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小さな奇跡

小さな一歩

作者: 夏希青葉
掲載日:2026/05/04

以前投稿した『小さな奇跡』の続編です。全然続くと思っていませんでしたが、書き上げて投稿した途端に続きを書きたくなってしまいました。

相変わらずの主人公とクソデカグリーンインコとマリンとともに、新キャラも登場し、海斗の作品世界が少しずつ広がっていきます。

「あの、快人くんが好きです……! 私と付き合って貰えませんか!」

 その子はとても可愛くて、海斗も『ちょっといいな』と思っていた子だった。

(付き合う……って、デートとかするんだよな!?)

 半分パニックになりながら、そんなことを考える。そろそろ進学か就職か、考えなければいけない時期だった。

(デートって、もちろんデート代は俺が払わなくちゃいけないよな!?)

 そういうものだと聞いている。海斗は母子家庭で育った。バイトもしているが、お小遣いは趣味の本を買うのに消えてしまうし、それにまだ大学に行くのを諦め切れないでいた。

(俺には……まだ、早い)

「……ごめん」

 その子はパッと顔を上げた。大きな目にみるみるうちに涙が溢れる。

(あ……!)

 その子は何も言わずに駆け去ってしまった。それからしばらくして、その子と野球部の二年生エースが付き合っていると噂で聞いた。

(だよなー! こんなに地味な俺には、元々釣り合わなかったんだよ)

 それからも女の子に声を掛けられることはあっても、結局交際に進んだことはない。海斗の人生に、とてもそんな余裕はなかった。

 それから月日は流れ、海斗は26歳になっていた。2050年の春である。


〈『百鬼夜行異聞』のイラストレーターは響陽虎さんに決定しましたニャ!〉

 ラグナロク出版のAI編集、三毛猫の『シキブ』のホログラムが賑やかに告げた。

〔スゲェな! 陽虎さんに決まったんだ! 神絵師じゃねぇか!〕

 『クソデカグリーンインコ』のアバターが、PC画面の片隅でパタパタと羽ばたく。

「不勉強で申し訳ないけど、どんな絵師さんなんだ?」

 海斗が訊ねると、シキブは数枚のイラストの画像を頭上に表示した。

〈ゲームの立ち絵やラノベのイラストを主に描いてらっしゃる絵師さんですニャ!〉

 どのイラストも迫力があり、構図もカッコ良くて、大胆に筆のタッチが入ったものもある。とても個性的だ。

〔小坂井さんも頑張ったな……!〕

 クソデカグリーンインコのアバターが満足げに頷く。

〈シキブも頑張ったニャ! 陽虎先生、猫が好きだっておっしゃってたニャー!〉

 シキブは得意げにピョンピョンと跳ねた。

〔陽虎先生にもかわいいところがあるんだな……〕

 海斗は期待に胸が熱くなった。自分の小説に絵がつくのは初めてだ。

「マリン、響陽虎さんについて、もっと詳しく教えて貰えるか?」

 そわそわと訊ねると、マリンは海斗のPCモニタにいくつかの検索窓を表示した。

[響陽虎先生 ひびき ようこ イラストレーター デザイナー サムライ・ディスティニー メインキャラクターデザイン ライトノベル 明日への晩鐘 イラスト担当]

 モニタに表示されるイラストは、どれも素晴らしい出来栄えだ。

〔陽虎先生はとにかく絵柄の幅が広いんだよ! 筋肉モリモリのマッチョから、儚げな美形までなんでもござれだ。女子にエロい格好させないのもいい……!!!〕

 マリンが目をパチパチと瞬いた。

[クソデカインコ様は エッチなものを お好みのはず 意外なご感想を お持ちですね]

〔おおい!!! 俺は幸せじゃないエロはダメなんだよ!!!〕

[クソデカインコ様 意外と純情]

