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妹のためならこれぐらい!  作者: ツンヤン
おねにいさま?
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悩める乙女

 その日の夜、食事を終えて中村さんが入れるコーヒーを片手に食後のお茶会が開かれている。

 保健室の一件は誰にも言っていない。言えばなにかが、変わるかもしれない。でも言いふらしていいような内容でもない。


「妹に……して頂けませんか」


 あの時の強張った表情が脳から離れてくれない。

 好意による告白とは少し違う。俺の妹にならないといけない理由があるような切羽詰った感じ。

 今日、初めて出会った人を好きになることがあるのだろうか。

 今日、初めて出会った人を好意的に思うことがあるのだろうか。

 今日、初めて……


「幸菜?」


 あぁーーーーーー! 考えすぎて頭でやかんの水が沸騰してしまうかもしれない。

 そうなったらポットいらずで、暖房器具も必要にならないから電気代が浮いて、もう少しライトノベルを買うことができるんだけどな。

 はぁ。なに言ってるんだろう……

 現実逃避しても何も始まらないんだから、この先になにがあるか考えるほうが賢明かもしれない。

 だとしたら……


「幸菜!」


 楓お姉さまの大きな声が部屋に響き渡る。

 ベットで寝そべってライトノベルを読んでいるなぎさは、俺を横目で見て、すぐにまたライトノベルに視線を戻す。


「そんなに大きな声を出さなくても聞こえてますよ」


「聞こえてないから大声を出したのだけど? いかにも考え事してますって態度を出してそんなにかまって欲しいのね」


 かまって欲しいわけではないんだけど、俺って二つのことをやれるような優秀な脳みそを持っていないだけで、考え事をしていたら反応できなかっただけ。

 でも話すまではいかないけど、幼少部から在学している二人なら、なにかヒントは得られるかもしれない。

 そういえば、楓お姉さまって妹時代ってあるのだろうか。

 なぎさは前に「妹はいるけど、お姉さまはいないよ~」と言っていたから、幼少部からいないだろうと予測はつく。


「楓お姉さまって妹の時代ってありました?」


「あるはずないじゃない」


 もちろん即答されました。

 予測できたであろう回答なのに、俺はなにを求めていたんだろうか。

 もし、俺が楓お姉さまを妹にしたならどうなるのか、妄想してみよう。

 ……

 …………

 ………………

 冷や汗が体中から一気に噴出してきた。

 どんな妄想だったかは、自分自身で妄想してみてくれ? 俺から何も言えない。言いたくない。


「ゆきなさぁ。心、読まれてるよ?」


 なぎさはライトノベルを読み終えて、ライトノベルをベットにポイして俺に突っ込みを入れてくる。

 ライトノベル投げるなよ! ベットの上だからって角が潰れちゃうじゃないか!

 ホント、女の子って本を大事にしないよな。でもなぎさの顔がなにか引きつっているんだけど。

 あれ……なんか背中のほうから殺気を感じるんだけど気のせいかな。


「中村……」


「はい。お嬢様」





 ♪ただいま、お嫁にいけないような出来事が繰り広げられているので、良い子のみんなのために内容は伏せさせていただきます♪




「あなたが……変な想像するから……こうなるのよ」


 肩で息をしながら、そんなこと言うと、どこかの誰かさんが変な想像すると思うけどそこはいいのね。

 中村さんも参加していたのに、息一つ乱れておらず、メイド服が少し乱れてしまったぐらいだから、すぐにメイド服の乱れを整えて完璧なメイドに復活している。

 乱れたメイドさんが足をくの字に折れ曲げてへたり込んでくれたら、王道の萌えポイントなのにそれを拝見できなかったのは残念だった。そして何事もなかったようにキッチンに向かい、カップを洗い始める。


