第七章:仕組まれた焦げ
数日後の朝。新しく導入されたオーブンの試運転に、歌恋が担当として任されることになった。
「温度は一定、焼成時間もマニュアル通り。問題なければ、今日から本番投入ね」
佐伯の指示を受けて、歌恋は緊張しながらクロワッサンをセットした。
数分後、厨房に焦げた匂いが広がった。
「なにこれ……焦げてる?」
焼き上がったクロワッサンの一部が、明らかに過加熱で黒く変色していた。
「綾瀬、設定間違えたのか?」
佐伯の声がいつもより低く響く。
「え……そんなはず……」
設定を見直すと、温度が10度高くなっていた。
混乱する中、機械の操作履歴を見た佐伯が眉をひそめた。
「この操作時間……お前じゃないな」
周囲がざわつく。
「浦部さん……この前、予熱確認してたって言ってましたよね?」
誰かがぽつりと声を上げた。
「……それが何?」
浦部は無表情を保ちながら、冷たく言い放った。
その日、佐伯は何も言わず、焦げたクロワッサンを一つつまんで、ゴミ箱に放り込んだ。
「今日のは、無しだ。綾瀬、明日リベンジしろ」
それは、失敗を責める言葉ではなかった。
歌恋は無言でうなずきながら、ちらりと浦部の方を見た。浦部は視線を合わせず、ただ黙々と焼き台を拭いていた。
歌恋は知っていた。
オーブンの設定が変わっていたこと、誰かが故意に触れた痕跡があったこと、そしてそのタイミング。
浦部しかいない。
それに気づいた瞬間、胸の奥がじくじくと痛んだ。
――どうして。あのとき、私を励ましてくれたのはあなたじゃなかったの?
あの優しい言葉も、隣で笑ってくれた日々も、全部嘘だったの?
厨房の隅で、誰にも気づかれないように拳を握りしめた。
涙がこぼれそうになるのを、どうにか堪える。
信じていた相手に裏切られた痛みは、叱られるより、何倍もつらかった。
それでも歌恋は黙って耐えていた。ただ、オーブンの中で焦げたクロワッサンを見つめながら。