第6話「真紅の覚醒」
グリコが倒れた。
血が流れている。
動かない。
「グリコ……」
ロクマデスは呟いた。
声が震えている。
メゼが駆け寄り、グリコを抱き上げた。
「まだ息がある! でも、このままじゃ——」
カサタは冷静に言った。
「致命傷ではない。だが放置すれば死ぬ。計算通りだ」
「計算……通り……?」
ロクマデスは立ち上がった。
胸の奥から、何かが湧き上がる。
怒り。
いや、それだけじゃない。
喪失。
大切なものを失う恐怖。
二つの感情が混ざり合い——。
ネックレスが輝いた。
今までとは違う。
金色ではない。
真紅。
血のような、深紅の光。
「これは——」
カサタが初めて、驚愕の表情を浮かべた。
「予測外……?」
ロクマデスの身体が浮いた。
いや、浮いているわけではない。地面を蹴る力が強すぎて、宙に浮いているように見える。
「許さない」
ロクマデスは低く言った。
「お前を、許さない」
瞬間、ロクマデスが消えた。
カサタは反応した。
思考速度を最大まで加速させ、予測線を展開する。
だが——。
「速すぎる……!」
ロクマデスの拳が、カサタの腹に叩き込まれた。
カサタは吹き飛び、建物の壁に激突した。
「ぐ……あ……」
血を吐く。
ロクマデスは追撃した。
容赦ない。
拳。蹴り。肘打ち。
全てが、カサタに当たる。
「やめろ……計算が……追いつかない……」
カサタは防戦一方だった。
思考速度加速では対応できない。
なぜ——?
「感情は……非効率……じゃ……ない……のか……?」
カサタは呟いた。
ロクマデスは答えなかった。
ただ、殴り続けた。
怒りと喪失。
二つの感情が力を生み出す。
メゼは叫んだ。
「ロクマデス! やめて! 殺しちゃう!」
だがロクマデスは止まらない。
もう、何も聞こえていない。
ただ——目の前の敵を倒すことだけを考えている。
「ロクマデス!」
メゼが飛びかかり、ロクマデスを羽交い絞めにした。
「落ち着いて! お願い!」
ロクマデスは暴れた。
だがメゼは離さない。
「あなたは、こんな人じゃない! 思い出して!」
メゼの声が、ようやく届いた。
ロクマデスは動きを止めた。
真紅の光が、ゆっくりと消えていく。
金色に戻る。
いや——完全には戻らない。
金色の中に、真紅が混ざっている。
「はぁ……はぁ……」
ロクマデスは膝をついた。
全身から力が抜ける。
カサタは壁に寄りかかったまま、血を流していた。
「俺の……負けか……」
カサタは笑った。
「感情は……計算できない……予測不能……だから……強い……」
そして、気を失った。
メゼはグリコを抱えた。
「急いで! 彼女を医者に!」
ロクマデスは頷いた。
三人は——いや、二人は走り出した。
グリコを連れて。
医者の診断は厳しかった。
「一命は取り留めた。だが、しばらく安静が必要だ。少なくとも一ヶ月は動けない」
メゼは安堵のため息をついた。
「よかった……」
ロクマデスは黙ってグリコを見ていた。
ベッドに横たわる彼女。
包帯が巻かれ、顔色が悪い。
でも——生きている。
「ロクマデス」
メゼが呼んだ。
「あなた、覚えてる? さっきの戦闘」
「……ああ」
「嘘」
メゼは鋭く言った。
「あなた、何か忘れてるでしょう」
ロクマデスはハッとした。
そうだ。
何かを忘れている。
でも——何を?
「彼女の名前、言ってみて」
メゼはグリコを指差した。
ロクマデスは口を開いた。
だが——言葉が出ない。
「……」
名前が、思い出せない。
彼女は誰だ?
いや、知っている。大切な人だ。
笑顔の優しい少女。
でも——名前が——。
「グリコよ」
メゼは静かに言った。
「彼女の名前は、グリコ」
ロクマデスは愕然とした。
忘れていた。
彼女の名前を。
「これが、第二覚醒の代償」
メゼは続けた。
「怒りと喪失で力を得た。でも、その分——大切な記憶が消えた」
「そんな……」
ロクマデスは頭を抱えた。
「俺は、何をしている……」
「力を求めている。勝つために」
メゼは悲しそうに言った。
「でも、勝つたびに自分を失っている」
ロクマデスは何も言えなかった。
ただ、胸が痛かった。
名前を忘れるなんて。
こんなにも大切な人の名前を。
「メゼ」
ロクマデスは尋ねた。
「俺は、このままじゃダメなのか?」
「ダメよ」
メゼは即答した。
「このままじゃ、あなたはバクラヴァと同じになる。人格が消えて、ギに支配される」
「じゃあ——」
「ギを使わないか、感情のバランスを取るしかない」
メゼは窓の外を見た。
「でも、あなたにそれができる? バクラヴァは追ってくる。カサタのような敵もまだいる」
ロクマデスは拳を握った。
できるのか——?
その時、グリコが目を開けた。
「……あれ?」
小さな声。
「グリコ!」
メゼが駆け寄った。
グリコは弱々しく笑った。
「メゼさん……よかった、生きてた」
「当たり前でしょう。あなたもよ」
グリコはロクマデスを見た。
「ロクマデス……」
ロクマデスは近づいた。
「ああ。俺だ」
「よかった……あなたも無事で」
グリコは手を伸ばした。
ロクマデスはその手を握った。
「ねえ、ロクマデス」
グリコは尋ねた。
「私のこと、覚えてる?」
ロクマデスは頷いた。
「ああ。覚えてる」
嘘だった。
名前は思い出せない。
でも——彼女が大切な人だということは、わかる。
だから、嘘をついた。
グリコは安心したように笑った。
「そっか……よかった」
そして、また眠りについた。
メゼは小さく呟いた。
「優しい嘘ね」
「……すまない」
「謝らなくていい。でも——」
メゼはロクマデスを見た。
「次はないわ。これ以上記憶を失ったら、もう戻れない」
ロクマデスは黙って頷いた。
わかっている。
でも——どうすればいい?
答えは、まだ見つからない。
窓の外で、風が吹いた。
遠くから——強大な気配が近づいてくる。
「……来る」
メゼが呟いた。
「バクラヴァ?」
「ええ。彼は、あなたのギを諦めていない」
ロクマデスは立ち上がった。
「いつ?」
「わからない。でも、そう遠くない」
メゼは剣を掴んだ。
「今度こそ、準備しないと」
ロクマデスは窓の外を見た。
バクラヴァ。
圧倒的な力を持つ男。
あいつに——勝てるのか?
第二覚醒でカサタには勝てた。
でも、その代償は重すぎた。
次に力を使えば——。
「俺は、消える」
ロクマデスは呟いた。
メゼは答えなかった。
ただ、静かに立っていた。
部屋には、グリコの穏やかな寝息だけが響いていた。




