月夜の涙
「さあクロエちゃん、貴女の好きな”月夜の涙”よ。温かいうちに飲みましょう」
セレスティルさんに促されてグラスに口を付けるクロエ。涙が未だに頬を濡らし、鼻をずずと啜りながらグラスを傾ける。
「それじゃあクロエちゃんが喋れるようになるまで私が喋るわね。それじゃ改めまして選定者殿、私はセレスティル・クリストフ。ローゼリスの母親で今年で50歳よ。若く見えるかもしれないけどそれは私の血の半分はエルフなの、そこらへんもなんとなく気遣ってね」
年齢を聞いて驚いてしまった。どう見ても20代前半くらいにしか見えない。だがそんな事に気を取られている場合じゃない。
「それで、クロエちゃんを怒鳴りつけていた件なんだけど。先に何か言い訳がしたかったら聞いてあげるわ。それがクロエちゃんの飲み友達の私が出来る精一杯。もしも貴方がクロエちゃんにとって大切な人じゃなかったら私は階段から降りてくる前に貴方を凍り漬けにしていたわ」
微笑んだまま物騒な事を言い放つセレスティルさん。
「すみません。あんな言い方は無かったと、今更ですが思います」
「そうね、あの場所で、あの形で、あんな事を言うのは最低だわ」
セレスティルさんは微笑みを強めて続ける。
「でも、クロエちゃんが本当に何もしていなかったと思っている訳じゃないんでしょ? ただあの言い方は本当にダメよ?」
「ごめんなさい。言い訳にしかならないですが僕も気持ちの整理がついていなくて……僕が間違っていたんです。クロエも厳しい事をあんな風に言ってごめん。ごめんね。」
なぜか僕も涙がでた。悔しい、自分の気持ち一つも抑えられないなんて。本当に未熟な人間だ。
「お母様、ハルカも今日は少し辛いことがあって、その……言い方ややり方はお母様の言う通り間違ってはいたけど、ハルカにもそれだけ思う所はあったのよ」
「そうね、そうかも知れない。でもそれはクロエちゃんだって同じよ。手段や方法はいくらでもあるもの、目的を達成するための道は一つだけじゃないのよ」
「もういいよ、セレス……私は、その、大丈夫だから。大丈夫、いつものポンコツガイドなだけだから……」
月に見立てた少しだけ色のついた半透明の丸いゼリーが浮かぶ”月夜の涙”のグラスをテーブルに戻したクロエが涙を堪えながら僕らに言葉を伝え始めた。
「ハルカも、ごめんね。何にも説明もせずにずっとエドガーやローゼリスちゃんに任せっきりで」
「僕の方こそごめん。本当に今更だけど、あんな事されたら絶対傷付くって分かってたのに……ごめん」
僕とクロエは互いに謝ったまま、続ける言葉が見当たらずに沈黙するしかなかった。
「はい、それじゃ仲直りも済んだし! 楽しく飲みましょう! そろそろエドウィンが私のお酒を持ってくるはずよ!」
そう言い切る直前にエドウィンさんは現れて氷の入ったグラスを人数分と一升瓶のような大きめの酒瓶をもって入ってきた。
「ちょっとお母様、どう考えても仲直りなんかしてないでしょ?!」
話は終わりとばかりにグラスに漢字で炎酒と書かれたラベルの酒を注ぐセレスティルさんにツッコミを入れるローゼリス。
「ロゼ、貴方が心に深い傷を負った時って簡単にササっと治るの? そんな感受性の無い娘だとは思ったことないのだけど?」
「そりゃそうだけど……」
「人間ね、傷付くのも成長するための一歩なのよ。傷付けて傷付いて、そこから学ぶのよ。誰も最初から完璧な生き物なんて居ないのよ」
セレスティルさんの言葉は僕の心に深く刺さった。これも一種の傷なのだろうか。きっとセレスティルさんなりの優しさなのだろう。会ったばかりの他人に向けるような優しさじゃないかもしれないけど、それはローゼリスに伝える形で僕の心に届いた。
「それが選ばれしものでも、神の御遣いでも、生きてりゃ一緒なのよ? 分かる? 分からないでしょうね。まだまだ子供だものね」
「うるさいなぁ、子供扱いしないでよ! 私だってもう大人になったんだから!」
セレスティルさんが注いだグラスに口をつけ一気に呷るローゼリス。
あーあといった顔でセレスティルさんがローゼリスを見つめる。ゴクッゴクッと喉を鳴らしながら飲み込み、飲み終わるとテーブルにグラスを叩きつけてそのままテーブルに突っ伏してしまった。
「まだまだ子供ね」
そう呟くセレスティルさんはローゼリスと同じようにグラスの中身を一口で呷り、”っくー”と声には出ない表情でお酒を楽しそうに飲んでいる。
というか、セレスティルさんはローゼリスに一体何を飲ませたのだというのだ。この前の僕の部屋で飲んでいた時はローゼリスがたった一杯のグラスを飲み干すだけで気絶するなんてことは無かった。
「ほら、選定者殿っ! もうお酒の席ではハルカ君でいっか、ほら飲んだ飲んだ!」
グラスを僕に持たせようとするセレスティルさん。頑なに断っていると僕に飲ませようとしているグラスの中身を口に含みはじめた。まさかそんな!
