第三十七話:こういう部外者とか「私も戦える!」とか言ってるやつが大体足引っ張る
「な、なに…あの……」
私が助けた女の子は、クラウモノを指差して声を震わせている。
ああもう、私の馬鹿。
なんで勝てもしないような相手に、何も考えずに突っ込んじゃったんだろう。
「早く逃げなさい!」
「へ…?」
「早く!」
私は女の子を離して、逃げるように促した。その気迫に気圧された女の子は、覚束ない足取りで元来た道へと走り出す。
「はぁ、よかった……」
でも、まだ完全なハッピーエンドとは程遠い。静かにこちらを見ているクラウモノは、カチカチと歯を鳴らしている。まるで、私を観察しているみたいに……。私がゆっくりと立ち上がっても、クラウモノはただ凝視しているだけだ。
どうにかこのまま逃げられないだろうか……。そう思った時、突然私の視界からクラウモノが姿を消した。
「へ…?」
それと同時に……。
ギシャッ
私の左腕が……折られた。
「ッッッ!!!」
私はすぐに折られた腕を抱えながら、声にならない悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
痛い。
痛い痛い痛い痛い。
骨が軋む音が、脳に直接響くようだ。
そして、怖い。
怖くて、恐い。
私は息を荒げ、涙を流しながら目線だけを上に上げる。
「げヒゃゲヒャひゃひゃ!!」
そこには、蹲って苦しむ私を見て嗤うクラウモノの姿があった。その顔は醜く歪んでいる。
私は、この世の全てを嘲笑うようなその笑い声を聞き、全身の毛穴という毛穴が凍りつくのを感じた。
「くッ……ゥ゙ふぅ!」
私は腕の痛みに耐え、恐怖で震える足を無理やり動かして、クラウモノから全力で逃げ始めた。
アスファルトを蹴り、路地裏へと逃げ込む。
背後から聞こえる、楽しそうに笑うクラウモノの声が、私の耳から離れない。
「ヒャヒャ!」
その声に追い立てられるように、私は必死に足を動かす。肺は千切れそうに痛むけど、止まるわけにはいかない。
ガギッ!
「ゥ゙!!」
突然、左足首に鋭い痛みが走った。足元を見ると、いつの間にか追いついたクラウモノが、私の足に噛みついている。
「あ…!」
噛まれた瞬間、足に流していた霊力が、まるでスポンジが水を吸い上げるかのように、ごっそりと吸い取られていくのを感じた。
(霊力を喰われた…!!)
クラウモノは、噛みついたまま私を勢いよく投げ飛ばした。
私はそのまま、横にある民家のブロック塀に激しく叩きつけられる。
頭から、熱いものが流れ落ちるのが分かった。
(ああ、血だ…)
ぼやける視界の中、頭から血が滴り落ちるのが見える。
(一昨日出された課題、あと少しで終わりそうだったのに…)
そんな、今考えるべきではないことが、次から次へと頭の中に溢れ出てくる。
(ああ、これが走馬灯ってやつなのかしら……)
こんな状況なのに、私はどこか呑気にそう考えた。
流れてきた記憶は嫌な思い出といい思い出。
嫌な思い出は、姉の記憶。昔から自分よりも才能があり、いつも劣等感を抱いていた記憶。
刀を振ってもお姉ちゃんには届かず、モノノケと対峙してもいつもお姉ちゃんが先に祓う。
いい思い出は塁くんとのデートの事。
ショッピングモールで服を買い、映画を観て、ゲームセンターで気持ち悪い人形を貰って、そして初めて撮ったプリクラ。塁くんが着てきたTシャツに色々言ったりして……。
(今思うと、ひどいこと言っちゃったかな…)
そして、最後に見たのは、帰りの道で、少し照れくさそうに「悪い気分じゃないっすね」と言ってくれた、彼の姿だった。
(楽しかったなぁ…)
楽しかった記憶とともに、強烈な後悔の念が押し寄せる。
まだ死にたくない。
もっと、今日みたいに笑い合いたい。もっと努力して、お姉ちゃんに認めてもらいたい。
でも、現実は残酷だ。
私は無力だ。モノノケに対して、これほどまでに無力で、馬鹿で、情けない存在だったなんて。
「げヒャヒャㇶヤ!!」
クラウモノは、勝利を確信したかのように嗤いながら、大きな口を開けて私に近づいてくる。その口の中には、鋭い牙が何重にも生えていた。
「あぁ……弱い私で…ごめんなさい……お姉ちゃん……」
最後に、私は目を瞑りそう呟いた。
そして、クラウモノは無慈悲に喰らいかかった。
「そうかね~」
ガギィィン!!!!
突然、聞き覚えがある声が聞こえ、目を開けると、そこには見覚えのある少年がいた。
「先輩…服、返してもらっていいっすか?」
「なんで…塁くんが……ここに?」
「いや、先輩に預けといた服持ってくの忘れちゃって……というか大丈夫です?」
鏡花は見たら大丈夫じゃないって分かるでしょ…と考えたが、今はそんなことを言う気力もない。
今はとにかく、塁くんをあの化け物から遠ざけなくてはということで頭がいっぱいだった。
「塁…くん…逃げて……」
息も絶え絶えになりながらなんとか塁へ伝える。
「あいつか…」
塁は、背後にいるモノノケへと首を傾ける。
塁は気づく。
目の前にいるのが、明らかに今まで自分が対峙した中でトップレベルに強い。
なんかゴツいし。
「とりあえず、先輩は動かないでくださいね。最悪それ死ぬんで。救急車呼ぶんで待っててください」
「だめよ……あれ…見えるでしょ。あの化け物…が…いる限り…たくさん…死んじゃう………」
鏡花は必死だった。自分がこの場で逃げ出したところで、あの化け物は多くの人を殺すだろう。だからこそ、自分がここで食い止めるしかない。ボロボロの体を無理やり起こそうとするが、激痛が走り、うまく動くことができない。
「あーちょっとちょっと、そしたら先輩死んじゃうでしょ」
塁は鏡花を優しく寝かしつける。まるで子供をあやすように。
鏡花は塁の様子を見て、一つの事実に気づいた。なぜ、塁は目の前にいるクラウモノを視ても、全く動揺しないのだろうか。その瞳に、恐怖の色は一切なかった。
「あれは僕の方でどうにかするんで、先輩は休んでてください」
そう言って塁は立ち上がり、クラウモノへと歩み寄る。その足取りには、まるでこれから散歩でもするかのような、迷いのない、確かな意志が感じられた。