「汗をかいたから、シャワー浴びなおすわ」


 と立ち上がって玄関に向かっていく。

 カップを洗い終えた中村さんも付いていく。


「なにかあればいいなさい。私はあなたのお姉さまなのだから、遠慮はいらないのよ」


 バタン。

 扉が閉まる。

 俺は少しの間、閉じきった扉から目が離せなかった。

 卑怯なんだよ。さっきのだって俺が考え事していたから、お婿にいけないようなことをして、気を紛らわせてくれた。

 それが嬉しくて、頼りになって、恨めないんだよ。


「私も部屋に戻るよー」


 なぎさもひょいっとベットから飛び降りて、今日が球技大会だったって言うのに微塵も疲れを感じさせないほどのスピードで玄関に走っていく。

 そして、一時停止。


「私もだよ! だからなにかあったら言ってよ。ゆきなが悩んでる姿って似合わない! じゃぁ~おやすみ」


 バタンっと扉が閉まる。

 なぎさらしい励ましの言葉を頂いたけど、ごめん。これは俺がどうこうしないといけないことなんだと思う。

 だけど二人の言葉は嬉しかったし、気が楽になったよ。

 結論、考えても無駄なのかもしれない。

 もう疲れたし寝よう。

 電気のスイッチを消そうとして、壁まで向かう。

 どうしてだろう。未来ちゃんのことで考えていたのに、ふと雛の笑う顔が脳裏をよぎっていた。

 今日は未来ちゃんを付き添うので、今日と明日は来れないとメールが届いている。

 球技大会でお喋りしたぐらいか。なんだか物足りない。

 そうだ! 明日、中等部に行って放課後、俺のほうから出向いてみよう。

 スイッチに手を伸ばし、オンからオフにすると夜空の星が部屋を照らし出す。

 明日は良い日になりますように……

 そう願って、俺はベットに潜り込むとすぐ眠ってしまった。

 いつも通りの朝を向かえ、いつも通りのお昼を向かえ、放課後がやってくる。

 今日は中等部に行って、雛とお喋りする。これが今日の目標であり、目的である。

 なんか同じ意味を二回も使ったような気がするけど、細かいことは気にしない。男が細かいことを気にしたら試合終了だよ?

 とお肉たっぷりの先生がおっしゃっていらしてよ?

 楓お姉さまは生徒会。なぎさは部活なので、放課後はいつも一人になることは確定している。のんびりと中等部行くことにしよう。

 授業が終わって教科書をカバンに仕舞っていると後ろのドアから中等部の子達が次々「失礼します」と教室に入ってくる。

 慣れない光景に少し戸惑う。

 今日から普通授業が開始したのに、中等部はまだ、レクリエーションでもしているのだろうか。


「なぎさお姉さま。おカバンお持ちします」


 凛ちゃんが隣でなぎさの支度を待っている。

 なぎさは特に教科書などを入れる素振りを見せずにカバンを閉め、カバンを凛ちゃんに渡す。突っ込みどころが満載だけど、二人とも気にした様子がないのでスルーしておく。


「中等部は今日も早く終わったの?」


「そんなわけないじゃない。この平民」


 どうして俺のときは言葉遣いが丁寧ではないのだろう。

 一番最初に出会ったときもそうだったけど、なにやら俺だけに厳しい言葉遣いをしているように思う。

 はぁ……となぎさはため息を吐き、凛ちゃんの頭をパシンっ! と叩き、


「なんで凛は幸菜の前だとこうなるかなぁ? 取って食われるんじゃないんだから普通に接しなよ。で、幸菜への回答だけど、中等部は高等部よりも5分ほど早く終わるようになってるんだよ。お姉さまより遅くなるのは、妹としてなにかとまずいんだってさ」


