第四十九話:全身勃起状態
「”あれ”を使うか……」
塁は静かに呟いた。
「あれ?」
波月が不思議そうに復唱すると、塁の瞳が赤く光る。
その様子に波月と橘は後ずさる。
「フゥー…………」
塁は目を瞑りながら白い息を口から吐く。
すると、突然塁の体から白い煙が大量に出て周囲を包む。
「なっ…目眩まし!?」
「無駄なことを………」
ふたりは念の為、煙を吸わないよう口元を腕で塞ぐ。
そして、その煙は徐々に薄れる。
しかし、二人の視界に写ったのは先程までの塁ではなく、また別の生物のように視えた。
「だ…誰だ…お前は」
橘が”それ”に問うと”それ”は答えた。
「僕か?僕は…………」
煙が完全に晴れ、その姿が露わになる。
「っな!!」
「あれはッ!!!」
観戦していた者たちもその姿に釘付けになる。
そして、それを見ていたカゲロウは心のなかで勝ちを確信する。
(あの姿は………)
「僕は…ウルトラムキムキ塁!!!!!」
「「??????」」
煙が晴れると先程の塁とは見た目がほぼ完全に異なる、端的に言えば化物のような筋肉の塊が直立していた。体の節々から白い煙が立ち上り、ブルブルと先程までの白い肌とは違う日焼けしたような茶色の体を震わせる。身長は2mをゆうに超え、服は弾け飛んだ形跡がありパンイチだ。
「ーーーーーッッッ!ーーーーーッッッ!!」
ニカッと白い歯を見せながら笑う塁に波月は混乱し、橘は本能で恐怖する。
ブチブチブチィッ!!!!
突如、浮き出ていた塁の体中の血管がとてつもなく肥大化し、次の瞬間。
「ガハッ!!!!」
橘が口から血を撒き散らしながら吹き飛ぶ。
「へ?」
波月が信じられないようなものを見る目でその残像を追う。
が、目を離したのがだめだった。
ものの数秒で自分の影を覆うより巨大な影に気づく。
振り返るとそこには自分を見下ろす化物の姿。
「く…クソガァァ!!!!」
波月は体が耐えられるギリギリの霊力を拳に集中させ、本気で殴る。
べぎゃぁ!
が、その拳は塁には無意味だった。
指は歪な形に変形し、赤い鮮血が滴り落ちる。
「ッッがァ……!!」
グシャグシャになった方の手を抱えながら波月は塁を見る。
塁の体には一つも傷がついておらず、依然黒光りするだけだ。
「ーーーフーッ♡フーッ♡フーッ♡」
塁は白い歯の間から怪しげな息を吐きながら波月へ手を伸ばし、頭を掴む。
ガシッ!!
波月は自身の死を悟る。
「ゆ、ゆぅん…?」
塁…いや、ウルトラムキムキ塁は掴んだ頭を勢いよく地面に叩きつける。
「オラァ!!!!!」
ドゴォバキィブラッシャァッッ!!!!!
地面に叩きつけられた波月は吐血しながら地面の破片とともに力なく仰向けになり、頬を赤く染める。
そして、ボロボロになった体を小刻みに震わし、情けない声をあげる。
「ん………んゅ………♡」
「ヒェッ…」
観戦チームは恐怖する。
「な…なんなのあの姿…?」
氷室先輩は顔を真っ青にしながら皆に問う。
「ぼ、僕も…よくわかんない…」
「私もちょっと……」
が、皆は首を横に振るだけだ。
だが、その中で一人だけ違う反応を示すものが居た。
「あの姿…久しぶりに見る…………」
カゲロウだ。
気がつくと彼は佐倉先輩の腕の中から出て、人形になっている。
白いシャツに漆黒のベスト、アクセントとして黒い蝶ネクタイも付けている。宛らバーテンダーのようだ。
顔は不定形ではなく、人間の男性のような形をしているがどこか丸みを帯びている。鼻や耳、口がなくあるのは目と思しき三本の細長い赤く光る線。
皆は一瞬その姿に驚いたが、今はそれどころじゃない。
「えっと…カゲロウさん?だよね……あの塁くん?の姿を知ってるんですか?」
氷室先輩はカゲロウに聞く。
するとカゲロウは口がないはずなのに低い声を出す。
「あの姿は…ウルトラムキムキ塁…。通称:UMR。主の最終形態です。」
「最終形態………」
「どういう原理なの?」
千弘が恐る恐る聞くと、カゲロウは説明を始めた。