 モニタの中ではスカイブルーの『キヨモリ』が、我関せずといった様子でフヨフヨと泳いでいた。


「おーい、快人!」

 声をかけられて海斗は振り返った。高校時代、席が隣で仲の良かった清田拓巳だ。

「拓巳、久しぶり!」

 かつて見知った顔を見て、海斗は少しだけ緊張が解けた。今は高校時代の同窓会に来ている。

「凄いじゃないか! お前プロデビューすんだろ!? 学校でも本ばっか読んでたけど、好きこそものの上手なれとはよく言ったもんだな!」

 屈託無い笑顔とともにそう言われて、海斗はぐわっと胸が熱くなった。

「プロ!? プロってなんだよ」

 数人の同級生たちが集まってくる。海斗は途端に掌に汗をかいてしまった。

「今度コイツの本が出るんだよ! 『百鬼夜行異聞』って言う、鬼退治の本だ!」

 海斗は顔がカーッと熱くなるのを感じた。

「鬼退治? 桃太郎みたいな?」

「ちげーよ! あれだろ! 安倍晴明とか頼光四天王とかが出てくるあれだろ?」

「そう!」

 拓巳がビシッとその同級生に指を向ける。

「ゲームで良くあるやつじゃん! お前ゲームの本書いてんの?」

 海斗の毛穴という毛穴から汗が噴き出した。拓巳が言った。

「そうだ! 快人って本屋に就職したよな!? その本屋でサイン会とかやらねぇの!?」

「スゲェ! サイン会!!!」

 皆がどよめく。海斗は唇を噛み締めた。

「いや、電書だけなんだ……」

 現代、紙の本の市場はますます縮小し、本は確実に売れる作家以外は、電子書籍で出版されるのが当たり前になっていた。

「なんだ、残念……」

 皆の注目が落胆に変わり、海斗はギュッと拳を握った。

「わかった! Kondleで買うぜ! 紙の本が出たらまた連絡くれよな!」

 拓巳が励ますように肩を叩いてくれた。


「快人くん、久しぶり」

 立食パーティーで珍しいご馳走に目移りしていると、可愛らしい声が掛かった。

「真里……」

「フフッ、本が出るんだって?」

 黒髪を切り揃えた彼女はニッコリと笑った。高校時代、告白してきたあの女の子だ。

「快人くんの本なら読んでみたいなー。平安の鬼退治もの、面白そう!」

「……ありがとう」

 他になんて言えばいいんだろう。『あの時はごめん』?また同じことを言う? 『本当は君のことちょっと好きだった?』彼女が今フリーじゃなかったらどうするんだ? いや、それよりフリーだったらどうするんだ!?

「……わかってるんだ、快人くんが苦労してたってこと。でもね、女の子はいつも奢られたいって思ってるわけじゃないよ?『支える』って選択肢だってあるんだからね」


[海斗様 お帰りなさい 同窓会で 有益な出会いは ありましたか?]

 海斗はホッと息をついた。同窓会は悪くなかったが、とにかく緊張した。一人暮らしの我が家の居心地は最高だ。

「真里って子がいたんだ。マリン、お前と似た名前だよな」

 マリンはその場でクルクルと回り、クソデカインコのアバターがシュッと立ち上がった。

〔恋の匂いがしますなぁ、マリン殿!〕

[真里様とは 有益な話を されましたか?]

 二人にやいのやいのと言われ、海斗は真里の話や、話すつもりのなかった、在学中に受けた告白の話までしてしまった。

[海斗様の 恋愛観は 二十世紀のものです アップデートが 必要です]

 マリンがクルクルと回りながら主張した。

〔マリンの言う通りだよ! デート代は男が出さなきゃ、だの、家族を養う力がないとパートナーなんて持てない、だの! 共働きなんて当たり前のことだろ?〕

「そうだけど……」

〔大体高校生なんてみんな金はねぇんだよ! デートは登下校! 一緒にお勉強!! それで『今日、お父さんもお母さんも帰ってこないんだ……』ってボーナスイベントが発生するんだよ!〕

 マリンはクルクルと回った。

[クソデカグリーンインコ様は エロ展開は 望まれないはず 言行の不一致が 見受けられます]

〔こういうかわいいエロは好ましいんだよ!〕

「もう、俺のことばっかり! そういうインコはどうなんだよ!」

 海斗は少し理不尽なものを感じて、矛先をクソデカインコに向ける。

〔え? 俺? 寄ってくるのは金目当ての女ばっかりだ! 二次元の世界に逃避してなにが悪い!〕

「インコ……」

〔あっ! おまえ今憐れんでるな! やめろ!!〕

 クソデカグリーンインコ(ペンネーム)は一流国立大学卒で、現在はSEをしている。詳しく聞いたことはないが、職業にしても出身校にしても、高給取りであることは容易に想像がついた。


〈珊瑚海斗先生、イザナギ出版のアリーですワニ。今日から先生の編集を務めさせていただきますワニ〉

「こんにちはアリー、初めまして」

 タブレットの上に浮かんだ、デフォルメされたワニのホログラムに、海斗はぎこちなく挨拶した。

 このホログラム投影用タブレットは汎用のもので、ラグナロク出版から支給されたものだ。ただ、他の出版社の編集AIが使用することもできる。端末上でAI同士がスケジュール調整をすることもあった。

