第五話:無力化
累の目の前に立ちはだかるのは、氷室先輩が「お姉ちゃん」と呼んだ謎の女。
彼女は冷徹な手つきで鞘に添えた手に力を込め、ゆっくりと刀身を露わにする。
「鏡花を襲おうとした報いよ……覚悟しなさい」
その瞳には一点の曇りもない殺意が宿り、抜かれた刀身からは、周囲の空気が凍りつくほどの凄まじい霊力が溢れ出していた。
「襲ったって……盛大な勘違いをしてらっしゃらない?僕は助けてやったんだが?」
「助けた……? 吐き気のする虚言ね。なら、あの腹の傷は何だというの」
氷室姉の眼光がさらに鋭さを増す。
「だからあれは……いや、待てよ……元を辿れば僕のせいか?」
累が自問するように小さく呟いた瞬間、彼女の瞳は完全に「敵」を屠る色に染まった。
ザィィン!!!
「っぶねぇ!!」
累が危機一髪で身を翻すと同時に、一瞬で間合いを詰めた氷室姉の剛剣が空を切り裂いた。
躱した背後にあった民家は、直後、轟音とともに巨大な氷塊へと飲み込まれ、沈黙する。
(……洒落になってない。あれに当たったら一瞬で彫刻送りだ)
累の額を冷たい汗が伝う。即座に地面を蹴り、距離を取る。
「これは……死ぬ気でやらないと本当に死ぬな」
累は独学の、それでいて生存本能に裏打ちされた特有の構えを取る。
(避けた……? 勘が良いだけではないわね)
氷室姉は累を射抜くように見据え、冷静に分析する。同時に、刀身へさらなる霊力を注ぎ込むと、瞬時に氷の牙が刃を覆った。
「死ね!!」
一閃。
大振りに振るわれた刀身から、無数の氷の礫が槍のように累へと襲いかかる。
「ほっ、はっ、とおお!!」
累はまるで重力から解き放たれたかのような軽快さで、飛来する氷の弾丸を紙一重で回避していく。
そのまま、止まることなく氷室姉の懐へと距離を詰めた。
(……あれ? 思ったより体が動く。軽いぞ)
「これも捌けるかしら!!」
叫びとともに、氷室姉は無数の氷槍を一箇所に収束させ、一本の巨大な氷柱へと変貌させて放つ。
累は正面から迫るその「壁」を跳躍で避けると、あえてその氷柱の背に乗った。
そのまま全力で氷の上を疾走し、最短距離で彼女の眼前へと肉薄する。
(刀使いは懐に入ればこっちのもの……漫画の知識が正しければな!)
累は奥歯を噛み締め、渾身の力で右拳を振り上げる。
(せめて、刀だけでも叩き折る!!)
しかし、その一撃が空気を裂く瞬間。
氷室姉は極めて滑らかな動作で刀から手を放し、累の突進の勢いを利用してその腕を往なした。
「――ッ!?」
ドッパァァン!!!!
カウンターで叩き込まれたのは、氷の硬度を纏った掌底だった。
顔面を直撃した衝撃に、累の視界が歪む。
体は木の葉のように吹き飛び、数軒先の民家の壁を突き破ってようやく止まった。
「チッ……霊力の探知は得意じゃないけれど、仕留め損ねたかしら」
吐き捨て、氷室姉は墜落した累を探しに、刀を鞘に収め、歩き出す。
一方、瓦礫の山に埋もれた累は、壁にめり込んだまま溜息をついた。
「はぁ……なんか僕、今日ぶっ飛ばされてばっかじゃない……?」
体の頑丈さだけは一人前だ。
「あの野郎……美玲に殴られて脆くなってた方をわざわざ狙いやがったな。くぅ、痛ぇ……」
殴られた右頬はパキパキと音を立ててひび割れ、陶器の破片のようなものがポロポロと剥げ落ちる。
「おい」
すると、胸のあたりから聞き覚えのある、しかし不気味な声が響いた。
「あ、そういやお前いたんだったな」
累が翼隙間を覗き込むと、そこから「黒いの」がニョキっと顔を出した。
「当たり前だ。感傷に浸ってる場合か。このままじゃお前、本当に負けるぞ」
「……なあ。話せば分かってくれないかな、あの人」
「あの形相を見たろ? ありゃあ理屈が通じる相手じゃねぇ。完全に『妹を傷つけた害獣』を見る目だったぜ」
「だよねぇ……やっぱやるしかないか。でも、相手は氷室先輩のお姉さんだ。大怪我でもさせたら、後で先輩に合わせる顔がないよ」
累は最悪の展開を想像して顔をしかめる。
「別に倒す必要はねぇ。無力化なり何なりすりゃいいだろ」
「無力化って……テーザー銃でもあるまいし。気絶させるにも、真っ向勝負じゃ分が悪すぎる」
「フッ、俺にとっちゃそんぐらい―――」
ッキィィン!!
会話を遮るように、すぐ傍の民家が巨大な氷の結晶に貫かれた。
「やっば!」
累はすぐさま瓦礫から抜け出し、路地裏を全力で疾走する。
「無力化って、具体的にどうすんだよ!」
「俺の霊力をお前の体にぶち込む」
黒いのは累の胸から首元まで這い上がり、耳元で囁く。
「どういうことだ?」
「さっきお前が言っただろ、テーザー銃とかいうやつだ。あれは確か、電気でビリビリさせる武器だったよな?」
「……なんでお前がそんな現代知識知ってんだよ」
「知るか。なんとなく記憶にあるんだよ。理由なんてどうでもいいだろ」
「……まあ、お前が怪しいのは今に始まったことじゃないか。で、考えがあるんだな?」
累が並走する黒いのを見つめる。
「ゲヒ! 話が早くて助かるぜ。じゃあ作戦を――」
ッキィィン!!!
突如、進行方向の地面から巨大な氷の壁が突き出した。
「視つけたわ」
壁の上には、冷徹に見下ろす氷室姉の姿。
「ッ……!! 時間がねぇ。作戦説明は抜きだ!」
「はぁ!? お前、この状況で丸投げかよ!」
「違う、作戦は俺が裏で進める! お前はとにかく、死ぬ気であいつの攻撃を捌き続けろ!」
氷室姉が氷壁から音もなく舞い降りる。その手には、再び死の冷気を纏った刀。
「……ッ! ああもう、わーったよ! 任せたぞ!」
「ああ。せいぜい死ぬなよ」




