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再起シリーズ

怪盗・仮初非力の結婚

作者: tei

覆水シリーズ(?)の三作目です。一作目、二作目読後推奨です。

一作目「名探偵はお嫌いですか?」→http://ncode.syosetu.com/n3552o/

二作目「名探偵VS事件代行人」→http://ncode.syosetu.com/n4077o/

「開幕だ!」

 小さな町――平凡な人々が生活を営む、平和な町。その中でも一際目立つ時計台の上に、その人間は立っていた。暗闇の中寝静まった町を見下ろしながら、月光に照らされたそいつは、不敵に笑った。

「さあ出て来い名探偵……、私を捕まえてみろ」

 その人影は長く伸び、鋭く光る視線は、町のある一点を射抜いている。その目線の先には、一つの事務所があった――。


 相変わらず、覆水ふくみずは長いすに寝そべっている。普通のサラリーマンならとっくに出社し、あくせく働いているような時間帯だというのに、我が事務所の主、覆水再起さいきは、今日も今日とて、寝転がっている。――何という怠惰。

「おい起きろ。そして少しは働け、再起」

 私は彼の、青いスーツに包まれた脛を蹴飛ばす。

「むぐ……、何するんです、美寿寿みすずさん」

「何するも何も。怠け者の名探偵殿を起こそうと思っただけだ。見ろ、彼女は既に額に汗を浮かべて働いているぞ。私だって、事務所内の掃除からHPの管理まで、大体は終わらせた。もうそろそろ正午になる。そうだな、あんたには昼ごはんでも作ってもらおうか」

 私は、それこそサラリーマンの見本のように汗水たらして働いている彼の助手を指差し、再起の腹の上に腰掛けながら言った。再起はうぐう、とくぐもった声を鳴らすが、抵抗はしない。ただ、不服そうに私を見ていた。

「それにしても美寿寿さん、あなたどうしてここにいるんでしたっけ」

「あんたにそんなことを言われるとは思わなかったよ」

 私は呆れ半分苛立ち半分で、再起の頭を小突く。

「覆水先生、もうお忘れになったんですか」

 私の代わりに再起の質問に答えようとしているのは、彼の助手の女性。名前は聞いていないから知らないが、長い髪の持ち主で、いつもそれを少女のように二つに結んでいる。がしかし、彼女は、可愛らしさとは無縁の顔立ちをしている。きりりと結ばれた口元は意思の強さを表しているし、まっすぐな目線は素直さを感じさせる。ただこの人に欠点があるとすれば、覆水再起などという人間を心の底から敬愛していて、かつ尊敬してしまっているという点であろう。覆水は正に見目麗しい詐欺師といった風情の男なのであるが、彼女はそれに騙されたのだ、きっと。

「この間、第44次不再間戦争の際、先生は先永さきながさんに匿っていただきました。そのお礼として、屋敷を失った先永さんに、住居と職場を提供することにしたのは先生ご自身じゃないですか」

「そうだったっけ……」

 覆水はぽりぽりと頬を掻いた。どうやら、本当に忘れているようだ。まあ、確かに私は、彼を匿ったと言っても、その後すぐに裏切ったわけだし。

「……と。おい、その第なんたら戦争というのは何だ? 私は初耳だが」

 私が聞くと、次は覆水が、苦しげな声で答えた。

「第44次不再間戦争。私の妹・不起ふきと、私再起との戦争のことですよ。まあ手っ取り早く言ってしまえば、ただの兄妹喧嘩なんですけどね」

「ああ、そういうことか。なんだ、随分大それたネーミングを付けたものだな」

「そういう文句なら、始起しき兄さんに言ってやって欲しいものですね。私と不起の兄妹喧嘩に、そういう名前をつけたのは彼ですから」

「始起兄さん?」

 私は、首をかしげた。まだ彼らには兄弟がいたのか。それも、初耳だ。……まあ、ここに来て日の浅い私にとっては、ほとんど全てのことが初耳と言っても過言ではないのだが。いや、過言か?

