家畜のハラワタ
――1――
カステルが騎士に抱いていた思いは、最初の任務で打ち砕かれた。
カステルを指導する熟練騎士は、行く先々で地元住民に横柄な態度をとるような男であったからだ。
道中で出会った他の騎士たちも同じように振舞っており、そういう事を繰り返すうちに、騎士とはそういう者が多いのだと気づく。
何よりカステルが衝撃を受けたのは、騎士には罪人を殺さずに中央のコロッセオへ売り飛ばすという選択肢が用意されていることであった。
そういったことは討伐のついでではなく、捕獲を目的にした任務があるものだと思っていたのだ。
罪人は、コロッセオに送られれば死ぬまでそこまで闘わされる。ほんの少し生きている時間が延びるだけで、結果は変わらないという理屈だ。
カステルは、この制度に納得がいかなかった。
捕獲のみを念頭において備えをしたものでなければ、中央へ連れ帰る途中で脱走する可能性があると考えていたからである。
重罪人が、一瞬とはいえ賞賛の声を浴びるのも気に食わないと思っていた。
しかし、カステルが指導役や上の人間に抗議をしたことはない。
新人の言う事を素直に聞き入れる者はいないと踏んだからである。
カステルが、兄の死んだ理由を調査し、自分の手による犯人の始末を目的としていたことも大きな理由であった。
任務のたびに、カステルの心は荒んでいく。自分と兄が目指した騎士は、崇高な存在からかけ離れたものであったという事実が、カステルを押し潰していった。
やがて、カステルは、任務中に自分を殺すようになる。目の前で何があろうと、それは目に映っただけで、頭には入れないようにしていた。
そうでもしなければ、間違いなく罪人よりも先に身内を始末している。カステルは、そういう男であった。
カステルがジュリアに出会ったのは、そんな生き方にも慣れてきたときである。
ジュリアに対するカステルの最初の印象は“頭ではなく身体でモノを考えるやつ”であった。それほどまでに、女性らしい仕草や礼儀作法が欠如した人物だったのである。
女騎士は、それなりに注目を浴びる。実力はあるため、帝国としては多少の問題には目をつぶっていたのだ。
カステルは、ジュリアを受け入れると、興味本位からジュリアが何をしでかしたのかを調べた。
ジュリアは、罪人をコロッセオに売り飛ばす事に強く反対している――
ジュリアの元指導役の一人からそれを聞いたとき、カステルはジュリアという女に対して妙な親近感を感じた。
自分と同じ人間がもう一人出来上がる前に、それを防ぐことができたという喜びもあった。
カステルの腐りかけていた心が、正常な人間に戻った瞬間である。
――2――
木の床と壁で囲まれた窓のない小さな部屋。
部屋には粗末なベッドが二つと、ささくれが目立つ木製の机が一つ。
他にも引き出しやらロウソクだのがあるが、どれも手入れが行き届いていないものばかりである。
そんな酒場と宿屋を兼業している店の一室に、カステルとジュリアがいた。
部屋の扉は閉じられており、二人ともヘルムだけ脱いでベッドに座り、顔を合わせている。
二人は、ジュリアが蹴り飛ばした若い騎士を病気や薬に詳しいという人物の家に運び込んだ後、ここへ案内された。
中央の騎士は、任務中に道中の宿屋や食料、雑多な物まで証明書に名前を記入すればツケで利用でき、目的地となれば証明書を記入する必要もなくなる。
証明書は中規模以上の村、あるいは町に設置されている役所で換金できるので、地方の負担は比較的少ない。
この制度は、直接カネを渡すと紛失や盗難に気を配ることになるし、残った分を懐に入れてしまうものもいると考えられたからだ。
「まだ気にしてるのか」
カステルが、金色の短髪を掻きむしりながら静かに言った。
「気にしますよ。あの人、無事だといいんですけど」
