第三十三話:顎
「ここは……おっと、少し左に行き過ぎたか。もう少し右に……」
スマートフォンで現在地を確認しながら、森の中を軽快に駆けるのは海良木銅修。
彼は自分の位置と新人チームの陣地を照らし合わせ、戦況を予測していた。
「皆は大丈夫だろうか……。大きな怪我をしていなければいいが」
画面を消し、スマホをポケットに滑り込ませた、その時。
突如、目前の木々が爆鳴と共になぎ倒された。
砂煙を上げ、何かが凄まじい勢いで地面に叩きつけられる。
「な、何事だ!?」
咄嗟に身を構えるが、何が起きたのか判然としない。
海良木は警戒しながら、立ち込める砂煙の中へと足を踏み入れた。
「……か、空蹴くん!?」
そこに横たわっていたのは、側頭部から血を流し、虚ろな目で天を仰ぐ空蹴の姿だった。
他の部位に目立った外傷はない。
おそらく、反応すら許されぬ一撃で沈められたのだ。
「空蹴くん! 空蹴くん、しっかりしたまえ!!」
海良木が肩を激しく揺さぶるが、空蹴からの返答はない。
完全に意識を断絶されている。
「一体、誰がこんな……!」
パキッ
背後――空蹴が吹き飛んできた方向から、乾いた木の枝を踏み折る音が響いた。
海良木は弾かれたように顔を上げ、鋭い視線をその一点に注ぐ。
「……っ!! 神白少年か!!」
「あれ、海良木さんじゃないっすか」
そこに立っていたのは、作戦会議で「霊力ゼロ」と報告されていた少年、神白塁。
塁は服についた汚れを無造作に払いながら、悠然と海良木の前に姿を現した。
(どういうことだ……!? 空蹴くんが、霊力のない神白少年に敗れたというのか? いやしかし、空蹴くんは非戦闘員ではない。霊力を持たぬ一般人と同義の少年に遅れを取るはずが……)
海良木は(背後から不意を突かれたのか?)と辛うじて結論づけ、両拳に霊力を凝縮させた。
「……悪いが、相対してしまったからには、倒させてもらう!!」
「あ、はい。僕もそのつもりっす」
塁もまた、重心を落とし拳を握る。
その自然体でありながら隙のない構えを、海良木は静かに分析した。
(やはり、霊力を微塵も感じない……。この距離で気配を完全に断てるはずがない。情報にあった式神の気配も皆無。……彼は、一体何を持って戦うつもりなんだ?)
「なんか考え事っすか?」
思索の海に沈む海良木を、塁が挑発的に見つめる。
「……いや。本当に霊力がないのだな、と思ってね」
「ハッ。でも……霊力なんかなくたって、僕――」
言葉の終わりを待たず、目前から塁の姿が霧のように消失した。
「――強いっすよ」
「グッ!!」
背後。
衝撃と声が同時に届いた。
背中に叩き込まれた重い一撃に、海良木の肺から空気が漏れる。
だが、彼は第二部隊を預かる隊長だ。
空中で強引に身体をひねると、地面に拳を叩きつけ、アンカーにして着地した。
(何が起きた……!? 消えたとしか思えなかった。今の一瞬で背後へ!?)
混乱を振り払い、海良木は正面の少年を射抜くように見据える。
「……何をした?」
「え、何って……普通に殴った」
「ならば質問を変えよう。その力は何だ? 霊力による身体強化を用いず、その速度、その威力……どうなっている?」
海良木の問いに、塁は一拍置いてから、事も無げに言い放った。
「どうなってるって言われても……。まあ、これだけは言えますね」
海良木は息を呑み、次の言葉に備える。
「筋トレです」
「…………話す気はないということか」
「え、いや本当に――」
「いいだろう!! ならば俺が君に勝ち、その口から真実を聞き出してみせるッ!!!」
「ああ、これダメなやつだ……」
海良木の拳に集まる霊力が膨れ上がり、炎のような陽炎となって燃え立つ。
彼は大地を爆ぜさせ、塁の懐へと飛び込んだ。
渾身の右。
「っ!!」
それを塁は腕一本で、力任せに弾き飛ばす。
(やっぱ見た目通り、力強いなぁ…)
塁もまた、カウンターの連打を叩き込む。
海良木はその暴風のような攻撃を両腕で受け止めた。
(これで本当に霊力がないだと……? 一撃が岩のように重い。受け切るのが精一杯だ。それに、速度も俺を凌駕している……!)
高速で繰り出される塁の拳と、それをいなしながら隙を狙う海良木。
激しい攻防が繰り返される中、徐々に押し込まれているのは、隊長であるはずの海良木だった。
しかし――。
「だが! 俺には霊力というアドバンテージがある!!」
海良木は肉体のリミッターを外すように霊力を循環させ、攻撃の出力をさらに引き上げる。
力でねじ伏せんとするその猛攻に、今度は塁が劣勢に立たされた。
(クッソ……こっちは力に上限あるのに、あっちはないとか…不公平すぎでしょ)
塁はさらに自身の反射速度を研ぎ澄ませる。
剛の一撃と、速の連撃。
火花を散らすような近接戦闘。
(霊力を肉体に注ぎ続けるのは諸刃の剣だ。リミッターを超えれば肉体が自壊する……。手早く済ませよう!)
「終わりだ、神白少年!!!」
海良木が全霊力を右拳に込め、大きく振りかぶった瞬間。
塁はその「一点」に全てを賭けた。
「霊力ってのがどういうもんか視えなかったけど……そんだけデカくなると、流石に視えるぜ。拳に集中しすぎて、他がガラ空きだ」
塁は上着をさっと捲り上げ、鍛え上げられた胸部を晒した。
そこには、深手を負った「何かに切り裂かれたような傷」があり、今にも開きかけている。
「カゲロウ、打て」
塁の合図と共に、その傷口から「何か」が飛び出した。
それは――塁が先日買ったばかりの『如意棒』の玩具。
「ガッ!!」
その如意棒は玩具でありながら、相当な硬さがあったため、海良木の霊力が集中していない、無防備な顎に直撃させ、意識を飛ばすことは容易であった。