「ええ、始起兄さん。私たちは、三人兄弟なのですよ」

「そいつも、お前達みたいな変人なのか?」

「失礼なことを平気な顔して言いますよね、美寿寿さんは。安心してください、始起兄さんは、まともな人ですから」

「しかしお前に言われても信用できないな」

「それまた失礼なことを……。少なくとも、始起兄さんはあの、なんて云いましたっけ、彼女――千年ちとせさんよりは、まともですよ」

 その台詞を聞いて、私は一瞬にして腸が煮えくり返った。――こいつ、千年のことをまともじゃないと言いやがった。まあ確かに立派にまともというわけではないかもしれないが、あの娘は、私の従妹だ、親類だ。こいつにとやかく言われる筋はない。

 そう考え、私は既に私の尻の下に敷かれている名探偵の、細い腕を捻ってやった。

「ちょっ、美寿寿さん、あなた何していてててててっ!」

「お前が余計なことを言うからだ」

 名探偵は顔を思い切り歪め、泣き出しそうな表情だ。だが、それでも私に仕返しをすることはない。――非力な奴だ。

「ちょっとお二人とも、良いですか」

 険悪にじゃれあう私たちに、女性が声をかけた。

「ん、何だ」

「このネット記事、見てください」

 女性がパソコンの画面を指差すので、私と覆水は立ち上がって、そちらへ歩いた。女性のほっそりとした指先が示しているのは、ニュースサイトに投稿された、一つの記事であった。

「どれどれ――」

 覆水が覗き込み、朗々と読み上げる。

「『熒熒けいけい町内の皆様、御機嫌よう。/私はこの小さく美しい平和な町をかき乱すという、使命を負った者である。/その手段については、この町の財産を我が手に収め、然るべき処置を施すというものに限定する。/私を捕らえたくば捕らえてみよ。/もとより、無能な警察どもに期待はしていない。/私は、私を捕らえられる可能性を持つものを、一人だけ知っている。/名探偵・覆水再起/私はお前に捕らえられるなら本望である。/では皆々様、今日のところはこれにて失礼致す。/怪盗・仮初非力かりそめ ひりき』……なんだこれは」

 覆水は読み終え、首を振った。そして、再び同じ台詞を、丁寧に言いなおした。

「何ですかこれは」

「そのままの意味だろう、再起よ」

 私は、どうやら動転したらしい再起に、そう言った。再起はもう一度目を凝らして画面を見つめていたが、何度見直しても文面は変わらない。やがて諦め、また長いすにいそいそと戻っていった。

「覆水先生、宜しいのですか?」

 女性がその背中に問うが、当の名探偵は「むー」とか「うー」とか唸るだけで芳しい答えは返ってこない。

「おい再起、これは面白い話だぞ。名探偵に怪盗、あとはこれに事件が起きれば最高に面白くなる」

「面白くもなんともありませんよ、美寿寿さん」

 再起は再び長いすに身を横たえ、天井を見つめながら言った。

「事件なんて起きない方が良いんです。平和を乱すと公言するような奴の挑発に乗る気はありませんよ」

「でも、事件が起きたら捜査するんだろう?」

「依頼はどこからも来ていませんからね……。私が独自に動いたって仕方ありません。報酬もありませんし」

「でも、犯人逮捕に貢献すれば、栄誉賞くらいは貰えるかもしれないぞ」

「そんなもんいりませんよ」

 冷ややかな名探偵の言葉に、私は驚く。

「あんた、じゃあ何のために探偵なんてやってるんだ?」

「探偵じゃない、名探偵ですよ。――私は、平和を維持したいんです。だから、もしその怪盗何とやらさんが本気で事件を起こそうという気なら、……全力で阻止します」

 名探偵・覆水再起は、真剣な眼差しで虚空を睨んでいた。

「…………」

ああ、何だ、と私は心の中で安堵の息を漏らした。――それもまた、面白そうな話ではないか!

