聖女ミユキと祈りの歌
僕の掌に収まる赤黒い宝石は未だに僕の垂れ流すマナを吸い続けている。
ふつふつと僕の心臓からあふれ出るマナは未だに尽きずにあふれ出てくる。
この宝石を手にしていなかったら僕はマナの暴走で死んでいたかもしれない。
周囲を見ると夥しい数の死体が転がっている。僕もこの中の一つになっておかしくなかった。ただただ分の悪い賭けに勝ち続けただけだ。
目の前に横たわる化け物を打ち倒した僕だが、これが本当に勝利と呼べるものなのか疑念が僕の中に居座っていた。
化け物が此処まで通ってきた道は一目で分かる。大地が割れ、木々は燃え盛り、血に彩られるそれは地上絵のように巨大な溝が彫られていた。丁度クワリファに向かう途中だろうか、微かに記憶に残る景色が重なった。
これほど悲惨な光景を作り出した化け物に勝てたのはオウガが僕に力を貸してくれたからだろう。オウガが居なければどうにもならなかった。その手伝ってくれた協力者は刃こぼれをおこしていた。
オウガが出てきていない事に気付いた僕は、慌てて宝石をインベントリにしまい込み、大量のマナを使ってオウガを謳牙から解き放つ。
「お主は賢い子だと思っていたが撤回しよう。大馬鹿者だ」
狩衣を来た童子姿の魂が開口一番皮肉を挟む。
「何なのよ! ハルカは頑張ってたでしょ! 私が……迷惑を掛けてばっかりだから……」
勢いよく喋りだしたはずのクロエはすぐに涙声になり、泣き始めてしまった。こうなったら泣かせておくしかないだろう。僕はオウガに向き直った。
「すまない、僕も無我夢中で何をしようとしていたのか、覚えていないんだ」
「まぁ良い、嗾けたのは我の責任でもある」
「これくらいで大丈夫か?」
マナを謳牙に注ぎ込みオウガに渡す。
「十分じゃ、さっさと宝珠にマナを吸わせておけ、暴走して死ぬぞ」
言われた通りにインベントリから宝珠を取り出して暴れるマナを吸わせる。
「お主、迷子だったな。アーティファクトはどうした?」
「あ、コレ?」
腕のブレスレットを掲げる。
「武器では無いのか、稀有な」
そう古めかしい単語で貶すなよ。
「そんな言い方……」
オウガに文句を言おうとした時それは起きた。
空から闇夜を切り裂き光が差し込んだ、そして光の柱から人が現れた。
テュルカの信仰の証である徽章が描かれた法衣に身を包み、神々しく現れたのは黒髪の美しい女性だった。
その女性は辺りを見まわし凄惨な光景に端正な顔を歪ませる。眉根を寄せて悲しみを表した。そして透き通る声で歌い始めた。
「いのち振るわせ、悲しみを超えて、私は貴方に、あなたは私に、愛を届けよう」
彼女が歌うたびに声の通り道が魔法陣で包まれていく、その声はイニティの街まで届きそうな勢いで伸びていく。
「届くまで、歌い続けよう、必ず届くと信じて、私は命を振るわせる」
伸びやかな声がマナを伴ってみるみる広がり、やがて外壁までも届いているようだ。伸びる魔法陣はかなりの直径になっているだろう。
彼女はそれからも歌い続け、魔法陣はより厚みをまして積み重なっていく。
怪我人も、救助をする方も、辛うじて息をしている人も、呼吸するのを忘れたかのように息を止めて、彼女の歌声に耳を傾けている。
彼女の法衣がマナの奔流を受けてはためいている。
何重にも重なった魔法陣が彼女の歌の盛り上がりに合わせて動き始めた。
それからの光景はまるで魔法のようだった。
いや、魔法ではあるのだけれど、ありきたりに言ってしまえば奇跡だった。
荒野と瓦礫を覆うように魔法陣は空高く伸びて行った。
するとどうだろう、魔法陣が通り過ぎていったあとの大地はひび割れ一つもない元通りの穏やかな自然が戻っていた。
一つ、また一つと魔法陣が空に上がって行くたびに燃え上がっていた木々が、血塗れで倒れていた冒険者達が、元の姿を取り戻して行く。
唖然とする僕らをよそに、
彼女の歌は更に続く。
「壊れた時計を歯車を、一つ一つ外しては、磨いて元に戻してく。」
「一つ一つの歯車を、繋ぎ力を伝えては、あなたを私を忘れてく」
彼女が歌い切ると何事も無かったかのように全てが元通りになっていた。
あれ程壊れていたイニティの外壁も傷一つなく元通りだ。
化け物の燃える焦げ臭い匂いも血と臓物の放つ不快な空気すら何処かにいってしまった。
見せつけられた奇跡に誰かが歓喜の声を上げた。
火がついたように歓声は広がり渦を巻く。
誰もが生きている喜びを感じ、死の淵から蘇った者や大きく身体を欠損していた者達は何が起きたのか理解出来ないでいた。
その光景を見た法衣姿の黒髪の女性はとびきりの笑顔で辺りを見回していた。
いつのまにかべべモスの死体は消えており、これまでの事が嘘だった様に思えてしまう。
しかし僕の手には赤黒いあの化け物の瞳のような宝石が握られて今まで見た事が現実だったと訴えかける。
何処からとも無く黒い法衣に身を包む壮年の男が現れて、奇跡を起こした女性に近づいていく。
その男は黒々とした髪の毛を後ろに撫で付ける仕草をしてきっちりまとめられたオールバックの髪の毛を更に撫で付けていた。