「じゃあアリー、君の出版社の契約約款を見せて貰えるかな?」

〈おっと海斗先生! 細かいことを気にされるんですなワニ!〉

 海斗は硬い笑みを浮かべた。

「大事なことだから……」

〈わかったワニ!〉

 タブレットにズラリと契約約款が表示される。海斗はそれを一つ一つ確認して行った。

「アリー、編集のときに誤字脱字とかを直してくれるのはいいんだけど、生成機能は使わないで欲しいんだ」

〈そうですか? でも便利ですよワニ〉

「取り敢えず、今はオフにして欲しいな」

〈わかったワニ!〉

 海斗は苦労して確認作業をしながら、『マリン』が我が家に来た時のことを思い出していた。


〔なんか妙にイラつくワニだったな……〕

 契約の確認が終わり、アリーが姿を消すと、PCの片隅で寝ていたクソデカインコが伸びをした。

「やっぱりそうか? 俺の心が狭いのかと思ってたよ」

〔キャラは立ってたけど、あんなの誰も得しないだろ……〕

 海斗は苦笑した。

「まあでも、二社目の編集がついたのは本当に嬉しいよ」

〔そうだよな! いよいよファーサムの書籍化か! 長年推してきた甲斐があったぜ!〕

「ありがとうな、インコ!」


 イザナギ出版は、海斗が若い頃から小説投稿サイト『書いてみた!』に連載してきた『ファースト・サムライ・東海に燃ゆ』の書籍化を持ちかけてきた出版社だ。平将門を描いたこのシリーズは、あまりにもマニアックで、連載当時は全く注目を集めなかった。ただ、書いていてとても楽しかったし、クソデカグリーンインコとの出会いに繋がったことにも感謝している。


〈陽虎先生のラフが上がって来ましたニャ!〉

 ラグナロク出版のシキブが、頭上にパッと複数の画像を表示した。鉛筆の力強いタッチのラフは、それだけで完成したイラストのように目を惹く。

〈晴明さんが! 晴明さんが!! メチャ美しいのですニャ!!!〉

〔ほぉ~!!! 安倍晴明美形説には昭和からの歴史があるが、その常識をさらに超えてくる先生の画力やべぇな!〕

 海斗はその白黒のラフを、深い感慨を持って受け取った。特に酒呑童子と源頼光の戦闘シーンは素晴らしい迫力で、その描写に苦労した海斗は報われた気持ちになった。

「これは……凄いご褒美だ」

〔そうだな!〕

〈陽虎先生にお伝えしておきますニャ!!〉



(岩井先生の本、追加が来てる……!)

 海斗は胸がジンとして、品出しの本を見つめた。先日海斗が発注したものだ。そして丁寧に棚に面出しで置く。直井賞作家の岩井の本は、全作品ではないが、この書店でも必ず複数作が取り扱われている。書店の仕事はとにかく忙しいが、その棚の傍を通るだけで、海斗は幸せな気持ちになるのだ。

「快人! そこ終わったら雑誌出し手伝ってくれ!」

「はい!!」

 海斗は慌てて先輩店員のヘルプに向かった。


(あいててて……)

 海斗は重い足取りで賃貸アパートの階段を上った。やはり書店の仕事は腰に来る。気をつけて作業してはいたが、若い男性店員である海斗は率先して力仕事を引き受けているので、身体的な負担も大きい。

 玄関の鍵を開け、ワンルームの我が家に入る。しっかり施錠すると、すぐにデスクのPCを起動した。サインインすると、デスクトップの右下隅でスヤスヤと寝ていたインコのアバターが起き上がる。

〔お疲れ、海斗! 今日は早かったな!〕

『インコ、ただいま。早番だったからな』

[海斗様 お帰りなさいませ 晩ご飯は どうなさいますか?]

 PC画面の中で泳いでいた紫のメンダコ『マリン』が海斗に話しかけてくる。

「腹減ったけど腰が痛いから、まな板での作業は最小限にしたい……」

[海斗様 お疲れ様です 負担の少ないレシピを 検索いたします]

「ありがとうな、マリン。 ああ、キヨモリ、おまえのご主人様の本を、今日品出ししたよ」

 デスクトップの中をフヨフヨと泳いでいたスカイブルーのメンダコ『キヨモリ』は、嬉しそうにくるり、くるりと回った。


「戦国時代!?」

〈そうですワニ。『ファースト・サムライ』は勿論傑作ですワニ。でも、平将門はあまりにもマイナーですワニ〉

(平将門、カッコいいのに……!)