 しかし続く再起の言葉に、私は耳を疑った。

「でも、私はまだ動くつもりはありません」

「はあ?」

「何故です、先生」

 私と女性が一斉に聞き返すと、再起は面倒そうに寝返りを打ち、私たちから顔を背けた。

「だからですね、その怪盗何たらは、本気で事件なんて起こす気はないんですよ。だから、私も面倒なコトはしないと言ってるんです」

「それが怠慢だというのだ、再起。怪盗だってお前を指名していたではないか。正体不明の怪盗に、名指しで捕まえてみろと言われたのだぞ? 探偵なら燃え上がるシチュエーションだろうに」

「それは凡百の探偵の話ですね。私のような名探偵には、縁もゆかりも関係もない話ですよ。それはそうと美寿寿さん、そろそろお腹が空いてきました。何か作ってくださ、ぐえ」

 再起の言葉は、私が首を絞めにかかったので、うめき声とともに途切れた。

「面白くない、本当に面白くない……。そうか、再起。あんたもこの程度の奴だったか……。ああ、やはりくそ面白くない!」

 私は一人で喚いて、再起の首から手を離した。ごほごほと咳き込む再起に、女性が駆け寄り、私をぽかんと見ている。

「貴女、先生になんてことなさるんです?」

「殺す気でやったわけじゃない、そう怒るな。私はただ、失望しただけだ。もう良い、私はここを出て行くよ。そして、もう二度と帰ってこない――さようなら」

 私は手を振り、事務所を出た。

「覆水再起、私はお前を一生恨むよ」

 そう言い捨てて。――前とそっくり同じではないか、と心の中でつっこみを入れながら。

「さようなら美寿寿さん」

 後ろから聞こえてきた覆水の言葉は、やはり前と同じように、のんびりしていた。

「でもあなたはきっと、また私の元に帰ってくるでしょう」


 その不吉な予言を聞いてから、既に一週間が経過した。私は、従妹であり親友の、先永千年の元に転がり込み、居候状態を余儀なくされていた。千年は新しい両親とともに幸せそうに暮らしていた。そんなところに、従妹とはいえ赤の他人が入り込むのは誠に心苦しいものだったが、彼らは私を暖かく迎え入れてくれた。

「はじめまして、千年の父になりました、先永真割まわるです。――その節は、どうもありがとう。君が代価を彼女……覆水さんに払わなかったら、私と妻は千年に会えもしなかった。本当に、ありがとう」

「いいえいいえ、私が礼を言われることではありません。礼なら、とっくに亡くなりましたが、とおる叔父にでも言ってください」

 私は、千年の父と、千年不在の状況でそのような会話を交わした。千年の母とも、似たような会話を交わしたのだが……、こちらは何も紹介する必要もあるまい。ちなみに、彼女の名前は先永切きるるという。

 私は、千年の部屋の隣室をあてがわれ、そこで寝起きしていた。毎朝千年を学校に送り出し、それからは千年の部屋で、ネットサーフィンをしていた。『熒熒町』、それと『怪盗』、この二つのキーワードさえ入力すれば、あとは一つ一つ巡回するだけである。

 しかし……、一週間経っても、怪盗は事件を起こさなかった。ネット内では膨大な量の噂がばらまかれ、何らかの事件が起きるのも時間の問題かと思われるのに、現実には、何も起きてはいない。千年の家では六つの新聞を取っているのだが、そのうちの一つに、地域新聞『熒熒毎日新聞』がある。この新聞も毎日見せてもらっていたのだが、小さな広告欄一つさえ飛ばさずに読んだというのに、何の事件も載っていなかった。元々熒熒町は、ほとんど事件といえる事件など起きないような平和な町である。だから、ほんの些細なこと――例えば庭先のチューリップを誰かに盗まれたとか――でさえ、下手したら一面にでかでかと掲載されることがある。そういう町だから、事件が起きれば、私が分からないはずはないのだ。

