4
翌朝。
「じゃあ、俺とレアが住み込みで働ける場所を探すか」
またメリーの店で朝食を食べつつ、俺たちは今後の事を話し合っていた。
朝だからか、人は少ない。パンとサラダ、ウィンナーとスクランブルエッグというシンプルな料理を胃に詰め込む。
レアは昨日の事はもう大丈夫なのか、いつもと同じように見えた。だけど、黒のバレッタを上手く使いこなせなかったのか、昨日のような複雑な髪形はしていない。
「俺は寝る場所がなくても良かったけど、あったほうがいいしな。俺は基本なんでも出来るけど、レアはなんか特技あるか?」
「…………あんまり」
「そっか、まぁなんでもいいや。取りあえず職探しだ」
朝食を腹に納めて立ち上がる。レアも俺に合わせて、慌てて口の中に食べ物を詰め込みだした。
「待ってるからゆっくり食べろよ。俺は食器片付けるだけだから」
「……うん」
ハムスターのように頬を膨らませるレアを見て苦笑いしつつ、俺はメリーに自分が食べ終わった分の食器を渡した。
「メリー、旨かった」
「あいよ。これから職探しかい?」
「まぁね。二人いるからちょっと厳しいけど」
「まぁ、でももし駄目なら、うちでベッドだけ貸してあげるよ」
「え、マジ?」
思わぬ提案に、俺の気分が高揚する。も、メリーの大きな手がベシッと俺の頭をひっぱたいた。
「勘違いすんじゃないよ、あのレアって子の分だけだ。あんたは自分の稼ぎでなんとかしな」
「それでも助かる。ありがとうメリー」
「ふん、あんたに礼を言われる筋合いはないよ」
お礼を言うが、メリーはそっぽを向くだけだった。メリーらしいといえばメリーらしいが。
「レヴィン。あんた、あの子を大事にしなよ」
「……なんだよ、いきなり」
いきなり、しんみりとした声でそう言われて驚く。メリーは慈しむような目で俺を見た。
「今までのあんたは、正直見てらんなかったよ。危ない橋を何度も渡って、人殺しも覚えて。自分の身を省みないでさ。そりゃ、身寄りのないあんたなら仕方がなかったかもしれない。だけど、あんな荒んだ目付きを見てちゃ、あたしゃ、苦しかったよ」
メリーの大きな手が、俺の頭を乱暴に撫でる。
「でもね、あの子と一緒にいるあんたは、年相応の子供みたいに笑っててさ。あんたは、あの子がいるからって腑抜けにはならないし、必要ならば殺しだってするだろう。でもね、あの子は大事にするんだよ。あんたがあんたでいられるように」
「……分かってる」
俺はメリーにされるがまま、頭を撫でくり回された。
以前までは、こんなことされたら絶対怒ってたのに。今は何故だか怒りが沸いてこない。そのかわり、くすぐったいような、こっぱずかしいような感じがした。
「……美味しかった、ありがとう」
小さな呟きに振り返ってみれば、空になった食器を運ぶレアの姿。メリーはレアから食器を貰って、奥に引っ込んだ。
「じゃ、いくか」
「うん」
左手を出すと、レアは嬉しそうに顔を綻ばせて右手を乗せる。俺も自然と微笑んだ。
小さくて暖かいその手を、俺は離さないようにしっかりと握った。
表通りは相変わらずの人混みだ。人の間を縫うようにして、俺とレアは前へと進む。
「まず、南区にいくぞ。南区は庶民が多く住んでるし、治安もそこそこだ。南区で駄目ならここいらで探すしかないけど」
「大丈夫。レヴィンと一緒なら、どこでもいい」
変わらない返事に思わず笑みが零れる。大丈夫、等分は金には困らない。なんとかなる。
そう前向きに考えたところで、視界の端になにかが見えた。いつもの風景にはない異物に、顔をしかめる。
「……なんで騎士がいるんだ?」
国直属の兵士である騎士の姿が街中にちらほらと見える。奴らは青い制服を来ているので見分けがつきやすい。普通は王宮にいるはずなのに……。事件でも起きたか?
