ガラスを打つ雨粒
雨粒が窓ガラスを叩く音で僕は目を覚ました。静まり返った病室に僕が動いた事で起きるベッドの軋む音が響いた。
身体が軽い。ここ数日の運動不足からくるダルさがまったくない。外の天気とは対照的に僕の気持ちは晴れやかだった。
レヴェラミラでは夜が更けきる前にとりあえず”セーブ”してこちらに戻ってきた。そうだ、父さんに話す事をまとめておかないと。
ベッドの横の棚からノートを引っ張り、ボールペンで昨日の出来事をまとめていく。幸い起床時間まではかなり時間がある。
病院で無かったら朝の5時には目覚めたりしなかっただろうな、と思いながらノートに出来事を箇条書きにしていく。
朝起きると同じベッドに美少女とケモミミお姉さん。
うん、これはいいや。書いてから二重線で訂正を入れる。線を引きながら、ふと僕の妹の事が脳裏をかすめた。そしてこのページごと破り、丸めてゴミ箱へ。
問題が起きる前に対処できてよかった。またノートに向き直りペンを走らせる。
装備の調整に冒険者ギルドへいって……ドアを開けるとそこは天国でした。
ローゼリスの下着姿が僕の脳から再度表示された。剣の修行で引き締まった身体に柔らかな肌……
危ない、またページを引き千切る羽目になるところだった。装備の調整とだけ書き直した。
ミナートさんに教えてもらった魔法陣は手にもって来たから大丈夫。僕の左手に握られている。
試しに少しだけマナを流してみる。僕の心臓あたりにあるはずの魔力器官が熱くなるのを感じる。起動した魔法陣は、レヴェラミラで発動した時よりは弱いがギリギリ全ての魔法陣が点滅するのが確認できた。
短距離走を無理して走ったような疲労感が全身に襲い掛かってくる。朝から試す事じゃなかったかもしれない。
3つの回復魔法についてノートに記し、聖女と呼ばれるもしかしたら母さんかもしれない人の情報も記入した。
初めて出てきた情報だ、ちゃんと精査しないと。その横に母さんの名前と書き加えてペンを止めた。
父さんが言っていた名前はミフユ、聖女様の名前はミユキ、名前は異なるが、同じ日本人名だし、何よりも僕の顔に似ているとミナートさんは言っていた。必ずヒントになる何かがあるはずだ。このチャンスを絶対に逃したくない。
頭の中で出来事をまとめながら、クワリファダンジョンでの出来事や喋る刀のオウガ、クマの着ぐるみのクマ所長、セレスティルさんや、アーサーさん、新しく出会った人たちのことを書き込んでいく。
ローゼリスにはこれからもダンジョンの解放で一緒にやっていかなきゃいけない。嫌われていないだろうか。
頼りなく思われてないだろうか。そんな不安はノートの中には書けなかった。そして同じように夜の出来事、主に妖精との事も同じように書けなかった。
クロエにはちゃんと謝らないといけないし、これからはちゃんと思ったことを伝えようと思う。そんな事を考えていると元気な挨拶と共に看護師さんが入ってきた。
「おはよーございまーす。佐倉さん、今日は雨ですけど怪我は痛みませんかー?」
「はい、大丈夫です」
なぜかいつもと対応が違う黒江さん、挨拶だけ聞いていたら別の看護師さんのようだ。
「それじゃ朝の検診しますねー」
やっぱり横顔とか目元とかとても似ている。
「クロエ、ごめんな」
やば、何言ってんだ僕。これじゃ幻覚でも見てるヤバい奴になってしまう。思わず呟いてしまった言葉は黒江さんには届いていなかったようで少し安心した。
「それじゃ血圧も測りますねー」
「はーい」
努めて明るく振舞う僕は、黒江さんに感謝を伝える。
「黒江さん、昨日も言ったんですがやっぱり伝わり切らなかったと思うのでもう一度言わせてください。本当にありがとうございます。黒江さんのおかげで色々な事が上手くいきそうなんです。黒江さんが手助けしてくれてるから、僕も頑張れてます。だから、ありがとうございます」
