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インペリアル・トパーズ-アマンダとクラリスの話-(上)

 アマンダが『宝石人形(ドール)』を初めて見たのは、彼女がとある貴族の屋敷で働き始めて三週間が経った頃のことだった。

 

 『宝石人形(ドール)』とは、貴族や豪商によって買い上げられた見目麗しい少年少女たちを指す言葉である。彼等は大抵が口減しのために家族に売られたか、身寄りが無く身を売る以外に生きる術のなかった孤児達であり、買われた段階で人としての権利を剥奪される。とは言え、何も粗末に扱われるわけではない。彼等は『宝石人形(ドール)』の名の通りに買い上げた人間の所有物となって、その身を絢爛豪華に飾り立てられ、生きた人形として主人の目を楽しませるのだ。『宝石人形(ドール)』は富の象徴であり、どれだけ美しく、煌びやかに、かつ従順に躾けられるかが主人の格を表すとされている。そのためアマンダの働く屋敷でも、『宝石人形(ドール)』はわざわざ別棟を与えられて、ベテランの使用人が複数付いた至れり尽くせりの生活を送っていた。

 

 アマンダは貧民でこそないが、王都では無償の初等学校にしか通えなかった平民の出である。学校を卒業した後は親族の伝手で商家の下働きをして家計を支えていた。しかし、勤め先が事業を畳むとのことで新しい稼ぎ口が必要となり、紹介されたのがこの屋敷でのハウスメイドの仕事だったのだ。路頭に迷わずに済んだのは有難いことであったが、最低限の教養しかないアマンダは、メイドの中でも立場は下っ端である。時には主人に直接仕えるような立場のメイドが世話をしている『宝石人形(ドール)』と接点などあるはずもなく、働き始めた初日に別棟には近付くなと言い含められたきりで、そんな存在がいることも半ば忘れていたのだった。


 ――だってアタシみたいな下々の者は、そもそも本物の『宝石』だって見ることはまずないもんね。


 アマンダは内心で独りごちながら、視界の端に映る金髪の少女をチラチラと見る。今年で十八になるアマンダよりも五つは幼いのではないだろうか。雪のように白い肌をしたその『宝石人形(ドール)』は、艶々とした柔らかな金髪も相まって、まるで教会のステンドグラスに描かれた天使がそのまま抜け出して来たかのような可憐な少女だった。

 小さな木の椅子にちょこんと腰掛けてあちこちを見回している彼女は、アマンダが掃除をしていた出入り業者用の区画に突然現れたのだ。最初はまだ顔を見たことのない主人の家族か客人かと思ったものの、首に嵌められた豪奢な首輪とそこに下げられた美しく輝く宝石に、アマンダは彼女こそがこの屋敷の『宝石人形(ドール)』だと気が付くことができた。

 どうしたものかと困惑して声もかけられずにいたアマンダに、『宝石人形(ドール)』の少女は柔らかく笑うと、息抜きに散歩をしていただけだから、ここで少し休ませてくれないかと言った。雇われの身であるアマンダにはその要望を断る権利も度胸もなく、部屋の隅で静かに座る少女を視界の端に捉えながら、仕事として言い付けられた掃除を黙って続けているのである。


 ――それにしても、大丈夫なのかな、これ。アタシ、後で折檻されたりしないよね?


 平然とした顔で床を掃き、窓を拭きながらも、アマンダはどうにも落ち着かなかった。『宝石人形(ドール)』と言えば基本は別棟に篭りきりで、たまに庭を散歩していることもあるらしいが、外に出るとすれば主人に付き従ってパーティに赴く時程度である、と彼女は先輩達から聞かされていた。別棟の中にいる時ですら、必ず一人はメイドが側につく程大切にされているのだと。そんな文字通りに『宝物』の少女が、見たところ誰も供を付けずに本館の端にある区画に現れて、帰る気配がない。誰かに知らせたほうが良いのではないか、自分が連れ出したと思われるのでは……と、アマンダは少しずつ不安が込み上げるのを感じていた。

 半ば機械的に動かしていた雑巾が、磨き上げられたガラスに擦れてキュッと小さな音を立てる。この部屋の窓はこれが最後だ。アマンダはこのまま隣の部屋に移動して掃除を続けなければならないが、流石に誰もいない部屋に『宝石人形(ドール)』を一人で置いてはいけない。意を決して声をかけようと体を少女の方に向けた瞬間、それまで黙っていた彼女は見計らったかのように口を開いた。