 やっぱり俺の前だけなのか。ちょっとショックだけど、今は雛のことが優先だ。

 だったら雛はもう帰っちゃっている可能性もあるか。

 なんかうまくいかないなぁ。

 まるで、時間のすれ違う恋人同士のような切なく、逢いたくても逢えない。甘酸っぱくてホロ苦い。

 でも、行ってみるだけ行ってみよう。もしかしたら学院に残っているかもしれないし。


「なぎさ、ありがとう」


 お礼を言って、なぎさよりも先に立ち上がり歩き出す。


「凛ちゃん。なぎさが好きなのはわかるけどベタベタしすぎると冷めやすいかもよ?」


 凛ちゃんだけに聞こえるよう、隣を通り過ぎるときに耳元で囁く。

 そして、そのまま走って教室を後にすると教室から凛ちゃんの大声が響き渡り、その後パシンっ! という大きな音まで響き渡っていった。





 すでに中等部の昇降口は静まり返っていた。

 高等部とは昇降口が正反対であるため、高等部の生徒が中等部に行くには下靴に履き替えてからグラウンドを横切って、中等部に行かなくてはいけない。

 昇降口にまで到着したが、思ったとおり残っている生徒は少なく、数人が友人と帰るため下靴に履き替えているぐらいだった。

 高等部からの入学組である俺は、中等部の知り合いといえば、雛、凛ちゃん、未来ちゃんの三人しかおらず、凛ちゃんはすでになぎさと部活動に勤しんでいることだろう。

 後は、雛と未来ちゃんだけど、そんなにタイミング良く現れるわけもなく、昇降口を右往左往するはめに。

 一番左に来客用のスリッパがいくつも入っている下駄箱を見つけ、来客用のスリッパに履きかえる。

 シーンと静まり返った廊下。ペタン、ペタンと音が鳴りながらも三年生の教室を探すため、階段を上がっていく。

 二階。すぐに三年生の教室を発見。高等部と同じで三年生は二階。二年生は三階。一年生は四階となっているのが幸いした形である。

 だけど、廊下を見渡せば、まだ清掃活動中の生徒が廊下にいるので、少し時間を遅らせたほうがいいかもしれない。

 雛が帰っちゃうかもしれないけど、邪魔をするのは先輩として示しがつかないような行動をしてはまずい。


「清掃中ごめんなさい。清掃時間ってどれくらいなの?」


 一番近くにいる子に清掃時間を教えてもらう。後二十分も待ち時間ができてしまったが、「屋上へ行かれてはどうですか?」と言われ、行く所もないのでアドバイス通り屋上に向かった。


「どうにかならないの!」


 屋上の扉を開けて、一歩踏み出したときに聞こえてきた。

 誰かが話をしている。

 声が一つしか聞こえてこないので、電話で話をしていると予測する。

 見渡しても誰も居ないとなれば、死角となっている隣の壁沿いか。


「わかっています。でも!」


 聞き覚えのある声が鼓膜を揺さぶり、興味がそそられる。

 盗み聞きしておいて、盗み見ても罪の量は変わらない。そう言い聞かせて、そっと覗き込む。

 後ろ姿しか見えないけど、見覚えのある姿が視界に映し出されていく。未来ちゃん……かな。

 はっきりと顔を見ていないけど未来ちゃんで間違いなさそうだ。


「はい。はい。ですから私は……」


 言葉に鬼気迫る勢いが感じられ、昨日とは別人のようである。

 ゴクリっと喉を通る唾液が音を立て、壁に背中を預けているにも関わらず、立っているのがとても辛い。

 この場から逃げ出したい。

 一刻も早く逃げ出したい。

 だけど、脳はもう少し聞けと体に停止信号を送り、俺の体は金縛りでもあったかのように動かない。


「わかりました。私のほうでなんとかします。はい。はい。それではごきげんよう」


 電話が終わったのを確認すると、俺は扉を思いっきり開けて、急いで屋上を後にするしかできなかった。

 まるで金縛りが一瞬にして消し去ったと思えば、後ろから化け物にでも襲われているかのよう……。

 だけど、聞いてしまったのだ。


「この学院に残りたいのよ! それだったらなんでもするわ! お父さまが人を殺したように私だって殺してみせるわ!?」

 来客用のスリッパが悲鳴を上げているような錯覚に陥るが、それを気にしている余裕は一切ない。

 逃げなければいけない。

 ひたすら階段を下りていくけど、今が何階なのか、どこの階段を下りているのかさえも忘れてしまっている。

 夢中で階段を下りていると教室側から生徒がバケツを持って、俺の前に姿を現した。

 急な事態に「止めれ!」と念じても止まれるはずもなく、海外から帰ってきた恋人を空港で待ち伏せ、思いっきり抱きつくシーンのように、清掃活動中の少女に飛び込んだ。

 ガシャーン! っとバケツが廊下に打ち付けられる音と共に、バケツの中に入っていた水が顔を直撃して、一瞬にして頭が冴え、状況を理解するのに必要な時間はそれほどかからなかった。