「主は長年の鍛錬により、とてつもない筋肉を手に入れました。しかし、普通の体ではその力を支えきれません。ですが、主は歩みを止めず、ついにその筋肉を完璧に制御することに成功しました。あの姿は、その体に秘めた膨大な筋肉を解き放った時にだけ見られる姿なのです」
「はぁ……」
全員、理解はできなかった。
「普段は筋肉を自身の筋肉で抑え込んでいるが、あの状態はそれを開放し、パワーを100%発揮している状態です」
それを聞いた氷室先輩は驚愕する。
「ちょっと待って!てことは、あいついつもは本気出してなかったってこと?」
「”完全な本気”というだけで、いつものフォルムでも出せるところまでは出しているでしょう」
「で、でもならいつもからあの姿で居ないの?」
「…あの姿はいくつかのデメリットがあります」
「デメリット…?」
カゲロウは静かに頷き、話し始める。
「まず一つ、あの状態は筋肉の出力が最大になった状態。常に全力、常に本気、故にパワーの加減が一切効きません。簡単に例えると、ランドセルですね」
「ランドセル?」
千弘は首を傾げる。
「ええ。皆さんも小学校で使っていたのでわかると思いますが、主の体をランドセル、筋肉を教科書に例えると、普段の主は、教科書をパンパンに詰めて蓋を締めている状態です。教科書を取り出すのが大変ですが、その分、中身が飛び出す心配はない。しかし、今の状態は、その蓋を外して中身を出しやすくした状態です。ただ、蓋がないと教科書が溢れ出てしまいます。つまり、筋肉が暴走し、制御が利きにくくなっているということですな」
「なるほど…」
皆は納得する。
「二つ目は、あの巨大な体に血液を巡らせるのが大変だということです。見ての通り、今の主は2メートルをゆうに超えています。しかし、内臓の大きさは変わりませんし、表面の皮や内側の高密度の筋肉によって血管が細く押し潰されています。そのため、通常の心臓では血液の循環が遅れてしまう。そうすると、様々な問題が発生します。その中でも最も危険なのが、脳に送る酸素が少なくなること。脳に酸素が行き届かなくなると、脳の制御が利かなくなり、結果として、あのように理性を失ってしまうのです。あと、あの状態を解除してもしばらくアホになります。アホと言ってもあまり普段と変わりませんがね」
「だから様子が変なのね…」
「そして、最後に…これが一番の理由ですね」
カゲロウは指を三本立てる。
「一番の理由…?」
「ええ………ご覧の通り、今の主は筋肉が出てきているためムキムキです。そして、主は元々関節が固く、長座体前屈も20cmいくか怪しい程度です」
それを聞いた氷室先輩は美玲に耳打ちする。
「あいつそんな硬かったの?」
「ヤバかったよ」
美玲はせんべいをバリボリ咀嚼しながら言う。
「故に、今の状態では………」
「今の状態では……?」
氷室先輩は息を呑む。
「今の状態では…背中に手が届かず、かゆいところが絶対にかけません!!!」
一瞬、観客席が静まり返る。そして、氷室先輩の一言が静寂を切り裂く。
「それだけ?」
「それだけとはなんですか!?いつもなら我がいるからどうにかなりますが、今は我がいません!そうなると痒いところに手が届かないんですよ!?最大級の拷問だ!!」
「壁にでも擦り付けとけよ」
氷室先輩が呆れたように言い放つ。
そこで千弘が間に入る。
「まぁまぁ落ち着いて。ほら、背中に手が届かないんだったら背後に回られれば攻撃ができないってことでしょ?それって結構デメリットじゃない?」
「ま、まぁそうね…」
そこで千弘も質問する。
「でも、どうして今の状態は肌が黒くなってるの?それにいつもより硬いような……」
「ああ、それなら簡単です。先程行ったように血流が悪くなり肌が黒ずみ、筋肉が表面の皮に圧迫されているのです。まぁ要は『全身勃起状態』ですね」
「下品!!」
氷室先輩はカゲロウの右頬を殴る。
「我に言われても…」
そのタイミングで美玲が声を出す。
「あ、動いたよ」