「みーすずちゃんっ。まぁたまたまた事件探しに血眼かいっ?」

 静かに言いながら部屋に帰ってきたのは、勿論千年である。相変わらず物静かな風貌。異常にテンションの高い台詞回しも健在だ。

「ああ、まあね」

「そおんなに根つめて、一体何探してるのさ? この平和も平和、キング・オブ・ヘーワな熒熒町で、そんなすごい事件なんて、起きるはずナーッシング! だと思うけどなぁちとせちゃんはっ!」

「うん、まあね。でも、起きてくれなきゃ、退屈で死んでしまうよ私は」

「まじですかー」

 千年はセーラー服のままで、私の後ろに立ち、私とともに、パソコン画面を注視しているようだ。しかし、そこに私のような真剣さは感じられない。……まあ、千年から真剣さなど、感じられた事はほとんどないのだけれど。

「千年は、怪盗の話を聞いたことがあるか?」

「あーーーるよっ。ええっと、あの奇妙奇天烈摩訶不思議なお名前の怪盗さんでしょ? 確か、ええっと、カリアゲヒジキだったっけっ」

「違う」

「えー? じゃあ、えっとハリボテカジキ?」

「全く違う……」

 怪盗も、ここまで名前を知られていないのでは事件を起こす気を失くしてもおかしくはないな。千年はまだ新たな名前をひねり出そうとしていたが、私はそれを止めさせた。

「正解は、仮初非力だ」

「ああ、それそれ」

 千年は何度も肯いて、黒いショートヘアを揺らした。

「それなら、今ガッコで話題もちきり、学内騒然だよっ! あれだよねっ? 名探偵さんと勝負するー、てやつ! でしょでしょ」

「ああ。名探偵本人はやる気零だったがな」

 私はため息をつく。――あの名探偵は、何故ああも動かないのか。まったく、私に面白い話題の一つも提供できないとは!

「あー、名探偵さんと言えば、不起ちゃん、今頃どうしてるかなぁ? あれから一度も逢ってないんだよねぇっ」

「ああ、不起ねえ。そういえばそうだね、彼女はどうしてるだろうな」

 再起の妹・事件請負人・不起。彼女は私の相続した屋敷を代価に、我が亡き遠叔父の依頼を完遂し、千年の元を新しい両親が訪れるという『事件』を起こした。そのついでのように、再起をぼこぼこにやっつけて。

 そんなことを思い出しながら画面を眺めていると、一つの記事に目が留まった。

「ん……あれ、最新記事――。何々、『熒熒町の皆々様方におかれましては、いかがお過ごしかな。/私はこの町唯一の怪盗であるが、同じくこの町にただ一人の名探偵・覆水再起は私に恐れをなしたのか、何の行動も起こしていない。/しかし、私は彼に構うことなく、計画を進めている。/着々と進行中のその計画によって、この小さく平和な町は、恐怖のどん底に突き落とされるであろう。/それでは皆様、御機嫌よう。/怪盗・仮初非力』……おやおや。流石の怪盗も、あの名探偵殿には痺れを切らしたと見える」

「そうなのっ? そりゃあすごいねっ、名探偵さんには脱帽脱帽、敬服の至りだよっ!」

 千年はおおげさな台詞で、静かに騒ぎ立てた。私は何度か文面を見直すが、怪盗が次にどのような行動に出るか、全く予測がつかない。――さて、どうするか。

「しかし、まだ何の事件も起きていないわけだしな」

 呟いてから、再起の言葉を思い出す。そういえばあいつ、依頼が来てないから捜査しないというようなことを言っていたな。――ああ、何だ。なんて単純な話だ。

「千年、行くぞ」

 私はパソコンをシャットダウンして、椅子から立ち上がった。

「ふぇ。へーい、ラジャラジャラジャ~っ。ところで、何処へ何用でお出かけですかな?」

 千年は無表情に首をかしげた。

「決まっている。名探偵・覆水再起の事務所だよ。捜査の依頼にね」

 そうして私たちは千年の家を出た。

 しかし、そのまま名探偵の事務所へ行くことは出来なかった。

「君たち、この町の人?」

 道を歩いていると、そういう声とともに現れた男がいたからだ。前にもこういうことがあったせいで警戒しながら、私はそうだと答えた。その男は、再起のようにあからさまに怪しい格好をしているわけではなく、平々凡々なサラリーマンのようだ。歳はまだ若そうだが、再起よりは年長であろう。