「ごめんなさいっ!」


「こちらこそごめんなさいなのです」


 俺からぶつかったにも関わらず、床に大の字に倒れているところを見ると少女を守るように抱きついたようで、腰に少し痛みはあるけど、他は問題なさそう。

 ぶつかった少女も俺の上に馬乗りするように座っていて、特に怪我もなさそうである。


「雛……」


 顔を確認して、雛とわかるとなぜだか心が満たされていった。

 なにが満たされたのかわかならい。けど、とても愛おしくも感じる。

 さっきの未来ちゃんへの恐怖が和らいでいくの感じる。だけど消し去ることはない。


「幸菜様、大丈夫なのですか? 制服濡れちゃってるのです!」


 雛は慌てて、ポケットからハンカチを取り出し、まずは顔を拭いてくれる。ハンカチで拭ききれる量はしれており、雛がどうしようかと体を動かすので、刺激がダイレクトに伝わってきて、違う意味で恐怖が沸きあがってきてヤバイ。

 お構いなしにわたわたするのは、見ていて可愛いんだけど、俺の理性も可愛いのならいいけど、漆黒の闇のようにどす黒い。


「雛……できれば降りてくれないかしら」


「ご、ごめんなさいなのです!」


 大慌てで俺の腰の上から退いてくれ、俺も一緒に立ち上がる。


「幸菜様、雛ちゃん、大丈夫ですか?」


 雛のすぐ後ろに未来ちゃんがいた。

 屋上での出来事が脳裏をよぎる。顔が少し引きつったかもしれない。

 だけど、出来る限り普通に接するように心がける。

 声だけ似ていた別人かもしれない。そう思うことでの現実逃避であり、別人であって欲しいという願い。


「幸菜様の制服、濡れていますね。私の体操服でよければお貸ししますが……」


 制服のスカートからは、黒く滲んだ水滴が水浸しの廊下にポタポタと滴れ落ち、さすがにこれで寮には帰れそうにない状況。

 さっきの出来事がなければ、なんの躊躇いもなく借りていたんだろうけど、少し抵抗してしまう。

 でも未来ちゃんから鬼気迫る勢いがまったくなく、純粋に好意で貸してくれると言っている様子。


「未来ちゃん。貸してもらえるかしら?」


「はい。ではお持ちして参りますので少々お待ち下さい」


 そう言い残して教室のほうへ、未来ちゃんは走っていった。









それから体操服を借りて、着替えを手伝うという二人を「胸が小さいのが恥ずかしいの」と思春期の女の子のような言い訳を炸裂させて、二人を丸め込んだ。

 女の子の匂いと汗の匂いが混じりあう体操服を着るのは、さすがに男してどうかと思うけど、少し小さめの体操服を一気に着込み、出来る限り不審な言動を控えることが出来たかあまり覚えていないけど、急いでその場を後にしたのは覚えている。

 そして今は自分の部屋で着替えを済ませて、コーヒーを飲みながら思考を巡らせていた。

 本当に屋上の子は未来ちゃんなのだろうか。何回目になるかわからないけど、やっぱり気になって仕方ない。

 雛の友達で、見ている分には親友と言っても通用してしまう。

 そんな子が「殺す」などと言っている現場を見てしまった。それに「妹にしてくれませんか」とも言われた子……。

 だぁああああああああああ!