驚いているあいだに僕の唇にひんやりとした柔らかい感触が当たった。次の瞬間に唇を割って柔らかい感触と柔らかなお酒が僕の口に入り込んだ。
下に絡まるようなとろみのあるお酒で飲み込んでしまった後から口の中や喉が焼けるように熱い。むしろ粘膜が溶けているような感覚さえ感じる。それが収まると口の中に葡萄のような果実の香りと爽快感が駆け巡る。脈拍が速くなり、爽快感と心地よい気分が全身を駆け巡り強烈な酩酊感を一気に感じた。
すぐに顔をのけ反らせてセレスティルさんから逃げ出した。セレスティルさんは口の端から透明なお酒を零しながら妖艶な表情で僕を見つめている。
「セレス! 何してんの! ハルカにそんな事したらダメでしょ!」
「あらクロエ、元気じゃない? 悲しいフリなんかしてないで楽しみましょう? 夜は長いようで短いのよ?」
「セレスは朝も昼も夜も関係ないでしょうが!」
「そうだったわね? うふふふふ」
より一層艶めかしい表情になっているセレスティルさんはもう一口お酒を口にすると、今度はクロエに同じようにキスをしてお酒を飲ませた
傍から見ると凄い光景だ、艶めかしい美人にキスを迫られる可愛い妖精。何処かの絵画かニッチな漫画にでもありそうな光景だった。
僕の時とは違い、あまり抵抗しないクロエは半ば諦めているようだった。
「ほら、ハルカ君と間接キス出来たわね。私に感謝なさい」
「わわわ、わ、ハルカとキスしちゃった!」
慌てる妖精の涙は止まり、すっかりセレスティルさんのペースに嵌まってしまっている。
まだセレスティルさんの唇の感触が残っている僕はその事を誤魔化す様にクロエにいつも通りツッコミを入れた。
「クロエ、それ間接キスも何もセレスティルさんとキスしただけだから!」
「もー! セレス! 騙したなー!」
「本当にクロエはからかい甲斐のある妖精ね。あとそれとハルカ君、こんな調子でクロエは私に付き合ってくれていたのよ。キミを不安にさせるつもりは無かったけど、ごめんなさいね、でも私のせいでもあるけど、君のせいでもあるんだからね!」
悪びれた感じもなく、ただただ事実を述べるように語るセレスティルさん。
「セレス! それは黙っておいてくれるって約束した……」
妙に慌てるクロエはアワアワしたままで伸ばした手はセレスティルさんにまで届いていない。
「今なら気付いているかもしれないけど、エドガーも私も、キヅナもミナートの爺さんもマリナローゼもこの子の知り合いよ?」
「えっ? なんで?」
あわあわしていたクロエは諦めたようにソファーに腰を降ろし、顔を真っ赤にして俯いている。
お酒でぼんやりとした頭の中から数日前の記憶を辿り思い返しても、クロエはイニティに来るのは初めてのような対応をしていた。エドガーさんに会った時も、マリナローゼさんやキヅナさんにも初対面のような感じで対応していたのに?
僕はエドガーさんの人脈が凄いんだと思っていたけど、その下準備はクロエがしてくれていたって事?
なんでそんな事をしたんだろう。なんで周りくどい事をしたんだろう。疑問ばかり溢れてくる。
「気付いてなかったの? まったく鈍感ね。よく考えてごらんなさいな。この町に来ていきなりエドガーの正体に気づいて、キヅナやミナートみたいなレアキャラにそんなに都合よく会えるわけないでしょう?」
「全部この子が手配してくれたのよ。まったく、クロエもクロエよ! 私に”毎日絡まれてるの、助けて!” って言えばよかったでしょうに」
「セレスに口ごたえなんかしたら後で何されるか分かんないし……」
「そうね。それは正しい判断ね」
艶のある声でクロエの背中の羽を撫でるセレスティルさん。なんか、うまく言えないけど少し怖いんですが。
「ということでハルカ君、この町で一番偉いのは私! それだけはちゃんと覚えておきなさい」
「誰が一番偉いとかお前はまだそんな事言っているのか? 若作りは見た目だけにしておきなさい」
「エドガーさん!」
「その顔はもう被害にあった様ですね。ハルカ殿」
「被害とは何よ!」
「貴女のそういうところが私は苦手なんです」
「あら気が合うわね。私も貴方のそういうところが嫌いなのよ」
セレスティルさんの事を半分無視するようエドガーさんは僕に話しかけてきた。
「隠していてすみません。別に何か騙すような事をしていたわけでは無いのです」
「私が頼んだの……」
クロエが勢いよく声を出したのでそちらを見ると声が沈み、また俯いてしまった。
「クロエ、ちゃんと貴女が説明なさい」
エドガーさんは優しくクロエを促す。
「私が他の仲間たちに馬鹿にされている話はしたよね? それはね、塔から抜け出してイニティに遊びに来ていたの。そこでセレスに会って、皆に出会って塔に戻らなかったのよ」
「まぁそのほとんどが私のせいなんだけどね」
