第8話「本能という名の暴力」
翌朝。
ロクマデスは図書館の裏庭にいた。
トラハナスが前に立ち、腕を組んでいる。
「まず、基本だ」
トラハナスは拳を構えた。
「ギに頼らず戦うには、身体を知る必要がある。呼吸、重心、力の流れ——全てを意識しろ」
ロクマデスも構えた。
だが——。
「遅い」
トラハナスの拳が、ロクマデスの腹に入った。
「ぐっ……」
ロクマデスは倒れた。
「立て。もう一度」
ロクマデスは立ち上がった。
今度は、トラハナスの動きを読もうとする。
だが——。
「甘い」
また倒された。
「なぜ……」
ロクマデスは歯を食いしばった。
身体が動かない。
ギを使っていた時は、こんなに遅くなかった。
「お前の身体は、ギに慣れすぎている」
トラハナスは言った。
「ギが動きを補助していた。だから、本来の力を使う方法を忘れている」
「じゃあ——」
「取り戻すしかない。時間はかかる」
トラハナスは続けた。
「だが、それが唯一の道だ」
ロクマデスは何度も立ち上がった。
何度も倒された。
昼が過ぎ、夕方になっても——。
「まだだ。もう一度」
トラハナスは容赦ない。
ロクマデスは限界だった。
全身が痛い。呼吸が荒い。
「無理だ……」
呟いた。
「無理じゃない。お前はできる」
トラハナスは厳しい顔で言った。
「ギなしで戦えた人間は、歴史上いくらでもいる。お前もその一人になれる」
「でも——」
その時。
地面が揺れた。
「……来たか」
トラハナスは身構えた。
入口から、巨大な影が現れた。
カラマリだ。
「よう、トラハナス。訓練か?」
カラマリは笑った。
「悪いが、お前の訓練は無駄だ」
「カラマリ……」
トラハナスは剣を構えた。
「何の用だ」
「決まってる。実戦だ」
カラマリは腕輪を叩いた。
筋肉が膨張し、腕が巨大化する。
「訓練なんて生ぬるい。実戦で鍛えろ」
カラマリはロクマデスを指差した。
「お前、俺と戦え」
ロクマデスは後ずさった。
無理だ。
今の自分では——。
「逃げるな!」
カラマリが飛びかかった。
速い。
ロクマデスは避けようとしたが、身体が動かない。
拳が迫る——。
「させるか!」
トラハナスが割って入った。
素手で、カラマリの拳を受け止める。
「っ……」
トラハナスは膝をつきかけたが、踏ん張った。
「ロクマデス! 逃げろ!」
「でも——」
「いいから逃げろ!」
ロクマデスは走り出した。
だが——。
「逃がすか!」
カラマリがトラハナスを振り払い、追いかけてきた。
地面が砕ける。
建物が倒れる。
圧倒的な力だ。
ロクマデスは必死で走った。
だが、距離が縮まる。
「終わりだ!」
カラマリの拳が振り下ろされる——。
ロクマデスは横に飛んだ。
拳が地面に叩きつけられ、巨大なクレーターができた。
「ほう、避けたか」
カラマリは笑った。
「だが、次は?」
再び拳が迫る。
ロクマデスは——。
胸のネックレスが熱くなる。
使えば——勝てる。
でも——。
「ロクマデス!」
メゼの声。
メゼが駆けつけてきた。
「ギを使うな! それじゃ意味がない!」
「でも——」
「思い出して!」
メゼは叫んだ。
「あなたが最初に戦ったとき、ギは使ってなかった! 記憶がない状態で、それでも戦えた!」
ロクマデスはハッとした。
そうだ。
最初の戦闘——。
あの時、自分は——。
記憶がなかった。
でも、身体は動いた。
なぜ——?