 なんで俺ってこうも落ち着いて考え事が出来ないんだ? 考えていたら頭がズキズキしてくるし、考えてもどうしたらいいのか答えが出てくることもない。

 コーヒーを机の上に置き、ふかふかのベットにダイブしてみるけど、太陽の匂いと暖かさだけが体に染み込んでいくだけ。

 もし、考えることに才能があったとしたら、俺はほぼゼロに近いと断言できる。

 楓お姉さまもなぎさも中村さんも部屋にいない。居たら居たで騒がしい人達だけど、今日の出来事が忘れられるのであれば、その騒がしさも悪いものではないと思ってしまう。

 コンコン……

 小さなノックの音がした。


「はい。開いてます」


 ベットに倒れこんでいたので、すぐに体勢を整えると、ガチャっと扉が開く。

 未来ちゃんが立っている。

 心がドキリと反応してしまう。

 それが恋だったらどれだけよかっただろうか。「失礼します」とスリッパを自分で出して中に入ってくる。

 こちらにゆっくりと向かってくる。未来ちゃんの表情はいたって普通のようだけど、嫌な予感が俺の体を支配しており、無意識に拒絶していたのかもしれない。


「そんなに怯えなくても食べたりしませんよ」


 俺の隣に座る未来ちゃん。

 隙間が無いぐらい密着しているので、少しズレようとしたら、手を掴まれる。


「なんだか私が化け物みたいじゃないですか? 失礼ですよ」


 クスクスっと顔は笑っているけど、心が笑っていないのが見てわかる。

 怯えて声も出せない俺を知ってか知らずか


「球技大会での答えを聞きに来ましたよ。私を妹にしてくれますか?」


 上目遣いで俺を見据えてくるけど、それが恐怖を増幅させているだけでしかない。

 グッと肩をおされるとすんなり体がベットに倒れこんでいく。恐怖とは体を硬直させるだけでなく柔らかくする場合もある。

 未来ちゃんの顔が目の前で笑顔になって、さらに両手を掴まれて逃げることは許さない。という意味合いも含んでいると思考する。


「では、一つ面白いことをお話してもよろしくて?」


 ここで拒否すれば言わないのだろうか。そんなことはありえない。だから否定も肯定もしないまま、未来ちゃんの顔を見つめる。


「とある病院に立花幸菜という女性が入院されていまして、なんと! その方には双子のお兄様がいらっしゃるそうなのですけど、ちょうど、とあるお姉さまがこの学園にいらしてから、家のほうには一切帰っておらず行方がわからないそうです。ホントに不思議ですよねぇ? 立花幸菜様」


 バレた……いや、俺の素性を探ったのか。

 たぶん、なにか隙あればと思っていたのが、とても大きな隙を見つけてしまったのだろう。ここまで調べる人がいるとは思っていなかったので、気にすらしなかった。

 だからと言って、はいそうですか。と引き下がるわけにもいかない。

 なにか言い返す言葉がないかと探るけど、いい言葉が見つからない。ここで反抗して男であることを言いふらされでもしたら、幸菜のためにがんばってきたことが水の泡。

 幸菜のためにどうしたら……

 俺の考えがまとまっていないのを察してかこんな言葉を投げかけてきた。


「取引……しませんか?」


 未来ちゃんの持ちかけて来た取引に、俺は真っ向から拒否をした。

 幸菜には悪いかもしれないけど俺はこの取引に応じるわけにはいかなかったんだ……

 昨日の夕食がなにだったか思い出せない。

 楓お姉さまも雛もなぎさも中村さんも来ていたが、どんな話をしたか覚えていない。

 ただ覚えていることって言えば、四人が心配していた。と言うだけのこと。

 就寝時間が過ぎて誰も居なくなった部屋で、スマホの明かりだけが俺の顔を照らしていて自分でも薄気味悪いと思ってしまう。

 だけど、電気はつけない。小さな電気は付けてもかまわないのだが、今は真っ暗な部屋がとても落ち着く。数秒もすればスマホの電気は消えて、画面は真っ暗になる。

 今日は雲が多いため、月明かりが俺を照らし出すこともない。

 最初に来たときは木の匂いがしたのに、今の部屋はなにも匂ってこないのである。

 無意識に今の状況から逃げようと別のことを考えている。どんなに考えても状況がいい方向に向かうことはないというのに。

 最初に出会ったときのことを思い出す。雛の良き友達で優しい瞳をしていた子が、今は悪魔にでも取り憑かれたような顔で、俺を見つめてくる。

 それが怖い。

 いや、怖いのか? ぞくっと背中になにかが走るものの、ホラー映画のような寒気などはやってこない。静電気が体を走ったような感覚に近い、だから怖いのか?

 本当の理由を知るのが怖いから、外見だけを見て怖がっているとは考えられないだろうか。

 本当の理由はなんだろう?

 金? それだったら俺なんかより別の人間のほうがよっぽど金持ちである。だって財布の中身が500円ぐらいしか入っていないんだから。

 父親は五流企業の係長。母親は、時給800円のパートをしている共働きの庶民なので、俺といい関係を築いてもなんの得にもならないのは誰の目から見てもわかる。

 楓お姉さまに直接、手を出したりしていないのを見る限り、未来ちゃんの家柄では勝てる相手ではないと踏んでいると予測する。というか、誰だったら楓お姉さまに勝てるのか見てみたいものである。空想の人物以外で……

 雛にはなにもしていないのだろうか?