セレスティルさんが相槌を入れるとエドガーさんがキッと睨みを入れた。
「それで、私が担当した何人かの迷子が説明もちゃんと受けれなかったからレヴェラミラに残ることになって、エターナルになってしまったの。本来私たちは迷子を元の世界に戻すように指示を受けているのにね。でも私はエターナルを増やしてしまったから……」
「それじゃ余計に居づらくなるんじゃないの?」
僕はクロエが辛そうに話すのが見てられずに問いかけてしまった。
「そう、私の居場所はなくなったの」
「でも私にはセレスが居たし、他にも友達がいたからなんとかやってこれた。それでハルカと出会ったの。私は怖かった。元の世界に戻りたくないなんていう迷子は初めてだったから。それでもちゃんと頑張っているハルカを見てるうちに私にも何か出来るんじゃないかって思って」
笑顔になったクロエの顔が次の言葉を紡いでいくうちにまた影がさしていく。
「そんな風にハルカの事を思うようになってるのに、あたしはハルカが選定者だって知ってホッとしたの。これで塔にいなくて済むってね。でもそんな気持ちをハルカに知られるのが怖くて、皆に協力して貰ったの。普通選定者の子は強大な力におぼれてしまうんだけどハルカはそんな風じゃなくて、途中から騙しているみたいでイヤだったの。それでセレスに相談してたんだけど……」
相変わらずクロエの説明はヘタクソだった。出来事の時系列も話の順序もばらばらで、ほとんど説明になってない。それでもクロエの言いたいことは伝わった。
同じ種族の仲間からは疎外され、居場所が無い中でそこにいなくても良い理由が出来た。でもその気持ちとは別に僕の事に協力したい気持ちが生れていて、別の事柄なのに塔に居なくて良い理由として僕を見てしまっていた。それを馬鹿正直に悩んでいたということだろう。
「ありがとうクロエ。ここからは私が話すわ、クロエはアーサーを呼んできて」
なかなか気持ちを言葉に出来ないクロエに見かねたセレスティルさんは説明を引き継ぐ。
「うん……」
小さな声で頷くとクロエは僕の顔を少しだけ見ると赤くなった頬を片手で抑えながら部屋を出ていった。
「エドガーも出てって良いわよ」
「貴女は不要な事まで言いかねないし、やりかねない。私もハルカ殿が残らないのであれば出ていくのですがね」
「相変わらず頑固な男ね」
「彼の有名な氷嵐の魔女よりお褒めに預かり光栄だ!」
「褒めてないわよ!」
あからさまにイヤな顔をしたセレスティルさんはエドガーさんを無視して僕に向き直る。
「それじゃハルカ君、端的に言うわよ。クロエをこれからもよろしくね」
「どういうことですか?」
「ハルカ君が来てから、あの子はずっと君の事を喋ってたのよ。いつもは”また迷子の案内が回されてきた。癖のある子ばっかり私に来る”って愚痴を言っているような子がね」
どうやら僕の考えは外れてはいなかったみたいだ。
「初めはセレス以外にも楽しくおしゃべり出来る子が来てくれたって喜んでたかしら。それから毎日惚気にも似たような話を聞かされたわ。塔から出てきたら毎日ここにきて貴方のことを相談されたわ。どうにかしてハルカを助けてあげたいってね」
セレスティルさんは炎酒を水を飲むように飲みながら話を続けていく。
「よろしくね! クロエは私たちの大切な友人だから。種族も世界も関係ない、対等な立場で一緒に歩いてくれるかしら?」
セレスティルさんの言葉を引き継ぐようにエドガーさんが口を開いた。
「私からも頼めるだろうか、クロエには私も私の仲間も皆助けられてきたのだ。だからよろしく頼む」
「なんで僕なんでしょうか? クロエには、セレスティルさんやエドガーさんも居るのに、僕が必要な理由ってなんなんでしょう」
「本当に鈍感ね、クロエも鈍感だからあなたたちは相性が良いのかもね」
苦笑いしながらもセレスティルさんは答えてくれた。
「いろいろあるのよ、女には少しミステリアスな部分があった方が綺麗でいられるのよ。そういうわけだから仲良くしてあげてね。大丈夫、あの子は裏表なく貴方の手助けをちゃんとサポートしたいと思っているから」
あまり釈然としないし理由もいまいちわからない。酔っているからなのか、本当に僕が鈍感だからかも今は判断がつかない。けれどクロエにとっても僕にとっても、お互いに互いを必要としているということは分かった。
僕にとってこの世界をガイドしてくれるクロエが必要なように、クロエが僕に理由を求めるのであれば僕が理由になってあげよう。
それはセレスティルさんやエドガーさんに言われたからではなく、僕自身がクロエにしてあげたいという気持ちを改めて思うのだった。
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