第三話 凡庸な
家に着くと、そろそろ十時を回るというのに、母も妹も不在だった。
いつものようにあまり期待のできないカウンセリングを受けて消耗してしまった私は、ホームにたまたま入ってきた電車に駆け込んでしまい、案の定それは反対行きで、次の駅で下車すると目指す電車にたどり着くには階段を上がり降りしなければならない事実を知った。
何とかして地元の駅に着くと、最終のバスを待つ気にはならなかったので、迷わずタクシーを拾った。
が、あまりにも目的地が近いために乗車拒否された。
こんな日もあるかと諦め、思い切っていつもとは違う遠回りのルートを最近購入したばかりの履き心地よりも外見を重視してしまったミュールで歩いて帰ってきた。
半身浴が美容にいいというが、私は脳卒中でも起こしそうなほど熱い湯船を好む。
首まで湯船につかると、焦点の合わない目をつぶって両手で顔を包み込んだ。
ぴりぴりとしたお湯が熱いというよりは痛い。
脳裏に上司の顔を思い浮かべながら、どこでボロがでたのかと熟考する。
明日の朝もいつものように運悪く目が覚めてしまったら、自分を奮い起こして通常通りの私を演じなければならない。
なんだか上司の捕虜になったような気分になり、暗い面持ちのまま私はのろのろと風呂から上がった。
テレビを見る気になど全くなりはしないのだが、落ち着かないので音消しのままでつけておくと、タオルを巻いたままの恰好で一時間もの間無音の世界にいてしまった。
アパートの廊下にカランカランという足音が響くと、母のつっかけのサンダルの音だなと悟る。
玄関のドアのバタンという開け閉めの後に、少しすると柿の入った買い物袋を腕にかけた母が私の部屋を覗いた。
「あら、お姉ちゃん帰ってたの?」
近隣の友達の家に行っていたのだとういう。
私が頷くと母は眉をひそめた。
「そんな格好してたら風邪ひくわよ。早く服着ちゃいなさい」
うちのアパートは隙間風が吹くので、確かに肌寒くなってきた。
「そうだね」
私の返事をきいているのかいないのか、せっかちな母は隣の和室へ行くと押入れをごそごそとやり、古臭い模様の行火を取り出してきた。
「そろそろこれ使ったら?」
まだ初秋なのでさすがに早いよと苦笑いすると、あんたはすぐに風邪をひくんだから使いなさいと命令して母は私の部屋を後にした。
私の実の父親はこれまたありがちな話だが、よそに愛人をつくって隠し子まで作って家を出て行ったのだという。
父は自分が悪いことをしているというのに、その事実を母に指摘されると決まって暴れた。
私と妹は父を責めるということはしなかったが、そのような父の姿を見て浮かない顔をしていると、気分が悪くなるからどこかへ行けと怒鳴られた。
私は父のその言い草に腹を立てて、お前こそどこかよその惑星へ飛んで行けと心の中で念じていたものだ。
そんな父を弁護する家族や親戚などはどこにもいなく、彼が姿をくらますと、安否を心配するどころか、誰もが生き生きとし始めた。