前文
タンゼニス王国 東
周りを花々に囲まれた場所には多くの石碑が佇んでいる。その一つ一つには各貴族の家紋とそこにいる者の名前が記されている。
そんな石碑の一つの前で家族四人が花を供え、祈りを捧げている。
あるものは己の成長を、あるものはこれからの抱負を、あるものは己の無力さを
石碑の一番下の名前には他の名前に比べ新しい彫刻でフェルニスルー・クレアという女性の名が彫られてある。
「お父様、この花はなんというのですか?」
「ん?それはセンニチコウとスターチスだね」
リアが指さす方向には今日の墓参りにと選んだ花束があった。
「…センニチコウは“色褪せぬ愛”。スターチスは“変わらぬ心”が花ことばでしたよね?」
「そうだね。父様は母様が好きだからね。それにあの花は母様が花ことばを教えてくれたんだよ」
「お母様が…」
きっとリアはクレアの顔を覚えてはいないだろう。クレアがなくなったのは3年前だ。
この子がまだ3歳になったばかりの頃。
母親が恋しいであろう時期なのに文句ひとつ言わないリアやリクは本当にいい子に育っていると思う。
「今日はお父様とアイト兄様は夕方には王宮での卒業パーティーに参席されるのですよね?」
「そうだよ~リク。リクもあと3年後には学園に行くから楽しみかい?」
リクとアイトが仲良く片付けをしている。
「…兄様の愚痴を聞く前でしたら楽しみだったのですが今は正直それほど楽しみではありませんね」
「あはは、知らずに行くよりは知っていく方がいいだろう?私の優しさがリクには早かったかな」
じゃれ合う息子たちを眺めつつ、再度墓の前で祈りを捧げる娘を見やる。
子供たちはこんなにいい子で、元気にやっているよ。これからも君が見守っていてくれたら心強いことだろう。
「リア、帰るよ」
「はーい」
幼い少女がかけてくる。
その背中を押すように木々が、花々が揺れる。
**********
「それじゃあ私と父上が出ている間二人ともいい子にしているんだよ」
「わかってます」「大丈夫です!」
正装を身に纏ったアイト兄様が心配そうに声をかける。
これから王城で開かれるパーティーに馬車で向かわれる。なんでも学園の卒業生全員がパーティーに参加するにあたり馬車で王城へ向かうそうだ。
早めに行かないと王城に入宮する前に馬車の渋滞に時間を割かれてしまうのだとか…
大変だなぁ。
「さて、アイト準備はいいかな?」
「はい」
「それでは行ってくるよ」
「「行ってらっしゃいませ、お父様、お兄様」」
リアと二人で玄関から二人が乗り込んだ馬車が見えなくなるまで見送る。
空はだんだんと青からオレンジへと染まっていくようだ。
「じゃあ俺らは談話室で何か本でも読んでいようか」
「はい!あ、お兄様にいただいた“原始の魔法使いの絵本”でもよろしいでしょうか?」
リアが恥ずかしそうに上目遣いで尋ねる。その仕草が可愛い。
秒でもちろんと答えれば安心した様な笑顔が返ってくる。
本当にうちの妹はかわいい。
『おやおや、リクがとてもだらしない顔だ』
「…」
「チース、こんばんは」
『こんばんは、リア』
なんでこの契約精霊は俺の気分を下げるのだろうか。そう言う嫌がらせか?
