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何度か小さな物音に起きながら過ごしていたら、いつの間にか朝になってしまった。
朝日が鬱蒼とした森の中を照らし、ピチュピチュと小鳥たちの合唱が始まる。隣で丸くなっているレアは、相も変わらずすうすうと眠りこけたままだ。
俺はそうっと立ち上がって、食料を調達しにかかった。
森の中はそれなりに食べ物が豊富だった。
食べられそうな木の実を集め、ついでに周囲の探索も軽く済ませる。血を水で落としたので、もし奴隷商の仲間がいたとしても追跡は困難になるだろう。そして人間のいる痕跡も見当たらなかった。
(だからといって、油断してたらダメだよな)
俺は手に持った木の実を見る。そこまで量は多くはないが、一時しのぎにはなる。さっさとこの森から抜け出すためにも、俺はレアが眠っているであろう場所に向かった。
出来るだけ足音を立てないようにしつつ、レアがいるであろう場所に辿り着く。
真っ白な髪が草木の中から見えたので、
「おい、食べ物持ってきたぞ」
そう声をかけると、レアが勢いよくこっちを振り向いた。
その目は相変わらず光がないが、不安そうに眉根が寄っている。こっちに歩き出そうとして、シャリンと鎖が鳴った。
「……どこ、行ってたの?」
「食べ物取ってきた」
ほらよ、と手に抱えていた物を渡そうとすると、レアはそれを貰わずに俺の服を右手でギュッと摘まんだ。
「……心配、した」
「……悪かったよ」
今にも泣きそうな声で言われてしまえば、それなりに罪悪感は湧く。
「今度からは一声かける」
「……分かった」
とりあえず和解ということで、俺たちは木の根元に座って朝食とは言えないような量を食べる。
そして、そのまま俺たちは森から出るまで歩いた。
途中で疲れ果てたリアの為に、何度か休憩を挟みながら進んでいたら、森から出た時にはもうとっくに日が空に高く上がっていた。
「午後ってとこか……」
そのまま東に進めば小さな村に出る。だが、反対に西に進めば王都に辿り着ける。
「なぁ、王都に行きたいか?それとも村の方に行きたいか?」
隣にいるレアに問えば、レアは俺を1度見上げ、視線を下げた。そして、チョンと服が少し引っ張られる。
「……一緒なら、どこでもいい」
「……あっそ」
俺たちは東へと足を進めた。
村は小さく、長閑な所だった。
何台か風車が回り、子供の楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてくる。俺は村の門に立っている門番に話しかけた。
「なぁ、ここに鍛冶屋ってあるか」
「あ?ある、が……」
門番は俺とレアの風貌を見て顔をしかめた。12歳くらいの、年端もいかない子供二人が足枷や首輪を付けて歩いているのだ。どう考えたって普通じゃない。
「これを外したらすぐにこの村を出る。追っ手はいない。報酬も出す」
俺は鞄の中に入れておいた金貨を一枚、チラチラと見せつけた。こんな田舎じゃ滅多にお目にかかれない金貨に、門番はごくりと喉を鳴らす。
「どうする?早く決めてくれないと、他の村に行くけど」
どんなに平和な所だって、金が絡めばこうなのだと内心呆れつつ、俺はニヤリと歪ませた。
「なんだ、じゃあおめぇ奴隷商に売られたのか?」
「俺はちげぇよ。薬を盛られて拐われた。あいつはどうなのか知らねぇけど」
やっとこ外れた足枷を投げ捨てながら答えると、鍛冶屋の親父はため息をついた。
「物騒だな……。じゃあおめぇ、貴族の出か?」
「いいや、孤児だよ。親の顔は知らない。気付いたら、スラムにいたんだ。生きるために人を殺して生きてきたから、その恨みに奴隷商とかに依頼されたんじゃねぇかな」
そう言うと鍛冶屋の親父はあからさまに嫌そうな顔をした。
「別に殺さねぇよ。足枷外してもらったしな」
「……そうかい。おめぇらはこれからどうするんだ?」
「まずは西の王都に行く」
荷物の中から金貨二枚、二人分を取りだし、親父に投げ渡す。まだ財産はある。鎖が外れていなければ王都にも入れなかっただろう。
「へぇ、そりゃまたなんで」
