第六話 Thanks,but no thanks
言い忘れていたが、私にはミキオくんという彼氏がいる。
彼は世間一般ではそこそこカッコイイ人の部類に属する方だと思う。
けれどその端正なマスクについている薄い唇から発せられる言動に心が満たされることはなく、一緒にいても胸が高鳴ったためしなどがないので、いつも上の空になってしまう。
しかし彼は結婚するには理想的な人なのだろうから、この関係がそういう方向に発展するならば、自信を持って母に紹介できるだろうなとは思っている。
ミキオくんは私が難しい顔をして黙りこんだりすると、決まって私の顔を覗き込んではどうしたの?と心配そうな顔をする。
何がこの人を夢中にさせるのかがわからないのだが、ときにはとろけそうな顔をして私を見つめていることもある。
今日は二週間ぶりに彼とデートらしいデートをし、今は食事を終えて私たちの前にはコーヒーが運ばれてきたところだ。
閉店時間が近いのか、ラストオーダーを訊いて回る従業員の声が耳に届いてくる。
私は自分のコーヒーに角砂糖を入れると、スプーンでゆっくりとまわし、カップを見つめたまま口を開いた。
「これから久しぶりに甘い夜でも過ごしますか?」
ミキオくんの顔に目をやると、喜んで!という表情をしているので、私はクスリと笑った。
彼と寝たいという欲求が宿ったわけでは特になかったのだが、しばらくの間そういうことをしていなかったのでそろそろしておかなければという義務感と、静かなところに行きたいという思いからだった。
放っておくとミキオくんはカラオケなどに私を連れて行って、いいところを見せようとしているのか、これ見よがしに裏声で体をのけぞらせてラブソングを歌ってみせたりするのだ。
彼は男前のくせに気の毒なほど歌が下手なので、当面はあの歌声を耳にしたくない。
ミキオくんと知り合って二人で会うようになってから回を重ねるごとに彼という人が段々とわかってきた。
軽くマザコンの気があって、ロマンティックなシチュエーションを好み、何の記念日でもないのにシャンペンで乾杯したりすることがたまにある。
お酒があまり得意ではなく、甘党なので甘味処にヒマがあれば通ってしまう乙女のような人である。
しかしこんな聖人のような顔をしたミキオくんも、一たびベッドに入ると、彼の中に潜在する何かが目を覚ますのか、途端にサディスティックな人に変貌する。
私に目隠しをしては耳や指や乳首やらに噛みついてみたり、散々煽るような言葉を羅列しながらじらしたりするのだ。
そしていざ私と一体になると、あっさりと事を済ませてしまう。
ミキオくんのような人が行うセックスは、何となくベタなものなのだろうなと想像していた私は、その王道からズレた君主的な女の抱き方に今ではうっかりと悪くないと思ってしまっている。
そして私の中で出された結論は、彼の存在がなくてはならぬものでは決してないとしても、時々同じ時を過ごしてみようというものだった。
相変わらずそれ以外のときは彼から魅力を感じ取ることはできないし、話していても眠りを誘うだけではあるが、彼は私という人を全く理解していないので、上司からのように化けの皮を剥がされる心配もない。
恋人からの気まぐれな申し出をうれしく思ってくれたミキオくんは、もはや周りに目がいかなくなってしまったらしく、公衆の前で私の手をとって美辞麗句を連ね、私をまるで女神のように扱った。
人から褒められたりすると、新手の嫌がらせなのではと考えてしまう私は、もう結構ですと思っていると、ミキオくんが折に触れて言うつもりだったんだけど・・・と言葉を仄めかした。
「え、何?」
一応不思議そうな顔をして見せたが、考えるまでもなかった。
ミキオくんの口からは案の定二人でこれから新しい生活を始めようというセリフが吐かれた。
私の歳ぐらいになると、プロポーズされたならばスキップをするぐらい喜んでいいはずだと思うのだが、どうも足踏みしてしまう自分がいる。
「遅かれ早かれ僕たちは一緒になるんだから、機を逃さない方がいいと思うんだよね」
私はそうねと口では言いながらも、なぜこういう面倒なことになるのはわかっていたのに既婚の男、もしくはもっとハードルの高い男と付き合っておかなかったのだろうと後悔した。