ジト目でチースを見やれば今頃気づいたのかとでも言いたげな表情をしていた。腹立つな
「これからお兄様と“原始の魔法使いの絵本”を読むんです。チースもいかがですか?」
ふわふわ漂っていた精霊はリアの言葉に興味を持ったのか反応を示す。
『いいね、私も付き合おう』
「いや、帰れよ」
ぼそりとした呟きはリアには聞こえていなかったが、風邪の大精霊様には聞こえていたようで目の前で逆風を起こされ、もろに食らう。
「では早く談話室に向かいましょう!!」
リアが待ちきれないと言った風に俺の手とチースの手を取り、談話室へと足を運ぶ。
手を取られた側の二人はリアに見えないのをいいことに互いに無駄に高度な魔法を飛ばし合って喧嘩を繰り広げるのを使用人たちは温かい目で見守るのだった。
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煌びやかな服を纏った男女が王宮のパーティーホールで用意された食事を摘まみながらあちらこちらで談笑する。学園の卒業生とその親が参加する卒業パーティーはこの国の伝統行事でもあり、初代国王がより多くの国民の顔を覚えたいという願いが実現したものだそうだ。
父上とともにホールに入ってからは父上の仕事仲間である官僚たちとの顔見せや学友の紹介等の挨拶回りをし、緊張を和らげた頃によく聞き馴染んだ声が自身の名前を呼ぶ。
「やあ、アイト。それにフェルニスルー侯爵もお久しぶりです」
振り向けば片手にワイングラスを持ちながら優雅に一礼する男―同期にあたるこの国の第二王子―がいた。
「これはルーベルン王子ご卒業おめでとうございます」
「ありがとうございます。侯爵、国王陛下がお呼びです」
ニッコリと色気をたっぷりと含んで微笑む彼によってその場にいた何人かの女性が虜になる。相変わらずの魔性である。
「ルーベルン殿下のそれご自覚があるならどうにかした方がいいですよ」
殿下は私の忠告をどこ吹く風と聞き流す。まったく困ったものだ
殿下に付き従ってホールを進めば国王陛下の御前となり、一礼する。
「国王陛下にご挨拶申し上げます。この度フェルニスルー・アイト、無事に学園を卒業いたしましたことご報告いたします」
紅いマントに豪華な指輪を着飾り、玉座にずっしりと腰を下ろす白髪交じりの無精髭からウムと返事が返ってくる。
「大儀であった。今後はより一層精進せよ」
「はっ」
横にいた父上も国王に一礼し、誇らしげに私を見つめる。
陛下の御前から離れるとルーベルン殿下に小脇を小突かれる。
「アイトはこれからどうするんだい?」
「父上の仕事の手伝いからだね」
「なるほど。では王城にも来るってことだな」
「遊びに来るわけではないのでお相手しかねます」
「断るの早くないか?!」
殿下の言葉に苦笑しながらも学園時代の経験で一度了承したら振り回されることを私は知っているのだ。
殿下とその後もいくつか話を交わし、何か飲み物を取りに行こうと給仕係を呼びつける。
“キヒヒヒイヒヒヒッヒヒヒヒヒィィ”
突然何とも言い表せない不快な音がホールに響く。
先程までの談笑が嘘かの様に静まり返り、皆が注目する先には一人の男が佇む。
その男は今年の卒業生の一人で何度か声を交わした覚えがある。
ふらふらした足取りで一歩、また一歩とホールの中心から陛下の方へ足を進める。その眼は真っ赤に充血して絶えずぶつぶつと口元を動かすさまは異様で明らかに異常であった。
さっと殿下を背に庇い、少しでも件の男から距離をとるように守る。
陛下の前には幾人かの官僚が立ち、険しい表情で男を見やる。その中に父の姿もあった。
すぐに入り口から入ってきた衛兵によって男は取り押さえられ、ホールに膝をつく。
その目はどこまでも虚ろだ。
“……が………ろ…”
男の声量が所々大きくなるが全容は聞き取れず、衛兵がふざけるなと声を荒げる。
しかし男の瞳は虚ろで―
一人の衛兵がしびれを切らし、男を拘束しようと腕を掴めば
“キャヒャヒャヒャヒヒヒヒィィイイ”
壊れた様に笑い声をあげる男。
異常だ。明らかに異常すぎて誰もがその男から距離をとろうと退こうと身動きするタイミングに合わせ男の首がぐるりと明らかに常軌を逸した動きで陛下から私達に視線を変える。
「―っ!」
「逃げ―」
“滅びよ!!お前ラ全イン滅びろぉオオオオ!!!!”
瞬間真っ白な光が会場を包み意識が遠のいた―
~ノーヴェイカ聖典 第一章 前文~より
『呑みこみし闇は幾千を超え』 ・・・- ・-・- -・-・・