第七話 心で望んだこと
「即決はできないなあ」
言葉を濁す私に、ミキオくんはどうして?と探るような目つきをした。
私は彼の瞳を見つめると、だってあなたの求婚している女は神経が衰弱している頭のイカレタ女なのよと心の中で思った。
ミキオくんのアプローチを聞いて難色を示す私に、彼は明らかに動揺していて、僕たちは結婚を前提に付き合っているんだよね、と確認をしてきた。
育ちのいい彼と一緒になれば悠々自適とまではいかないだろうが、今のような生活苦に喘ぐことはなくなるだろうなと思った。
しかし、自分の決断で後戻りが出来なくなるのは嫌だし、なぜだか無条件に私を盲信している彼に対してなんだか申し訳ない。
思わせぶりな態度をとってしまったのなら済まなかったが、ミキオくんとの訪れるであろう甘ったるい生活の中に、迷走する私の心の病いの突破口が見つかるとは思えない。
「即答できない決定的な理由があるの?」
苦労知らずの若年という風貌のミキオくんは納得できないという様子で私に質問をした。
「ミキオくんは幼い頃からちゃんとした教育を受けてるんだよね」
タイミングよく鼻声になってしまった私をミキオくんはしおり?と気遣った。
彼は私が涙ぐんでいると思ってくれているだろう。
「ミキオくんみたいな素敵な人からプロポーズされるなんて最初で最後のチャンスだと思うんだけど・・・」
彼のようにわりと立派な家柄の人と対照的にアパートに住んでいるような私との縁組は身に余るというようなことを言おうと試みた。
けれど珍しく彼が勘繰るような目つきで私を見ていることに気が付くと、ふと普段覆い隠している自分をさらけ出してみようかという気分にもなった。
ひょっとしたら一生涯を共にすることになるかもしれない人なのだから、私のような女と一緒にいる適正があるかどうか試したくなったのかもしれない。
「うちの両親だったらきっとしおりを気に入ると思うよ。だって僕の奥さんになる人としてしおりに減点要因はないもの」
ミキオくんは自分の家と私の実家との生活レベルの差は全く気にする必要はないと述べ、今までの付き合いの中でズレが生じたことはないだろうと続けた。
「家柄と僕たちが一緒になることは別物だよ」
「・・・・・・」
私は黙ってミキオくんの言葉に耳を傾けながら、やはり裕福な家の息子のミキオくんから見たら、私から貧乏臭さのようなものが感じ取られていたのだなとしみじみ思った。
「それもあるんだけどね・・・、ミキオくんはもしかしたら私と籍を入れた後に早まったと思うかもしれないよ」
先ほどまで夢見心地というような顔つきをしていたミキオくんの顔は一体全体何を言い出すのだというものに変わっていた。
「どうしてそんなこと言うの?」
彼の無垢な表情を見ていると、何もわざわざあなたが入れ込んでいる相手は心に問題をはらんでいるのよなどと言って当惑させなくてもいいのではないかという良心の咎めのようなものに襲われた。
「はっきり言えないけど、ミキオくんは私を誤解しているような気がして・・・」
胸の中で燻っているものを吐き出す相手としては彼は少しノーマルすぎる人なのだろうか。
「何か悩み事でもあるの?」
「うん・・・、何て言うか、ミキオくんと結婚するには精神の面で万全でないというか・・・。なんだかこのままだとあなたをペテンにかけるみたいで嫌なのよ」
ミキオくんは薄く口を開いたままで少し不信な目をした。
「私はね、他人から自分がどう思われているかっていうことを極端に気にしてしまうところがあるの」
顔を上げてミキオくんをちらりと見ると、目が点になっているので少し笑えた。
「他人から自分だくだらない人間だと思われているんじゃないかと思えば思うほどパニックに陥って息ができなくなってしまって、病院の精神科でも診てもらっているくらいなのよ」
普通の人にはどうでもいいと思われるかもしれない私の側面をさらけ出して、ミキオくんがどうしたものかとまごつくかと思ったが、実際の反応は違った。
「大丈夫だよ、しおり!きっと会社での人間関係とか仕事がうまくいってなくて神経過敏になってるだけだと思うよ。もっとポジティブに考えなきゃ」
何を根拠にミキオくんが大丈夫だと言ってバカみたいに笑っているのかがわからないが、私が何年もかけて悩んできたことを軽んじる彼に正直失望した。
彼にとってはそれが精一杯の慰め方なのだろうが、私としては彼にそんな発言をしてもらいたかったわけではない。
ただ単に心からそれは大変だったね、辛い思いをしてきたね、と同情してほしかっただけなのだ。
ミキオくんに、そうだね考えすぎだよね、などとおどけてみせながら結局のところこの男は肉体関係の合う、彼氏という名のただのお飾りなのかなと思った。
ミキオくんはいつでも相談に乗るからねと言い、そろそろ出ようかと店の席を立った。
外に出ると私はミキオくんの腕を取ってこの人と分かり合うことはこの先皆無だなと考えながら一心に道を歩いた。