 海斗は唇を噛んだ。

〈編集会議で、海斗先生には新作を書いて頂きたいというお話になりましたワニ。その際、戦国時代や三国志を書いていただけたら、きっともっと受けるという結果になりましたワニ!〉

「さ、三国志!?」

 あまりにも予想外な方向に話が進んでいて、海斗は面食らう。

〈海斗様! 戦国武将はよりどりみどり。これだけいれば、好きな武将もいるワニ?〉

(好きな武将!? そりゃあ今井兼平は絶対イケメンだけど……って、平家物語だ!)

〈絶世の美女お市様など、ヒロイン役の姫君もたくさんいるワニ!〉

(えっ……俺は静御前が一番美人だと思うんだけど……って、これも平家物語だ!)

 その後のやり取りもちぐはぐで、上手くいかなかった。

〈海斗様のKondleアカウントに戦国時代や三国志の参考文献を送りますワニ。是非、どんな武将を書きたいか、決めてくださいワニ!〉

 ワニの『アリー』は一方的に喋ってから、タブレット上から姿を消してしまった。


〔なんだあのワニ!! サンドイッチの具にしてやる!!!〕

「ははは……」

 怒り狂うクソデカグリーンインコを前に、海斗は脱力していた。

「厳しいな……プロの世界は……」

〔もうやめちまえ! こんな仕事! 話が違うじゃねぇか!! ……いや、俺が決められることじゃねぇけどさ……〕

「でも『アリー』はファーサム自体は褒めてくれたよ」

〔だったら最初から戦国で話持って来いや!!〕

「まぁね……」

 PC画面の隅で、インコのアバターがジタバタした後、バッタリとふて寝してしまった。

(さて、どうするか……)

 インコの憤りはもっともで、怒ってくれたのは嬉しかった。だけどせっかく繋がった商業誌との縁なのだ。簡単に手放してしまうのは躊躇われた。


「機材トラブル!?」

〈そ、そうですニャ! 提出直前に陽虎先生のPCが動かなくなってしまったニャー!!〉

 タブレット上でシキブが慌てふためいている。その傍に、黒猫のアバターが姿を現した。

〈シキブちゃん、ヤマトです! 先生に代わります!〉

〈すみません、響陽虎です。珊瑚海斗先生ですか?〉

「はい、陽虎先生、初めまして。PCが壊れたんですか?」

〈すみません。どうやらそのようで……PCを入れ替えるのは構わないのですが、バックアップが古くて、描き直しになると時間がかかります。ご迷惑をおかけして申し訳ございません〉

 黒猫のアバターを借りた響陽虎が、早口で状況を告げる。

〈絵が仕事なのに私はPCについて明るくなく……すみません、今、調べているところですが……〉

 海斗は目を見開いた。

「インコ! クソデカグリーンインコ!! お前先生を助けられないか!?」


(クソデカグリーンインコ、ここら辺も多いな……)

 クソデカグリーンインコ(人間)の眼前で、ゴミを漁っていたインコたち(鳥)がバサバサと飛び立った。

 インコ(人間)の出身校から逃げ出して野生化した彼らは、烏と縄張り争いをするほど増え、そして賢い。例えばゴミ袋に網をかけてある程度だと、数羽もいればそれを突破して、ゴミを荒らしてしまう。彼らの分布拡大は、西東京では社会問題となっていた。

(さて、陽虎先生の家は……)

 大抵のことには動じないインコだが、憧れの神絵師に直接会うとなると、やはり緊張する。今回来ているのは百パーセント仕事なのだが、もしタイミングが合えば、一言でもいいからファンだと告げたい。しかしそうなるには、PCを上手く再起動することは必須と言えた。

 陽虎の住まいまで来てみると、新しそうなマンションだ。流石神絵師、収入も良いのだろう。三階まで上ると、クソデカインコは武者震いをしてインターホンを押した。程なくして玄関のドアが開く。

「ああ、インコさんですね。お待ちしておりました。どうぞ中へ」

「あ、あの、響陽虎先生の奥様ですか!?」

「いえ? 私が響陽虎です」

「ひえっ!?」

 クソデカインコの声は裏返った。


「ありがとうございます! 私が動かそうとしてもウンともスンとも言わなかったのですが……」

「再起動できたので、ついでに最適化もしておきました。今後のことを考えると、もう少しメモリを積んだ方がいいかも知れませんね。ですがこれでしばらくは大丈夫だと思います」

 自分の口がペラペラと喋るのを聞きながら、クソデカグリーンインコは心中で滝の汗を流していた。

 聞いてない!!! 憧れの神絵師が女性だなんて聞いてない!!!

