驚いて見上げると、ルークは顔を真剣なものに変えた。


掴んだエマの手を、ルークはスッと自分の方へ引き寄せて軽く上へと持ち上げると、腰を落として目線をエマに合わせた。


エマの手を掲げるその姿は、仲がいいとは言えない同級生の姿であっても、お世辞抜きに格好良かったから、エマは自分の顔が真っ赤になるのを感じた。

ルークはそんなエマを見ながらもう一度、微笑んだ。


「じゃあ、僕が相手になってあげるよ」


澄んだブルーの瞳がエマの目を捉える。

その目がエマの心の中まで見透かすように、真っ直ぐに見つめる。


「僕と踊ってくれませんか?」


いつも意地悪ばかりだったルークが、エマをどこかのお姫様のように扱うことに、エマは思い切り動揺する。

暴れる心臓を抑えようと、自分に言い聞かせる。


これはいつものルークの意地悪の延長で……、だから本気にしてはダメ。

自分の胸がこんなにうるさく鳴るのは、ルークが見慣れない格好で、いつもと違うやり方でエマをからかうから。

いつものように、言い返さないといけない。

この雰囲気に流されてはいけない。


そう思っていても、エマはルークから目が離せない。

胸が鳴るのを抑えられない。


掴まれた手を、振り払えない。



「あ、私……」

だけど、そこで待ちきれないというようにルークの腕が動いた。エマの手をグッと引っ張ると、勢いでぐらついたエマの体を左手で支える。

「きゃあ!」

ルークは左手をエマの腰に添えると、そのまま強引にダンスを始めた。エマは慌ててルークを睨みつけた。

「私は踊らないって言っているじゃない!」

「急がないと、終わっちゃうよ」


呆れたようにルークは言って、騒ぐエマを無視してその体をくるりとターンさせた。たくさん練習したおかげでエマの体は自然に反応して、ルークのステップについていく。

それを見てルークは笑った。


「確かに。想像してたよりもうまい」

素直に褒められて、エマは思わず口ごもる。

「そりゃあ……私だってダンスぐらいできるのよ」

「そう?チラッと練習しているところを見たけど、リズム感が全く感じられなかったよ」

「はあ?」

思わず言い返そうとして気がそれた。そのせいで、ステップを踏み間違えて、危うくルークの足を踏みそうになる。でも、いち早くルークの足がそれを避けて、何事もなかったようにダンスを続ける。


「言っただろ?僕はうまいんだって」

自慢げな顔にムッとして、だけどエマは文句を飲み込んだ。

確かに自慢するだけあって、ルークはダンスがとても上手くて、今までのどの練習の時よりも踊りやすかった。



踊りながらルークがエマを覗き込む。

「明日から、仕事?」

「うん」


エマは国の魔術団に入る。ルークは魔術団ではなく、王室の魔術部で働くと噂で聞いた。

もう明日から仕事は始まる。だから私たちが会うことは、きっとない。

いつも近くにいたこの人も、遠くにいってしまう。


「なに?」

ルークはエマの体に添えた手に力を込めた。

踊りながらチラリとルークを見上げると、ルークもエマを見ていて視線が絡んだ。


「どうしたの?君でもやっぱり卒業するのは寂しいの?」


からかうように笑うルークを見て、エマは言い返そうとして、でも、すぐに思い直す。

「うん、少し」

いつになく素直になったエマの返事にルークは驚く。

「珍しいね、こんなに素直だなんて。明日の仕事始めの日に大雪が降ったりして」

失礼なことを言われてイラッとしたけれど、でも、こんなやりとりも最後かと思うとエマの心もしんみりした。



自分が抱えている気持ちの一つが寂しさだと、ちゃんとエマはわかっている。


エマはルークと喧嘩ばかりで、卒業して会わなくなればスッキリすると思っていた。

だけど卒業パーティで、そのルークとダンスを踊るなんて、思いもしなかった。



こうしてルークと踊るのは悪くないとエマは思った。

悪くないどころか、もう少し一緒に踊っていたいとさえ思ってしまう。


この人とダンスをしていてそんなことを思うなんて、本当にどうかしている。




頭の中で考えていると、またステップを踏み間違えて、そのせいでぐらついた体をルークが腕を伸ばして支える。

顔を動かしたらルークの顔がすぐ目の前にあって、その距離の近さに落ち着いていたはずの心臓が、また暴れ出した。


ルークが訝しげに見つめる。

「静かだね。何、考えてるの?」

「教えない」

「……どうせ大したことじゃないくせに」

エマは苦い顔をした。

「そうよ。あなたに言うことじゃないわ」


寂しいと思っていることも。

この時間がもっと続けばいいと思っていることも。

明日になったら、消えてなくなる感情のはずだ。


だから絶対に言わないし、言うつもりもない。




その時会場から聞こえる楽団の音が止まった。


エマとルークは手を繋いだまま見つめ合う。

楽団の音が止まったということはダンスが終わって、この会が終わることを意味する。

会場から歓声が聞こえた。遠くでみんなが大騒ぎをしているのが見える。

「ダンスも終わりだね」

ルークがエマを見つめた。



だけどエマとルークはダンスの時の体制のままだった。ルークの顔が目の前で、お互いの呼吸が感じられるほど二人の体は近くにあって、そして二人の手はまだ繋がれたままだった。