 ふとした疑問に背筋が凍るような思いがしたが、特に変わった様子も見受けられないのを見るとなにもされていないと思う。

 だからといって放置しているのも、後々でなにかあるかもしれない。今の未来ちゃんの状態を見ていればなにを仕出かすかわかったものではない。

 時間は待ってはくれないのだ。それだけに時間だけはすべての人間に平等であり、苦悩や歓喜も時間と共に進んでいき、解決したり反対に苦悩したりを繰り返していく。

 今、未来ちゃんは苦悩しているのだろうか。それとも歓喜の雄叫びでもあげているのだろうか。あの小さな体になにを抱え込んでいるのだろう……




 朝の4時、まだ太陽が顔を出すには、まだ時間が早いのだが、メイドさんの仕事はこの時間から始まるらしい。

 音を立てないようにゆっくりと俺の部屋に入ってくる中村さん。

 布団にも入らないでテーブルの椅子に座って、寝ずに色々考えていたので中村さんとばっちり目が合ってしまう。


「ずっと、そうしていらっしゃったのですか?」


 目が点になる。という言葉を聞いたときは、どんな状況なんだろうなって思ったけどこのようなときになるらしい。なんて返事をしたものかと考えるけど……未来ちゃんのときと同じではないか。

 どうやら、言い返せなくなると黙り込んでしまうのが癖みたいだ。


「ちょっと星を見ようと早起きしてみたんだ」 


「嘘ですね」


 メイドさんは一瞬の隙もなく即答する。

 俺もなんで星を見ようとしたんだろうか。朝早くじゃなくてもいいわけだし。

 嘘が苦手な人間とは、とっさのことになると、どうでもいいことを言ってしまうようだ。

 中村さんは鍋に白い液体をドボドボ入れ、火を付け温め始める。カップを一つ取り出し、白い液体が温まるのを待っているのだろう。鍋を見つめ続け、数分が経って火を止めてカップに注ぐ。スプーンで砂糖を少しすくって、ホットミルクの完成である。

 カップを持ってテーブルにまで来ると


「コレを飲んで少しでも眠れるのであればおやすみください。遅刻しない時刻に起こして差し上げますので」


 カップをテーブルに置くと、中村さんはなにも言わずに朝食の支度を始めていく。

 両手でホットミルクの入ったカップを持つ。とても暖かく、パジャマ姿でずっと考え事をしていて、体が冷え切っていたことすら忘れていたのか。


「なにも聞かないんですね」


 ホットミルクをそっと喉に流し込むと、体温が戻っていくかのように暖かくて、少し甘い。


「私から言ってしまっては本末転倒になりますから。だけど一つだけ言わせて頂きますと、悩んでいるのは刹那様だけではないと言うことです。お嬢様も妹が出来てから、どう接すればいいのか。今のように妹が悩んでいたら、どうしてあげるのがいいのか。悩んでいます」


 朝食の準備を止めることなく、話は続いていく。


「私にとって、それが嬉しいのです。お嬢様がこの学院に来てから、こんなに多くの表情を見ることがなかったのですから。だからなにも言いません。ただ、目の下に大きな隈を作られるとお嬢様が心配しますので、少しでもおやすみになってください」


 ホットミルクを飲み干し、テーブルにカップを置くとすかさずカップを回収して、流し台に持っていってしまう。決して邪険に扱っているわけではなく「早く寝なさい」とでも言っているのが、朝食を作っている背中からヒシヒシと伝わってくる。

 眠れるか分からないけど、少しだけでも横になろう。

 立ち上がってベットに倒れこむ。


「子守唄でも歌いましょうか?」


「結構です!」


 あ。

 即答してしまったけど、ここは歌ってもらったほうが、逆に辱められたんじゃないか?

 せっかくの仕返しのタイミングを見逃してしまって、ちょっと残念。

 だけど、中村さん。あなたは一体、年齢はいくつなんでしょうか……

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