昨日の事があったので、思わず人影に隠れてやり過ごす。
「……レヴィン?」
「レア、なんか知らねぇけど、騎士がいるから気をつけとけ」
そう言いながら、レアを見るために後ろを振り向く。
きょとんとした顔で俺を見るレアの後ろに、こちらに歩いてくる二人組の騎士が見えた。
その二人と、視線がかっちりと噛み合う。
「ッ!」
咄嗟に俺は走り出した。人混みをかき分け、裏路地へと逃げ込む。後ろから、『待てっ!』という声が微かにだが聞こえた。
「レヴィン!」
「こっちだ!」
レアの手を離さず裏路地を進む。四つ角を右に曲がろうとして、その右の通路から別の騎士がこっちに走ってきて足が止まった。
「チッ!」
曲がらず真っ直ぐ走り出す。追いかけてくる足音がドンドン増えていっている気がした。焦りが心拍数を高めていく。
と、目の前の曲がり角から、また別の騎士。その数三人。
「ッ!!」
レアの手を離して騎士に向かって一人で突っ走る。ダガーを取り出すと、騎士も剣を取り出す。
「君!止まりなさい!」
「っら!」
静止を促す騎士の懐に入り込み、鳩尾を殴り、アッパーを喰らわせる。げほりと空気を吐き出す兵士から離れた。
ヒュッ、という、空気の切れる音。
「ッ!」
反射的に後ろにまた下がる。俺が今までいた所に剣が振り落とされる瞬間だった。
「フッ」
小さく息を吐いて、降り下ろされている腕に両手を乗せる。そのまま体を回して、騎士の頭を蹴って強く揺さぶる。
「ガフッ!」
(あと、一人!)
地面に着地して、飛びかかろうとした瞬間だった。剣が、俺に向かって突き出された。
「ッ!」
慌ててダガーで切っ先を弾く。よく見ると、それは刃を潰されている練習用の剣のようだった。残った金髪の騎士がひゅう、と口笛を吹く。
「いやぁ、まさか弾かれるとはね」
軽い言葉とは裏腹に、重い一撃が降り下ろされる。体勢を崩している俺はその一撃をダガーだけで受け止めた。
ビリビリと、腕に衝撃が走る。
その衝撃をなんとか紛らそうとした時、金髪の騎士の重い蹴りが鳩尾に突き刺さった。
「かはッ……!」
呼吸が止まり、衝撃に視界が真っ白に染まる。意識が一呼吸分消えて、気かつけば俺は金髪の騎士に地面に押し付けられていた。
「ぐっ……!」
「どうどう、大人しくしろよ。そうしたら痛くなんかしないから」
横目でレアを確認する。レアは怯えた表情をしながら、他の騎士に拘束されていた。
「なんだよお前ら!俺たちをどうするつもりだよ!」
「なんてことないさ」
口と鼻を塞ぐように、白い布が覆う。その布から香る甘ったるい臭いを嗅いだ瞬間、俺の意識がぷつりと途絶えた。
「ただ、お前を元の世界に戻してやるだけだ」
夢を、見た。
それは、記憶の中にある一番最初の記憶。
燃え盛る火は、見知らぬ部屋を覆い尽くし、視界を赤く染めていく。
『火を消せ!』『避難しろ!』『子供が消えた!』という大人の声が、いつまでも耳の中で木霊して。
やっとこ外に出た俺は、炎に包まれる屋敷を、ただ呆然と見ているしかなかった。
ただ、耳にあるピアスが、焼けるように痛かった。
「……ん…………」
ぼんやりと、自分の目が開いた。
真っ白な天井が目に入った。フワフワと頭の中が朦朧として、上手く思考が繋がらない。
「お目覚めですか?」
見知らぬ女の声が聞こえて、俺は反射的に飛び起きた。が、腕が何かに引っ張られる感覚がしてまたバフリと倒れ込む。
「ああ!レヴィン様、動かないで下さいませ」
声のする方向に目をやる。そこには、白と黒のメイド服を着た女性が立っていた。まだ20代くらいだろうか。金髪の髪を縛りあげたその女が心配そうな顔をしかながら、俺に近寄っていた。
「触るなっ!」
伸ばされた手を右手で思いっきり払いのける。ジャラッ!という聞き慣れた音がして、俺は右手に違和感を感じた。
見てみれば、銀色の手錠が繋がっていた。
またこれか、と思いながら、辺りを見回す。日当たりが良い部屋なのか、太陽の光が部屋の中を照らしている。赤いフワフワな絨毯や、模様が凝っている机やソファ。俺はキングサイズはあろう大きなベッドに横になっていた。
一目で、どこかの貴族の寝室だと分かる。
金髪の騎士に押さえつけられたところまで思い出した俺は、メイドを睨み付けた。
「……レアはどこだよ」
低い声で唸ると、メイドらしきその女は恭しく頭を下げた。
