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「な、なんだっ!?」
「地震!?」
慌てふためく二人だが、俺はいきなりの地震に驚くことなく、右手に繋がれている鎖を思いっきり引っ張った。
「きゃあっ!」
地震のせいで足場が悪いせいもあり、ルナーティアが前のめりになり鎖を離す。鎖をまた捕まれないように引っ張りながら、俺は走り出して扉をこじ開けた。
「おい、レヴィン!」
(大丈夫、この数日間で屋敷の構造は大体把握している)
アルフォンスの声を無視して、そのまま廊下をまっすぐ進み、おもむろにそこいらにあった置物を手に取る。
重たいそれを、突き当たりにある大きな窓ガラスにぶち当てた。
ガシャアンッ!と大きな音を立て、窓が割れる。破片で怪我をしないようにしつつ、俺は窓のサッシに足をかけた。
「レヴィン!止めなさい!」
アルフォンスの制止も聞かず、二階の窓から飛び出す。そのまま近くの木の枝に腕を伸ばした。パシッと手のひらに木の感触が伝わった。
(よしっ!)
ひょいっと木の上に足を付ける。ここから飛べば、楽々塀を飛び越えられる。
フレシアはいきなりの揺れに飛び起きた。
「な、地震?」
地震など何年ぶりだろうか。いきなりの災害に戸惑いながら、心に思い浮かぶのはつい先日戻ってきた自分の息子だ。
「早く、レヴィンのところへ……!」
きっと不安に思っている。早く行って、抱き締めてあげて、安心させてあげたい。そう思ってベッドから起き上がったのだが、いきなり聞こえた耳障りな音に身を竦めた。どこかの窓が割れる音だ。
「一体、なにが……」
慌てて窓に近寄ると、がさりと目の前の木が揺れた。そこにいたのは、
「レヴィン!」
自分の、愛する息子だった。
なんでそんなところに。危ないから、早く下ろさせなきゃ。そう思うのに、一向に体は動いてはくれない。
月光に照らされるレヴィンは、フレシアを見下ろして、
『ごめん』
それだけ言って、木から飛び降り塀の外へと消えていった。
フレシアは、どうしてだか、そこから一歩も動けなかった。
街を走ってみると、人々が怯えた様子で道に出ていた。家が潰れるほどの振動ではないものの、ずっと収まらない揺れは人々を困惑させる。その中に、見覚えのある人物がいて、俺は思わず声をかけた。
「メリー!」
俺の声にすぐに反応したメリーは、俺が近づくといきなり怒鳴り散らしてきた。
「あんた!どこいってたんだい!?それとレアって子はどうしたのさ!」
「レア、今王宮に監禁されてんだ」
「はぁ!?」
「それよりも、俺に剣を二本貸してくれ!短剣でもいい!これから王宮にいって、レアを助けてくるっ!」
「……だけどね、あんたみたいな子供一人でなんて……」
「いかなきゃいけないんだよっ!レアが待ってんだっ!」
メリーは苦虫でも噛み潰したかのような顔をして、サッと店の中に入っていった。そしてすぐに出てきた彼女の手には、二本の短めの剣が握られていた。
「ほら」
渡された剣をマジマジとみる。刃こぼれしていない剣は一目見ただけで磨き抜かれ、大切にされているのが分かる。柄には美しい装飾がされていて、けっこう高いものなのだろう。
「メリー、これ……「死んだ、夫のだよ」」
その声にハッとメリーを見上げるが、メリーは明後日の方向を向いているせいで、その顔は見えない。
「夫が大切にしていたもんだ。ちゃんと、返しにくるんだよ。あの子と一緒にね」
「……ああ、必ず返しに来る」
メリーの顔も見ずに、俺は走り出した。
王宮地下室。
「おい、なんだこれはっ!」
いきなりの振動に、牢屋の見張りが声を荒げる。地面が振動しているというよりも、空気が振動しているように思えた。
「レヴィン」
小さな、少女の声。
まさかと思い、最奥にある牢屋の中を見つめる。そこには、宙を見上げる、真っ白な一人の少女。
その少女を縛りつける鎖が、黒いモヤに覆われていた。まるで闇に溶け込むかのように、黒いモヤに覆われた鎖は消えてしまっていた。
「レヴィンが、探してる。レヴィンが私を呼んでくれた」
「これはお前の仕業か!?」
「だから、行くの。レヴィンのとこに」
うわ言のように呟くレアは、ゆっくりと立ち上がった。黒いモヤが牢屋の鉄格子に巻き付き、腐食していく。そして、ゆっくりとレアは牢屋から出てきた。
「動くなぁっ!」
たまらず、兵士は棍棒をレア目掛けて降り下ろす。も、レアに棍棒がぶつかる前になにか堅いものに阻まれ、まるで透明な水晶を殴ったかのように、黒い亀裂が数個空間に散る。
「邪魔、しないで……!」
見上げるレアの金色の瞳が、煌めく。
と同時に、男の体がぶっ飛んだ。
数メートルは吹っ飛び、壁に激突して止まった男は一度大きく咳き込んだ。
「がはっ……!」
「レヴィン」
気絶する男など放って、レアは歩き出す。
全ては、レヴィンの為だけに。
王宮は、まるでハチの巣をつついたような有り様だった。兵士は混乱する町へと駆り出され、侍女は上へ下への大騒ぎ。中にはずっと揺れているせいで具合が悪そうにしている人もいる。
俺はその混乱に乗じて、王宮の中に入り込む。
人影から人影へ。よくスリをやる時にやっていた。
「よし……」
簡単に王宮の中に入り込めた俺は、物陰に隠れながら辺りを見回す。赤いカーペットが敷き詰められた王宮は、何個もの扉がずらりと並び、正直嫌気がさしてくる量だ。そして、人に見つからずにレアを探し出さなくてはいけない。
(レア、待ってろよ)
空気がビリビリと振動している気がした。逸る気持ちを押さえつつ、俺は階段を上っていった。
「って、何部屋あるんだよこれ……」
膨大な扉の数に呆れながら、とりあえず手当たり次第開けていく。どの部屋も豪華絢爛で、どうも牢屋という感じはしない。
(くっそ、王宮の見取り図とかわかんねぇし……。牢屋って普通どこにあるんだ?)
