僕と化け物
恐ろしく体が軽い。所々崩れたイニティの街並みのが次々に後ろへと流れていく。
地面を蹴る足も、振る腕もこれまで見たことのない動きをしている。土煙を上げながら徐々に被害の大きくなる場所へと近づいてく。羽の生えたように軽い身体とは逆に僕の心は重たくなっていった。
そこら中に動かなくなった人や血飛沫が血溜まりが、瓦礫を濡らし、それらが積み重なり広がっている。
胸がぎゅっと締め付けられる。その気持ちと感覚に襲われながらも前を向き、瓦礫と人の間を搔き分けて進む。
遠く外壁の辺りに大きなモンスターの影を捉える。そう思うや否や外壁の一部が派手に吹き飛び、炎と共に遠近感が狂ったような化け物が現れた。5メートルはある高さの外壁の上に前肢を軽々と乗せて雄たけびを上げている。
「グオオオオオオオオオ」
大気は揺れ、身体が竦んでしまうような叫びだ。化け物の口の端からは火柱が上がり、牙の間に挟まる何かが煙を上げている。一拍遅れて轟音と悲鳴が届いてきた。
奥歯を噛み潰す様にして沸き上がる恐怖心と怒りをねじ伏せた。
禍々しい角が鼻先からと耳らしき物の後ろから生えており、そこには赤黒い血と鈍く光るマナの脈動がこの距離からでも見て取れる。
角が魔法陣を描き、そこから火球が無作為に放たれた。駆け抜けてきた場所にも火球は着弾し、街中で爆発と火災が起きていた。
「化け物がっ……」
自分の意志とは関係なく口が言葉を紡いでいく。
「それがお主の本気か?」
僕の口から吐き出される言葉はオウガの口調そのものだ。オウガが僕の体を操っているのだろう。体内を巡るマナがその迸る力がそう教えてくれている。
「クソがっ! さっさとあの化け物を殺すぞっ!」
自分でも驚くほどの汚らしい言葉が口を吐く。だがそんなことは関係ない。あのデカい化け物を殺し切るまでは僕は何だってするだろう。
身体中を巡るマナが一段と大きく跳ね回る。はけ口を探し求めて血管の中を暴れまわっている。
噛み潰した奥歯が自らの口の中を傷つけて血が溢れる。口いっぱいに広がる鉄臭さは僕が生きている事を明確に教えてくれた。
骨は軋み、筋肉は弾けんばかりに踊り、身体中にねじ伏せたはずの怒り、殺意が駆け巡る。
もうすぐだ。もうすぐそこにこの昂ぶりをぶつける相手が居る。
化け物が視界に大きく映り込み始めたころに防衛前線の状況が目に入る。
べへモスの巨大な体躯の足元では冒険者が剣と槍とを振るっては、べへモスの注意を引きつけている。しかし丸太を束ねたかのような化け物の足には傷すらつかず、逆に化け物は周囲を踏み慣らすように動くだけで死体の山を作っている。
少し距離を取った所から防御障壁で守られながら捕縛を試みている魔導士らしき一団が見て取れた。防御障壁を唱える魔導士はかわるがわる障壁を張り続ける。
僕はそのまま魔導士達も、冒険者達も構わず駆け抜け、そのまま謳牙本体を引き抜いた。
「それがお前の本気かぁあ!」
僕は叫んだ、生れてこの方こんな大声を出したことがない。
誰に向けた叫びだったのだろう。
オウガが? 僕が? 今はどうでもいい。全身を踊り巡るマナが掌を伝い、刀に伝う。
謳牙は夕闇に煌めき、闇を切り取った。
小さな建物の大きさくらいはありそうな極太の後ろ脚は真っ二つに切り裂かれる。
その様子を横目で捉えながら僕は刀を振り抜きそのまま正面へ駆け抜けた
激しい轟音と共に後ろ足の片方を失った化け物は切り口から血を吐き出しながら、短くなった足を大地に打ち込む。
「今だ! 放てっ!」
何処かで聞いたことのある艶のある声が号令を放つ。
その声と共に魔導士達が用意していた捕縛魔法が化け物に絡みつく。
山のような巨体が魔法によって絡めとられ、徐々に動きが制限されていく。
その間も化け物は雄たけびを上げ続ける。
「グオオオオオオオオ!!」
全身に捕縛魔法が絡みついているのにまだ動けるのか。突如、隆起した前肢が大きく振り上げられそのまま大地を目掛けて。振り下ろされる。
「危ない!」
踏み割られた大地は冗談のように波打ち、その上の小さき人々を飲み込んでいく。
