第三十六話:僕は舌がバカだからな
約二時間の拘束から開放され、僕と先輩は近くのおしゃれなカフェで昼食を取ることになった。
正直ハンバーガーとかワイルドなのが食べたかった
先輩が手にしたメニューには、聞いたこともない横文字の料理が並んでいる。先輩は「自家製ハーブとスパイスでマリネした鶏胸肉のグリル 彩り野菜のソテーを添えて」という、なんだかよく分からない名前の長い料理を注文していた。
「僕は……じゃあ、このハンバーグで。あと飲み物はコーラで」
僕がそう言うと、先輩はジト目で僕を見つめた。
「なんすか?」
「…別に」
なんだか少し不機嫌になった。注文を終え、僕たちは先程の映画の感想を言い合った。
「すごく面白かったわ!特に、あの告白のシーン…すごくロマンチックだった」
「そうですか?僕はちょっと臭くて、なんだかなぁって感じでしたけど」
「ちょっと!ロマンがわからないの!?」
「いやいや、僕もロマンはわかりますよ。けど、さすがに大雨の中告白は普通に風邪ひくだろって」
「風邪ひいてもいいから言いたい言葉ってあるでしょ!」
「僕はないっすね」
ひとしきり感想というか口論的なのをしていると、注文した料理が届いた。運ばれてきたハンバーグは、僕の顔よりも大きくて、ナイフを入れると肉汁がジュワッと溢れ出す。先輩の料理も、なんだかおしゃれな盛り付けで、一口もらったが、香草が効いていて僕の舌には合わなかった。
僕たちはとりあえず休戦し、黙々と食事を進めた。
◇
空は夕日の残滓をわずかに残し、夜の帳が降りようとしていた。西の空はまだ薄いオレンジ色だが、それも時間の経過とともに、深い藍色へと変わっていく。街灯がぽつりぽつりと灯り始め、アスファルトの道には、僕たち二人の細長い影が伸びていた。
映画を観た後は、僕の要望でゲームセンターに寄った。先輩は「趣味が悪わね」と言いながらも、UFOキャッチャーを一緒に楽しんでくれた。結局、僕が欲しがっていた、奇妙な顔をした赤ん坊のスクイーズ人形は取れなかったが、代わりに先輩が、何故か僕よりも夢中になってUFOキャッチャーに挑み、ついに僕が欲しいと言っていたスクイーズ人形をゲットしてくれた。プリクラというものも初めて撮った。僕の顔のパーツが勝手に拡大されて、宇宙人みたいになって笑ってしまった。最初はあまり乗り気ではなかったが、最終的には「悪くはなかったな」と思えた。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。しかし、それは気まずいものではなく、心地いい沈黙だった。
「今日は…その、ありがとうね。私のわがままに付き合わせちゃって」
不意に、先輩が口を開いた。そして、小声で「こんな良いものも貰っちゃったし…」と付け加えて、紙袋の中の可愛らしいワンピースを嬉しそうに見つめた。
僕は(お礼としてUFOキャッチャーで取ってあげたあのキモい虫の人形そんなに良かったのかな)
僕は心の中でそう考えた後に、「ほんとですよ。ま、けど案外悪い気分ではないっすね」と答えた。
そう言うと先輩は僕を後ろから軽く蹴った。
「いだっ」
「素直に楽しかったとか言えないの?」
それを言った先輩は、少しの間黙り込み顔を赤らめながら、「その…あんたが良かったら…また今度も……」と言った。
その瞬間、先輩のスマホが着信音を鳴らした。
「なんなのよ、もう!」
先輩は少し苛立ったようにスマホを取り出し、画面を確認すると、顔を少し青くしながら黙り込んだ。
「………ごめんちょっと出てくる。今日はありがとう。また学校でね」
そう言い残し、先輩は電話に出るため人混みの中へと消えていった。
(なんかあったのかな…)
僕はそう思ったが、(まあいっか)で済ませ、歩き始めた。
少し歩いたところで、僕は足を止めた。姉さん用に買ったワンピースを、先輩の袋の中に入れっぱなしだったことに気づいたのだ。
(あ、やべ忘れてた)
僕は慌てて先輩が消えた方へと踵を返した。
◇
氷室鏡花は焦っていた。
自身の彼氏役である少年。神白塁のことを後にしてでも行かねばならない理由があった。
突然の上司からの連絡。
『特異級、又は災禍級のモノノケ出現。直ちに現場に向かい、隊長が到着するまでの足止めを』
特異級でも難しいのに、災禍級なんて私じゃ相手にもならない。
それは当たり前のこと。
そもそも私の異能は戦闘向きじゃない。そんな私に足止めを要求するなんて……。
でも、やらなくてはならない。やらないと、たくさんの人に被害が及ぶ。
こんな市街地で特異級が暴れ回ったら何百人も死ぬ。
それに…お姉ちゃんにも…………いや、今はそんな事どうでもいい。とにかく戦わねば。
「確か、この辺に……」
周りを見渡すが、目視できる範囲にはいない。
