前文
多くの本が棚に並び、その下で床に座って少女は一冊の本を読み進める。
《この世界をノーヴェイカと名付けよう。
ノーヴェイカには魔法が存在する。魔法とは希なる力、世界人口の半数はこれを操る資格を有す。資格を有せど扱えるかは本人の力量次第。
誰しもが持ち得る魔法を感情によって揺れ動くことから感情魔法と呼ぶ。
これもまた希なる力となるかはそのもの次第…》
ページをめくる音だけが静かな書庫に響く。
換気のために開け放たれた窓から爽やかな風が吹き込み、少女の柔らかな藍色の髪を揺らす。
藍色の髪に夕日を閉じ込めた瞳はいつだって何かを探して揺れていることを人間は知らない。
『やあ、リア』
本に集中していた少女が驚いた顔をしてこちらを見上げる姿がとても愉快で心地いい。
「こんにちは、チース。今日はお兄様のところにいなくていいの?」
『リクは私がいようがいないが関係なく過ごせるさ』
くすくすと笑うこのいとし子はこの屋敷から一度も出ることを許されていない。
『君はよく本を読むけど、本が好きなのかい?そんな難しい本よく読めるね』
彼女は考えるように首を傾げる。
「この本が難しいかは分からないけれど、本はいろいろ教えてくれるから好きよ?」
たった6歳の子供が読むにはとても難しい本だろそれを難しいか分からないとは…中々だ。
きっと10歳のリクですらその本を読むことはしないだろう。
『リアはさ、外に出たいとは思わないの?』
「外…かぁ」
本来この年頃の子供なら外で遊んだりもするものだろう。
しかし、この子は家族が側にいなくては外出は許されない。
家族が側にいたとしても皆がそろって外出を懸念することだろうが
『リクが鍛錬で稽古に行ったらリアは一人ぼっちだろう?寂しくないの?』
「確かに寂しいけどみんながいるから大丈夫。それにチースたちが遊んでくれるから!」
はにかんだ笑みを向けられ、一瞬呆けてしまう。
そんなことをいわれるとは思っていなかった。
『外に行きたくないの?』
「行けるなら行きたいよ。本でしか分からないものをちゃんと目で見たいもの」
『…』
それなら―
「でも、みんなに心配をかけるのは嫌だから」
困ったように笑うリアはきっと我慢している。心の内を。本当の願いを
自分より他者を優先してしまうその優しさが、いつか君を殺してしまわないか心配だよ。
『君は優しいね』
そっとリアの髪を撫でる。
夕日色の瞳が細められ、気持ちよさそうにする。ネコみたいだね
「私が優しいんじゃなくて、みんなが優しいから私も優しくなれるんだよ。だから私が優しいんじゃなくてみんなが優しいんだよ」
優しいのはみんな…ねぇ。口角が上がるのを自覚しつつも気分がよくなることに変わりはない。
そんなことを恥ずかしげもなく真摯に言えるこの子を愛おしいと思わずにどうしようか。
***************
日は沈みかけ、辺り一帯をオレンジ色に染め上げる頃
「やあ、ただいま。私の愛しい子供たち」
「「おかえりなさい!お父様」」
パタパタと二人の子供たちが私の方へ駆け寄ってくる。
駆け寄ってきた二人の頭をわしゃわしゃと撫で、抱きかかえる。
「お、リクは知らない間に身体が成長したのかい?少し重くなったね」
「本当ですか?」
「ああ。きっとすぐに身長も伸びるだろう」
次男のリクは嬉しそうに笑う。
親としては子の腕に抱えられる時期が迫っていると考えると嬉しいような悲しいようなきがするが、子供の成長とはいつでもそんな気持ちにさせるものだ。
「お父様、今日はアイト兄様がおかえりになられるんですよね?」
末娘のリアがその愛らしい頬を薄色に染め上げながら待ち遠しそうに尋ねる。
「アイトは今日帰ってくるよ。夕食の時間には間に合うだろう」
「久しぶりにお兄様にお会いできるので嬉しいです」
二人を抱えたまま談話室へ向かい、それぞれをソファーの左右に下ろす。
二人とも4年ぶりに会う長男であるアイトの帰りを待ち遠しそうにそわそわとしていつもより若干落ち着きがないが、それすらもかわいくて仕方がない。
今日あったことをリクが話すのをリアと聞いていれば、外から馬の声が聞こえた。
「お兄様が帰ってきた!!」
「お出迎えに行こう」
リクがリアの手を引いて談話室から飛び出していく。その様を後ろから眺めつつあの子たちの成長を噛みしめずにはいられない。
「君がいなくなってからあの子たちはあんなに成長したよ、クレア…。3年、3年も経ったんだな」
談話室に零れた侯爵の言葉はどこか悲しみを帯びていたことは誰も気づかない。
*********
大きな土産袋を抱えた男性はそれらを執事たちに預け、使用人たちといくつか言葉を交わしては気さくに笑われる。
「「アイト兄様!」」