「何言ってるんですか、リハビリ頑張るのはこれからですよー。今日は先生ともお話してもらうので、時間になったら迎えに来ますね」
「あの、はい」
なぜかよそよそしい黒江さんは検診を終えて、部屋を出ていった。
そのあとはいつも通りだった。朝食を取り、午前中はアオイが漫画を読みに来て、昼食時にシハルさんの元へ帰っていった。
昼食を食べ終えて、癌を克服した人のエッセイをななめ読みしていると黒江さんが病室に入ってきた。
「佐倉さーん、それじゃあ診察室行きましょう」
車椅子を押して現れた黒江さんはベッドの横に車椅子を付け、僕をそれに乗せ換えた。肩を組んだ時に密着するような形で黒江さんの顔があってかなりドキドキした。向こうの世界では何かリアルな感じがしないのでそれほど緊張しないのに。
「それじゃ動きますねー」
終始よそよそしい感じは続いた。
診察室で担当の先生に言われたことをまとめると、意識がすぐに戻らなかった為の検査と経過観察を行う入院だったので通院に切り替えれますよ? というか出ていったらどうですか? というものだった。
その話をしている途中で黒江さんが盛大にカルテを落としてわちゃわちゃしたが、とりあえず次の入院予定の方が来る前日までは念のため様子見しましょうと言う事になった。担当医のおじいちゃん先生はかなり適当だったけど大丈夫なのだろうか。
病室に戻るとナツミが居た。
「黒江さーん。会いたかったよぉー」
僕が座る車椅子を押している黒江さんに抱きつくナツミ、
「ナツミちゃん! 一応、お兄さんの車椅子押してるところだから急に抱きついちゃダメでしょ?」
一応という引っかかるフレーズはさておき、ナツミの奴め羨ましい事を。
「兄ちゃんは殺しても死なないから大丈夫だよ!」
「どんな理屈だ、僕は不死身じゃねぇよ!」
「ナツミさん、離れてください! くすぐったいです!」
ナツミ! 僕の後ろで何をしているんだ。おい、代われ!
「なぁ、兄ちゃん黒江さんといつから付き合うんだ?」
「馬鹿かお前は! 黒江さんみたいに素敵な人に彼氏の一人や二人くらい居るだろうが!」
「私、彼氏が複数いるようなそんな軽い女に見えますか?」
あれ? なんで? 期待していた反応と違うんですが。
「兄ちゃんは本当に馬鹿だな。馬鹿は死んでも治らないんだぞ?」
ナツミは無駄に僕の事を煽ってくるが、なんなんだろう。嫌な予感がする。
すぐさま僕の予感は的中し、黒江さんは僕を車椅子に乗せたまま病室を去ってしまった。
「なあ、ナツミ。なんであんなこと言ったんだ?」
「女っ気のない兄ちゃんのキューピットになろうと思って! 頑張ったけど失敗したね!」
おい、勝手にやって勝手に諦めるなよ。
「ちょっと黒江さんの所に行ってくる」
「おっ?! 頑張れよ、童貞兄ちゃん!」
ナツミは後でひっぱたくとして、今は黒江さんだ。車椅子を操作して頑張って追いかける。
車椅子の操作は思っている以上に難しく、なかなか思うように動いてくれない。動いてくれないというよりは速度が遅いといった方が正しいか。とにかく進まない。
病室から出るとすでに黒江さんの姿はなく、とりあえずナースステーションまで車椅子を進ませた。
「あれ? 佐倉さん、どうしたんですか?」
ナースステーションに居た看護師の方に、黒江さんの場所を聞くが分からないとのことだった。お礼を伝えてその後は入院病棟の中を何度もグルグルした。
結局見付からずにいると見覚えのある苗字のネームプレートを見つけた。
「シハルさん……」
車椅子を操り病室に入る。今まで気付かなかったがこの部屋は特に感じる。匂いがする。甘ったるい、それでいて不快感のある匂い。僕はこの匂いはあまり好きじゃない。僕の祖父が病気で無くなる前に入院していた部屋がこの匂いで満たされていたから。
