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「なんかあったら私を頼りなよ、レヴィン」
「ああ、またなメリー」
満腹になった俺たちは、メリーに別れを告げてまた表通りに出た。午後になってますますごった返す中を、真っ直ぐ進む。左手はレアの右手を引っ張っている。
「次は、どこ?」
「服屋だ」
適当に庶民向けの店に入り、新しい物と交換する。俺の服は被った血のせいでお世辞にも綺麗とは言えないし、レアの服装ももっと庶民向けのものにする。と、店の端に売っていた髪留めに目がいった。
「レア、一つ選べ」
「……いい、の?」
困惑したようにこちらを見上げる。
「その長い髪じゃ邪魔だろ」
膝下にまで届く髪は、動く時に邪魔になるだろう。早くしろと催促すると、レアはおずおずと一つの髪留めを手にした。黒地に金の花の装飾がされたバレッタだった。
「これも頼む。悪いけど、留めてやってくんない?」
店員に頼むと快く引き受けてくれた。新しい服に着替え、店先で待っていると、レアはすぐに出てきた。
綺麗に編み込みをされ、お団子にしたレアは、気まずそうにしながら俺に近づく。
「……レヴィン、変?」
「変じゃないよ、似合っている」
素直に褒めると、レアは頬を赤らめて笑った。俺が見る、初めての笑顔だった。
「レヴィン、次はどこにいくの?」
「……いいとこだよ」
俺は、レアの顔を見ずに呟いた。
大きな白亜の建物。きゃいきゃいと騒ぎ立てる子どもの声を聞きながら、俺は二人いる門兵へと近寄った。
「こいつを、ここに入れてやって欲しいんだけど」
しっかりと武装している兵士にそういうと、兵士は黙ってレアと俺を見た。
「ふむ……。少し上の人と話してくるよ。君たち、名前は?」
「俺はレヴィン。こいつはレア」
「分かった。少し待っていなさい」
一人の兵士が白亜の建物の中に入る。レアがくいくいっと俺の服を引っ張った。
「レヴィン、ここ、なに?」
「…………」
「お嬢ちゃん、ここは王立孤児院だよ」
無言になる俺の代わりに、残った門兵が優しい声で話しかける。レアは、こてんと首を傾げて『孤児院?』と繰り返した。
「親や家族がいない奴らが来る場所だ。大抵が、どこかの金持ちか貴族の養子になる。お前は見た目がいいから、きっと入れるよ」
「……レヴィンは?」
「……俺は、入らない。だから、お前と俺はここでお別れだ」
レアの虚ろな目を真っ直ぐ見て宣言する。レアは困惑した様子で、今にも泣き出しそうだった。
「……レヴィンと別れるの、やだ」
「でも、ここに入れば命の保証は出来る。根なし草よりましだ」
「…………やだよ」
「レア、俺のことなんかすぐに忘れる。寂しいのも少しだけだ」
小さな子に言い聞かせるようにしながら、頭を撫でてやる。だけど、レアは俺の服を離さない。
「お嬢ちゃん。大丈夫、彼はここに入らなくてもきっと生活できるし、寂しくてもここには沢山のお友だちがいるから」
こういうことはよくあるのだろう。門兵が優しく声をかけるが、レアは俯いたまま『いや、いや』と小さく呟くだけだ。
困った俺と門兵が顔を見合わせる。
「おいっ!」
鋭い声が聞こえて、俺は顔を上げた。孤児院から出てきたさっきの門兵が、慌てた様子でこっちに走りよってきた。
「もう一度、名前を確認させてくれ」
「レアのことか?」
「お前の名は?」
「レヴィンだけど……」
一体なにをそんなに慌てているのか分からないが、どうやらかなり重要なことらしい。
「お嬢ちゃんはこの門兵の人と孤児院の中に来なさい。君は、こっちだ」
有無を言わさず男が俺の腕を掴む。さっきまで話をしていた方の門兵が、レアの腕を掴んだ。
「おい、どういうことだよ!」
「いいから、来なさい。悪いようにはしないから」
ぐいぐいと俺を引っ張る門兵は、どうやら俺の意見は聞く耳をもっていないらしい。レアの方を向くと、レアは綺麗な顔を歪ませてこっちに走ろうとしていた。だが、
「大丈夫、心配ないよ」
もう一人の門兵が、レアを押し止める。
「……やだ、やだ!レヴィン!!」
「レア、大丈夫だから。心配すんな」
声をかけるものの、レアは目に涙を溜めるばかりだ。
「寂しいよ……。一人にしないで、レヴィン、イヤだッ!!」
