表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/26

第2話 空白の19万年

「そう、親戚っていえば──」


と、男子がまた新しい話題を切り出した。


「さっき、トバ事変で生き残った人類はホモ・サピエンスとネアンデルタール人だけだと言ったけど、実はもう一種類の人類がいたって言われてること、知ってる?」


「えっ?」


 「世界史、特に先史時代には興味がない」と公言してはばからないユキには、とんと見当がつかない。


 でも、男子は容赦ない。


「知らない?」


「ええ~と、何だっけ?」


──マジでわからん……。


「デニソワ人さ。これで3種類」


 右手の三本の指を立てた男子の声が少々得意げに聞こえる。


 デニソワ人とは、前期・中期旧石器時代にアジア全域に分布していた旧人類の絶滅種、または亜種とされるものである。


 2008年にロシアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟から出土した女性の指の骨から抽出したミトコンドリアDNAに基づいて、2010年にデニソワ人の個体が初めて特定された。


 デニソワ人はホモ・サピエンスと交配したとされ、また、アルタイ山脈に住むネアンデルタール人とも交雑の証拠もある。デニソワ人の父とネアンデルタール人の母を持つ「デニー」というニックネームを付けられた一代雑種も発見されている。この発見により、過去には異種の人類祖先同士の交雑・共存は通常のことだった可能性が出てきた。


「それで昔はさ、ネアンデルタール人のことは旧人、ホモ・サピエンスのことは新人って呼ばれて、同じホモ属に属するといっても全く別種の人類だと考えられていたんだよ。もちろん、両者が結婚して、子どもを作ることはできない、ってね」


「それって、つまり、子どもを作ることが出来ないほど、お互いに生物的には離れた存在だと考えられていたということだよね」


 生物的に離れた存在は子孫を残せない。例えば馬同士、驢馬(ろば)同士なら子供は作れるが、雄の驢馬(ろぼ)と雌の馬から生まれた騾馬(らば)には繁殖能力は無い。


「そうだよ。ところが、21世紀に入って、ネアンデルタール人の骨からDNAが抽出されたんだ。そしたら、驚くべきことがわかったんだよ」


「へえ、どんな?」


 たいして興味はなくても、話の流れからいって、ユキはこう言わざるを得ない展開だ。


 商店街の歩道の上を、ユキたちはノロノロと西にあるお城の方角へ向かって喋りながら歩いて行く。周囲の人から見れば高校生同士のほほえましい光景なのかも知れないが、話題はネアンデルタール人のDNAなのである。それにそもそも、周囲に人影は見えない。


 それを良いことに、男子は得々(とくとく)として喋る。


「ネアンデルタール人のDNAにはホモ・サピエンスのDNAが含まれ、ホモ・サピエンスのDNAにもまた、ネアンデルタール人のDNAが含まれていたんだよ。ヨーロッパ人には、ネアンデルタール人のDNAが平均して1~2%含まれている。最近では、高度な統計とコンピューターモデルを使って、お互いのDNAがいつの時点で相手に入ったのかも、ピンポイントで特定できるんだって」


 2010年5月7日付『サイエンス』誌に、アフリカのネグロイドを除く現生人類ホモ・サピエンスの核遺伝子には絶滅したネアンデルタール人特有の遺伝子が1~4%混入しているとの研究結果が発表された。このことは、ホモ・サピエンスの直系祖先が出アフリカした直後、すなわち 約12万〜約5万年前の中東地域にすでに居住していたネアンデルタール人と接触して混血し、その後ユーラシアからアメリカまで世界中に拡がったホモ・サピエンスは約3万年前に絶滅したとされるネアンデルタール人の血を数%受け継いでいることを示している。


「要するに、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人は、何万年もの間、共生してきたんだよ」


 この話を聞いたユキは、ちょっとは好奇心を刺激された。


「そっかぁ、私の遺伝子の中にもネアンデルタール人やデニソワ人の遺伝子が少しは入っているのかな……でも、どうしてホモ・サピエンス以外の人類は滅んでしまったのかなぁ?」


「いろいろな説があるんだけど、その中で有力な説は、ネアンデルタール人やデニソワ人は言語能力が未発達で、仲間との協力が思うように出来なかったからだって。だから、ホモ・サピエンスとの生存競争に敗れてしまい、絶滅することになったっていうんだよ。あと、繁殖力──子供を作る能力──がホモ・サピエンスに比べて劣っていたので、数で負けて絶滅したっていう説もあるよ」

 

「なんだか、かわいそうね」


「でもさ、逆に純粋(ピュア)なホモ・サピエンスなんていないんだよ。みんなの遺伝子の中に今もネアンデルタール人やデニソワ人は生きているんだ」


「ふ~ん、そうするとネアンデルタール人やデニソワ人も私たちの親戚なんだ。そう考えると、人類の歴史ってすごいね……そうそう、あのさぁ、私、今日の授業を聴いてて疑問に思ったことがあって……」


