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第1話 あいつは気になるクラスメイト

 2047年3月。


 この1年間に経験したことを、ユキは一生忘れないと思った──。


   ◇


 2046年4月のあの日は、2年生に進級して初めての世界史の授業があった。


「……というわけで、1万年ほど前に最後の氷期が終わると地球は温暖化し、自然環境は大きく変化しました。中緯度では落葉広葉樹林が広がる一方で絶滅する大型動物もいて、人類は新しい環境への適応を迫られたのです。そのような中で人類は世界各地で農業を始めました。なかでも重要だったのは、約9,000年前、西アジアのいわゆる『肥沃な三日月地帯』で、麦の栽培と山羊・羊・豚・牛などの飼育が始まったことです。これが後に古代文明へと繋がっていくわけですね……」


と、世界史担当の若林(わかばやし)陽菜(ひな)先生が、人類の出現から最終氷期の終わりまでの数百万年に及ぶ長い先史時代の歴史をわずか50分弱で早口に概観し終えた途端に、


 ♪ピ~ンポ~ン、パ~ンポ~ン


と、ちょっと間抜けな感じにすら聞こえる授業終了のチャイムが鳴った。


──ナイスタイミング!


と、山口ユキは自分の頬をわざと軽くつねりながら思う。


──いけない、いけない。もう少しで熟睡モードだった。


「起立っ! 礼っ!」


 いつもならキリッとしているはずの室長の号令も、今のユキの頭には、なんともボンヤリと響く。心なしかヨロヨロと立ち上がって、言われるまま礼をする。第三者が見たら、礼というより軽く会釈をした程度にしか見えないだろう。


──5限目の世界史の授業は眠い。ダメだ、こりゃ……。


「さっきは眠たそうだったね」


 左横の席の男子が声をかけてくる。


「完全に船を漕いでいるのがわかったよ」


 「船を漕ぐ」なんて最近の高校生はまず使わない古風な言い回しだが、要するに居眠りをしていたということだ。


「もぉ~」


と、ユキは頬を心なしか膨らませてみせる。同じクラスになったばかりの、まだ顔と名前も一致しないような男子に、授業中の居眠りを指摘されて面白いはずがない。


「世界史は嫌いなの?」


と、その男子。


「う~ん、そんなに嫌いというわけじゃないけど、今日の範囲はあまり興味ない」


「どうして?」


──「どうして?」って言われても困るんだけどなぁ……。


 そう思いながらユキは答える。


「特に今日なんかさ、教科書の一番初めの何万年も昔の人類の起源の話でしょ。そんな昔の話が私と何の関係があるのって思うし、そもそもそんな昔の話、どうして真実だと証明できるの、とも思うのよ」


と言いながらユキは世界史のデジタル教科書を自分のPCの画面から消し、6限目の数学の授業のある隣の教室へ移動しようとした。


 ふと目を遣ると、左横の席の男子はもう視界から姿を消していた。


 放課後、空が真っ赤に染まり、太陽が大きく傾いて西の鈴鹿山脈に沈もうとしている頃、ユキは高校の正門から一人、自転車で外へ飛び出した。


 ここは三重(みえ)亀島(かめしま)市。


 学校からユキの家までは自転車を漕いでおよそ15分。正門を出たユキは、機嫌良く最近流行りの歌をハミングしながら学校の前の道をまっすぐ西へと向かう。


 ユキの通っている亀島高校は、ここ亀島市では唯一の県立高校だ。


 近年では全国的に人口の減少が顕著になり、ここ三重県でもご多分に漏れず県立高校の統廃合が進んでいる。


 戦後の人口急増期に作られた比較的歴史が浅い高校や、歴史は古くとも過疎地にある高校は真っ先に無くなった。


 亀島高校はそれでも「歴史が古い(なにしろ前身は旧制の県立高等女学校である)、市内唯一の県立高校である」ことを考慮されたのか、1学年4クラス(1クラスの定員は30名)の「単位制高校」として生き延びていた。なんでも最近では、とうとう市内に一校だけになった市立中学校と合同して「6年制中等教育学校」を作ろうという動きもあるようだ。


 ユキはそんな亀島高校、通称「亀高(かめこう)」の2年生になったばかり。


 いかにも地方の高校にありそうな、白い半袖のブラウスと膝が辛うじて隠れる程度のチェックのスカートの制服を、野暮ったいと思われるくらいきちんと着こなしている。


 近年の温暖化の影響で、4月でも最高気温が25℃を超える夏日が多くなったため、ユキももう半袖を着ている。


 ポニーテールの頭にうっすらリンゴ色の頬。ふっくらとした丸顔に二重のくりくりした目。健康そのものといった容姿で、可愛らしいと言えば可愛らしいが、とりたてて美人というほどはないような女の子。