僕は声を上げるしか出来なかった。オウガの力を借りても一撃を見舞う事しか出来ていなかったのだ。
大地は割れ、大気は歪んでいる。
冒険者たちの多くは地割れに飲み込まれ、辛うじて難を逃れた者達も、巨大な土礫をその身に受けて満身創痍だ。
いくら良い装備を身に着けようと、完璧な防御魔法を纏おうと、強大な質量の前では敵わないのだろうか。
走り抜けて射程外にいた僕らは無傷だが、この巨大な化け物を単独で倒せるわけはない。
「グオオオオオオオオオ!」
捕縛の魔法が緩み、化け物はこちらを向いた。
その赤黒い瞳はこちらを捉えて離さない。そしてオウガは僕の身体を操り、全速力で逃亡を始めた。
「おいっ! 何で逃げるんだよっ! 戻れクソ野郎がっ!」
「馬鹿か? あんな化け物と正面切ってやれるものか」
「さっさと戻れクソオウガ!」
熱く言葉を吐き出す自分の向こう側にもう一人の僕の幻影が立って冷めた目で見つめている。
「あのままやりあえばお主だけでなく、周囲の助かる者まで巻き込んでしまうのだ」
「そんなの関係ないっ! もう誰かが死ぬのはごめんだ! 早く殺さなきゃ!」
冷めた目の僕の幻影は僕とオウガの一人芝居を見て薄ら笑っている。
「クソっ!」
足の血管が千切れるほどの負荷を掛けて駆け抜ける。
それを追うようにのそのそと蠢く化け物の威圧感を背後に感じた。
いくら走っても巨体から繰り出される一歩で追いつかれる。
切り飛ばした足も、まとわりつく捕縛魔法も、ものともせずに追いかけてくる化け物。
次第に距離は詰められて、遂には僕の頭上に前肢が降ってきた。
チリチリと迫る空気の焦げ付いたような気配を感じ、急制動を掛けて降り注ぐ死の鉄槌から逃れる。
そして目の前に振り下ろされた前肢目掛けて再び刀を振り抜いた。
「グモオオオオオオオオオ」
身体中を暴れ狂うマナを従え、前肢を切り裂く。
化け物の前肢は半ばまで切れておりそれを振り下ろしたせいで前のめりで倒れる。
轟音と共に巨体は地に落ち、ようやく捕縛魔法で動きが止まった。
「雪嵐!」
透き通る声が轟音の間を駆け抜けた。
捕縛魔法の上から後ろ脚が凍り付く化け物
僕と化け物の命がけの鬼ごっこに付いてくる熟練の変わり者たちが好機と見るや一斉に魔法陣を展開した。
大気中に様々な色の魔法陣が花火のように咲き乱れ、地に伏せる
そこに炎や雷、水に氷、土塊に岩石、様々な魔法が降り注ぐ。
同時に素早い身のこなしの剣士たちが化け物に飛び掛かっていく。
山のような巨体は皮を割かれ、肉が爆ぜ、血煙が舞う地獄絵図を描いていく。
僕の身体を操るオウガも全身のマナをもう一度集めて切りかかる。半ばまで切れていた前肢を今度こそ両断した。
悲鳴を上げ続ける化け物は見る見るうちに弱っていく。
それはそうだろう。見渡す限りの冒険者、剣士、魔導士がこの化け物を囲み、間髪空けずに攻撃を放ち続けている。
それでも化け物が時折返す反撃に小さな人間たちは血の海に沈んでいく。
その光景を見るたびに、怒りが、殺意が沸き上がる。
「お前のせいで……」
血に沈む共に戦っていた冒険者、腕を失い化け物を射殺さんと睨みつける剣士、仲間の死体を抱きしめる魔導士。
「お前のせいでっ!」
僕は走った。オウガの指示ではない。僕の足で大地を蹴り、駆け抜ける。
死体と血の海をくぐり抜け辿り着いた。
片手、片足で大地に縛り付けられる化け物。ねじれた角からは先ほどよりも多くの血が塗りたくられ。口元からは手足が生えていた。咀嚼するたびにメキメキと音を立て血と原型を留めていない何かが零れ落ちる。
化け物は真っすぐにこちらを見据え、逸らさない。赤い瞳からは血が涙のように流れている。もちろん化け物の血ではない。
僕の感情は振り切れていた。
「止めろ! 死ぬ気かっ!」
僕の口から、僕の意志ではない言葉が叫びを上げた。
そんなのはどうだっていい。
僕は見よう見まねでオウガが使っていた六つの円環魔法陣を作り上げた。回復3つに身体強化3つの立体魔法陣。