そう、レアが叫んだ瞬間、
レアに触れていた門兵のグローブが、溶けた。
「……え?」
ジュワ、という音が聞こえた気がする。いきなり革のグローブの指先が真っ黒になり、驚いた門兵がレアから離れてグローブを地面に投げ捨てる。
グローブはそのまま黒いモヤのようなものに包まれて、まるで炎に包まれた木の葉のように消えていってしまった。
一瞬の、沈黙。
「……っ」
俺を真っ直ぐ見つめるレアの瞳から、涙が一滴零れた。
「貴様!一体なにをした!?」
グローブを無くした門兵が、態度を豹変させてレアに問い詰める。びくりと肩を震わせたレアが、一歩下がった。
「レア!」
俺の声に反応して、レアが固まる。レアに意識がいっている門兵の手からすり抜けて、俺はレアへと走り出した。
「君!待ちなさい!」
門兵の手が伸びるが、その手を避けてレアへ走る。怒りに身を任せた門兵が、レアに向かって棍棒を振り上げている最中だ。
俺は腰につけてあったダガーを取りだし、レアと門兵の間に割り込む。降り下ろされた棍棒を紙一重で避けて、降り下ろされた腕の関節である肘の部分を、ダガーの柄で曲がらない方向に思いっきり殴った。
「いっー……!?」
痛みに悶絶する男の片足を払う。体制を崩した男は無様に地面に這いつくばった。
「おい!君たち!」
俺を追いかける門兵に向かって思いっきりダガーを投げる。ダガーは走り寄ってきた門兵の頭の上を通って、塀にぶつかって地面に落ちた。
びくりと体を硬直させたスキに、俺はレアの手を掴んだ。
「レア、行くぞ!」
「……!」
返事も待たずに、俺たちは走り出した。
いつの間にか、俺たちは薄暗い路地裏に入り込んでいた。もう既に夕暮れ時に近づいている。周囲に人の影はない。
ふぅ、と息を吐いて周囲を確認する。門兵の姿はない。つまり、追っ手は来ていないということだ。
「……レア、大丈夫か?」
ゼイゼイと荒い呼吸を繰り返すレアに問いかけると、コクコクと首だけで返事をした。俺も走って少し疲れた。手頃な場所に腰を下ろす。
「……レヴィン、あの、」
レアの虚ろな瞳が揺らぐ。不安定で、今にも涙が溢れてきそうだ。俺は呼吸を整えながら、言うべき言葉を探した。
「さっきのは、言いたくないなら、言わなくていい。誰だって、隠しておきたいことの一つや二つはある」
さっきの黒い魔法のようなものは、きっと、レアにとっての嫌なことなのだ。だったら、無理して聞かなくてもいい事だ。
「無理矢理孤児院に入れさせようとした俺も悪かった。だけど、お前、俺と一緒にいたってなんの価値もねぇよ?孤児だし、金……、は今はあるけど、貧乏で、根なし草だ。辛いだけなのに、俺なんかと一緒にいることにこだわるなよ」
「……いいの」
レアは、俺に近づいて、隣に座った。
「私は、レヴィンと一緒ならなんだっていい。レヴィンとじゃなきゃ、やだよ」
「……後悔するぞ?」
「……しないよ」
こてんとレアの頭が俺の肩にぶつかる。
「レヴィンの手をとったあの時から、ずっと後悔なんかしてない」
その声は、黄昏時の空気に溶けて、消えていった。
その後、食事を済ませた俺たちは、前まで俺が使っていた廃墟のボロ屋敷に入り込んだ。床板を踏むたびにギシギシと音がなり、今にも穴が空きそうだ。
「そこ踏むと床抜けるから」
「うん」
俺はときどきレアにそう注意しながら、一階の寝室であっただろう場所に入る。古びたベッドと、俺がカーテンから剥ぎ取ってきたシーツ代わりの布。おざなりだが、良い方だろう。
俺とレアはベッドに潜り込んだ。
「寒くねぇか?」
「うん、大丈夫」
二人して体を小さく丸めて寄り添う。こうやって誰かと寝るなんて今までなかった経験なのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
むしろ、
(安心、する)
レアの少し高い体温に。
握ってくる手の感触に。
安らかなレアの表情に。
「レア」
「なに?」
「……ずっと、俺と一緒でいいのか?」
「……うん、それでいい。それがいい」
囁く誓いの言葉が、じんと胸に沁みた。
「レア」
「うん」
「おやすみ」
「おやすみ、レヴィン」
今日も今日とて、風がない穏やかな夜が続いていた。