「ねぇ、あなたはお屋敷に最近来た人?」

「へ? ……えぇ、まぁ、そうですけど」


 まさか先に声をかけられるとは思わず、アマンダは間抜けな声を上げて緩慢に頷く。『宝石人形(ドール)』の少女はそう、と瞬くと「クラリスよ」と軽やかな声で言った。


「クラリス?」

「私の名前。きっと私のことは『宝石人形(ドール)』としか聞いていないのでしょう? でも、私にはちゃんと名前があるから、どうせなら名前で呼んで貰いたいもの」

「はぁ……」

「あなたのお名前は?」

「アマンダ、です。えっと……クラリスお嬢様」

「呼び捨てでいいわ。私もあなたをアマンダと呼ぶから。構わない?」

「えぇ……いや、はい、アタシはどう呼ばれてもいいんですが……」


 急に積極的になった『宝石人形(ドール)』――もといクラリスの態度に、アマンダはしどろもどろになりながらも何とか言葉を返していく。『宝石人形(ドール)』はこの屋敷では主人であるトーレ伯爵とその家族の次に丁重に扱われるべき存在。そう説明されていたアマンダにとって、クラリスの親しげな態度はどこまで従えば良いのか判断に困るのだった。

 困惑しきりのアマンダの様子に、クラリスは口元に手を当ててクスクスと笑う。少しの間笑っていたクラリスは、やがて笑みを浮かべたまま椅子から立ちあがろうとし……そしてそのまま、足をもつれさせて硬い床に受け身も取れず転がった。大きな音を立てて全身を強かに打ち付けたクラリスに、アマンダは慌てて駆け寄ると手を伸ばす。


「ちょっ……大丈夫ですか!?」

「っ、触らないで!!」


 アマンダの手が後少しでクラリスの肩に触れようとした瞬間、切り裂くような鋭い語調でクラリスは叫んだ。驚いて手を止めたアマンダから距離を置くように、膝を付いたまま後ずさるクラリスの態度に、アマンダは思わずムッとして視線を床に逸らす。


 ――何だよ、親しげにしておいて下っ端の使用人には触られたくもないってか。


 僅かにクラリスに感じかけていた親しみも、今の拒絶で否定されたようだった。とは言え、転んだ彼女はどこか具合が悪いのかもしれず、それを放置して後からお咎めがあってはたまらない。せめて他の人を呼んでこようと、アマンダは黙って立ち上がると踵を返そうとした。しかし「待って」と聞こえた小さな声に、アマンダは未だ座り込んだままのクラリスに目を戻す。立ち上がったアマンダを見上げるクラリスの瞳は、よく晴れた空のような色を湛えてアマンダをしっかりと見上げていた。その瞳に拒絶の色がないことに、アマンダは内心困惑しながらそっけなく言葉を返す。


「……どうかしましたか? アタシは触らない方がいいみたいなんで、誰か別棟の人を呼んでこようと思うんですが」

「いいの、呼ばないで。それよりも……ごめんなさい。触らないで、なんて言って」

「いえ、アタシは別にただの使用人ですし……」

「そういうことじゃないわ。……やっぱりあなた、『宝石人形(ドール)』のことをあまりよく知らないのね」


 クラリスは震える足に力を込めてノロノロと立ち上がると、また椅子に座り直してアマンダと目を合わせた。何のことを言っているのか、と顔を顰めるアマンダに、クラリスは仕方なさそうに小さく笑うと、両手に嵌めていた白い手袋をゆっくりと外していく。妙にぎこちないその動きをアマンダが不審に思う暇もなく、手袋の下から現れた煌めきに、アマンダは思わず声を上げた。


「その手……!」

「えぇ、そうよ。これが『宝石人形(ドール)』に『成る』ということ。よく見てみて、私の胸に下がっている宝石と、私の指は同じ色をしているでしょう?」


 ほら、と差し出されたクラリスの手を……正確にはその指先を、アマンダは呆然と見つめた。『宝石人形(ドール)』の証である首輪から下げられた大きな宝石。オレンジがかった夕日のような色をした宝石の名をアマンダは知らなかったが、光を受けて輝くその宝石と同じ結晶に、クラリスの指先は変質していた。作りものめいた指先を、クラリスは握ったり開いたりしてみせる。多少ぎこちなくはあったものの、その動きは確かに人の手のままだった。