 ドアを開けたのが女性だとわかってから、クソデカインコは自身の安全さをアピールするために、慌てて会社の名刺を差し出し、社員証を首に掛けた。今回は恐らくラグナロク出版経由の仕事になるが、とにかく身分を明かさずに女性の部屋に入るのは憚られた。

 だが、陽虎はあまり表情も変わらず、インコをインコと呼び、男が部屋にいるのに落ち着き払っている。その態度は有り難いが、本当に申し訳なさ過ぎる。

 絵師の部屋というと雑然としているイメージがあったが、陽虎の部屋は整頓されており、そして彼女自身にも清潔感があった。

「すみません、あの、先ほどは大変な失礼を……」

 陽虎は首を傾げた。肌が白い。自宅だからメイクもしていないのか、そばかすが目についたが、小奇麗な印象は変わらない。

「何がですか?」

「そ、その、先生を男性だと思い込んでおりまして……」

 あ! 余計なことを言った!! クソデカインコは心中で焦った。だが、陽虎は表情を変えなかった。

「ああ、お気になさらず。よく間違われるんですよ。『陽子』って本名をもじっただけなんですけどね」

(いや! その字面じゃ間違われても仕方がないだろ!!!)

 クソデカインコは心中で突っ込みを入れたが、とても口にすることはできなかった。

「絵に迫力があるので、それで勘違いしたのかも知れません。本当に偏見でした。陽虎先生の絵、とてもカッコいいです」

 すると陽虎の口の端が僅かに上がる。

(あ、笑った……)

 インコはまたスッと気が遠くなりそうになった。

「キャリアが長いので、お若くてビックリしました」

 また余計なことを口にしてしまい、焦る。

「そうですか? ありがとうございます。実は先日、アラフォーの仲間入りをしたんですよ」


〈陽虎先生からイラストが納品されましたニャ! 感謝感激ですニャ!〉

「ああ、それもクソデカインコのお陰だよ。インコ、ありがとうな!」

〔ああ……〕

「ラグナロク出版の小坂井さんに連絡しておいた。請求書を出してくれって話だ」

〔わかった〕

 海斗は『百鬼夜行異聞』二巻目のリライトに入っていた。しばらく部屋にはキーボードを打つ音だけが響く。

[クソデカグリーンインコ様 お疲れですか いつも騒々しいのに 静かですね]

 マリンの言葉に、インコのアバターがむっくりと起き出した。

〔なあ海斗、三五歳で独身ってことは、独り身に満足してるってことだよな?〕

「そうなのか? 俺はまだアラサーだからよくわからないな」

〔眼鏡のキャラを描くときにモデルにしたいって言われたんだけど、行っていいものだろうか……〕

「んん? 陽虎先生のことか? いいじゃないか。行ってこいよ」


〈売れ行きはまずまず! でもまだ上を目指せますニャ!〉

 シキブが頭上に電子書籍『百鬼夜行異聞』のDL数グラフを表示する。初月のDL数は順調に伸び、上手くいけば千に迫るかも知れないところまで来た。

「もうこんなに買ってくれたのか……!」

 海斗はじんわりと胸が温かくなった。自分の本を買い、端末で読んでくれている人たちの姿を想像する。

[海斗様 おめでとうございます 再来月末には 印税一万円以上が 期待できます]

「一万円か……! めちゃくちゃ助かる!」

 二十代の書店員である海斗の月収はそれほど多くない。万単位の副収入があれば、生活にも少し余裕が出るだろう。

〔良かったな、海斗! 俺も改めて読んだが、リライトでメチャ良くなってる! 夢中で読み尽くしたわ! 二巻も楽しみにしてるぜ!〕

「インコもありがとう! お前が陽虎先生のところに行ってくれたから、無事スケジュール通りに発売できたんだと思うよ」

〔そ、そうだな……!〕

「ところでお前、陽虎先生のモデルはやったのか?」

 するとPC画面片隅のインコのアバターが、挙動不審な動きをした。

〔あ、ああ……。それと、修理後の動作がすごくいいからって、今度先生の新しいPC組むことになった〕

「そうか! それは先生も助かるだろうな!」


 海斗のPCはクソデカグリーンインコがパーツを組んでくれたものだ。予算を聞かれて「十万円……」と答えたのだが、その金額内で、とても快適なPCを組んでくれた。「技術料が入っていないんじゃないか!?」と心配したのだが、「インコのアバターのテストも兼ねてる」との答えだ。結局それに甘えて、海斗は何不自由ないPC生活を送っている。

[クソデカグリーンインコ様の 技術力は 素晴らしいです このPCは とても 住みやすいです]

 PC画面の中を泳いでいたマリンが、くるり、くるりと回った。


 夕暮れの空をギャアギャアと鳥の群れが飛んでいる。それらはサーッと移動すると、電線にぎっしりと止まった。

(クソデカグリーンインコ、夏でも元気だな……)

