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第9話 接近する火星

 夏休み中のある晩のこと。


 ユキは家の二階のベランダで望遠鏡を操作しながら、この前のソラとの会話を思い出していた。


 まあ、世の中のいわゆるUFO現象の多くは見間違いか思い込み──でなければ、詐欺(さぎ)と言っていいかもしれない。そんなことはユキにもわかっている。かつて『モー』でも取り上げられたことのある、ビリー・マイヤーの円盤もウンモ星人の円盤も模型を糸でつった偽物(にせもの)だった。


 けれど──。


 ところで、ユキたちの住んでいる亀島市はたいして大きな街ではない。


 市内を流れる川の河岸段丘(かがんだんきゅう)の上にあるこじんまりとした城下町で、ややもすると東海道が通っていた江戸時代、あるいは旧国鉄の機関区があった明治から昭和時代の方が栄えていた印象がある。


 地図で見ると伊勢平野の端に位置するかのような印象もあるが、市街地のいささか高い建物──例えば亀島高校の校舎──から周囲を眺めてみると、北、東、南の三方を低い山、西方を鈴鹿山系に囲まれた盆地と言っても良いような地勢だった。


 特にユキの家もある旧市街は格子戸を備えた町屋風の建物が道沿いに立ち並び、独特の風情を(かも)し出している。この町並みは歴史的な風格を感じさせて、とても素敵だ。


 しかし、夜の8時ともなると道の人通りも絶え、車の行き来もまばらで、黒々とした建物の影が一種の寂しさをもって迫ってくる。


 ユキが住んでいるのは母方の祖父母の家である。もともとユキ自身は横浜育ちだったのだが、小6の頃に両親が離婚して、ユキは母に伴われて亀島にある母の実家へ戻ったのだった。


 このことについて、普段、母は多くを語らない。ユキも知らないことが多い。父が誰を伴ってどこへ行ったのかは知らないし、母も言わない。慰謝料が振り込まれているのかどうかもユキにはわからない。


 亀島へ引き揚げるとき、父のものを一切合切(いっさいがっさい)捨てようとした母に抵抗して、ユキは父の大きな書斎机と本棚(に詰め込まれていた『モー』)と天体望遠鏡を祖父母の家に持ち込んでいた。


 以来、その望遠鏡で星空を見るのが、ユキの楽しみとなった。


 横浜と違って、亀島の夜空は暗いのが、天体観測にはうってつけだった。それが、ユキが亀島市に引っ越してから気に入った、たった一つのことだった。


 ところが最近、それが少し変わった。


 昨年、リニア中央新幹線が名古屋から大阪まで延伸されたのだ。


 亀島市には三重県内では唯一、リニア新幹線の駅が設置された。


 そのことが亀島に大きな影響を与えつつある。


 盆地の中の小さな世界だった亀島市は、東京・大阪・名古屋の三大都市圏に通勤可能時間でアクセス可能な土地となった。大都市に比べて圧倒的に地価が安い亀島は、三大都市のベッドタウンになりつつある。


 確かに近年の人口減少の影響は東京圏にさえ及んでおり、ここ30年間で東京圏の住宅の資産価値は平均40パーセント下落している。


 しかし、それでも都内に一般のサラリーマンが家を持つことは絶望的だ。


 日本経済の衰退に伴って所得も上がっていないからだ。


 そこで目を付けられたのは、交通の便の良い地方都市である。

 

 たとえば最近、JR亀島駅前に建った30階建ての高層マンション。ここは入居者募集開始の当日にもう売り切れてしまったそうだ。リニア通勤を目論む三大都市圏の中堅ビジネスマンたちが購入したという。


 JR亀島駅前からリニア新亀山駅前までシャトルバスで数分。


 そこからリニアに乗れば、名古屋まで10分、大阪まで30分、東京まで1時間10分なのである。


 十分に通勤圏内ではないか。


 実際、リニア中央新幹線の全線開通によって太平洋ベルト地帯は一つの通勤圏内となり、人口7千万人規模の巨大市場が誕生したと言っても良いのである。


 しかし。


 ユキにとって気に入らないことがある。


 それは、あの高層マンションのせいで、家の南側の視界の一部が遮られ、夜空も以前より明るくなって、その分、星が見えにくくなったことである。


 ちなみにリニア新亀島駅前にはあれと同じような建物がすでに3棟ある。まるで、アメリカのケープ・カナべナルにあるケネディ宇宙基地のロケット発射台のようだ。


──あ、火星。


 レンズの向こうに火星が見える。


 火星は地球のすぐ外側を回る惑星で、地球からは赤く見える。直径は地球の約半分、表面の重力は地球の3分の1程度である。地球とほぼ同じ24時間37分かけて自転しながら、687日かけて太陽の周りを公転している。 昼夜・四季があるが、大気は薄く気温は低い。極地に白い極冠があり、冬季に大きく広がる。多数のクレーターや大峡谷も存在する。