エマは繋がれた手をじっと見つめた。

手を離すのが惜しいような気がしていると、ルークが苦い顔をした。


「手、離しなよ」

エマはルークを見つめ返す。

「そっちが先に離せばいいでしょう」

「君が離さないから離れないんだろ」

文句を言うくせに、お互いの手は離れようとしない。



どうして嫌いな人間と手を繋いで、

その手を離せないのだろうとエマは思う。


そして……

どうしてルークも手を離してくれないのだろう。




ルークは呆れた顔をして、だけど急に優しい笑顔になった。


「じゃあ……、離すよ」

「……うん」


エマの戸惑いを知るはずもないルークは、さっと手を離す。

離れて自由になった指先が冷たくなった気がして、エマは思わず自分の両手を合わせた。


エマは呼吸を整えると、ルークを見上げた。

「あ、あのさ」

「なに?」

エマの声にルークは少し視線を下げてエマを見つめた。青い瞳に自分だけが写っているのを感じて、エマは緊張する。

「あなたにはもう会わないと思うから、言っておくけど」

「え?もう会わないつもり?」

エマの言葉にルークが驚いた顔をする。


今度はエマが驚いた。

違う職場に行くのだから当然だろう。どうしてそんなことがわからないのだ。

エマは思わず遠い目をした。


「だって違うところで働くのだから当たり前でしょう?今までみたいに会えないわよ」

それを聞いてルークは顎に手を当てて考え込んだ。

「……そうか。そうだね、そうとも言えるね」

「何よ、それ」

「確かに学校で会うのはこれが最後だよね」


エマは咳払いをする。

「だから最後に言っておくわ。一度しか言わないから」

ルークを驚いたように目を丸くして、それからエマをじっと見つめた。

エマは息を吸って勇気を出して口を開いた。



「色々あったけど、でも、あなたのおかげで私も頑張れた。……ありがとう」

その時のルーク・ヘイルズの顔は、忘れられない。

驚いて目を見張って、はっきりと固まっていた。



「あなたはきっといい魔術師になって、活躍すると思う。……悔しいけど、才能があるから」

そこでエマはルークの鼻先に人差し指をビシッと突きつけた。



「そうでないと困るのよ。でないとずっとあなたに勝てなかった私が、ダメな人間みたいじゃない!それは嫌なのよ」

驚いたままのルークをじっと見つめて宣言した。



「誰よりもすごい人になってよ。そんなあなたを私がいつか絶対に倒してみせるから!」



ルークは目を丸くした。

とても驚いていたのだろう。しばらく固まって、エマの指をじっと見ていた。


だけど次の瞬間、ルークは思い切り声を上げて笑った。

最初は口に手を当てて笑っていたけれど、そのうちこらえきれなくなったのか、体を折ってお腹を抱えんばかりにして笑っていた。

「ちょっと……そんなに笑うこと?」

エマは思わずルークを睨みつける。言わなければよかったとエマは後悔した。

真剣に喧嘩を売って笑われるとか、ありえない。



しばらくしてルークはエマを見た。まだ満面の笑みのルークは手を伸ばすとエマの頭に乗せて、ぐりぐりと遠慮なく撫でた。

「ちょっと何するのよ」

抗議の声も虚しく、ルークはエマを撫でくりまわした。せっかく綺麗にした髪の毛が乱れることにエマは猛烈に抗議する。

「ちょっと!」

ようやく手を止めたルークはエマの頭をもう一度、今度はそっと撫でて、それからエマの髪にさしたかんざしに触れた。

眩しそうに目を細めてそれを見て、エマを見た。


その青い瞳が煌めいてエマを射抜く。


「ありがとう」


そう言うとさらに目を細めて笑顔になった。


いつもの笑顔と少し違う……まるで大事なものを見つめるような優しい笑顔だった。


でもその笑顔になぜだかエマは胸が苦しくなる。



ルークはエマの顔を覗き込むと、片方の口角を上げて、挑むような目をした。


「これからも手を抜くつもりはないし、君に負ける気もしないけどね」

「はああ?」

「君がくるのを楽しみに待っているよ。……まあもちろん簡単に打ち負かすつもりだけど」

「あのね……!」

馬鹿にしないで!


そう言おうとしたけれど、言えなかった。



なぜなら、ルークが腕を伸ばしてエマの体を引き寄せて、抱きしめたから。



あまりのことに驚いて、エマは目を丸くした。

自分の理解と想像を超える展開に、頭がついていかずに思考がストップして……数秒後に自分の状況を確認して、エマはそこから逃れようと暴れた。


「ちょっと!何するのよ」

「いま思い出したけど、君、僕の家で飼っている犬によく似ているんだよね」

「はああ?」

「その犬がこうすると喜ぶんだよ。芸が上手くできた時とかいつもこうやって褒めてあげるんだ」

そう言ってエマの背中を撫でる。それにエマはカチンときて大声を上げた。

「私は犬じゃない!」




だけど、ルークの腕の力は思いのほか強くて、

エマがそこから離れるまでには、それからそれなりの時間がかかる。


それから……

抱きしめられた時にふっとエマの頬を何かが掠めた。


ほんのわずかな間、エマの頬に確かに触れて、だけどあっという間に離れたそれが何か、

抱きしめられただけで動揺していたエマは分からなかった。





ヘイルズ家で飼われている犬というのは、まだ子供だったルークが飼い始めた犬で、その白い大きな犬をルークが溺愛しているということをエマが知るのは、ここから数年の後になる。



さらに言えば

卒業式が終わったら、ルークともう会うことはないと思っていたエマだったけれど

その予想はかなり早い段階で覆される事になる。


だけど、エマがそれを知るのはもう少し先の話だ。







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