7
レアの親は、普通の親だった。
暖かく、優しい両親。でも、私が産まれてしまって変わってしまった。
私の感情の変化で、災いや不幸を呼んでしまう。だから、親は私を捨てた。そして見た目の珍しさで奴隷商に囚われた。
買い手が決まるまで、私はずっと閉じ込められていた。でも、どうでも良かった。
私は魔歹姫なのだから、誰にも貰われないに決まっている。こんな私なんか、誰も助けてはくれない。
そう信じて、感情を無くした。私が悲しめば、怒れば、苦しめば、災いが周囲の人に降り注ぐ。もう、これ以上傷付くのは嫌だった。
なのに、私はあの時、差し出された手を取ってしまった。
彼を不幸にしてしまうかもしれないというのに、その手を取らずにはいられなかった。
ただ頼る相手がいないから頼っただけかも知れない。依存しているだけと言われても反論出来ない。
でも、どうしても。
私は、彼と一緒にいたかった。
バァン、という音が、吹き抜けになった王宮に木霊する。それと同時に、レヴィンの体が宙に浮き、落ちた。
「レヴィ……!」
キラキラと、月光に照らされて、赤い血が舞った。
そのまま落ちそうになったレヴィンだが、右手の鎖が何処かに引っ掛かったのか、宙ずりになってフラフラと揺れる。その様子は、まるで首を吊った死体のようで。
「あ、あ……」
ねぇ、レヴィン。なんで動かないの?
なんで、身動き一つしてくれないの?
それじゃあ、まるで死んでしまったようじゃない。
茫然とする私に、見知らぬ男の高笑いが聞こえる。
「ハハハハハ!所詮は子供だなっ!呆気なく死んじまったぜ!アハハハハハ!!」
なんで、笑っているの?
レヴィンが死んだのは、あいつのせい?
いや、私がレヴィンを探しに牢屋から出たから。
私が、レヴィンを求めたから。
こんなことになるなら、レヴィンを探しに行かなきゃ良かった。
レヴィンが死んでしまうくらいなら、あの時、
レヴィンの手を、取らなければよかった。
「っ……!!」
レアが泣き崩れると同時に、彼女は闇に包まれた。
体が揺れる感覚で、俺は意識を取り戻した。と同時に右腕に激痛が走り、一気に意識が覚醒する。
「ッハ、いっで……」
鎖が命綱となってくれたお蔭で、俺は下に落ちずに済んだらしい。が、全体重の負荷がかかった右腕は、ズキズキと痛みを発している。よく見ると、右肩の肉が抉れるようにして無くなっていた。どうやら、マーカスが打った銃弾は俺の肩を抉る程度に終わったらしい。が、いきなり右肩に激痛が走ったせいで、少しの間意識を飛ばしてしまったみたいだ。
「そうだ、レアは……」
宙ずりになりながら、下を見る。
レアがさっきまでいた場所に、黒い球体が出来ていた。
丁度、直径二メートル位だろう。地面と接する場所からは黒い液体のようなものが滲み出ていて、地面を汚していた。それは、まるで地面に落ちた熟れた果実を彷彿とさせる。月光に照らされ鈍く光るその球体を中心に、不気味に風が舞い上がった。
「レア……?」
「マーカス様、小僧、まだ生きてます」
野太い声に上を見上げると、マーカスが忌々しげに俺を見下ろしていた。
「チッ、昔から悪運だけはあるみてぇだな。次で仕留める」
「っ……!」
まずい、この状況じゃあ身動き出きない。
どうにかしようにも宙ずりの状態じゃ何も出来なく、ただ焦りの中でマーカスの拳銃を見つめる事しか出来なかった。
が、マーカスの隣にいた二人の男がいきなりふわりと宙に浮かび、その引き金は引かれることはなかった。
「なっ、お前ら!?」
俺の隣を落ちていく男たちに驚き声を荒げるマーカス。そのマーカスの腕に、白銀の刃が突き刺さる。
「子供を虐ることは感心しないな」
その刃を引き抜かれ、悲鳴を上げながら倒れ込むマーカスの後ろ。そこに、見覚えのある金髪がいた。
「お前……、ホークス?」
「お、名前覚えてくれたんだ」
前に俺を蹴って気絶させた兵士、ホークスは、へらりと緩く笑った。
「少し痛いだろうが、我慢しろ」
ぐいっと鎖が引かれ、右肩に激痛が走る。歯を食いしばって耐えつつ、俺はホークスに引き上げられながら地面へよじ登った。
「貴様ぁよくもぉ!!」
「あんたは黙ってろ」
目を血走らせて叫ぶマーカスの、怪我をしていない方の腕を突き刺す。甲高い喚き声を放つマーカスは、ゴロゴロと地面を転がった。
「いいのか?あいつ、貴族だろ?」
「伯爵であるマーカスよりも、公爵である君の方が大切だ。長いものには巻かれろって昔から言うだろ」
パチリとウインクなどしてみせるホークスに感謝しつつ、俺はレアがいた場所を見つめた。
「レア……、どうなってんだ?」
「魔歹姫の本領発揮だよ」
答えを教えてくれたホークスは、無表情で説明する。
