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第3話 農耕の出来ない理由

「つまり、人類はもっと前から農耕を始める能力があったけど、気候のせいであえて『やらなかった』というか、やりたくても『出来なかった』というわけね」


と、ユキは話を自分なりにまとめてみる。

 

「そのとおりだよ。仮に、現代人が体験している以上の冷夏と猛暑を数年おきに繰り返すような世界だとすると、『とにかくいろんな植物を植えてみて、どれかが実れば(もう)けもの』ってくらいじゃないと農耕は成り立たない。でも、そんな非効率なものに頼っていたら日常の暮らしは成り立たないでしょ」


「なるほど……そういった気候なら、農耕より狩猟の方が『効率的』なんだ……」


 氷期と言っても地球はずっと寒かったわけではない。むしろほぼ毎年、気温は乱高下していた。その状態では農耕はリスクにしかならない。気候が安定し、来年の予測が立つようになって初めて農耕は有効な食料調達手段となり得る。結局、「人類はなぜ1万年前まで農耕を始めなかったのか?」という問いに対する答は、「そもそも気候が温暖な状態で安定したのが、そのくらいの時期だったから」ということになるだろう。


「まあ、人類は初めから積極的に『農耕しよう!』とは思わなかったかもしれないけどね。けれど、気候が次第に温暖化してくると、寒冷地を好むマンモスなどの大型獣は北上して人々がたくさん住んでいるところから遠ざかっていってしまい、やがて絶滅してしまう」


「あ、そうか。気候が変化すると、棲んでる動物も変わるもんね」


「人々は、今までやっていた大型獣狩りが困難になると、新たに食糧を探すより他に選択肢が無くなった。そこで考え出された新しい食料調達の方法が農耕と牧畜だった、ということだよ」


「なるほど。仕方なしに、か」


と、ユキはつぶやくように言った。


 仕方なし、というのは人生にはよくありそうだ。状況設定は自分ではできない。与えられた状況にいかに合わせるか、というのが人間のみならず、ユキには生き物の運命のようにも思える。


──それにしてもこの男子、よく喋る。


「そこで、今から9,000年ほど前に、『肥沃な三日月』と呼ばれる地帯で農業が始まったとされているんだ。そのことは若林先生も言ってたよね。なぜこの地域なのかというと、育てやすい麦やエンドウなどが自生していたことと、山羊・羊・牛など飼いやすい動物がたくさんいたということが考えられているんだよ」


 これにはユキは素直に感心する。


「すごい、私、YouTubeか何かで世界史の授業の動画を見ているような気分だよ」


 すると男子は、悪戯(いたずら)っぽく笑って言った。


「じゃあ、山口さん、授業って言うなら今日の復習テストだよ。西アジア最古の定住農耕村落の遺跡とされる場所はど~こだ?」


「え~と……どこだっけ?」


「ヨルダンの死海北岸にある『イェリコ遺跡』やチグリス川上流のイラク北東部にある『ジャルモ遺跡』だよ。この地名は覚えておくといいんじゃない。若林先生も熱を込めて言っていたから。何か、あの先生、遺跡の話になると熱が入るみたいなんだけど、考古学でもやってたのかなぁ?」


と、男子は最後の方はブツブツと独り言のように小さな声で言った。


「そうだったっけ?」


 ユキのもの言いに、男子は「やれやれ」というような顔をして言った。


「やっぱりその時、山口さんの意識は遠いところへ行ってたんだね……」


「も~っ」


 ユキの作ったふくれっ面を見て、男子はまた笑った。まったく、よく笑う男だ。


「同じ頃、アジアでは中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが発掘調査で確認されているよ」


 こうして中緯度の狩猟民が、定住化した後に農耕や牧畜を開始したことは「農業革命」と呼ばれており(農耕+牧畜=農業)、その後の人類社会に大きな影響を与えることになる。


「農業って人手がいるでしょ。つまり農業をすることで人は必然的に集まって住むことになる。その結果、社会が次第にシステム化されていくんだよ」


「私、どうもそのあたりをイメージするのが苦手で……うちも昔は農家だったって、祖父(じい)ちゃんは言ってたけど、今はやってないし。そんなに農業て、人手が要るものなの?」


「今は工場で食糧を生産することまで普通にされてるもんね。でも昔はこのあたりだって、田植えや稲刈りだというと、近所の人たちがみんな集まってやってたはずだよ……農業は一人じゃできない。そうやって村人総出の一斉行動が求められるから、強力なリーダーが出現する。食糧に余裕が出来て余剰生産物が発生する。強力なリーダーに余剰生産物が集まり、村の中で貧富の差が発生する」


「そうやって丁寧に説明されると、何となくわかる気がする」


「さらに村の中だけではなく、農業の出来る豊かな土地を持つ村と出来ない村との間に貧富の差が発生する。村々の間の貧富の差が戦争を生み出すんだ」


「えっ、それまで人類って、戦争してないの?」


「狩猟社会だと、わざわざ殺し合いをして奪い合うような余ってるものなんて無いじゃん。このことは考古学的にも証明されていて、日本でも戦争で殺されたらしい人骨とか戦争に備えたらしい集落の遺跡が出てくるのは、農耕が始まった弥生時代からだよ」