「まあ火星人ってのも、今さら恥ずかしいような話なんだけどね」


と、ユキは独り言をつぶやく。イギリスのSF作家、H・G・ウェルズが1897年に小説『宇宙戦争』に描いた「タコ型宇宙人」はあまりに有名だが、人類はかねてから「火星にいる(はずの)生命体」に思いを馳せてきた。


 その一方。


 人類は直接、火星を目指すだけの科学力をすでに手にしつつある。


 今から20年前の2026年、米スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ社(スペースX)の火星移住ロケット第1号は打ち上げられている。乗組員の宇宙飛行士兼植民者は4人、150日かけて火星を目指した。この時、地球から火星までの距離は8,000万キロメートルを超え、それは地球から月までの距離の200倍以上であった。


 それから20年。


 現在、火星に人を送り込んでいるのは、このアメリカの民間企業に加えて、国としてアメリカ合衆国(NASA)、そして中国(国家航天局)、そしてオランダの民間企業マーズワンだ。前世紀の宇宙開発競争ではアメリカとソ連のどちらが早く月に人間を送り込むかを争っていたが、現在のそれはアメリカと中国のどちらが早く火星にコロニーを建設するかで争っている。


 火星への移住は加速度的に進み、すでに両国のコロニー合わせて数千人が火星で「恒久的な」生活を送っているのだが、それに伴う犠牲者も少なくなかった。


 もともと火星探査はその初期の段階から事故が多かった。打ち上げられた探査ロケットは、その3分の2が何らかのトラブルに見舞われている。1998年に日本が打ち上げた探査機「のぞみ」も、有用な火星探査を行なうことは出来なかった。この高い失敗率の理由は解明されているものもあるが、明確な原因が不明なまま失敗したり通信を絶ったものも多い。研究者の中には、冗談半分にこの現象を「火星の呪い」と表現する者までいたほどである。


 トラブルが頻発する要因の一つに、地球から火星まで電波信号が到達するのに4分から20分もかかるため、地球からの遠隔操作では不測の事態に対処しづらいということがあった。また、火星はその重力の大きさに対して大気が非常に希薄であるため、着陸時に従来のパラシュートによる方法では十分な減速が行なえず、観測機にダメージを与えることも多かった。 このため、逆噴射による減速のほか、エアバッグによる着地など、ユニークな着陸手段が取られるようになっている。このように、技術の進歩と、そもそも探査機に人が乗っていくということでトラブルは克服されつつある。


 しかしそれでも、様々なトラブルは発生する。火星の環境はとても厳しいのだ。気圧は地球の1パーセント程度、放射線も非常に強いので、移住者たちは数々の困難に直面している。そのため、犠牲者はすでに300人以上に達しており、それを理由に火星コロニーの建設そのものを中止せよという意見まで出ているが、今のところ米中二国(正確に言えば、米国にはEUや日本も協力している)は建設計画を止めようとはしない。むしろ加速させているようにさえ見える。まるで何らかの意志に突き動かされているかのように。


 火星コロニーでは、食糧の自給を目指している。そのため、農耕に太陽光を利用する大型の温室がすでに数百基も設置され、ジャガイモやキャベツをはじめ、各種の野菜や果物が、除染された火星の土を用いて栽培されている。


 さらに、火星の北極と南極の氷を溶かして二酸化炭素を放出させ、大気を濃くして温室効果で火星の気温を上げて地球の気温に近づける、いわゆるテラ・フォーミング計画も始まった。もっともこれは百年単位の長期計画なので、すぐに成果が出るものではないのだが。


──なぜ、そこまで?


と、ユキは思う。


──なぜ、そこまでして人類は火星を目指さなければならないのか?


──行かなければならない理由があるのだろうか?


 今年、2046年4月24日には、地球から火星までの距離は8,932万キロメートルまで近づいた。


 4年後の2050年8月15日には5,596万キロメートルまで大接近するはずである。

お読みいただきありがとうございます。

少しでも興味を持っていただけましたならば、作者の励みになりますので是非とも【ブックマーク】【評価】や感想をお願いいたします。

それでは引き続き、よろしくお願い申し上げます。

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