ジュリアは、瞳を潤ませながら言った。目蓋は赤く腫れている。
「彼が動ける状態であれば、我々の任務に参加しそうだったからな。あれぐらいやったほうが彼のためだ」
カステルがそう言うと、ジュリアは目を伏せ、
「実際に見たわけではありませんが、ハイエルフの強さは聞いています。ですが、それを言い訳にするわけにはいきませんよ。実際、そんなことは考えていませんでしたし」
と、目を伏せたまま小さく言った。
ジュリアのショートヘアが、わずかに揺れる。
「君は真面目すぎるな」
カステルが、わずかに笑みを作って言う。
「いけませんか」
ジュリアは顔を上げ、目を細めて言った。
「私はともかく、他の連中はそれが気に食わないらしい」
「――」
「例えば、以前の君の指導役とか――」
「あの人達は間違ったことをしていました!」
ジュリアが、跳ねるようにベッドから立ち上がる。
「罪人をおカネ欲しさにコロッセオへ売り飛ばすなんて、それじゃあ意味がないんです。ちゃんと法の裁きを受けさせないと」
「そうだ。野盗は殺すに限る」
「やっぱり、そう思いますよね……」
そう言いながら、ジュリアはベッドに腰を下ろす。
「でも、それでいいんでしょうか」
ジュリアが、表情を曇らせて言った。
「まさか、かわいそうだから殺すのはやめろとでも?」
カステルが、軽い口調で言う。
「魔獣はともかく、言葉の通じる相手は法律に当てはめて刑を執行するべきだと思うんです。誰彼かまわず殺して解決というのは、少し野蛮な感じがしまして」
「相手は盗みから殺しまでなんでもやる集団だ。騎士が動いた時点で刑が下されたようなものだぞ」
カステルが、わずかに声を低くして言った。
「それはわかっています。酷いことをした連中ですから、それなりの罰を受けて当然です。でも、それはちゃんと裁判を受けさせた後でやるべきかと」
ジュリアは、ため息をつくと、
「カステルさん、今の私たちは国王陛下の命で動いているだけなんですよ。法律の書物には、陛下が勝手に罪の重さを決めていいなんて書いてありません。どんなに凶悪な人間でも、裁判を受ける権利はあるはずなんです」
と、言った。
カステルは、胸の前で腕を組み、
「もし悪党が逃げ出せば、地方の人間も困ることになる。地方と言っても、中心部には都市があるんだ。裁判もそこでやる」
と、言った。
「我々が動かなければならないような罪人を逃がせば、困るのはそこに住んでいる人々だ。だから、そうならないように始末をつける」
と、カステルが付け加える。
「罪人を護送するのは、我々ではありませんからね。もし仲間がいれば、取り返そうと襲撃してくるかもしれない……と」
ジュリアが言った。
カステルは、小さくうなずく。
「私は、人殺しがしたくて騎士になったわけじゃないのに……」
ジュリアが、消え入りそうな声で言った。
「ジュリア……君は、誰か身近な者の死を経験したことがあるか?」
カステルが言った。
「いえ、私にはまだそういうことはありません」
ジュリアが答える。
「もし、どこかの誰かが自分の家族を殺したかもしれないとしたら、君はどうする」
「――」
「どこへいようと、どんなヤツだろうと関係ない。私は……そいつを殺す」
カステルが、目線の先に憎むべき相手がいるかのように、遠くを見つめて言った。
ジュリアは、その視線を受け止めきれずに目を伏せる。身体は、わずかに震えていた。
「法の裁きを待てばいい世の中になるのが、私の夢です。重いものを背負う必要は無いですから……」
ジュリアが、声を震わせながら言う。
「そうなるには、今は命が軽すぎる」
カステルが重い口調で言うと、ジュリアは、うつむいて唇を噛み締めた。
沈黙の中、突如として、扉の外から人々の声が流れる。