 男は穏やかな笑みを浮かべて、肯いた。

「そっか。僕、この町に最近来たばっかりなんだけどね、迷っちゃって。良かったら、道、教えてくれないかな」

「ああ、……良いですけど、何処まで行かれるので?」

「うん、あのね、この町に、時計台あるでしょ。そこにいる怪盗さんに用があるんだ」

「…………」

 私は、目の前の男の柔和な顔をじっと見つめた。――今、さらっと聞き流してしまいそうになったが……この人、怪盗に用があると言ったな。

「ええっと、そうだ、宜しければ同行しましょう。丁度私たちも、時計台に用があるので」

「ええっ? そうだったっけ、名探偵さんにはうにゅ」

 私は慌てて、千年の口を塞ぐ。千年は舌を噛んだらしく、目に涙を浮かべて私を見た。――許せ、千年。

 男は私たちの行動には構わず、良いのかい、有難うと礼を言った。

「いやあ、この町の人は親切で良いねえ。小さいけど、平和だし」

「まあそうですね。ところで、先ほど怪盗に用があるとか仰ってましたが、知り合いなのですか」

 私と千年、それに男は、三人仲良く時計台に向かって歩きだす。男は私の問いに、明朗快活に答えた。

「そうだよ。旧い知り合いというわけでもないんだけどね」

「はあ」

 私は肯きながら相槌を打つ。隣の千年は、舌が痛いのか、急に無口キャラになってしまった。――御免、千年。

「あいつ、定期的に今回みたいなことをするんだけどね……。どうせ又落ち込んでる頃だろうから、慰めに行ってやるんだ」

「はあ……。慰めに、ですか?」

 怪盗が落ち込むだと? よく分からないな。

 男は朗らかに、微笑をたたえて話す。

「そう。あいつ、怪盗とか言ってるけど、本当は何も盗んだことなんてないんだ。怪盗失格さ。なのに、点でそれを認めようとしない。どうも、怪盗という職業に変な執着があるみたいなんだよね」

「執着、ですか……。でも、どうして定期的に落ち込むんです?」

「ああ。あいつは小心者で臆病で、チキンなんだ。だから、犯行予告をするだけした後で、怖くなって何も盗めやしないのさ」

「はあ」

 それは、……確かに怪盗失格だ。というか、それって怪盗でも何でもない、ただの犯行予告魔なのでは?

 私は多くの疑問を抱きつつ、男の話を尚も聞く。

「あいつは、……そうだな、他の町でも何回か、似たような犯行予告を出してたんだ。でも、人が騒ぎ立てて、警察やら探偵やら巷の推理マニアやらがこぞって怪盗逮捕に乗り出し始めた途端、ぱったり行方をくらましてしまってね。それで、僕は居場所を知ってたから、お見舞いに行ってみたんだよ。まあ病気してたわけじゃないんだけど。そしたらあいつ、目に涙溜めてやがんの」