「仕方ない……」
氷室は目を瞑り、薄い霊力の膜を四方八方に飛ばす。
氷室鏡花の異能は『索敵』といい、半径200メートル以内の対象を探知できる。ただし、一度に探知できるのは「生物」か「霊力」のどちらか一方だけ。
「生物」に焦点を当てれば、そこにいる人間や動物の位置、動き、人数を正確に把握できる。一方、「霊力」に焦点を当てれば、モノノケや異能力者といった霊力を纏った存在を探し出すことが可能。彼女の異能は、いわば2つのモードを切り替える特殊なレーダーのようなもの。このモード切り替えは瞬時にできるため、状況に応じて使い分けることができる。しかし、氷室鏡花自体がそこまで霊力は多くなく、一度の索敵で多くの霊力を消費するため、連続での使用や複数回の使用は厳しい。
今回、彼女が発動させたのは霊力に焦点を置いた索敵。
(いたっ!少し離れてるけど、まだ範囲内だ)
鏡花は脚に霊力を込め、一気に加速する。
霊力による身体能力の強化は個人差がある。と言ってもこれは霊力の総量のように鍛えられないものではない、鏡花の場合は自身の異能が戦闘向きではないため昔から身体強化の修行は怠らなかった。
だが、何度も言うように鏡花自身の霊力がそこまで多くないので乱用し過ぎるとすぐにガス欠になってしまう。
鏡花は普通の人間には出せないスピードと跳躍力で家と家を飛び回る。
先程の索敵で見つけたモノノケの位置に近づけば近づくほど鏡花の肌に強い霊力の覇気が漂ってくる。
(これはっ……!)
1度地面に着地し、もう一度索敵を行う。
するとその気配は自身の後方にあった。
鏡花は「いけない、行き過ぎちゃった」と走って気配がした所へと向かう。
気配がする位置に近づけば近づくほど、鏡花の周囲に異臭が漂う。
(何、この匂い……)
まるで肉が腐ったような、近くに死体があるような匂い。
少しスピードを遅め、足音を消し、近づく。
そして氷室鏡花は視た。
(あれは…………)
そこに居たのは、蛙のようなずんぐりとした体六本の大きな腕、そのうちの一番首に近い部位に付いている手の甲には口が着いておりそこから唾液が垂れている。首は短く太い。一番恐ろしいのは人間と牛を混ぜたような見た目に鼻から上がなく、そこには脳のような醜い肉の塊が着いている。
普通の口からは赤いべっとりとした液体が垂れており、そこから異臭が漂っていた。
鏡花はその見た目に聞き覚えがあった。
つい最近、上司からの連絡にあった災禍級のモノノケ『クラウモノ』。
性格は非常に残虐であり狡猾で、生物を生きたまま食い、苦しんでいる姿を見て楽しむという。
確かにクラウモノの周囲にはどこかの飼い犬と思われる亡骸が横たわっており、皆手足を食いちぎられ逃げられないようにされている。数はだいたい2〜3匹。そのうちの一体はまだ生きているようで藻掻き苦しんでいる。
「ッ…!!」
通常、ほとんどのモノノケは異能を持たない。
異能を持った個体は特異級から分類され、その能力によって災禍級か特定災禍級に等級が上がる。
クラウモノの異能は『悪食』、霊力を帯びた存在の霊力を喰らい、あまつさえ人間のような異能までも喰らう。異能を喰われた人間は異能が使えなるが時間が経てば元に戻る。喰った異能は一時的にクラウモノのモノとなり、1度だけ使用が可能になる。
クラウモノに異能を喰われた者は少なくなく、クレイルでも数名の隊員が被害に遭っている。
(流石に私だけじゃ足止めは絶対に無理。とりあえず隊長が来るまで監視して……)
鏡花が上司に連絡しようとした時、近くから「くぅちゃーん!」という声が聞こえた。
その声に反応したのは鏡花だけではない。
クラウモノもその声の方向へと首を向けた。
その声の主は小さな小学生くらいの可愛らしい女の子であり、クラウモノの足元のまだ生きている犬を見た途端、「くぅちゃん!!」と声を荒らげ、走って来る。
クラウモノはそれを黙って見ている。
女の子はクラウモノの足元の犬に近づき、「大丈夫!?どうしたの!?いけない血が!!」と慌てている。
(まずい!!)
クラウモノ程の強者になると一般人のようなモノノケが視えないものへの強制的な干渉が可能になる。
クラウモノはゆっくりと涙を流しながら、くぅちゃんという名前の犬に縋り付く女の子へと手を伸ばす。
そして思い切り女の子を掴んだ…………かに思えた。
鏡花はギリギリのところで体が動き、女の子をクラウモノから助けてしまった。
それが原因なのか、クラウモノは低いような甲高いような咆哮をあげる。
「ぐぎゅるああああぁぁぁ!!!!!」
耳を劈くようなその声は町中へと響く。
しかし、その声は一般人へは届かない。
一般人……なら。
「おや?今のは氷室先輩の鳴き声かな?」
塁は後ろを振り返り小さく呟いた。