 高校の西隣は小学校。ユキの自転車はその前を順調に飛ばしていく。


 小学校を過ぎると道沿いに東西に延びる商店街。


 ここは亀島市では百年以上昔からある一番大きな商店街だったのだが、21世紀も半ばに近いこのご時勢、御多分に洩れず完全に寂れていて、ユキの視野に入る道路沿いの店もほとんどが薄汚れたシャッターが下りたままだ。おそらく永久に。


 昨年ようやく東京~大阪間に全線開通したリニア中央新幹線の新亀島駅が、市街地のはずれの高速道路のインター近くに出来たのだが、その恩恵はこの商店街には全く及んでいないようだった。


 暗くなってきたが、何軒かの店──薬局や肉屋、パン屋などは開いている。ただ、街灯はついているものの、人通りはまばらだ。


 この商店街に一軒だけ、まるで採算を度外視して開けているような本屋がある。


「あ、そうだ。今日は発売日だったっけ」


 ユキは目当ての月刊誌を買おうとして、店の前に自転車を止めると、店内に入ろうとした。


──あっ。


 あいつがいた。


 世界史の時間、左横の席の男子。店の出入り口の近くの雑誌コーナーで何か立ち読みしている。向こうもこっちに気づいたらしい。


「あ、山口さん」


──あ、見つかった。いや、別に悪いことをしているわけじゃないからいいんだけど。


 というか、相手は自分の名前を覚えているのに、自分は相手の名前が何だったか、よくわからない。何だか嫌な気分だ。


 ユキは軽く会釈だけすると、そそくさと雑誌の棚へ行き、棚にあった目当ての雑誌を掴むと、さっさと自動レジで精算して店を出ようとした。


 ところが、その男子も急いで今まで立ち読みしていた雑誌を置いて、まるでユキを追いかけるように店の外へ出てきた。


「ねえ、今、帰り?」


 今までロクに話をしたことも無いのに、結構なれなれしく話しかけてくる。


「山口さん、今日の5限目が終わった後」


「え~、何だっけ?」


「『何万年も昔のことが、真実かどうか証明できるのか?』って、言ってたよね」


「う、うん」


──うわあっ、本人も忘れかけていたことを覚えている。もしかしてこの人、私に気があるのかも?


 ユキは、気のせいか「クスっ」と、その男子に笑われたような気がした。


 男子が徒歩でついてくるので、ユキは仕方なしに自転車を押しながらノロノロと商店街を並んで西へ向かう。


「それが意外とわかるんだよ」


「へえ、どうやって?」


「遺伝子だよ、遺伝子」


「どういうこと?」


「人間一人一人の遺伝子を解析すれば、人類の歴史もわかるんだよ」


「そうなの?」


「そういうものなんだよ。でね、人類の遺伝子ってね、意外と多様性が無いって、知ってた?」


「えっ、ううん」


 ユキはまさか下校途中に名前もまだよく知らないようなクラスメイトの男子から、遺伝子の話をされるとは思ってもみなかった。


「アフリカの同じ山にいるゴリラ2頭の遺伝子よりも、アフリカ中部と南米の南端にいる人間の遺伝子を比べた方が差異は少ないんだって」


「それって、どういうことなの?」


「つまり、人類はもともとすごく少ない人口から世界に拡がっていったということさ」


「少ないって、どれくらい?」


「それが、数千人規模だって。夫婦にしたら、せいぜい1,000組とか2,000組ていった感じかな」


「え~っ、そんなに少なかったの?」


「そう。信じられる?」


「信じられない。まるで絶滅危惧種じゃない」


「その通りだね」


 男子は笑った。どうもユキの「絶滅危惧種」という言葉がツボにはまったようだ。


「人類がたった数千人規模の集団だったとすると、それこそ、疫病とか飢饉とか、何かの原因ですぐに全滅しかねない数だよ。そして、そこまで数が減った原因は火山の巨大噴火なんだって」