 男はそこで言葉を切って、あっはっはと笑った。

「おっかしいだろ、怪盗が泣いてんだぜ。しかも、怖くて住処から一歩も出られなくて。僕が行ったら、怖かったよーって抱きついてきてね」

「はあ、……なんて言いますか、怪盗失格ですね」

「だろ? だから、今回も慰めついでにからかってこようと思ってるわけさ。君たちも一緒に来るかい? 面白い見ものだよ」

「良いんですか?」

「勿論だとも」

 男は、満面の笑みでそう答えた。私はこれ幸いとばかりに、男の横にぴったり張り付く。――これは、あらゆる意味で面白い展開になってきたぞ。

「お、時計台が見えてきたね」

 男は、嬉しそうに、視界に入ってきた時計台の尖塔を見つめた。

「あの天辺に、怪盗・仮初非力がいるはずだ」

「むうーっ、わくわくするねっ!」

 何時の間にやら回復したらしい千年が、ぴょんぴょんと大人しくジャンプする。

 時計台は、一応この小さな町の、観光スポットだ。しかし、名実ともに時計台でしかないこの建物は、時折社会科見学で子供達が訪れる時にしか、賑わいを見せない。他の日には、町民が足を運ぶことはなく、管理人のお爺さんが時たま周辺を掃除しているのを見るくらいだ。

 きいっと音を立てて時計台の扉を開くと、中はむっとしていた。管理人め、この厳しい残暑の中、窓を開けることすらしなかったというのか。私は毒づきながら、男に続いて中に入る。男は正にクールビズといった感じのワイシャツを着ていたが、それでも下がスーツのズボンなので、スカート姿の私たちよりは暑そうである。

「むむー、暑いなあ」

 男は唸るが、微笑は絶やさない。そして、ずんずんと奥へ歩いていき、やがて階段を見つけた。

「うん、上がろう」

「はーいっ」

 私と千年は、男に続いて階段を上がる。螺旋階段で、途中途中に扉がいくつかあったが、男はそれらを悉く無視して、最上階で足を止めた。そして、目の前の扉をこつこつと叩いた。

「おーい、仮初非力。僕だよ、開けてくれ」

 すると、中から弱弱しい声で、「ケーサツはいないだろうね……」、と聞こえた。男がいないと答えると、ようやく、扉が開いた。

「うわあああああっん……」

 泣き声とともに、中から人が飛び出してきて、男に抱きついた。私と千年は、目を点にする。目の前で、男に抱きついていたのは、なんとブロンドの美女だったからだ。

「怖かったよ、怖かったよぅ……、しー君が来てくれなかったらどうしようかと思って……。この町には名探偵がいるっていうから意気込んで来てみたのに、犯行予告には何の反応も返さないし、私のことを完璧に無視するし。警察はいたずら扱いで新聞の記事にもならなくて……。このまま無視され続けたら、悲しくて哀しくて泣き死ぬところだったよう……」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、女性は喚き散らした。彼女は黒いライダースーツめいたものを着ていたが、なんというか、泣き叫ぶ女性にはちょっと似合わない。

「おーおー、よしよし。君は頑張ったよ、非力。だからもう泣くなよ。お嬢さん方がびっくりしてるぞ」

 男が、女性の頭を撫でながら、そう諭す。女性は言われて初めて私たちに気付いたようで、一瞬きょとんと男を見上げてから、こちらに向き直った。――うわあ、目が青い。

「お邪魔してます」

「どうもどうも、はじめましてっ! ちとせちゃんでっす」

 私が頭を下げ、千年がピースサインで挨拶をする。女性は硬直し、見る見るうちに顔を真っ赤にし、次に青ざめた。――おお、化学反応みたいだ。

「なっ……、なっ……」

 口をぱくぱくと開け閉めして、女性は私たちを指差した。そして、涙目で男を見た。

「しー君、なんだい、なんなんだい彼女らは」

「お客様だよ。この町の人で、ここまで道案内をしてくれたんだ。お礼に、紅茶でも入れてあげてくれないか」

「だって、だって、しー君、他に誰も連れてこないって約束だったじゃないかっ!」

「そうだったっけ? まあ、良いじゃない。僕のお客様ってことで」

 女性は――仮初非力は男を睨み付けたが、男は全く気にする様子なくにっこりと微笑む。やがて非力はがっくりとうなだれて、諦めたように私たちを部屋の中へ招き入れた。部屋の中は案外普通で、所々がたがきているようではあったが、人が暮らしていくのには十分な広さと住み心地を持っているようだった。遠叔父の屋敷の、屋根裏部屋を思い出す。