初めて会った時に塔の最上階に監禁されていたから、おんなじようだと思っているのだけど、もしかしたら違うのかも知れない。
焦りと苛立ちが自分を少しずつ追い詰めていくのを自覚しながら、だけど俺は一つ一つ確認していくしかできない。
またもう一つの扉を開けようとして、俺は凄まじい破壊音に思わず身を竦めた。
「大人しくしなさい!」
ガギンと金属がぶつかるような音がして、レアはそちらの方に視線を向けた。
そこには、こちらに刃を突きつける兵士たちの姿。
自分たちの攻撃が不可視の壁に阻まれたことに、その顔が恐怖に彩られる。
「……こないで……!」
キィン!とレアの目が煌めく。
レアの周囲に黒い刃物のようなものが現れ、次々と兵士に襲いかかる。
慌てる兵士は刃物と交戦するも、相手の弱点が分からないこと、魔歹姫が相手ということに恐怖を感じて、腰が引けてしまっている。
たまらず、一人の兵士がレアに向かって叫んだ。
「こんな事をしていいと思っているのか!?君はベルヴァルト公との約束を忘れたのか!」
今まではそれが彼女の拘束具となっていたはずだ。それなのに、一体何故いきなり暴れだすのか。
兵士の質問に、レアは眉一本動かさずに答えた。
「でも、レヴィンが私を呼んだから。レヴィンが私を探してる。だから、いかないと」
答えになっていない回答に、ついに兵士はぶちギレた。
「なに勝手なことを言っている!君が約束を違えるということは、あの少年が殺されてもいいということなんだなっ!?」
とっさに出た言葉。
だけどそれは、決して言ってはならない言葉だった。
「……レヴィンを、もう傷つけさせなんか、しない……!」
レアの周囲の空間に散る黒い亀裂が、増えた。
その亀裂の間から、黒き光線が兵士たちのすぐ横を通った。
「うわぁっ!」
「崩れるぞっ!」
光線は兵士たちの足下を切り裂き、なすすべがない兵士たちはそのまま下へと落ちていく。
「させない。レヴィンに怪我なんか、させないっ……!」
レアを囲むように黒い円が出来る。それはクルクルと回り、円の直径を一気に広げて天井にぶつかった。それはそのまま天井を貫き、侵食し、レアの上にあったほとんどのものを飲み込んだ。
レアが、上を見上げる。
そこには、見覚えのある黒髪の彼がこちらを見下ろしていた。
バガァンッ!という破壊音に、レヴィンは思わず身を竦めた。すぐ近くの壁が、パラパラと崩れる。銃弾が当たったようだった。
「やぁやぁ!これはレヴィン殿ではないですか!」
後ろを振り向くと、こちらに歩み寄る男が三人。その真ん中にいる男はどうみたって貴族のようだった。そいつの手には拳銃が持たれていて、薄く煙を吐いている。
すかさず剣を取り出して、構える。
「あんた、誰」
「名乗り遅れて申し訳御座いません。私はマーカス・トレンティア。トレンティア伯爵家当主であり……、数年前、あなたを殺そうと目論んだ貴族の一人です」
「……へぇ?」
レヴィンは片目を眇めて笑った。こいつが、俺をスラムの街で生きていく原因になった男か。怒りは沸くが、それは些細な怒りだった。
「で?俺を殺しに来たってわけ?」
「端的に言えば。あなたがベルヴァルト家にいる時から、ずっと殺す機会を狙っていたんです」
マーカスは拳銃の照準をゆっくりと俺に向ける。
「さようなら、少年よ」
その引き金が引かれる前に、俺は走りだそうと身を屈め……、
ズズン、と大きく王宮が揺れてたたらを踏んだ。
「なっ、なんだっ!」
マーカスが喚くも、そんなことに構っている時間はない。もしかして、レアか?と周囲を伺った次の瞬間。
俺の隣にあった扉が、一瞬でなくなった。
「う、わっ……?」
一瞬にして、王宮の真ん中がくり貫かれたようになくなる。直径20メートルはあろうその穴。吹き抜けとなったその中心に目を向ければ、もう見慣れた、銀髪の少女がこちらを見上げている。
「……レヴィン!」
嬉しそうに笑う彼女につられて、たまらず俺も声をかけようとした。が、
「死ねぇ!」
マーカスの声に、後ろを向く。こちらに銃口を向ける彼の指は、既に引き金にかかっていて。
俺は避ける間もなく、その銃弾に打たれた。