 海斗は額の汗を拭った。インコ(鳥)が夏でも活発なのは、元々が熱帯産だかららしい。

 現代東京の夏は毎日が猛暑日、昼間の外出は子供や高齢者は原則控えることになっている。成人でも昼間は屋内で過ごし、出かけるのは早朝か日暮れになってからが推奨されていた。


「まあ、お気を遣われなくてよかったのですが。お呼び立てしたのは私の方ですよ」

「いえ、今の時期は女性は外に出ない方がいいですよ」

「東京も暑くなったものね……」

 岩井の娘は老舗の羊羹を大事そうに卓上に置いた。その脇にはタブレットが置かれ、メンダコのホログラムが浮かんでいる。海斗のPCに人格をコピーしてのけた、『オリジナル』のマリンとキヨモリだ。

「『百鬼夜行異聞』、大変結構なお話でした」

「え、ええっ!? あれを読まれたのですか!?」

 上品なお年寄りにラノベを読まれてしまい、海斗は焦った。

「私のようなお婆さんが電子書籍を読むのはおかしいかしら? 確かに紙の本しかない時代は通ってきていますけれど」

「そ、そうですね……! 大変失礼いたしました。その、あのような娯楽作を読んでくださいまして……」

 恐縮すると、岩井の娘は視線を和らげた。

「平安の夜に蠢く闇がとても良かったですわ。あとは晴明さんがお綺麗でビックリしました」

「そっ……それは、素晴らしいイラストレーターさんがついてくれまして……!」

「絵が見られるのは流行りものの本ならではでしょうね」

 プロデビューをひとしきり祝われた後、海斗は悩みを口にした。

「その……ある出版社から、『戦国を書きましょう』と言われているんです。魅力的な武将たちがいるのに、参考文献を読んでもピンとこなくて、参っています。岩井先生のように平安・鎌倉ばかりを書けたらいいのですが……」

 岩井の娘は目を丸くし、そして笑った。

「あら、父もいろいろ言われたものです。戦国時代を書けとか、三国志を書けとか」

「岩井先生もそんなことを言われたんですか!?」

 海斗は心底驚いた。岩井の娘は穏やかに笑う。

「そんなことを言われてばかりでしたわ。頑として書きませんでしたけど」

「そうですか……。AI編集に聞いてみましたが、戦国時代も三国志も、市場規模が全然違うそうですね……」

「お嫌いではないのですよね?」

「はい! でも、自分で書こうとしても、なにも出てこないのです」

 するとタブレット上のメンダコが、くるり、くるりと回った。

[まーた 三国志だよ キヨモリ 書こうとしても なーんも出てこない それだけなんだけどねぇ]

「キヨモリ!」

「まぁ……!」

 二人は顔を見合わせて笑った。

「海斗先生がお越しくださると、どうもキヨモリがよく現れるようですわ」

「嬉しいです……」

 岩井の娘は、じっと海斗の目を見た。

「あなたが娯楽作品を書いていることを、遠回りだと感じているのなら、それは違いますよ。字書きは書いただけ、読んだだけ、そのまま文章が書き手としての血肉となっていきます」

 海斗は目を瞠った。

「あなたはまだ二十代。正しく前に進んでいます。どうぞ恐れずに」

 目の前の老女の顔には、確かに著者近影で見た岩井正章の面影があった。


『快人くん、『百鬼夜行異聞』サイコーだったよ♪ 晴明様美しすぎ><! 感想話したいから、今度二人で会わない!?』

 そんなPINEメッセージが届いたのは、しばらく経ってからのことだ。

「真里……!」

 そう言えば、同窓会で連絡先を交換していた。海斗の本が出たから、それで思い出してくれたのだろう。

『『支える』って選択肢だってあるんだからね?』

 あの一言が、海斗の頭の隅に残っている。だけど、海斗だって、初の書籍化で未来が開けてきていると感じている。昔の憧れが目の前に戻ってきたのだから、手を伸ばしてもいいんじゃないだろうか。

 海斗はしばらく悩んだ末、『火曜日は早番だから、職場の駅ビルの隣にあるベニーズでご飯でも食べようか』と返信した。


 別に悪いことをしている訳じゃないのに、海斗はクソデカインコにもマリンにも、真里と会うことを明かせなかった。

 『昔ちょっと好きだった子と会う』、そんな話にあの二人が食いついて来ないわけがない。

(上手くいくとも限らないんだし……会ってから話したって遅くはないよな)