リアと呼びかければ破顔一笑で兄さまが俺達のために膝をついて、腕を伸ばしてくれる。それを合図に兄さまの広い胸元にダイブすれば、ぎゅっと抱きしめられる。
4年間離れていた温もりが埋められる。
「ただいま、リク、リア。二人とも大きくなったね」
嬉しそうに兄様がおっしゃられるから僕らもつられてより嬉しくなる。
「お兄様こそお元気そうでよかったです」
「学園はいかがでしたか?」
「学園は校則が厳しくてようやく解放されたと思うと気が楽だよ」
兄様が大変だったと困ったようにおっしゃるのがおかしくて笑ってしまう。
僕たちとの抱擁に満足した兄様は先ほど執事たちに預けた紙袋の一つから何かを取り出し、僕らの前に差し出す。
「これはリクに」
差し出された細長い箱を受け取る。
「これはリアに」
リアは俺のより大きくて薄いものを受け取る。
いったいこれは何だろうかと首を傾げていると兄様が頭を人撫でしてお土産だと教えてくれる。
「リクにはペンを、リアには“原始の魔法使いの絵本”を。それぞれリクエストされていたものだよ」
「「!! ありがとうございます、兄様」」
ずっと前に手紙でお願いしていた品をわざわざお土産として買ってきてくださったことが嬉しくて、その箱をギュッと抱きしめる。大切に使おう。
「おや、思ったよりも元気そうで何よりだ。おかえり、アイト」
「ただいま戻りました、父上」
「学園は大丈夫か?」
「ほぼほぼルーベルン殿下に付き合っていたので問題はありません。父上もお元気そうでよかった」
アイト兄様とお父様が抱擁を交わす。
「立派になったな」
「ありがとうございます。ですが、泣かないでくださいよ」
「まだ泣いてないだろう」
アイト兄様は抱擁中ずっと苦笑していたが、お父様がどんな顔をされていたのかは分からなかった。ただ少し涙声だったように思ったのは気のせいじゃないと思う。
「さあ、夕食にしようか」
お父様の声で家族四人そろって食堂へ向かい、食卓を囲む。
今までよりも温かで賑やかな食事の時間はあっという間に過ぎていった。
**********
コンコン
書斎の扉がノックされる。時間は23時を回った頃。
リクとリアは既に就寝しているからドアをノックする人間は限られている。
「入りなさい」
「失礼します」
扉を開け、アイトが入室する。
その手には一通の手紙がある。
「父上、例の方たちは見つかりましたか?」
アイトの質問に無言で首を横に振る。見つかっていればこんなに心配しなくていいかもしれないのに。リアに普通の子供たちと何ら変わりない生活を過ごさせることも出来たかもしれないのに…
未だに見つからない
「そう、、、ですか。…これは学園で天使族の友人に出した手紙の返信です」
アイトは手にしていた手紙を私に渡す。
内容は見てもいいかと視線で訴えれば、かまわないと首肯される。
《フェルニスルー・アイト殿
以前伺っていた用件は現在天界にて捜索中。見つけ次第再度知らせを》
手紙の内容はそれだけだった。
だが、これによってはっきりとしたことがある。
「やはり生きているんだな」
「はい。8種族の中で一番長寿である彼らは未だに顕在しているそうです」
「そうか」
かつてこの世界に魔法を何たるかと教え導き、種族の輪を超えて繋がりを作る一行がいた。
今では子供から大人まで知る童話にもなり、歌にもなり、伝説となった者たち。
人はそれを“原始の魔法使いたち”という。
原始の魔法使いの弟子にあたる者の中には天使族もいた。それは歴史にも伝承にも残っている。だが、彼らが未だ生きているかはわれわれ人間には分からなかった。
なにせ生きる時間が異なるのだから。
だが、この手紙で一筋の希望が生まれた。探す、見つける、それすなわち今なお生きているという確証に繋がる。
「彼らを見つけることが出来ればリアは自身の魔力を上手くコントロールできると思いますし、今よりは危険になることも少ないでしょう」
「ああ。年々妖精たちが増えているとリクが心配していた」
妖精たちはリアを好む。好む故にあの子のまわりによく集まる。決してあの子が嫌がることはしないが、いつだってあの子を連れ出そうとしていることはこの屋敷の者全員が知っている。
「リクも教官からそろそろ手に余ると言われてな」
「…。やはりあの子も魔力が大きいせいでしょうね。あの子はチース殿との契約である程度安定させていますが今以上にもなると思うと教官の心配も頷けます」
沈黙が書斎に満ちる。
君がもしいたら…なんて考えてもこの状況は変わらないのに。
私は弱いな。
歯がゆい。何もできない、してやれない己が歯がゆくてたまらない。
無力で弱い私にできることはあとどのくらい残されているだろうか―
~ノーヴェイカ聖典 第一章 前文~より
『悔い亡き者に救いはない』 ・--・ -・-- ・・ -・--・