第八話 頓着する
屁理屈ばかりを言う取引先の女性からの電話を切ると、私は仏頂面で椅子にもたれた。
すると打ち合わせを終えた上司と営業マンたちが会議室から列をなしてぞろぞろとデスクの横の通路を歩いて出てくるのが目に入った。
「相変わらず自分はエキセントリックだと思い込んで時間を無駄にしているのか?」
通りすがりに何気なく声をかけられた私は、どうしたらこの上司を自分から遠ざけておくことができるのだろうと考えながら口を開いた。
「そんなに私が鼻に付くんですか?」
「付くねえ。私に反発ばかりしていないでもう少し態度を改めてほしいものだな」
残念ながらそんな気には全くなれませんと言う私に、彼は苦笑してみせた。
「気を晴らすためにちょっと外出してみるか」
「それほど行き詰っているように見えるんでしょうか」
ぼそりと言うと、彼はこのままの状態でいられると会社にの負担になりそうだから、仕事に対する意欲を駆り立たせてやると私の肩をポンと叩いたのだった。
私の上司であるという責任において、自力で仕事の案件をまとめさせ、充足感でも味わせてくれるのかと思いきや、そうではかった。
私たち二人はオフィスの並びにある取引先にちょこっと顔を出しただけで要件を済ませ、今はなぜだか居心地のいいソファが置いてあるカフェに寄り道をしている。
「その青年がお前のことをわかっていないのは確かだろが、意外と的確なことを言っていると思うぞ」
ミキオ君のことである。
「自分は価値の無い人間なんだとか、そんなことばかりくよくよ考えて、要するに神経質になりすぎなんだよ」
彼に言われるままに同行してしまった私は後悔の念が襲ってきたのでずっと下をむい向いていることにした。
「病院やカウンセリングに行くのを止めはしないけどな、自発的に前向きになろうとしないんじゃ効果的じゃないと思うぞ。他人が導いてくれると思ったら大間違いだ」
こんな横柄な言い方をされて、私が改心するとでも思っているのだろうかと考えていると、彼は小首を傾げて質問をしてきた。
「そんな道徳観念の無いことをし続けてお前の気は晴れるのか?」
私のプライベートのことなど気にもならないはずなのに、意外と執拗に問いただしてくるので開き直って今日も仕事が終わったらランジェリーパブのバイトに行くことや、お金をもらって性交渉をしている相手が数えきれないほどいることを吐露したのだった。
反骨心しか持てないような上司相手でも思いのほか心が軽くなったので、内心びっくりした。
彼はその事実を知ると、お前は根底から人間が腐っているなと言って、忌々しそうな顔をした。
その上司の愛想が尽きたという顔つきを見ていると、なんだか愉快になってきて、とうとう私は頭がどうかしてしまったのかなと感じた。
「すっきりはしませんけど、気分転換にはなります。病院やカウンセリングに行くよりよっぽど」
窓の外を往来する人々をぼんやりと眺めながらそう言うと、上司は蟻地獄だなと呟いた。
「もうどうにでもなれって感じです」
私が捨て鉢な発言をすると、上司はやけになるのだけはよせよと言った後に今日は帰ってよし!と付け加えた。
職場に戻ってデスクに腰を下ろしていると、同期の美紀が寄ってきて私の微妙な変化に感ずいた。
「何か珍しくスカッとした顔してるねえ。いいことでもあったの?」
彼女はにやにやすると当ててみせようかと言った。
頭に上司のことが過り、私は少し身構えた。
「もしかしてとうとう彼氏に結婚を申し込まれちゃった?」
なんだかほっとした私は口角をくいっと上げて微笑むと、彼女はいやーんと言って一人勝手にハイになった。
「まだまだ遊びたいなんて言ってたけど、満更でもないんじゃなーい」
「あんまり先送りにするのもねえ・・・」
テンションを合わせてやると、美紀はあたしもとっとと身を固めようかなあ、失敗してもやり直しのきく歳だしとぶつぶつ言いながら去っていった。
会社を後にしてランジェリーパブに足を運ぶと、いつものようにうさぎの格好をしながら従業員と並び、自己を見つめ直していた。
いい加減、割り切らなければいけないのかなと思った。
どうにもならないということはそこそこある。
迷路は入り口があるのだから当然出口もあるのだとずっとそう思っていた。
ごくわずかな見込みを信じて病院に通うことや非道徳的な行為をすることが悩みの解決への最短距離だと思っていた。
どうしてもあの不躾な態度の上司の忠告を受け入れるのは気が引けたが、認めるしかなかった。
私は間違っていた。
小雨が降る中家にたどり着き、部屋の襖を開けると一瞬動きを止めてしまった。
私のベッドの上にはふろ上がりの妹が一糸纏わぬ姿で寝転がり、雑誌をめくりながらスマホで音楽を聴いているところだった。
いつもならその図々しさにあっけにとられて文句を言うのだが、今日はなんとか辛抱できた。
「そこの全裸の人―、直ちに私のベッドから退去しなさい」
妹は部屋の入り口で仁王立ちしている私の姿を目に入れると、慌てふためいた挙句、死んだフリをした。
私は大きな溜め息をつくと、つかつかと部屋に入り、バカなことをしてないでさっさと服を着なさいと彼女の臀部をペシリと叩いた。
妹は痛いと笑いながらバスタオルで下半身を覆った。
そこに入室してきた母は私たちのやり取りを見て、こんな夜中に姉妹揃って何してるのと口では怒ってみせたが、目元は緩んでいるのがわかった。
理想的な家族を久しぶりに味わってしまった。