 海斗は心中そんな言い訳をしながら、火曜日を迎えた。


 早番の朝は忙しい。体力を使う品出しが終わると、今度は接客、そして発注作業などに次々と追われた。だけど書店勤務はそもそも忙しいので、いつも通りの毎日とも言えた。

 夕方に近づくと、胸が浮き立ってきた。だが、異変が起きたのは、早番の定時前のことだ。

「金沢さん! 大丈夫ですか!?」

 海斗はその声のした方に慌てて足を向けた。ベテラン店員の金沢が、腰を押さえて呻いている。彼は遅番だ。

「動いちゃダメです! 」

 バイトの小林が狼狽している。海斗はすぐに二人に声を掛けた。

「小林さん、病院に付き添ってあげることはできる? 金沢さん、俺がこの場は引き受けます!」

 言って返品の雑誌の束を持ち上げる。ズシリと重かった。いつもより多く、これならベテランでも腰を痛めてしまう可能性はある。分けて束にすべきところだったが、気が急いたのだろう。

 金沢ほどではないが、勤続八年の海斗だって古株と言っていい。正社員だから、アルバイトより責任も重い。金沢の仕事を引き継ぎ、そして夕方で混み合うレジに入った。仕事に追いまくられるうちに時間は飛ぶように過ぎ、そして気づいた。

(真里……!)

 隙を見てバックヤードに入り、スマホを見る。するとPINEの連絡が数件、ロック画面に表示されていた。

『快人くん、18時半で合ってた?』

『ドリンクバー注文して待ってるね』

『PINE見てる?』

『ごめんね、帰る。また機会があったら遊ぼうね!』

 最後のメッセージは一時間前。申し訳なくて胸が痛んだ。突然のアクシデントに、予定が頭から飛んでしまったのだ。

 遅番の金沢の業務を最後まで終えると、海斗は真里にPINEで連絡を入れた。だが、既読がついても返信は来ない。

 重い足取りで職場を出た。もう行っても仕方がないのに、隣のビルのベニーズに向かう。とぼとぼと店に入り、席を見渡した。ファミレスは席の仕切りが高く、見通しが悪いが、見た限り、真里と思われる客はいない。

(もう遅いし、ここで食べていくか……)

 安い店だから、海斗の財布でもなんとかなる。たまには贅沢したっていいし、そもそも今日はここで食べる予定だった。店員に案内され、席に向かう。沈痛な面持ちでメニューを見ていると、観葉植物が置かれたパーティションの向こうから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「初デートがファミレスなの、それはいいよ。でも、連絡もくれずにドタキャンなんて、あんまりだよ!」

(真里……!?)

 メニューに顔を隠すようにして、隣の席を見る。だが、パーティションが邪魔をして、頭のてっぺんしか見えなかった。

「スポーツやってないけどそこそこ高身長だし、可愛いし、本当は快人くんが一番良かったの!」

 間違いなく真里だ。電話でくだを巻いているんだろうか。

「絶対気があると思ったから告白したのに、フラれるし! だから勇二と付き合ったのに、結局プロにはなれないし! 大学まで付き合ったのに……! 私、自分の一番綺麗な時を無駄にした!」

「真里は終わってなんかいない! また素敵な人が現れるよ!」

 違う女の子の声が聞こえてきて、海斗は目を瞠り、ゆっくりとメニューを卓上に置いた。どうやら真里は、ファミレスに友人を呼んで、悩みを相談しているようだ。

(私、自分の一番綺麗な時を無駄にした!)

 その声は、海斗の耳にとても悲痛に響いた。素直な本音だな、そうも思った。

(まだ、全然綺麗だけどな……)

 ちゃんと手入れをしていれば、女性はいつまでも美しいと海斗は思っている。岩井の娘も恐らく七十代だが、とても綺麗な人だと海斗は感じていた。

 声を震わせ、泣きじゃくる真里を、親友らしき女の子がずっと慰めている。海斗はメニューを仕舞うと、静かに席を立った。

(あの友達が、真里にとってのクソデカグリーンインコなんだな……)

『有名人の妻になる』

 素直で正直な願望だ。海斗は少し考えて、だけどれが『目的』になっている女性は、あまり好きではないな、そう思った。

 ラノベ作家なんて、吹けば飛ぶような身分だ。ほとんどが副業で、専業でやっていける作家はほんの一握りだ。海斗だって、今後書店員を辞められるほどの収入を作家として得られるとは、とても思えなかった。

 結局このまま海斗が有名になれなかったら、真理はまた人生を無駄にしたと思うだろう。それは気の毒だった。

 真里はとても可愛いけれど、顔だけが好きな人と一緒に過ごしても、海斗だってきっと安らげないと思う。真里も本音が言えない相手と過ごすのは苦しいだろう。

(ワンルームと、インコとマリンとキヨモリのいるPC。今の俺は結局、そこが一番好きだな……)