この後どうなるかなんて知らない。
ただ、この大きな化け物を殺すことが出来たならそれでいい。
周囲の景色が緩やかになっていく、そして止まった。世界を置き去りにして僕の掌はそのまま左胸へ辿り着いた。
「それがお前の本気かっつ!!」
そう僕の声は叫び、静寂が訪れた。
ぷつぷつと体の中から弾ける音が聞こえてくる。
全てが止まったまま。僕だけが動ける世界。
無限にも思えるこのあふれ出すマナを謳牙に込める。
対峙したままの犀の化け物に刀を振るう。
バターに熱したナイフが通っていくかのように化け物の足に刃が通る。
残っていた前肢も切れただろう。しかし世界は止まったままだ。
僕はすぐさま跳躍し、化け物の鼻先へ飛び乗った。世界も化け物も未だに止まったままだ。
「お前のせいで……皆が死んだ」
止まった世界で化け物の上からイニティの街を眺める。街から少し離れたここからだと街中のあちこちから黒煙が上がっているのが良くわかる。あの黒煙が上がっている場所には何十もの犠牲者がいるのだろう。そして大きく崩れた外壁にはそれ以上の冒険者達の命が摘み取られたはずだ。
「お前がいなければっ!」
赤黒く輝く眼球に刀を突き立てる。マナで刀身を覆われているそれはすんなりと突き刺さる。
何度も、何度も突き刺した。
この行為になんの意味が無いことを理解しながらも、止めることはできなかった。
眼球に刺し傷がついて居ない場所が無くなったころ僕の身体に異変が起きた。
大量に消費しているにも関わらずマナが増加し始めた。
身体の違和感が僕に危険を知らせていた。掌にマナを集め、謳牙に全て注ぎ込む。
刀身を包むマナが白から黄色、黄色から赤へと変わっていく。
謳牙の刀身が小刻みに震えだしたのでこれを解き放つ為に再度跳躍した。
人間ではおよそ届かぬ高さへ飛び上り、マナを剣閃に乗せる。
「でりゃあああああ!」
叫びと共にオウガがやっていた振り抜きを模倣し、なぞる。
迸る純粋なマナが剣閃となり、化け物の首を両断した。地面まで突き刺さった剣閃は地中深くまで届いただろう。
ようやくマナの増加が止まり、徐々に自分の感覚が元の世界に戻っていくのが分かる。
今まで自分が居た場所で空気が震え、衝撃破が起きる。化け物の足が横に滑り出し、化け物の眼球からは血とマナがあふれ出す。
ドンっという音ともに化け物の足が半ばから滑り落ち、続けて首が落ちた。
目の前に落ちた化け物の首は苦痛に歪んでいた。
周囲の冒険者たちは足と首が落ちた異変を察知しすぐに化け物から距離をとりはじめていた。
ズドォンと地響きを立てて巨体が地に落ちた、しかし思ったより衝撃が少ない。疑問を浮かべる前に答えが現れた。みるみるうちにべへモスの身体は縮んでいった。
山のような体躯が、大型トラック程の大きさに縮むとそれ以上小さくなることはなかった。
コツン。皮のブーツに何かが当たった。足元に目を向けると鈍く輝くテニスボール程の宝石が転がってきた。化け物の目と同じ色の球体は僕を引き寄せ、拾い上げさせた。宝石に触れると何度か経験した感覚が僕を襲う。それは妖刀に触れたとき、謳牙に触れたときに起きたようなマナを吸いつくさんとする力だった。未だ漏れ続けているマナを過不足なく吸い込み続けてくる。
これは……
不思議に思っていると遠くの方からクロエの声が聞こえてきた。
「ハルカー!」
かなりのスピードでこちらに飛んできている。
どうやらまた騒がしくなりそうだ。そんなことを考えると無性にクロエに抱きつきたくなった。
「ハルカっ!」
勢いよく飛び込んでくる妖精を受け止めてそのまま強く抱きしめた。
「何よっ?! 馬鹿なの?!」
僕のいつもと違う反応で困った様子のクロエを見て思わず微笑んでしまった。
死屍累々と続く荒野で此処だけはなぜか安心できる。そんな気がした。
小さなクロエの身体越しに赤黒い宝石が目に入る、それはまるで息を潜めるかのように鈍い光を放っていた。
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