「身体が覚えているのよ!」
メゼは続けた。
「あなたの身体は、戦い方を知っている。思い出して!」
ロクマデスは目を閉じた。
思い出せ。
あの時の感覚を。
ギを使う前の——。
カラマリの拳が迫る。
ロクマデスは——動いた。
意識せずに。
身体が勝手に動いた。
最小限の動きで、拳を避ける。
「……おっ?」
カラマリが驚いた。
ロクマデスは自分でも驚いていた。
避けられた。
ギなしで。
「もう一回だ!」
カラマリが連続で拳を振るう。
ロクマデスは避け続けた。
身体が——覚えている。
戦闘の本能が——。
「面白い!」
カラマリは笑った。
「だが、避けるだけじゃ勝てないぞ!」
カラマリの拳が加速する。
ロクマデスは——限界だった。
避けきれない。
拳が腹に入る。
「がっ……!」
吹き飛ばされ、壁に激突する。
視界が揺れる。
「やはり、ギなしじゃこの程度か」
カラマリは近づいてきた。
「お前の本能は悪くない。だが、俺には及ばない」
カラマリは拳を振り上げた。
「終わりだ」
ロクマデスは——。
動けない。
身体が言うことを聞かない。
これで——終わりか?
その時。
「やめろ!」
トラハナスが飛びかかった。
カラマリの腕に掴みつく。
「お前……まだ動けたのか」
「当たり前だ」
トラハナスは血を流しながら笑った。
「彼を守るためなら、何度でも立つ」
「馬鹿が」
カラマリはトラハナスを振り払った。
トラハナスは地面に倒れた。
動かない。
「トラハナス!」
メゼが駆け寄った。
「しっかりして!」
トラハナスは目を開けた。
「大丈夫だ……まだ、死んでない」
そして、ロクマデスを見た。
「お前は……できる……」
「でも——」
「信じろ……自分の身体を……」
トラハナスは目を閉じた。
気を失った。
カラマリは笑った。
「所詮、ギなしは無力だ」
そして、ロクマデスに向き直った。
「さて、どうする? ギを使うか?」
ロクマデスは拳を握った。
ギを使えば——勝てる。
でも、それでは——。
トラハナスの言葉が頭をよぎる。
『お前はできる』
本当に?
本当に、自分は——。
ネックレスが熱くなる。
真紅の光が漏れる。
誘惑が——。
「ロクマデス!」
メゼが叫んだ。
「あなたの身体は知ってる! 記憶がなくても戦えた! それは、身体が覚えてるから!」
メゼは涙を流した。
「だから、信じて! 自分を!」
ロクマデスは——。
深呼吸した。
ギの誘惑を、振り払う。
そして——。
目を開けた。
「わかった」
ロクマデスは立ち上がった。
「もう一度、やる」
カラマリは笑った。
「面白い! 来い!」
カラマリが拳を振るった。
ロクマデスは——。
避けた。
今度は、もっと速く。
もっと正確に。
身体が——思い出し始めている。
戦い方を。
ギなしで戦う方法を。
「いいぞ!」
カラマリは楽しそうだ。
「だが、まだ足りない!」
拳が加速する。
ロクマデスは避け続けた。
だが——反撃できない。
避けるだけで精一杯だ。
「限界だな」
カラマリは止まった。
「今日はここまでだ」
「え?」
「お前、まだ面白くなる。もっと強くなれ」
カラマリは背を向けた。
「次に会うときは、本気で戦おう」
そして、去っていった。
ロクマデスは膝をついた。
限界だった。
全身が痛い。
でも——。
「できた……」
呟いた。
ギなしで——戦えた。
まだ弱い。
でも、可能性は見えた。
メゼが駆け寄ってきた。
「大丈夫?」
「ああ。なんとか」
メゼは微笑んだ。
「よくやったわ」
ロクマデスはトラハナスを見た。
彼はまだ気を失っている。
「彼は?」
「大丈夫。医者を呼んだわ」
ロクマデスは安堵した。
そして——。
胸のネックレスを見た。
金色と真紅が混ざっている。
今日は、使わなかった。
それだけで——。
少しだけ、希望が見えた気がした。