〈え、ええっ!? 海斗様、な、なんとおっしゃいましたワニ!〉

「だからアリー、『ファースト・サムライ』はKondleの自費出版で出すよ。三国志も戦国も書けないんだ」

〈さ、参考文献は……〉

「全部読んだよ。ありがとう、面白かった。でも、書こうとしても自分では書けなかったんだ」

 これはなんの偽りもない事実であり、海斗の本心だった。

「申し訳ないけれど、契約は解除になると思う。アリー、今までありがとう。短い間だったけど、楽しかったよ」

〈ま、待ってくださいワニ! へ、編集会議をしてくるワニ!!!〉

 タブレット上のワニはポンと煙を立てて消えた。

〔ワハハハハ!!! ざまぁ見ろ、ワニ野郎!!! 俺のファーサムの良さがわからないから、こんなことになるんだ!!!〕

 クソデカグリーンインコが起き出して、ハイテンションで騒いでいる。

「単純に残念だけどね。俺の作品世界の狭さを思い知らされたよ。いい勉強になった」

 マリンがくるくる回りながら言った。

[海斗様は まだ二十代 お気を落とさず これから作風も 広がっていきます]

〔そうだそうだ! 俺だってお前より年上なのに、全然声が掛からねぇ! お前は本物だよ。胸張って、今は書けるものを書いていればいいんだ!〕

「インコは一流大学を出て、一流企業で働いているじゃないか。俺こそインコには一生叶わないよ……」


 開店直後のレジ打ちが一段落し、ホッと息をついた海斗は、ふとスマホが震えるのを感じた。首を傾げてバックヤードに入ってみると、何件も着信がついている。見覚えのない電話番号だった。詐欺が怖かったが、その番号でネット検索してみると、ある出版社がヒットした。

(ナイル文芸……?)

 海斗は目を瞠り、震える手でその番号に電話を掛けた。

『ああ、珊瑚海斗先生! ナイル文芸の本田です。このたび先生の作品『熊谷直実物語』が、ナイル文芸賞奨励賞を受賞いたしました。つきましては、準備が出来次第、AI編集を派遣いたします……』


 海斗の取った小さな賞は、環境を劇的に変えた。売れ行き好調だった『百鬼夜行異聞』は、受賞によってさらにDL数が増え、紙の書籍での刊行が決まった。書店の仲間たちも大喜びで、紙の本の発売と共に、海斗のサイン会も開催されることになった。


〈珊瑚海斗様! このたびはナイル文芸賞受賞おめでとうございますワニ! つきましては、海斗様の『ファースト・サムライ』を弊社で刊行することになりましたワニ!〉

〔ケッ! 調子のいいワニだぜ!〕

 聞こえよがしに言うクソデカインコに、海斗も噴き出してしまう。

〈では海斗様、『ファースト・サムライ・東海に燃ゆ』……まず、タイトルをなんとかしましょうかワニ!!〉

(ですよねー!!)


〔いいか、あのワニには折れるなよ! お前が十代から書き継いできた傑作だ! 架空のヒロインとか、そういうのは断固お断りだぞ!!!〕

 空に向かってパンチを繰り出すインコのアバターに、海斗は苦笑した。

「いや、リライトは必要だよ。文章が硬いし、それに今見ると考証の間違いもある。しっかり調べて、アリーと一緒に書いていくよ」

 海斗は微笑んだ。最近よく笑っている気がする。これも環境の変化の製だろうか。

「ところでインコ、陽虎先生とは上手く行ってるのか?」

〔はひゃっ!?〕

 インコが潰れた声を出した。そして盛大に汗をかいている。

〔お、おま、陽虎先生が女性だと、ど、どうして……〕

「え?そうだろ? 俺は当然女性だと思ってたけど。違うのか? 俺も本名とPNが同じ読みだし、普通に陽子さんだと思ってたよ」

 インコのアバターがバッタリと伏せた。

〔海斗、俺のことイケメンだと思う? せめてフツメンであって欲しい……〕

 顔を押さえたままのインコが、モゴモゴと言う。

「うーん、実際会ったのが昔すぎる。眼鏡かけてたことしか覚えてないなぁ」

〔陽虎先生、基本的に表情がないんだけど、思わず絵を褒めたら笑ってくれて……あ、あの顔が、また見たい……!〕

「へぇ! 笑顔で落ちたのか。陽虎先生はおまえにとっての八ツ橋なんだな」

〔なにそれ海斗、歌舞伎の話!? ちょっと詳しく教えてくれよ!〕

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