「えっ、山口さん、ずっと寝ていたわけじゃないんだ!」


 さもビックリしたように言う男子に対して、ユキは全力で否定する。


「そ、そんなこと、ないよっ!……あのさ、人類の歴史って、猿人の出現からだと700万年、現生人類ホモ・サピエンスの出現からだけでも20万年は経ってるって、言われているんでしょ?」


「現在は、そう言われているよね」


「だったらさぁ、おかしいと思わない? 人類は最近1万年の間に定住して農耕を営み文明を築いた。でも、私たちの祖先は20万年前から能力的には今の私たちと同じだったはずじゃない? じゃあなぜ、もっと早く農耕を始めなかったのかな、って」


「まったく山口さんって、なかなかユニークなことを考えつくんだね」


 男子が笑いながら言った。


「あ、今、ちょっと馬鹿にしたでしょ?」


と、ユキはちょっと大げさにふくれっ面をした。


 男子はあわてて手を振って弁解する。


「あ、あ、そんな、馬鹿になんかしてないよ」


 そこでユキは、日頃から心の片隅で暖めていた疑問を口にしてみた。


「もしかして、この19万年の間にも人類は──もしかしたら何度も──文明が興っては滅亡してを繰り返してるんじゃないか、とか思わない?」


 男子は一瞬の沈黙の後、声を出して笑った。


「えっ?……ははは、は、は」


 これにはユキもムッとするより、さすがに気恥ずかしくなってたずねた。


「そんなにおかしな疑問かなぁ?」


 これには男子も悪いと思ったようだ。


「あ、ゴメンね。でも、そのことについては一応、科学的に説明ができるんだよ」


「へ~え、どんなふうに?」


「気候の問題さ」


「気候?」


 ユキは、自分の疑問と「気候」という言葉が頭の中で上手(うま)く関連づけられなかった。


 まるでその気持ちを見透かしたかのように、男子は丁寧に説明をしだした。


「あのさ、山口さん、氷河期って知ってるでしょ?」


「うん、言葉としてなら」


「約4,900万年続いた地球史上最後の氷河期が、やっと1万年前に終わったんだよ」


「4,900万ねん~?!」


 さすがにそこまでは知らなかった。全くユキには想像もつかない長い時間だ。そうか、人類が出現するよりずっと前から、地球は氷河期だったわけか。とすると、人類は氷河期の産物?


「地球の気候は、つい最近になって安定していただけで、過去にはもう無茶苦茶変動しまくっていたことがあるんだってさ」


「それって、縄文海進(じょうもんかいしん)とかいうのも関係ある? 縄文時代、関東地方南部は海だったっていう」


「うん、それもあるけど、もっと激しい感じ。過去には、氷河期なのに突然ある年、現代と同じくらいの気温まで上昇し、さらに翌年には元通りに下がる、といったくらい激しい変動をしていたらしいよ」


「すごいね。そんなに大きく変動するのなら『地球温暖化を止めよう』なんてスローガンも無意味だよね」


「そう言っちゃうと語弊があるかも知れないけど……実は地球の気候は人類の予測不可能なくらい変化しまくってるから、『地球にあるべき本来の気候』なんてものは存在しないんだよ」


 この時、以前なら4月の夕方にしては生暖かい風がユキの頬を撫でた。


 男子の前髪が風に吹かれて二筋立ち上がった。まるで昆虫か何かの触覚のようだ。


 春という言葉は残っても、季節としての春はこの国から消えつつある。近年は桜の花も一斉に咲かなくなったので、一昨年から気象協会も桜の開花予想を取りやめてしまっていた。


 世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし


(世の中に桜というものがなかったならば、春を過ごす人の心はどんなにかのどかなものでありましょう)


と平安朝の歌人は()んだけれど、この歌の意味は現代人にはわからなくなりつつある。


 実際、現在の温暖化がどこまでいくのかはわからないが、過去の気候変動を見ると、気温の上昇には上限があり、逆に下降した場合には全球凍結(スノーボールアース)までいきつく可能性がある、という。


 そして、そもそも地球は長期的に見ると少しずつ寒冷化している。


 もし人類の活動によって、来たるべき氷河期が遅らされているとするならば、それは良いことなのだろうか、それとも悪いことなのだろうか?


 少なくとも、ここ1万年、気候は「例外的に」温暖なまま安定していた時代だったが、これがいつまでも続くものではないことは確実だ。そしてたぶん、人間が何かする/しないは関係なく、地球の気候はまたいつか大きく変動する時が来るのだろう。

お読みいただきありがとうございます。

少しでも興味を持っていただけましたならば、作者の励みになりますので是非とも【ブックマーク】【評価】や感想をお願いいたします。

それでは引き続き、よろしくお願い申し上げます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