「あの……、非力さんは、外国の方なんですか」

 私が聞くと、紅茶を運んできた非力は肯き、男が説明してくれた。

「そうだよ。彼女はこっちに来る前、イギリスでかのシャーロック・ホームズの子孫と丁々発止の茶番劇を演じていたのさ。けれど、日本に来る途中で飛行機事故にあってね。それで、こんな臆病者になってしまったんだよ」

「しー君、私は別に――」

 非力は反論しようとしたが、男は首を振ってそれを退けた。

「しー君……」

 非力は困ったように眉をひそめ、ため息をついた。

「しかし、非力。君はどうしてそうまでして名探偵にこだわるんだ。この間は明智小五郎の子孫、その前は金田一耕助の従妹の子孫。その前は確か、銭形平次の子孫だったね。で、今回は覆水再起……。それにしても、あいつのは自称だよ。本気で相手するような奴じゃない」

 男は、非力にそう問うた。非力はしばらく床を見つめてもじもじしていたが、やがて口を開いた。

「だって、怪盗は名探偵に捕まるしか、ないじゃないか」

「それはどういう意味だい」

「それは……」

 非力は、男に見つめられて居心地悪そうに、目をそらした。その気まずい空気を、千年が両断した。

「非力さんは、怪盗を辞めたいんですよねっ? ねっ、そうでしょ!」

「う……」

 千年の指摘に、非力はうめく。男は途端に笑顔を止め、真剣な顔で、非力の傍へ歩み寄った。

「とうとう……、止めるのかい」

「……うん。そもそも、日本に来たのだって、こっちの警察は優秀だって聞いたからだ。でも、見事に当てが外れてね。今の時代、この国では、怪盗なんて流行らないんだ。それに、狙う価値のある財宝なんてものも、この国にはない。……もう、さっさとこんな稼業は止めて、のんびりしたいんだよ私」

 非力は遠い目をして、窓の外を見る。外はすでに夕暮れに染まりつつあり、小さな町がセピア色に変わっていく。怪盗は、平凡を求めていた。

「だから、捕まって怪盗を辞めようと思ったのか。本当に君は馬鹿だな」

 男は、楽しそうにそう言った。非力は馬鹿と言われて癪に障ったのか、むっとした様子で男を見た。しかし、男は喧嘩を売ったつもりではないらしく、鷹揚に構えている。

「さっさといい男と結婚しちまえば良いんだよ。非力は美人なんだから」

「……それなら、名探偵と結婚したい」

「だから、言ったろ。名探偵なんて妄想なんだ。大体、いまどきそんなモノは存在できないんだ。良いか、もし自分で名探偵なんて口走る奴がいたら、そいつは十中八九、覆水再起か、それとも頭の足りない推理マニアだ。君だって、怪盗なんて時代遅れだと言ったろ。それと同じで、名探偵なんてのは今や絶滅危惧種なんだよ」

「うー……」

 非力は、男の弁舌に言い返すことも出来ず、黙り込む。そんな彼女を、男は慈しむように見ていた。――ん。この雰囲気は。

 男が、言った。

「非力、僕と結婚しない?」

「……え?」

 あまりにも唐突な申し出に、非力だけでなく、私と千年まで息を呑んだ。――唐突だ、唐突すぎる。……なんて奴だ。

「え……、しー君、君、今なんて」

 非力は、自身の耳を疑っているようで、問い返す。男はもう一度、恥ずかしがることなく堂々と、言ってのけた。

「非力、僕と結婚しよう」

 しないか、でも、してくれませんか、でもなく。既に自分の中で結婚が決まっているかのような、そういう言い方だ。非力は澄んだ瞳をぱちぱちと動かし、しばらく、呼吸を忘れたように口を開けていた。