「どうして、こんな……」

「『宝石人形(ドール)』に選ばれた者はね、皆一つ宝石を与えられるの。私であれば、この首に付けているトパーズがそうよ。この宝石はただ美しいだけじゃない。呪われていて、身につけた人を少しずつ同じ宝石に変えてしまうの。私もやがて、全身が宝石になって死ぬわ」

「だったら宝石を外せばいいじゃないですか! 『宝石人形(ドール)』になったからって、命を粗末にするなんて」

「ダメよ。私は伯爵様に買ってもらったの。そのお金で家族は平和に暮らしていけている。……それに、この症状は一度発症したら治らないから、今更どうしようもないわ」


 肩を竦めて見せたクラリスは、またゆっくりと手袋を嵌め直すと、愕然と立ち尽くすアマンダの様子に微笑ましげに笑った。その表情は十五にもなっていない少女が浮かべるにはひどく達観していて、彼女が既に己が宝石に成ることを何とも思っていないのだと、アマンダに悟らせるには十分な程に冷めきったそれだった。息を呑むアマンダに、クラリスは静かに言葉を続ける。


「あのね、私がこの話をあなたにしたのは、何も怒ったり同情したりして欲しかったからじゃないの。さっき転んだ時に、あなたに触らないでと言ったでしょう? 私のこの病はね、私の素肌に触れると移ってしまうの。服越しでも危ないかもしれなくて……。だからあなたには触れてほしくなかったのよ。……嫌な思いをさせてしまって、本当にごめんなさい」

「あ……いいえ、アタシの方こそ、お屋敷で働いてるのに何も知らなかったから……」

「いいのよ。働き始めたばかりの人に『宝石人形(ドール)』のことを丁寧に教えるはずがないもの。私だって、本当はあなたに会うはずもなかったわけだし」


 ふぅ、とクラリスはどこか疲れたように息を吐いた。そうして深く椅子の背もたれに寄りかかる姿を見ながら、アマンダは彼女がこの部屋に来た時から疑問に思っていたことを、ふと口にする。


「そういえば、クラリス……は、どうしてこんなところに来たんです? 別棟とは反対側ですよね、このあたり」

「あぁ、それは……」


 アマンダの疑問に軽い口調で答えようとしたクラリスは、しかしハッと目を見開いてそのまま口を閉ざした。アマンダが「クラリス?」と首を傾げるのに構うことなく、クラリスは少しよろめきながら立ち上がると、アマンダを真剣な顔で見つめる。


「アマンダ、あなたは壁際まで下がっていて。大丈夫よ、あなたに咎めはいかないようにするから」

「え?」


 頓狂な声を上げるアマンダに、クラリスはどこか焦った声で「早く」と促す。その声と真剣な表情に急かされるように壁際までアマンダが下がるのと同時に、硬いブーツの音が幾つも慌ただしく響いたかと思うと、廊下に面した部屋の扉が勢い良く開かれた。


「見つけたぞ、クラリス様だ!」


 部屋に踏み入りながらよく通る声で叫んだのは、アマンダも顔だけは知っている屋敷の衛兵隊長だった。その後ろには何人も別棟の使用人たちが付き従っていて、わらわらと入って来るとアマンダには目もくれずにクラリスを取り囲む。


「心配したのですよ」

「お怪我がなくてようございました」

「具合を悪くされてはおりませんか」


 半ば涙混じりの彼女たちの声は本当にクラリスを心配していたのだと分かるものであったが、先程『宝石人形(ドール)』の実態を知ったアマンダには、それがクラリスを案じているのか『宝石人形(ドール)』を案じているのか判断が付かなかった。

 クラリスは人の群れの中で静かに「私は大丈夫よ、心配をかけてごめんなさい」と笑っている。その様子を何となく眺めていたアマンダは、しかし衛兵隊長が厳しい顔で自分に近付いて来るのに気が付いて、ハッとして体を強張らせた。


