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炎狼の拳  作者: トシマル
一章 人狼戦役
9/12

ジュリア

−−1−−


 古びた宿屋の一室にあるベッドに、ジュリアが座っている。

 ジュリアがヘルムを脱いで横に置くと、目から涙がこぼれ落ちた。

 そして、誰にも聞こえないよう、声を上げずに泣いた。

 自分が必要ないと思われたからか、それとも相手を前にして戦意を欠いたことが悔しいのか。

 どれが決め手というわけではない。


「もう、捨てられるのは嫌……」


 ジュリアが、声を絞り出して言った。

 今までどれだけ指導役に自分が投げ出されようとも、ジュリアは、さほど気にするということは無かった。

 しかし、カステルに見捨てられたらと思うと胸が締め付けられるような痛みを感じるようになっていたのだ。


「何とかしないと」


 ジュリアが小さく呟いたそのときだった。


「あ……」


 ジュリアは、何かが自分の内側に入り込んだような感覚を覚える。

 そして、それは徐々に外へと広がっていき、身体から溢れ出した。

 ジュリアの目が、赤一色に染まっていく。

 血液のような、黒を含んだ赤色だ。


「行かなくちゃ」


 ジュリアの声に重なって、別の女の声が響く。

 ジュリアは、それを気にする様子もなく部屋を出る。

 宿屋の明かりに照らされたジュリアの影の背中部分には、イグアナのように尖ったものが何本も映り込んでいた。


−−2−−


 牧場の宿舎の内部を、松明がぼんやりと照らす。

 カステルは、松明を片手に牛の死体を隅々まで観察したが、ハッキリとしたことは、相手が肉体強化魔法の使い手であるということくらいであった。

 人間がエルフとの戦闘から得た情報をまとめたエルフ学というものがある。

 それには、肉体を強化・変質させる魔法と炎や雷といった身体から放出するような魔法は反発しあうものであり、一方が得意ならばもう一方は不得手であると記載されている。

 これがどこまで正しいかは不明だが、カステルは自身の経験からも、ただの推論ではないと思っていた。


「さて−−」


 カステルが、一度宿屋に戻ろうと立ち上がったそのとき−−


「おや、まだこちらでしたか」


 カステルの背後から、低い男の声が響く。

 カステルが振り返ると、そこにいたのは壮年の地元騎士であった。


「何かあったのか?」


 カステルが言った。


「その……お連れの方がいらっしゃらないようですが」


 地元騎士が、声を細めて落ち着かない様子で言う。


「ジュリアがどうかしたのか」


 カステルの語気がわずかに強くなる。


「お送りしたときに相当落ち込んでいらっしゃったので、気になって様子を見に行こうと思ったのです。そうしたら、宿屋から出て行かれるのを目撃しまして」

「黙って行かせたのか」

「申し訳ございません。声をかけたのですが、そのまま素通りなされまして……」

「−−」

「向かった方角から、きっとそちらに戻られたと思ったので私も息子の所へ戻ったのですが」

「しばらくして、気になって確認に来たというわけか」


 カステルが言うと、地元騎士が小さく頷く。


「まさか、一人で討伐に行ったということは……」

 有り得ない−−

 喉元まで出かかった言葉を、カステルはグッと飲み込む。

 普段ならすぐに否定できるのだが、今回ばかりは事情が違っていた。

 今日初めてカステルはジュリアに邪魔だと言った。

 そう言わなければジュリアは相手の気配に潰されてしまうと思ったからだ。

 今まで様々な状況に耐えてきたジュリアなら平気だろうとも考えていた。


「とにかく、放っておくわけにもいかん。アジトの場所はわかるか?」


 カステルの言葉に、地元騎士が頷く。

 それを合図に、地元騎士がカステルを先導し、速足で進む。

 二人が歩くのは、森の中だ。

 明かりを持たず、木々の間を通り抜けながら進んでいく。

 体力の消耗を最小限に抑えながら、決して走らず、それでいて最速で歩いていた。

 虫や、小動物が、突然やって来た人間二人に驚いて草木を揺らす。

 ゾワゾワとした音が重なり合い、森は不気味な声を上げていた。


−−3−−


 宿屋にいたはずの自分には、信じられない光景であった。

 気がつくと、目の前に小屋があったのだ。