 男子は、こんなことをユキに説明しだした。


──今から約7万5,000年前から7万年ほど前に、インドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が破局噴火を起こして、地球の気候の寒冷化を引き起こし、その後の人類の進化に大きな影響を与えたという(トバ事変)。このトバ・カタストロフ(破局)理論によれば、大気中に巻き上げられた大量の火山灰が日光を遮断して「火山の冬」を引き起こし、地球の気温を平均5℃も低下させたそうだ。そして、この噴火による地球の寒冷化現象は数千年間続いたとされる。これは現在確認されている新生代第四期最大の破局噴火である。

 その結果、この時期まで生存していた人類の別の種族(ホモ・エレクトス)は絶滅したと考えられている。トバ事変の後まで生き残ったホモ属は、ネアンデルタール人と現生人類ホモ・サピエンスのみである。その現生人類もトバ事変の気候変動によって総人口が1,000人から1万人程度にまで激減し、その結果、人類の遺伝的多様性は失われた。2046年現在、世界の総人口は100億人に達しようとしているが、遺伝学的に見て個体数のわりに遺伝的特徴が均質である。その理由は、トバ事変のボトルネック効果による影響であるとされる。


 この話を聞いて、ユキは正直に感嘆の声を上げた。


「すごいなあ。人類って、本当に少ない人数から発展してきたんだね」


「ロマンがあるよね……て、言い方はダメなのかな。なんせ滅亡の危機だったんだから」


「あ~、ということはさぁ……」


「なに?」


「私たち、先祖をさかのぼっていったら、みんな親戚だってこと?」


「まあ、そう言えるかもね」


「それって、すごくない?」


「だよね。この町の人、みんな親戚!」


「あなたも私もみんな親戚!」


 二人は調子に乗って叫ぶと、互いの顔を見て笑い合った。何だかノリは良い。


──多少大きな声を出そうが、どうせ周りに人はいないし。


 2020年代以降、日本の人口は急速に減少している。現在の総人口はかろうじて1億人を維持しているものの、30年前に比べれば2,000万人以上の減少だ。一方で高齢化はピークを迎え、昨年(2045年)の高齢化率(65歳以上人口の割合)は総人口の実に40パーセントに達している。そしてその高齢者の人口さえ今後は減っていくという。 


 そうした中で、三重県の人口も半世紀前の180万人台からとうとう130万人台にまで減少し(高齢化率は全国平均よりやや高い43パーセント。県内に大学が少ないため、大都市圏への若年人口の流出が止まらないためだ)、平成初期には5万人を超えていた亀島市の人口も、かつて市内にあった電気機器メーカーの撤退や自動車関連メーカーの廃業の影響で、現在ではすでにピーク時の半分以下に減っていた。


 普段、ユキのような高校生は学校に集まっているからあまり気がつかないが、例えば平日の市内にあるスーパーマーケットのお客は高齢者ばかりである。


 AIの予測によれば、あと70年後、2116年には日本の総人口は約4,000万人になるだろうといわれていた。


 このままでは日本人が「絶滅危惧種」になるかも?


 東京への一極集中が進む一方で、インフラが維持出来ないどころか住民自体がいなくなり、消滅してしまう地方自治体も珍しくなくなった。人口が激減している東北地方や山陰地方の県によっては、人口が50万人を割り込み、高齢化率も50パーセントを超えている。実際、そういった県は住民サービスも満足に行き届かなくなってしまったため、生き残りをかけて合併の動きがある。四国に至っては四県が一つにまとまろうという運動が十年ほど前から始まっていたが、「県庁所在地をどこに置くか」で意見がまとまらず話が頓挫しているところがいかにも日本的だった。


 さっきから時々、人を乗せて二人とすれ違う車はすべて、レベル4以上の自動運転だ。この時代、高齢者自身による車の運転は、30年ほど前から認知症がらみの重大事故が多発した(しかも犠牲者の多くは十代以下の子供であったことが世論を一層刺激した)ために、高齢者の反対を押し切ってようやく数年前から法律で全面禁止されるに至っている。


 すぐ近くの交差点にある交番も、ずいぶん前から人間の警察官はいなくなった。地方公務員も足りない時代なのである。常駐しているのはAIを搭載したアンドロイドとロボットだ。以前、ユキの祖母が、


──あれって、子供の頃『スター・ウォーズ』って映画で観たロボットに似てるわ。


とか言っていたのを覚えている。確か、R2D2とかC3POとか。まあ、どうでも良い話だが。

お読みいただきありがとうございます。

少しでも興味を持っていただけましたならば、作者の励みになりますので是非とも【ブックマーク】【評価】や感想をお願いいたします。

それでは引き続き、よろしくお願い申し上げます。

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