「お前は最近入ったメイドだな? ここでクラリス様と何をしていた?」

「あ、アタシはここで掃除をしていただけです。仕事をしていたら、クラリス……様がたまたま来て、少し話をしただけで……」

「ほぉ。それなら何故すぐに人を呼ばなかった? クラリス様が『宝石人形(ドール)』であることは分かっていたのだろう?」

「それは、」


 ――ここで休みたいとクラリスが言ったからそのままにしていたんだって、話してしまっていいのかな。


 ありのままを答えるか迷って思わず言い淀んでしまったアマンダに、衛兵隊長の目付きが更に鋭くなる。軍人特有の威圧感にアマンダが縮こまっていると、いつの間にか使用人の輪から抜け出していたクラリスが、アマンダを背に庇うように割って入った。


「彼女は、私がお話相手になって欲しいと言ったから付き合ってくれていたの。咎めないであげて」

「しかし……」

「……私が今更逃げるはずないわ。それとも、不安ならあなたが私を四六時中見張っておく? 私とずっと同じ部屋にいる立場になれば、それも叶うわよ」


 クラリスの言葉に、衛兵隊長の顔がサッと青褪める。とんでもない、と首を振って下がる彼に冷めた視線をやったクラリスは、アマンダに向き直ると小さく笑って囁いた。


「ごめんなさいね、怖かったでしょう。……久しぶりに年の近い人と話せて楽しかったわ。ありがとう、アマンダ」

「いえ、私も、その……悪くはなかったです、クラリス」


 良かった、とクラリスが破顔する。そうして笑うと愛らしい彼女はやはり天使のようで、不治の病を抱えているとはとても思えず、けれど後ろ手に回された手袋の下の指先の様を、アマンダはしっかりと覚えていた。

 またね、と明るく言ったクラリスは、アマンダの返事を待つことなくクルリと踵を返すと歩み去って行く。それを慌てて使用人達が追い、最後に衛兵隊長が鋭い目でアマンダを一瞥して部屋を出て行くと、アマンダはドッと込み上げた疲れに、思わずその場でへたり込んでしまった。


「……つっかれた〜……」


 クラリスという少女と、『宝石人形(ドール)』の実態。彼女に対する屋敷の者たちの態度。短い時間での出来事はただのハウスメイドであるアマンダには荷が重く、もう今日は仕事を終えて休みたい程であったが、最低限言い付けられたことはやらねばなるまい。唸りながら立ち上がったアマンダは、掃除道具をまとめて部屋を出ながら、クラリス達が立ち去った方を見る。長い廊下の角を幾つも曲がった先には、アマンダには立ち入れない別棟が建っている。


 ――クラリスは、結局どうしてここに来たんだろう。あんな大騒ぎになるってことは、誰にも言わないでこっそり来てたんだろうし。


 自分より余程年下だが、クラリスはしっかりした少女だとアマンダは感じていた。己の死すら淡々と受け止めていた彼女が考え無しに別棟を抜け出すとも思えず、それであれば何故ここまで来てアマンダと呑気に話をしていたのかという疑問は残る。それに答えをくれる前に、クラリスのお迎えが来てしまったわけだけれど。


 ――でも、まぁ、もう会うこともないだろうね、多分。


 元より住む世界が違うのだ。今日のようなこともそうないだろうし、アマンダとていつも同じ場所を掃除しているわけではない。広い敷地の中で、あの可愛らしい少女と会うことは二度とないだろうと、アマンダは一つ息を吐いて気持ちを切り替える。

 兎にも角にも、アマンダにはまだ仕事が残っているのだ。そしてアマンダのような下っ端にはいくらでも替えがいる。仕事に不真面目だからと首を切られては、明日の食事にも困ることになってしまう。それはごめんだった。

 

 少し疲れの残る足取りで仕事に戻ったアマンダは、しかしクラリスが最後に「またね」と言ったことをすっかりと忘れていた。この言葉はここから数日後にしっかりと果たされることになる。

 とある雨が降る休息日。狭い自室でゆっくりと繕い物をしていたアマンダの元に届けられたのは、一つの辞令。


 『宝石人形(ドール)』クラリス付きのメイドに任じるという、アマンダにとっては大出世を意味する辞令であった。



〈続〉

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