今日はどうだった。騎士を見かけたぞ。酒をくれ。今日もまた家畜が死ぬのか。中央は何をしているんだ。もうすぐ息子の誕生日なんだよ。偉ぶってばかりの連中は信用できん。領主の騎士が中央から来たヤツにやられたらしいぞ――
そういった会話が、次々と交わされていた。
ジュリアは、会話の内容が進むに連れて、さらに表情を暗くしていく。
「そろそろ行くか」
不意に、カステルが言った。
「行くって、どこへですか」
ジュリアが呟く。
「今日も来るはずだ」
そう言うと、カステルは、その辺に置いていたヘルムを被ってゆっくりと立ち上がった。
――3――
人家から離れた場所にある牧場は、木製の柵で円形に近い形で囲まれた広い場所であった。隅っこには、両脇に松明が設置された家畜用の宿舎がある。
宿舎から離れた場所で、三人の人物が、地面に片膝を付いている。
全身武装のカステルとジュリア、そして、ヘルムの無い壮年の地元騎士であった。
家畜は、夜に宿舎へ運び込まれてから襲われる。その情報を元に、張り込んでいるのだ。
現在、夕暮れから夜へと移行して間もない頃である。月明かりと宿舎に置かれた松明が、周囲を薄く照らしていた。
しかし、それはこの場で犯人を捕まえるためではない。どういった具合に殺しているのかを調べるためであった。
カステルは、この人数で直接仕掛けるのは危険だと考えていた。
カステルが以前にハイエルフと対峙したのは、自分の指導役や地元の騎士、衛兵を総勢三十人近くを集めて討伐に乗り出したときである。
夜間に隠れ家を急襲したにもかかわらず、ハイエルフはカステルたちの存在を感知していた。
そして、ハイエルフは、自分が触れたものを順番に殺していく。手に雷の煌めきを宿し、鎧を身に着けた人間に流すということをやってのけたのだ。
そして、何人もの犠牲を払いようやくハイエルフを押さえつけ、剣を突き刺し、首を斬り落とすことに成功する。
ハイエルフとはそれほどまでの相手なのである。
現在使える応援はほとんどおらず、カステルたちは、数人で討伐に挑まなければならない状態であった。
カステルは、自分が指揮するなら犠牲を最小限にしたいと考えている。
それには、どうしてもこの検証が必要であった。
相手が炎や雷を放つようであれば、自分が囮になっている隙にジュリアに止めを刺させる。身体能力を強化したり、刃物を武器にするような相手であれば、単独で討伐しようとカステルは考えていた。
全員で闇雲に突撃したところで、戦闘経験の乏しい地元の騎士や、足が震えているジュリアには敵の攻撃を受け流すだけの余裕はないと判断したからである。
「誰か来ますよ」
ジュリアが、カステルの耳元で囁く。
カステルが周囲を見渡すと、そこには黒い人影が動いていた。
人影はやがて松明に照らされ、はっきりとその姿を現す。
レザーコートにブーツ姿の若いハイエルフであった。
それを見たジュリアと地元の騎士が息を飲み呼吸を乱しているのに対して、カステルは妙に落ち着いていた。
ハイエルフの歩幅や身体の動かし方を細かく観察し、見た限りの情報を頭に叩き込んでいたのである。
やがてハイエルフが周囲を警戒する様子も無く宿舎へと入り込む。そして、数分の間が開いた時であった。
「ブオオオオオオオオオオっ!」
重く、それでいて甲高い、頭の中にこびりつくような牛の断末魔が響き渡る。
ジュリアがすぐさま飛び出しそうになるのをカステルが制止させる。宿舎では、異変を察知した他の家畜の叫び声が続いていた。
しばらくすると、若いハイエルフが宿舎から出てきた。肩には、入るときに無かった赤いロープのようなものを担いでいる。
「むう……」
カステルが、小さく唸る。それは、ロープではなく牛の内臓――腸であった。
ハイエルフは、相変わらず周囲を気にする様子も無く堂々と歩いて帰ろうとしている。
カステルが、入れ替わりに宿舎へ入ろうと思ったそのとき、カステルの背筋が凍った。