 森の中に建てられた、窮屈そうな小屋だ。

 光の球体が、小屋の玄関前の両端で、ぼんやりと輝いている。

 ハイエルフの小屋だ−−

 そう直感した。

 それと同時に身体を強張らせ、装備を確認する。

 ヘルムが無い。見渡しが悪いせいで好きではなかったので、気にしない事にする。

 メイル、ガントレット、ブーツはある。

 この辺は無いとさすがにマズイので、一安心だ。

 最後に、左半身を確認する。

 メイルの腰部分に巻かれた革ベルトで、鞘に収まった剣がしっかり固定されていた。

 何が起こるかわからないので、とりあえず剣を抜いておこう。

 球体からの光で、刀身がユラリと輝く。

 最初の給料で買った思い入れのある剣だけに、どんな状況だろうとこの瞬間は気持ちがいい。

 同時に、貴重なドワーフ鉱がわずかに含まれているという店主の言葉でつい買ってしまったが、実際に純粋なドワーフ製の防具を所持する教官にドワーフ鉱の価値を聞いて騙されたと気づいたのも思い出す。

 この剣は敵と打ち合って負けた事は無いし、良品には違いないが、それなら嘘を言わずに堂々と売ればいいのだ。

 などと思っている場合ではなかった。

 ここは敵のアジト。気を抜いてはいけない。

 敵−−

 本当にそうだろうか。

 家畜を殺す。確かにそれは罪だ。

 しかし、犯人が病気の仲間を治す薬を作るためにやむを得ず行ったとしたらどうだ。

 この場合、罪を償わせるのは当然だが、殺す必要があるのだろうか。

 そう考えていると、突如、目の前にある小屋の玄関扉が内側に開いていく。

 扉の先には、若い男が立っていた。

 背は自分より少し高く、赤茶色で長い髪のハイエルフの男だ。

 黒いローブを身につけた男は、悲しげな表情を浮かべている。


「やはり来てしまいましたか……」


 男が、小さく呟いた。


「どうして、あんな事を」


 まずは自分が一番気になる部分を聞く。


「薬の材料ですよ。今はまだ研究中ですが」


 男の表情がいくらかほぐれる。


「騎士様ならば、魔薬の存在をご存知でしょう。私は、アレをなんとかしたいと思っていましてね」


 男の言葉を聞くにつれて、自分の胸も高鳴っていく。


「魔薬の症状を治療する薬を作っているんですよ」


 よかった−−

 純粋にそう思った。

 戦う必要が無くなったというのもある。

 だが、それ以上にハイエルフが悪人ばかりでないとわかったのが大きかった。

 彼のように、人間のために尽力してくれる者もいるのだ。


「そうだ。立ち話をするより中に入りませんか。少し狭いですけど」


 男は、笑顔を浮かべて自分を小屋へ招く。

 彼を取り巻く状況を説明しなければならないし、断る理由もない。


「ありがとうございます!」


 そう言って剣を納め、小屋の中へ入る。

 あちこちにあるテーブルには、薬の材料と思われるもの、本や手書きのメモが置いてあった。


「凄いですね」


 後ろへ振り向いて、男を見ながら言う。


「ありがとうございます。ついさっき薬が完成して一段落したところなんですよ」


 男が、ニコニコとしながらこちらへ近づいてくる。

 牧場で見えた不気味な表情は、きっと自分がハイエルフを恐ろしい存在だと思っていたせいなのだろう。


「あなたのような優しい方が騎士様で助かりましたよ」


 普段言われることのない言葉に、自然と表情が緩む。

 男との距離がさらに縮まる。

 恐ろしい噂が絶えないハイエルフだが、彼のような存在だって−−

 金属が破壊される音が、短く二度響く。

 突然、身体の力が抜け、腹部が熱くなる。

 下を見ると、自分の腹のあたりを白い光を帯びた男の左腕が、メイルを突き抜けて入り込んでいた。


「馬鹿だね。お前」


 男が、薄笑いを浮かべながら言う。

 牧場で見た、あの気味悪い顔であった。


「人間は、俺の実験道具になってりゃいいのさ」


 男は、そう言って近くのテーブルから針とグラスが一つになったような物を、右手で拾う。

 グラスの中は、赤色の液体が揺れていた。

 あの道具は、確かどこかで聞いたハイエルフが薬を体内に直接送り込むために作った器具だ。

 抵抗したいが、全身の力は抜ける一方である。

 男の狂ったように甲高い笑い声が、狭い小屋に響き渡っていた。

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