廊下の冷気、銃口の影
闇の足音
その夜、ネイサンは眠りの底に沈んでいた。夢の中では、遠い過去の声が混じり合っていた。女の子の笑い声、父の叱咤、そして誰かの低い囁き声――そのすべてが、耳元で波のように寄せては引く。
不意に、廊下の奥から「コトリ」と何かが落ちる乾いた音がした。
瞼が重く、体は鉛のようだったが、耳だけが異様に敏感になっている。
今の音は確かに、家の中だった。
ネイサンはゆっくりとベッドから身を起こし、息を潜めた。
廊下は闇に沈み、電球のかすかな唸りが天井から伝わってくる。
足音を忍ばせながら戸を開けた瞬間、冷気が顔を撫でた。まるで地下室の扉を開けたような、湿った冷たさだった。
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父の死
廊下の中央で、父が倒れていた。
顔は青白く、蝋細工のように艶やかで冷たい。皮膚には血の気がなく、目は虚ろに天井を見つめている。口元には、黒い粉がうっすらと付着していた。
粉は乾いているのに、どこか粘りつくような嫌な質感を放っている。
「父さん……?」
声が震える。
肩に手を伸ばしたその指先が、異様な冷たさに触れた。死後硬直が始まっているのか、それとも――。
背筋を冷たい汗が伝う。胸の奥で警鐘が鳴り響き、呼吸が浅くなる。
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メラニーの笑み
背後で気配が動いた。
振り向くと、そこにメラニーが立っていた。
白いワンピース、金髪の髪は廊下の薄明かりを受けて淡く光っている。
その顔は――笑っていた。
いつもの穏やかな笑顔。けれど、それは「感情」という軸を外された仮面のようだった。
口元は微笑んでいるのに、目の奥は氷のように冷たく、揺らぎもしない。
「……何を、した?」
自分でも驚くほど弱い声が漏れた。
メラニーは答えない。ただ、ゆっくりと首を傾げるだけ。その仕草は、まるでこちらの問いかけを理解していないかのようだった。
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野次馬の視線
その時、外からざわめきが聞こえてきた。
窓の向こう、庭の暗がりに数人の影が蠢いている。
ベン・トナース一味だ。いつも無駄に騒がしく、酒と暇つぶしでしか生きていないような連中。
「おい、見ろよ! あいつ、やっぱりやべえ!」
「人が倒れてるぞ! これで間違いねぇ、あいつが殺したんだ!」
彼らの手には携帯電話の明かりが揺れていた。
ネイサンは思わず後ずさる。視線の全てが、彼を「犯人」に仕立て上げる刃になって突き刺さる。
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サイレンの轟き
遠くで、サイレンの音が鳴り始めた。
赤と青の光が窓を切り裂き、壁に影を作る。
やがて、玄関の扉が乱暴に叩かれ、重い靴音が廊下を駆け抜けた。
「ネイサン・ウッド! 動くな!」
低く鋭い声。ヘンリー・マクドネル率いる警官隊だった。
次の瞬間、銃口がいくつもこちらを向いた。冷たい鉄の円が、胸元、額、喉元を正確に狙っている。
廊下は凍りついたように静まり返る。
真上の電球が微かに唸り、長い影が床に歪む。
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冷気と影
「説明してもらおう、ネイサン」
ヘンリーの声が低く響く。
「父親はなぜ死んでいる? なぜ君はここにいる?」
言葉が出ない。
喉が乾き、舌は石のように動かない。
目の前の世界が、音だけを残して遠ざかっていく。
その時、メラニーが一歩後ずさった。
ゆっくりと、音も立てず、廊下の暗がりに溶けていく。白いワンピースだけが、最後まで淡く揺れていた。
残されたのは、冷気と――
喉元を見えない手で掴まれるような、息苦しい圧迫感だけだった。
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崩れ落ちる夜
ヘンリーが銃を下げることはなかった。
野次馬の声、警官の短い命令、無線機の雑音。
その全てが耳の奥で反響し、世界をぐしゃぐしゃに塗り潰していく。
ネイサンはただ立ち尽くしていた。
父の亡骸と、消えていったメラニーの残像、その両方が彼の視界を焼き付けて離さないまま、夜は崩れ落ちていった。