「そうなんだ~。初めて知ったよ」


 農業の発展が貧富の差を生み出すことで戦争が始まった、なんて話を聞いていると、ユキには人類が文明を持つということが一概に良いことばかりとは思えなくなる。


「また、余剰生産物の発生は農民以外の様々な職業を生み出した。神官、職人、商人、戦士、そして王や貴族など。山口さん、これはどうしてだかわかる?」


「えっと~、作物がたくさん取れるようになると、農業をしなくても食べていける人が増えるから?」


「その通りだよ。農業の発明によって、人類は計画的に食物を生産することができるようになった。そして土器を発明することで、食物を貯蔵することが可能となった。食料の安定供給は多くの人口を養う事を可能にし、人類の社会の形は大きく拡大し、多くの人々が定住して社会生活を営むようになったと考えられるんだ」


「四大文明などの古代都市文明も農業を基礎に置き、大河流域で大いに発展した。どうして大河流域なのか、わかるよね?」


「作物の栽培には大量の水が要るからでしょ。それくらいはわかるよ」


「じゃあ、なぜ、四大文明と言って、他の大きな川の流域には文明が生まれなかったと思う?」


「それは、『肥沃な三日月』で農業が始まった理由の逆じゃない? 育てやすい作物と飼いやすい動物の有無じゃない?」


「ご明察!」


と言って、男子はまた白い歯を見せた。


 ユキも何だか、授業中よりも今の方が頭がよく回転するような気がした。これはこの男子のおかげだろうか?


「そう、そして農業が発展するということは、文明が発展するということなんだよ」


「どういうこと?」


「作物の管理や分配のための数学、農地管理のための測量術、気候の変化と農作業の日程を知るための暦の作成のための天文学などが必然的に生まれる」


「あっ、そうか、農業しようとしたら必要だよね。それなしでは生きていけないから」


「さらに、社会の分業化が進むにつれ、物々交換のための農業は商業化された農業へと移行していき、経済の仕組みが複雑化し、それらを一手に管理するために『国家』が生まれる」


「じゃあ話は戻るけど、もし氷河期が1万年前に終わらず今も続いていたとしたら、人類は農業を始めることもなかったし、文明を持つこともなかったということ?」


「そうだね、その可能性は高かったと思うよ……それとね、間氷期もいつかは終わるはずだ。そしてまた地球は氷河期に入る」


「えっ、嘘っ!」


「嘘じゃないよ。むしろそう考える方が自然でしょ」


「氷河期はいつから始まるか、って予測できないの?」


「それがさぁ……」


と、男子はいったん言葉を切ってから言った。


「学者によっては、もう」


「もう?」


「もう……2030年代から地球は氷河期に入ってるって主張している学者もいるよ」


「え~、それってホントにもう今じゃん! それはさすがに違うと思うよ~」


と、ユキはちょっと大きな声を上げてしまった。


「だって今、温暖化が問題になってるんだよ。全然、言ってることが真逆じゃん」


「2004年に製作された『ザ・ディ・アフター・トゥモロー』っていうアメリカ映画があってね」


と、男子はいきなり映画の話を始める。(いぶか)しんだユキに対して男子は続けた。


「その映画は、地球温暖化によって突然訪れた氷河期に混乱する人々を描いた映画だよ」


「え~っ? 温暖化によって氷河期が起きるの? どういうこと?」


「温暖化によって、極地などの氷が融解して真水が海へ供給されることで、海水の塩分濃度の変化が起こるなどした結果、海流の急変が発生し、これが氷河期を引き起こす、っていう理屈なんだ」


 一瞬の沈黙の後で、男子が口を開いた。


「ごめん。こんな話、興味なかった?」


「ん、ううん」


 ユキは、どちらとも取れる曖昧な返事をした。さすがに疲れてきたからかも知れない。


 でも、嫌な気分ではなかった。むしろ、この男子と喋るとユキの好奇心を上手く刺激してくれるような気がしたからだ。


 信号のある交差点で男子は左手側を指して言った。


「じゃあ、僕、こっちだから」


 そっちは亀島駅の方向だ。彼も最近、駅前に建った高層マンションの住民なのかも知れない。


「あ、さよなら」


と言って、ユキは小さく手を振った。


「あ、山口さん」


 そのまま一人で歩いていくかと思われた男子が急に振り返ってユキを苗字で呼んだので、ユキはちょっと慌てた。


「なっ、なにっ?」


「僕の名前、わかる?」


「えっ、あ、あ」


 ユキはいきなり()かれて戸惑った。


──誰だっけ? ええと……豊田?……いや、本田?……あ、あかん、名前が出てこない。


「星野だよ、星野。名前は宇宙って書いて、『そら』て読ませるんだ。キラキラネームだよね。自分でも恥ずかしくなるよ。でも、これからは名前で呼んでよ。クラスメイトなんだから」


「う、うん」


「それと、さっき買った雑誌、山口さんにそんな趣味があったなんてね。僕も嫌いじゃ無いよ、その手の話」


と、ソラはまた悪戯(いたずら)っぽく笑うと、右腕を上げてユキに向かって大きく振った。あたりはすっかり暗くなり、ユキにはもうソラの表情はわからなかったが。


「じゃあね」


──しまった、見られてた……。


 別れて去って行くソラを目で追いかけながら、ユキは頬がちょっと熱くなるのを感じていた。

お読みいただきありがとうございます。

少しでも興味を持っていただけましたならば、作者の励みになりますので是非とも【ブックマーク】【評価】や感想をお願いいたします。

それでは引き続き、よろしくお願い申し上げます。

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