「元々、俺は王都のスラム街にいたんだ。あっこなら食べ物にありつける。それと……、あの見目なら、貰い手はいるだろうしな」
「は?」
「なんでもねぇ。じゃあ、俺らは行くよ」
「あ、ああ。あの嬢ちゃんの首輪ももう取れてるだろう。呼んでくる」
親父が店裏に入り、俺はふわりとあくびをする。もうすぐ夕方だ。あと、少し食料を買って野宿して、そうすれば明日には王都に着くだろう。
店裏から戻ってきたレアには、もう首輪も足枷もついていない。幾分軽い足取りで俺に駆け寄った。
「いくぞ」
「うん」
従順にこくりと頷いたのをみて、俺たちはまた歩き出した。
夜。木の根元に座り込んで、俺たちは寝る準備をしていた。
木に背を預けるようにして寝ようとする俺のすぐ横に、昨日のように丸くなるレア。
空にはチカチカと星が瞬いていて、風はない。穏やかな気候だ。
「……レヴィン」
きゅ、と服を引っ張られる。下を向くと、白髪の間からレアの顔が見えた。
「……どこかいったりしない?」
「……いかねぇよ、どこにも」
少し迷った挙げ句、レアの頭を撫でる。安心したのか、レアは瞳を揺らめかせて目を閉じた。
今日も、夜は穏やかだった。
王都のとある屋敷。その屋敷の一つの部屋に、盗賊のような出で立ちをした若い男が入っていった。
贅の限りを尽くした部屋。窓側に立つ男に向かって膝を折る。
「……報告します。北の森にあった館を捜索しましたが、目当てのものはありませんでした」
若い男の声を聞いて、窓辺に立っていた男性は小さくため息をついた。
「そうか……。もう売られてしまったのか」
「……ですが、奴隷商と思われる人物たちの遺体を発見しました。恐らくですが、まだ生きているのでは?」
「……そうだな」
その言葉とは裏腹に、男性は喜びを見せるわけもなく、ふぅと諦めの気持ちを混ぜたため息をついた。
「捜索範囲を広めろ。なんとしてでも、見つけ出すんだ」
そう命令した、スフィオ王国の伯爵貴族であるマーカス・トレンティアは、眼下に広がる城下町を睨み付けた。
俺とレアは王都に何の問題もなく入れた。
相も変わらずごちゃごちゃとしている表通りを、俺はレアの手を引いて歩く。迷子にでもなったら困る。
「どこ、いくの?」
人々の喧騒に紛れて、レアがか細く呟く。
「まずは腹ごしらえだ。それから、服を買う」
朝早くから王都に向かって歩いていたので、まだお昼を丁度回った所だ。時間も金もたっぷりある。
俺はスリに遭わないよう気を張りながら、馴染みのある平民向けの店に入った。
店に充満する煙たい空気が肺に入る。ガヤガヤと騒がしい連中は、どいつもガラの悪い奴らばかりだ。
「レヴィン!レヴィンじゃないか!」
少し野太い、女性の声。
カウンターにいる恰幅の良いオバサン、メリーが顔を綻ばせた。
「メリー、久しぶり」
「久しぶりじゃないよまったく!どこ行ってたんだい!」
「奴隷商に捕まってた」
「はぁっ!?」
カウンターに腰掛けながらそう言うと、メリーはすっとんきょうな声を出した。
「俺が働いてた店で出された賄いに睡眠薬が入ってたっぽい。眠たくなって、気がついたら奴隷商の檻の中にいた。スキを見て抜け出してきたけどな。あ、いつものやつ二人分」
「……まったく、あんたは凄いのか間抜けなのかよく分からないよ。で、そっちのお嬢ちゃんは?」
メリーの視線が、俺の横に座っているレアに向けられた。レアは虚ろな視線をカウンターに向けたままずっと固まっている。
「多分、奴隷商に捕まってた。だから、俺が助けて連れてきた」
「あんたねぇ……。その子がどういう子か分からないまま連れてきたのかい?」
「……生き残ってたの、二人だけだったから」
手を伸ばさずにはいられなかった。連れ出したいと思ってしまった。ただ、それだけのことだ。
「ふぅ……。まぁいい。さっさと腹ごしらえして、新しい職でも見つけるんだね」
メリーは一度厨房の方に入り、二人分の食事を持ってきてくれた。焼き魚とサラダ、シチューとパン。俺はそれを受け取って、レアの前に置いた。
「ほら、喰え」
「……ありが、と」
もそもそと食べ出すレアに、思わず微笑みが浮かんだ。