その腕に隠されてはいたが隙間からは何故かこの場に相応しくないどこか嘘くさい笑顔を浮かべて周囲を見回す。
歓喜に包まれるこの場で一人だけ異質だった。
そして女性の隣に並ぶと嘘くさい笑顔は影を潜め、威厳たっぷりといった顔で声を張り上げた。
「彼女の歌声はこの災厄の化け物の爪痕を根こそぎ打ち消した! 」
白と黒の法衣に身を包む二人の側の者達は膝をつき祈りを捧げる様に頭を垂れる。
「彼女こそはテュルカの聖女ミユキ様だっ!」
祈りを捧げる者が法衣の二人を中心に波打つ様に広がっていく。
その者達は口々に聖女様、ミユキ様と呟いている。
圧倒的だった。
起こした奇跡とその後の短い演説。
全て予定調和といった感じなのだろうか。
今まで起きた凄惨な体験などまるで無かったかのように世界は動き始めた。
「選定者が二人か……」
皆が喜びに沸く中、僕の隣の一人険しい顔のオウガが呟いた。
「へ? みんな、生き返ったの?」
そしてこっちにも一人だけ反応の違う妖精が一人。
「聖女様が死んだ人も怪我した人も助けてくれたみたいだよ」
僕は正直どんな反応をして良いのか分からなかった。もちろん聖女様が起こした奇跡には驚いているし周りの皆のようにとても嬉しい気持ちだ。
けれど、目の前にいるのがもしかしたら母親かもしれない期待と違っていた時の事を想像する不安とが、僕の心臓を一層締め付けて今まで感じたことのないような息苦しさを感じて売る。
「ルガンも大丈夫だよねっ?! そうだよね?!」
笑顔と不安が混ざるクロエがすがる様にこちらを向いている。
「分からないよ、あの魔法はイニティの外壁までは治したみたいだけど、その中にいる人たちまで効果があったかどうか……」
クロエの期待に答えれない自分がもどかしい。自分の力でこの状況を作った訳ではないのだ。予想通りクロエの表情が曇ってしまった。仕方がないので言葉を拾って繋げる。
「それでも、確認しないと分からないし。もし届いていないのならもう一度あの歌を歌ってもらえれば大丈夫じゃないかな?」
「そうだね! 私イニティに戻って見てくる!」
「分かったよ、余裕があったらミナートさんに聖女様たちが来てることを伝えてあげて!」
「うん! 分かった! それじゃ後でね!」
やっぱりクロエだな、あれだけ僕の目的の事を心配していたのに、目の前の事に意識を取られてしまっている。少しだけ残念な気持ちになったが、クロエの気持ちも分かるのでそれは仕方がない。今僕は、僕がやれることをちゃんとしよう。
僕はクロエの去っていったのとは反対側に歩き始めた。
聖女様を取り囲むように人垣が生れ、隣のオールバックの男が演説を続けている。内容は正直どうでもいい、僕には関係ないことだ。
僕の纏うマナに触れて祈りを捧げている人たちが僕の道を譲っていく、人垣を搔き分けずに済むのは丁度いいが、畏怖の念でこちらを見られるのは正直辛い。道を作った人たちが小声で囁くのが聞こえてくる。”化け物殺し”と……
「なんじゃ、お主、冒険者を始めたばかりというのにもう二つ名を授かった様じゃな」
カッカッカと場違いな笑い声を上げるオウガは僕の後を付いてくる。
「恥ずかしい事言うなよ。今僕は緊張しているんだ」
「良かったのぉ、口調も元通りだ。あの妖精のおかげかのぉ」
訳の分からない事を言いながら付いてくるオウガ。よし、放っておこう。
人垣が割れて法衣姿の二人までの道が出来た。そして何事かと演説を続けながらの男がこちらを向いた。
「これはこれは! 偉大な化け物殺し殿が聖女様の元へ来られたぞ!」
一層声を張り上げた男は、聖女の名声を確実なものとする為に演説を続けてる。
男の陰に隠れていた聖女様が一歩前に出て僕と目が合った。
白い肌に真っ黒な艶のある髪、少し低めの小さい鼻に丸く大きな瞳、瞳の色はとても薄い茶色で、いつも鏡で見る僕の顔の特徴と一致する事が多い。
「ミフユ、母さん?」
聖女様の大きな瞳がより一層開かれた。
「ハルカ……ハルカなの?!」
そうだ、やはりそうだった。僕の母さんだ。
僕の、母さんだ。
涙が零れて止まらない。
これまですっぽり抜け落ちていた記憶が鮮明に蘇っていく。
出会った事で、記憶が戻ったのか、母さんの歌の魔法で戻ったのか。とにかく記憶が埋まっていく。
悲しかった事も、楽しかったことも、辛かったことも、全てが蘇ってくる。
「探したよ、母さん、見つけられなくてごめん。悲しかったよね辛かったよね。ごめんね」
聖女ミユキ様も涙を零し、口元を手で押さえて嗚咽が漏れないようにしている。
僕らが一歩ずつ近づいた瞬間、男が僕らを遮った。
「なんと! 聖女様の! テュルカ様が遣わした聖女様の戦士だったのですか?!」
訳の分からないことを言う男はなおも叫び続ける。
「あの……」
「何と素晴らしいっ! “化け物殺し”様は聖女様の戦士だぞぉ!!」
“テュルカ様の”、から”聖女様の”にすり替わってしまっていた。
大きく手を広げて僕から聖女様、いや、母さんを隠す男は僕の顔を見て不敵に笑った。
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