表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Hidden truth ― 封印された真実   作者: 和泉發仙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/9

黒塗りのアルバム

玄関の扉を開けた瞬間、古びた家特有の匂いが鼻腔を刺した。乾いた木の粉と古紙、そしてどこか湿り気を帯びた金属の匂い。それは子どもの頃からこの家に染み付いていて、長い年月が経とうと消えることはなかった。

 ネイサンは靴を脱ぎ、鞄を床に置いた。リビングの奥からはテレビのかすかな音が流れてくる。父親がいつものようにニュースを見ているのだろう。だが、その穏やかさは、これから崩れることになる。



父の沈黙


「父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

 リビングに入ったネイサンは、テレビの光に照らされた父の横顔を見た。白髪が増え、肩は少しだけ落ちている。だが、その眼光だけは昔と変わらず鋭かった。

 ネイサンは深呼吸して言葉を選んだ。

「昔、この町で一緒に遊んでた女の子がいたよね。……あの子、今どうしてる?」


 父の顔が、瞬時に強張った。

 その変化は一瞬のことだったが、見間違えることはない。表情から血の気が引き、瞳の奥が深い闇に沈む。

「やめろ」

 掠れた声だった。

「……その話はするな。二度と思い出すな」


 ネイサンは困惑した。

「なんで? ただ思い出しただけだよ。名前も顔も曖昧なんだ。けど確かに──」

「忘れろ!」

 父の声が部屋を震わせた。

 テレビの音がかき消え、家の中に妙な静寂が広がった。息が詰まるような圧迫感。その中で、父は立ち上がり、荒い足取りで部屋を出て行った。ドアが閉まる鈍い音が残響のように響く。


 残されたネイサンは、しばらく立ち尽くしたまま動けなかった。

 忘れろ、という言葉。その裏に潜むのは、単なる嫌悪や不快感ではない。もっと深く、もっと根源的な恐怖だ。



アルバムの奥


 夜更け、家のあちこちが眠りについた頃。

 ネイサンは寝室の隅、古い箪笥の引き出しを開けた。底の奥に手を伸ばし、重い箱を引き出す。黒ずんだ革張りのアルバム。表紙にはうっすらと指紋が残っていた。幼い頃、母の目を盗んで触れた記憶が蘇る。


 ベッドの上にアルバムを置き、ページをめくった。

 最初は、どれも懐かしい写真だった。運動会で走る自分、川辺で笑う父、クリスマスの飾り付けをする母。ページをめくる指が徐々に重くなる。


 そして、彼女はそこにいた。

 少年の自分の隣に立つ少女。肩を並べ、笑っている──はずだった。

 だが、その顔だけが、丁寧に黒く塗り潰されている。インクの厚みは二度三度と重ね塗りされた跡を残し、写真の表面を不自然に盛り上げていた。


 別のページには、顔の部分だけが鋭利な刃物で切り抜かれた写真。楕円形の空白が、そこに誰かがいた証を逆説的に示している。切り口は古く、黄ばみ、時間の匂いを放っていた。


 丁寧で、しかし容赦ない破壊。

 それは嫌悪の手ではなく、畏れと罪悪に支配された手の跡だった。



滑り落ちた真実


 ページを繰る手が震える。

 ふと、アルバムの間から一枚の写真が滑り落ち、床の上にひらりと舞った。

 拾い上げたネイサンは、息を呑んだ。


 それは、十二歳の自分と、図書館で見かけたあの少女──メラニーにそっくりな少女が写った写真だった。

 日付は二十年以上前。それなのに、少女の姿は今と変わらない。

 金髪の髪は同じ長さで、瞳の奥にはあの冷たい光。微笑みの角度まで、昨日の図書館で見たままのものだった。


 喉奥が熱くなる。

 指先が固く強張り、写真を落としそうになる。

 記憶は何も返さない。真っ白な壁にぶつかるだけだ。それでも、心臓だけが必死に何かを叫んでいる。忘れるな、思い出せ、という声が血管の内側で脈打つ。


 視界が揺れ、耳の奥で遠くのざわめきが響く。

 笑い声だ。幼い声、低い声、複数の笑いが重なり、形を持たないまま部屋の隅を這う。

 ネイサンは反射的に振り返った。だが、そこには誰もいない。


 ただ、窓ガラスに映る自分の背後に──影のような、輪郭のない「誰か」がぼんやりと立っていた。



夜の呼吸


 部屋の空気が冷たくなった。

 外は無風の夜だというのに、カーテンがわずかに揺れている。ゆらぎに合わせて、アルバムのページがぱらぱらと勝手に捲れた。紙の擦れる音が、息をするように聞こえる。


 ネイサンは写真を握り締めたまま、立ち尽くした。

 耳の奥で、囁くような声が混ざる。

 ――ただいま。

 確かにそう聞こえた。


 振り返った瞬間、背筋を冷たいものが撫でた。

 視線の端で、廊下の奥が深く沈んだ気がした。闇の奥で、誰かが息を潜めている。


 ネイサンは震える息を整え、写真を元のページに戻した。だが、指先に黒い粉がこびり付いて離れない。それを拭いながら、彼は悟った。


 ――この家のどこかで、何かがまだ呼吸を続けている。



絡みつく記憶


 ベッドの端に腰を下ろし、ネイサンは目を閉じた。

 暗闇の中で、いくつもの記憶の断片が絡み合う。

 笑い声、床板の軋む音、夜の台所の匂い。誰かの手が自分の手を強く握っていた感覚。


 あの少女――いや、メラニーの影が、心の奥に居座っている。

 忘れたはずのものが、決して消えてはいなかったのだ。


 静かな夜の中、壁に掛けられた時計の針だけが微かに音を刻む。

 それは、過去と現在の境界線を踏み鳴らす足音のように響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