「…………」

「駄目なわけはないだろ。僕と君の仲だ」

「……しー君……」

 非力は呆然と。男は悠然と。互いに、見詰め合っていた。私と千年は、静かに成り行きを見守る。――なんだ、これでは、私たちはただの観客ではないか。

「非力、どう?」

 こういう時、答えは今すぐでなくても良い、とかってよくドラマでやっているけれども。この男は、即答をお望みらしい。相当、自信があるのだろう。非力はようやく考えがまとまったらしく、おずおずと口を開いた。

「しー君、その……、一つ聞いても良いかい」

「何なりと」

「私の、どこが良いんだい」

 男は、これ以上ないというような笑顔で、非力に向かって、答えた。

「勿論、全てだよ」

 その一言で、全てが決した。


「へーえ、始起兄さんも、とうとう結婚ですか」

 覆水探偵事務所の長いすに、背中に接着剤でもついているのでは、と思うほどに寝そべり続けている再起が、葉書を手に、のんびりと言った。助手の女性は用事でもあるのか、今は不在だ。

「ああ、やっぱりお相手は仮初非力さんですね」

「分かっていたのか。再起」

 私は、机を挟んで再起の向かいに座り、聞く。再起は「ええ」、と肯く。

「始起兄さんはまともな人なんですけどね、ある日この自称・怪盗さんと遭遇してしまいまして。それから彼女にぞっこん、『奪われたのは僕のハートだ』なんて言ってましたよ。馬鹿ですよねえ」

「…………」

 ということは。

 こいつ、……始めから仮初非力が何も盗めないことを知っていたんだな。

「それにしても、良かったですね。御覧なさい、二人とも幸せそうではありませんか」

 そう言って再起が渡してくれた葉書に目をやると、純白のウエディングドレスに身を包んだ美女・非力と、幸せな空気の中で顔の筋肉がだらしなく弛緩しきった男・始起が写っていた。場所はイギリスだろうか。緑豊かで大きな庭と、教会が背景にあり、どういうわけか参列者は皆無だった。牧師すら見当たらない。

 だが、それでも写真中央の二人は、幸福そうだった。

「全く持って、確かにその通りだな」

 私はそれを机に置く。再起は頭の下で腕を組んで天井を見ながら、どうでも良さそうに言った。

「それはそうと、美寿寿さん。あなた、やっぱり私の元に帰っていらっしゃいましたね」

「…………」

 私は無言のまま、机を押し、その角を名探偵の脇腹にジャストヒットさせた。

「痛いじゃないですか。何するんです」

「何だか腹が立った」

「でも、私の言ったとおりだったじゃ……あいてててて」

 私は、すでに再起の腹に当たっている机の角を、さらに食い込ませる。

「黙れ名探偵。私はただ、あんたの傍にいれば何かしら面白いことが起きるような気がしだな……」

「はいはい、分かってますよ。実際、私の傍にいれば、何らかの事件候補は起こるでしょう。……けれど、私の傍でそれらが起こる限り、それらは事件に発展することはありませんよ。何せ私は生まれついての名探偵ですからね。全ての事件候補は、私の周りでは事件になることなく、終わるように出来ているのです」

 偉そうに、というわけではなく。ただ、ありのままの事実を淡々と説明するような口ぶりで、再起はそう言った。

 けれど。

 それでも、こいつの傍で起きる事件候補は、それだけで私にとって興味深い。それらが事件にならず仕舞いで終わるのだとしても、私の人生という暇つぶしには丁度いい。

「私はあんたの傍にいるよ。傍にいて、あんたを恨み続けながら、全ての事件候補を傍観してやる」

「そうですか。それは頼もしいことです」

 そう言って、再起は静かに目を瞑った。

最後までお読みいただき、有難う御座います。

もし何か感想等ありましたら、いただけると嬉しいです。


※続編書きました。

「覆水盆に帰らず」→http://ncode.syosetu.com/n6793v/

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