「彼女は今、数多の災いを呼んでいるんだ。このまま放置しておけば、何が起こるか分からない」
「……じゃあ、どうすんだよ」
「それは……」
ホークスが眉間にシワを寄せた時、地響きのように獣の声が響いた。
「なんだ……!?」
空が陰り、月も雲に覆われる。なのにどこか昼間のように明るく、雲の隙間が不気味に赤く瞬いた。その雲間から、黒い影が何十匹も降りてくる。
「魔物だ……」
茫然と呟くホークス。様々な形をしている異形の魔物は、街に、王宮に、そして俺たちがいる場所にも降りてくる。
ズズン!と俺たちの目の前に降り立った、龍の姿をしている魔物は、両腕から血を流すマーカスを見つめた。
ビクリと震えるマーカスに狙いを定め、強靭な足で地面を蹴ったその龍は、目にも止まらぬ早さでマーカスの腹に噛みついた。
「ギャアアアア!!ゲボッ、ゲァッ!!」
口から大量の血を流すマーカスは、弱々しく抵抗をみせるも、龍は両翼を広げてまた空に飛び立つ。
「なんで、魔物がこんなところに……」
「彼女が召喚しているのだろう。こうなっては、彼女を討伐するしか方法がない」
「はぁっ!?ふざけんな!」
『討伐』という言葉に反応して激昂するも、ホークスは静かに俺を諭してくる。
「仕方がないんだ。君だって、魔歹姫に出会ってまだ幾日しか立っていないんだろう?何故彼女にそこまで味方する」
「俺は……!」
「君はスラムで生活し、ひとりぼっちの人生を歩んできた。君は、彼女に自分を重ねて、同情して手を差しのべているだけだ」
「黙れっ!!」
ほとんど反射的に、左手がメリーから借りた剣に伸びた。そのまま鞘から取りだし、横凪ぎに振るう。
ホークスは俺から離れて、剣をかわした。
「あんたがレアを殺すっていうなら、その前に俺がお前を殺す」
「……そうまでして何故彼女にこだわる?君にはもう、帰る場所も、優しい両親も、平和な生活だって手に入れただろう!もう魔歹姫に関わるなっ!」
「嫌だっ!!」
怪我をしている右手にも剣を握る。二本の剣を構えながら、俺は力任せに怒鳴った。
「やっと気づいたんだ。やっと気づけたんだ!あの家で生活して、愛されていると自覚して!俺は最初、レアを助けたのは二人しかいなかったからだと思ってた。あんたの言う、同情なのかもと思ってた。でも違ったんだよっ!!」
数多の獣の咆哮が王宮内に木霊し、不気味に風が巻き上がる。だけど、俺はそれでもレアを捨てるわけにはいかなかった。
想像した。
あの家で、一生を『レヴィン・ベルヴァルト』として過ごす日常を。
それはきっと。
暖かくて、素敵なことなんだろう。
だけど、あの場所にはレアがいない。
一番欲しいものが、ないのだ。
「俺は、そんな理由であいつに手を伸ばしたんじゃない!俺は、最初からあいつが欲しくて手を伸ばしたんだ!俺は、最初から!」
あの虚ろな目をした儚げな少女の事が、
「レアの事が、ずっと好きだったんだよ」
微かに笑って、俺は走り出した。
レヴィンの微笑みに見入っていたホークスは、レヴィンが自分の懐に入り込んだ時にハッと我を取り戻した。
下からの攻撃に、慌てて剣で対応する。流石に子供の攻撃なだけあって、そこまで重い攻撃ではない。だが、それをカバーするかのように、凄まじい速さの攻撃が多数繰り出される。
「クッ……!」
相手の嫌がる所に、違わず突き出される攻撃。相手は怪我をしている子供だというのに、ホークスは圧倒されていた。
(なめんなっ!)
思いっきり力任せに剣を振るう。斜め上から放たれるその攻撃に、レヴィンは剣で防御もせず、紙一重でかわしてしまう。
「っ!」
そして繰り出される、勢いのある蹴り。
しっかり綺麗に鳩尾に入り、ごほりと肺の中にあった空気が吐き出された。
「ぐっ……!」
体制を立て直そうとするも、レヴィンの攻撃がそれを許さない。上から降り下ろされた二本の剣を防げば、回し蹴りがホークスの脇腹に刺さる。
ぐらりと体が傾げた所に、瞳孔を見開いたレヴィンが刃を突き出す。
(や、ばっ……!)
傾いだ体に、鈍く光る刃が近づく。ホークスはその切っ先を、ただ見つめることしか出来なかった。
体が地面に倒れると同時に、ドスッ、という音が聞こえた。グッと体に力をいれるが、いつまで立っても自分の体を異物が貫く激痛は訪れない。
「……?」
「お前はそこでじっとしてろ」
すっと立ち上がったレヴィンの手には、確かに剣が一つ無くなっていた。自分の脇腹を見てみれば、服を床に縫い付けるように剣が一本、地面に突き刺さっていた。
「その剣、メリーに返さなきゃいけねぇから無くすなよ。てめぇはここで、俺がレアを助けるのを黙って見てろ!」
レヴィンは左手にある剣を握り直し、ホークスに止めを刺さずに駆け出した。
ホークスはその後ろ姿を、黙って見つめることしか出来なかった。