「申し訳ございませんが、その事はお話出来ません」
「なんでだよ!」
「レヴィン様。あのようなお方は、もうお忘れになって下さい」
メイドの言葉に、カッと頭に血が昇る。左手が女の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「レアは、どこだ」
ドスをきかせると、女は目を見開きゴクリと喉を鳴らした。
「レ、レヴィン様、」
「早く言えよ。レアはどこだっ!」
大声を出したら、ツキリと鳩尾が傷んだ。あの騎士に蹴られた場所だ。思わず体を折り曲げる俺の背中を、女は優しく撫でる。
「レヴィン様。私たちは貴方様を害する者ではございません。どうか気をお沈め下さいませ」
「ゴホッ、……うるさいっ」
女の手を払う。どうすればいいのか悩んでオロオロする女は、いきなり聞こえたノック音に姿勢を正した。
「どうぞお入り下さいませ、旦那様」
ゆっくりと、扉が開く。
そこに立っていたのは、黒髪と青の瞳をした貴族だった。
40~50位だろうか。黒の髪には少しだけ白髪が混じり、顔にもシワが目立つ。
男は無言のまま俺に近寄り、俺の耳に付いているピアスを触った。
イラついている俺はその手を振り払うも、男は嬉しそうに笑った。
「ああ、間違いない。レヴィンだ」
呟く声は、僅かに震えていた。
「あんた、誰。レアはどこだ」
男は目頭を押さえつつ、『ああ、すまないね』と言って、ひたと俺を見据えた。
「私はアルフォンス・ベルヴァルト。ベルヴァルト公爵家当主だ」
「で、なんでそんなお貴族様が俺を鎖で縛ってんの」
「君にはその事を含めて、色々と話さなきゃいけない事があるんだ」
その男はベッドの端に腰掛け、俺を見る。その瞳の中に優しさが垣間見えて、俺はイライラしながら男の言葉を待った。
「正直に言おう。レヴィン、君は私の息子だ」
「…………はぁ?」
「本当だ。その証拠が、君の片耳に付いているピアスだよ。君の名前はそのプレートに書いてあるものから取ったのだろう?」
思わずピアスに触れる。そこにはうっすらと『レヴィン』という文字が書かれているのは、俺もよく知っている。
身寄りがいなく、自分の名前も分からない俺は、このプレートに書かれている名が俺の名だと勝手に思い込んでいた。
だけど、俺とアルフォンスという男の似ている部分など、黒髪と碧眼しかない。男の肌は白いが、俺は薄い褐色だ。そんな俺の疑問に答えるように、アルフォンスはスラスラと喋っていく。
「君は、私の妻フレシアから産まれたのだが、その時丁度王位継承権の問題が発生していてね。次の国王が誰になるかの話し合いが成されていた。私は前国王の従弟になるのだが、君にも少なからず王位継承権がある。そんな君を無き者にしようとした貴族たちが、まだ幼き君を連れ去ってしまった」
「……」
まるで小説か夢物語のような話に、俺は言葉が出ずにいた。俺が貴族で、しかも王位継承権がある?
スラム街の隅で、食べ物に飢え、殺しをして、寒さに震えて、毎日を生きることだけで精一杯だった、この俺が?
「慌てて私は君の跡を追った。しかし、君を連れ去った貴族たちは君が逃げ出してしまって行方が分からないと言っていた。死体も見当たらず、ただ私は、黒髪で碧眼、褐色の肌、片耳に『レヴィン』という文字が入った金のピアスをしている子供を探し回ったんだ」
「…………」
「困惑していることは分かる。だが、ゆっくりとでいいんだ。この屋敷で暮らして、ゆっくりと、元の家族に戻ろう。君の母親である、妻のフレシアも、君に会いたがっているんだ」
優しく笑うアルフォンスが、俺に手を伸ばす。その指先が俺の頬に触れる前に、俺はその手を払いのけた。
「……レヴィン」
困惑と悲しみが詰まった声に対して、俺は低く呟いた。
「俺が、あんたの息子だということに、俺は否定出来る要素は今のところない。だけど、今はそんな所よりも、レアの事が先だ。レアは今どこにいる」
アルフォンスが、ぐっと言葉に詰まる。
「……彼女は、レアノワーティスは、王宮の地下室に幽閉されている」
「はぁ!?なんでだよ、レアはなんにもしてねぇだろ!」
怒りに任せて怒鳴ると、アルフォンスは俺から視線を外した。
「彼女、レアノワーティスは、魔歹姫という能力を持つ神にも等しき存在だ。魔歹姫は、夜と魔を統べる神。この国に災いをもたらす可能性がある彼女は、王宮に監禁されている」