【解】刺激が強いものはオススメしない
ツンとして涙が出るのは歯磨き粉のせいに決まってる。
「アンタ何言ってるか分かってる?寝ぼけてるの?」
「いたって真面目だけど」
「アタシ達が別れた理由を忘れたとは言わせない」
落ち葉が風に舞う時期。仕事帰りに彼の家に遊びに行こうとして遭遇したのは浮気現場だった。事前連絡無く向かったからこそその時点で発覚したわけで、それが無かったらアタシは今も気付かずにこの男の隣に立っていたのかもしれない。
「あの子と結婚するんだーって騒いでたじゃん」
「なんか違ったんだよねぇ」
「かるっ」
「…ちょっと前にご飯作ってもらったんだけどさ、なんか、ちょっと違うんよ」
運ばれてきたランチプレートに手を付けながらぽつぽつ話す元彼はこちらを見ない。何かを思い出しているのかうーんと唸っている。
「そう、違うんよ」
「何が」
「お前のご飯と」
サラダへ伸ばした手が止まる。そうそうと満足気に頷くコイツも多分気付いてる。
「別にたいしたもん作ってないけど」
「たいしたもんでも美味くなきゃ駄目じゃん」
「彼女、メシマズだったの?」
「いんや、美味かったよ」
じゃぁなんで駄目なんだよって睨んでみるが、まったく気にした様子のない男に早々に視線を外した。
たいしたもんどころじゃない。自分があの時期この男に料理を振る舞ったのはたった3回だ。偏食家のコイツに何を食べさせるか悩んだ彼女時代に2回と。
「初めてメシ行った時、飲み過ぎてお前の家で潰れたじゃん?」
「…懐かしいわね」
「次の日出してくれたメシ、めちゃめちゃ美味かった。それ、忘れらんねぇの」
「あんなもんが?」
当時流行ってたアプリゲームのフレンドだったコイツとオフ会という名の飲み会をしたのは梅雨前の土砂降りの日だった。飲み足りないと騒いで強引に家にお邪魔してきて。途中のコンビニで買った缶チューハイを飲んで一緒にゲームしてたら潰れてそのまま寝落ちしたせいで帰すことも出来ず。
翌日お昼過ぎにやっと起きて二日酔いで唸ってる姿を見て、作り置きしていた炊き込みご飯と、朝作った味噌汁を出しただけ。
それだけだったのに。
「普通に美味かった。あ、いいなこういう生活って思ってた」
「そうかいそうかい」
「勿論他のご飯も美味かったよ」
思ってたのに浮気したんかいって文句を言いたかったのに、どうも言葉が出てこない。
「家の事やってくれるのありがたかったけど、だんだん母親みたい思えちゃってさ」
「………」
「トキメキ?みたいなの感じれなくなって浮気しちゃった」
「…言ってたね」
浮気を問い詰めた時、今と同じことを言われたのはよく覚えている。確かに部屋が汚いからって掃除したり、洗濯とかしてたけど。
先に食べ終わった彼はトイレとだけ言って席を立った。合わせて急いで食べようとするアタシに対して、ゆっくりでいいと配慮されたそれは昔と同じで、また胸が痛くなった。
◇◆◇
「それだけでアタシとヨリを戻したいって思ったわけ?」
少し時間を空けて戻ってきた彼は恐らく喫煙室にも行ったんだろう。片手に煙草が握られていた。それも昔と変わらなくて何とも言えない。
完食して残りの珈琲を楽しみながらそう問えば、コクリと首が縦に動いた。
「駄目?」
「駄目に決まってんじゃん」
「なんで?」
「…っ。好きでは、ないんでしょう?」
声色からは甘ったるい感情はいっさい感じられない。だから指摘すればキョトンとした顔でこちらを見てくる。
「復縁したとして。前みたいにトキメキ感じたかったら浮気するんでしょ?」
「まぁ、それは」
「アタシはそんなの絶対嫌」
ちょっとだけ期待もした。でも、躊躇いなく浮気することを宣言する姿にそれも叩き潰される。
不満顔な彼を放置して伝票を手に席を立つ。俺が、なんて言ってるのを無視して会計を済ませて外に出れば、相変わらずの風の強さ。日差しが目に痛い。
「ぶっちゃけ、まだアンタのこと好きだけど」
「じゃぁ」
「でもアタシは、アタシだけを愛してくれる人が良いの」
じゃぁね
◇◆◇
きゅぽん
「うわ、めっちゃスース―する」
一方的にお別れをして、買い出しを済ませて。新しい歯磨き粉は、同じ商品だけど違うフレーバー。刺激が弱いものを好む元彼が使わない、刺激が強めなものを好む自分に合ったもの。
しゃこしゃこ
「……………っ」
しゃこしゃこ
「………」
(おかしいな)
(ちょっと刺激強すぎたのかも)
ぼたぼたと零れる涙はそうに違いない。
あんな男を想って流れたものなんかじゃない。