ハイエルフが、歩みを止め、カステルの方に身体を向けニタリと笑う。
来るか――
カステルは一瞬身構えたが、すぐにその考えを否定する。
こちらを察知し、この場で襲ってくるくらいなら、以前現場に駆けつけ後をつけた者が無事であるはずが無いからだ。
そして、ハイエルフはカステルたちに何をするわけでもなく、身体の向きを変えて再び歩き出す。
やがて、ハイエルフの姿は闇の中へと消えていった。
カステルは、大きく、重い息を吐き出す。少なくとも、この場で戦闘をすることを避けられたのはカステルにとって幸運であったからだ。
「ううっ」
ジュリアがヘルムを脱ぎ、嗚咽と共に胃液を地面に吐き出す。
「平気か?」
カステルが、静かに言った。
ジュリアは、両手で口を拭いながら無言で首を何度も縦に振ると、
「さあ、早くあいつを捕まえに行きましょう」
と、なんとか笑顔を作って言い、ヘルムを被り直す。
「ああ。だが、まずはどうやって殺したかを確認する」
カステルがそう言うと、三人は宿舎の中に足を踏み入れる。
宿舎の中は、鉄と家畜の臭いが充満していた。
地元の騎士が、宿舎前の松明を一つ手に取って周囲を照らす。
鉄の臭いをたどっていくと、そこには腹を引き裂かれ横たわった状態の牛が一頭いた。
カステルは、躊躇無く引き裂かれた牛の腹に両手を突き入れ、ゴソゴソと動かす。
「やはり、腸が抜かれている。こいつで間違いないな」
カステルが、小さく息を吐きながら言った。
「さて――」
カステルは、牛の全身を観察する。ハイエルフは魔法抜きでの力が弱いので、どこかしらにあるはずの魔法の痕跡を探していた。
「見ろ」
カステルが、牛の裂けた腹を指差して言った。
「さっきは気づかなかったが、腹の切れた場所の両端にいくつか穴がある。恐らく、指を突っ込んでそのまま力任せに引き裂いたのだろう」
カステルが、落ち着いた口調で言う。
「でも、どうして内臓を持ち出したんでしょうか」
ジュリアが、声を詰まらせながら言った。
「さあな。考えられるのは薬の調合だろう。あいつらは常に新しい薬を研究しているからな」
「薬……もしかして、誰か身近に病気の人がいてそれで――」
「あいつらにそんな心は無い。金持ちに良薬を高値で売りつけるか、大陸に魔薬をばら撒くかしか考えていないような連中だぞ」
カステルが、声を荒げてジュリアの言葉を遮った。
「いいか、我々の常識であいつらを考えるな。我々とは頭の中身が違うんだ」
カステルが、口調を速めて言う。
「でも、彼らも私達と同じ言葉を話す人たちです。そんな簡単に決めてかかるのはいけませんよ」
ジュリアが、小さく言った。
「――」
「――」
カステルとジュリアの間に、しばらくの沈黙が流れた。
「あの……」
不意に、地元の騎士が申し訳なさそうに声を出す。
「私、一度村に戻ってもよろしいでしょうか。息子のことが気になりまして……」
壮年の地元の騎士は、地面を見ながら、落ち着かない様子で言う。
「そうだな。あなたはもう戻ったほういい。ついでに、ジュリアを宿屋へ連れて行ってくれ」
カステルが、口調をわずかに明るくして言った。
「待ってください。カステルさんはどうするんですか」
ジュリアが、語気を強めて言う。
「私はもう少しコイツを調べる。君は戻れ」
「私なら平気です」
「悪いが、エルフを見て反吐を出すような状態では無理だ。一度宿で気持ちを落ち着かせろ」
「もう大丈夫ですってば!」
ジュリアが、甲高い声を響かせる。
「ジュリア、はっきり言っておこう。今の状態では君は邪魔になるだけだ。休め」
カステルは、静かに、重い口調で言った。
「わかりました……戻ります」
ジュリアは、声を枯らしながら、身体を震わせて言った。
ジュリアが、地元騎士に連れられ宿舎を後にする。カステルは、それを確認すると、
「すまない――」
と、呟いた。