息を止めて病室の中を進む。
「アオイ、居るか?」
直接シハルさんに声を掛けるのも気が引けたのでアオイに声を掛ける。
「ハルカ?! 病室出て大丈夫なのかよ」
「ちょっと色々あって、今は大丈夫。少しだけシハルさんに挨拶して良いかな?」
「アオイ? ハルカ君が来てくれたの?」
カーテンの向こうから声が聞こえる。良く知った優しい声だ。
「なんだよ、寝てねぇのかよ。起きてるみたいだし大丈夫だ。」
「失礼します。シハルさんお久しぶりです」
「ハルカ君、大きくなったわね。交通事故だったんでしょ? 怪我は大丈夫?」
ベッドから身体を起こしたシハルさんはたくさん線でベッドに繋がれていた。それらの線、モニター類のコードや点滴の管が絡まないようにしながら布団を前に払った。点滴の刺さる腕は昔見たものより細くなり、目の下には大きなクマが出来ていた。
「はい、とりあえず骨折だけだったみたいです」
「あまり無理したらダメよ?そうだ、アオイ、何か飲み物買ってきてくれる?」
昔と変わらぬ優しさで対応してくれるシハルさん。
「お茶でいいか?」
「そうね、お願い。」
アオイはカーテンをしっかり閉めて病室から出ていった。
「シハルさん、いきなり変な事を言いますが笑わずに聞いてください」
「何々、彼女でも出来たの?」
ついさっきの出来事だったので黒江さんの事が頭をよぎるが、怒らせておいて厚かましいと思ってしまう。今はシハルさんの事だ。シハルさんに会った時にどのように行動するか考えていたことを実行する。
「そんな報告が出来れば良かったんですが、違うんです。僕、もしかしたらおまじないが出来るようになったのかもしれないんです」
シハルさんはきょとんとしている。そりゃそうなるだろう。でも、魔法が使えるようになりました! よりは良かったと思う。
「あらあら、いつの間にそんな特技が出来たの?」
相変わらずノリの良い人だ。
「少し手を貸してもらってもいいですか?」
「これでいいかしら?」
シハルさんの手はひんやりとしていた。細い指が僕の両手の掌に重ねられる。
そして僕はありったけのマナを掌に集めて循環させるようにマナを動かした。これはマナを動かして身体の元ある機能を活性化させるだけのものだ。
ちゃんとした回復魔法ですらない。それでも掌からは薄緑の光が漏れ出して身体が温かくなる感じは伝わるだろう。
1分、いや2分だろうか。僕は全力で体内のマナをシハルさんの身体を通しながら循環させた。危うく意識が飛びそうになるも歯を食いしばって耐えた。
「驚いた! 本当に魔法みたいね」
「こ、これで大丈夫です!」
何が大丈夫なのか、息切れしてうまく喋れないがとりあえずは成功しただろう。
「おぃ! ハルカ、大丈夫か?」
戻ってきたアオイが焦っている。
「うん、ちょっと、貧血かな。ははは」
力なく笑うのが精一杯だ。
「シハルさん、これからも会いに来ても良いですか?」
「私は構わないけど、そんな風になるならおまじないはもうしなくていいからね」
「ダメです、僕がそうしたいんです。お願いします」
「そこまで言うなら、仕方ないわね。でも無理はしないでね、ハルカ君も怪我してるんだから」
「みっともないところをお見せしました。それじゃ、また来ますね」
「アオイ、ハルカ君を送ってあげて」
「おう、ジュースは、ここに置いておくわ」
僕は車いすを反転させてシハルさんの病室から出ていった。廊下にすぐ出たところでアオイが僕の車椅子を掴み一度止まる。そして通路の先には探していた人が立っていた。
通路の真ん中を颯爽とこちらに向かってくる黒江さんはなぜか表情が険しく、若干の怒りが表情に浮かんでいる。
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