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落ち着かない気持ち


 恥ずかしい。


 素直に笑顔を褒められて、ルエラはあれからずっと恥ずかしくて仕方がなかった。肝心な元婚約者には一度も褒められたことはなかったが、お世辞なら沢山受けている。だから、言葉自体はさほど気にならない。


 でも綺麗だという言葉にユリシーズの柔らかい笑みが添えられたことで、いつまでも動悸が治まらない。


 いつもの治療時間が迫っていても、ルエラは寝台の上で悶えていた。


 こんなにも意識してしまうなんて考えたこともなかった。一か月前まではルエラはグウィンと結婚するつもりだった。今まではどんなに素敵な男性がルエラを称賛したとしても、恥ずかしい気持ちなど持ったことはない。


 それなのに。

 いつもと違う自分の気持ちがどうにもならない。ルエラは呻きながら、枕の下に頭を突っ込んだ。


「お嬢さま! いい加減、お支度をしてください」


 一時間ほどルエラに付き合っていた侍女のハリエットが呆れたように枕を取り上げる。


「もうちょっと待って! 気持ちが落ち着いてから」

「待っても落ち着かないと思います。だから、さっさと用意いたしましょう」


 冷静な感想に、ルエラは凹んだ。


「そんなことない。ちゃんと時間をもらえば、この気持ちは収まってくるはずよ」

「ユリシーズ様は素敵な男性ですからね。ときめくのはごく普通です」

「わたしは貴族令嬢なのよ。そんな浮ついた気持ち、許されるわけがないわ」


 そう、ルエラは貴族令嬢で、つい先日まで王太子候補の王子の婚約者だったのだ。だから、簡単に他に気持ちを動かしてはいけない。


「ええっと。特に悩むことはないと思うのですけど」

「どうしてそう言えるの!?」


 ハリエットがいつもと変わらない顔で意見を言ってくる。きっと睨みつければ、彼女は不思議そうに首を傾げた。


「お嬢さまは今婚約者がいない状態です。恋ぐらいしてもいいじゃないですか」

「こ、恋!?」


 驚きの単語に、体が跳ねた。ハリエットはむふふと何とも言えない笑い声を零す。何やらよからぬ想像をしているようで、怖い。反射的に体を引くと、ハリエットはずいっと顔を近寄らせた。


「ユリシーズ様、いいじゃないですか。少し年が離れていますけど、貴族であればごく普通の範囲。身分よし、見た目よし、性格よし。侍女のわたしとしても、おススメです。お嬢さまには幸せになってもらいたいので、是非とも積極的に落としていきましょう!」

「ちょっと、どうしてそうなるの!」

「お嬢さまが幸せそうなので」


 幸せそう、と言われてびっくりした。今までも不幸な顔をしていなかったはずだ。ハリエットの言葉を考えているうちに、彼女は続けた。


「そもそも幼い頃から一人の男性に固定されていたのが異常なのです」

「ちょっと待って。貴族令嬢は大体政略結婚するものよ。普通のことよ?」

「そうでしょうか? 沢山の候補の方と交流してから、一人に絞るものではないでしょうか」


 そんな馬鹿な、と思いつつも、友人たちを思い出して、顔をしかめた。

 誰もが婚約者とは仲がいい。何よりも、友人たちの婚約は成人直前だ。候補として緩く交流はしているとは聞いていたけれども、婚約までは結んでいなかった。


 他の貴族家に比べて婚約するには少し早かった。幼い時に気が合ったとしても、成人して合わなくなることもある。そういう事例を踏まえて、成人する頃に婚約を結ぶ家が多い。ルエラも、ネスビット侯爵家も相手が王家でなければ、きっと断っていただろう。


「その結果、グウィン殿下はわたしに毒を盛って王太子にはなれなかったのよね」

「そもそも、夫婦仲の悪い状態でお互いの家の利益など守れるとか、あり得るのでしょうか」


 もちろん、と答えたいところだったが、言葉が出なかった。家族はルエラに毒を盛られて怒っているし、婚約も白紙になった。愛されている子供でなくても、嫁ぎ先にコケにされたと思えば家族は報復するのではないだろうか。対等でない政略結婚の場合もあるが、この国では少数だ。


「……ねえ、政略結婚でもなければ、どうやって結婚相手を見つけるの?」

「交流して価値観が合うとか、一緒にいて穏やかにいられるとか」


 ふと、グウィンといつも一緒にいたジェイニーを思い出す。彼女とは身分が違うからグウィンと価値観が合うとは思えない。だけど、グウィンが自由を求めていたように窮屈だと思っていたところに彼女のような肯定してくれる、一緒にわかってくれる相手というのは居心地がいいのかもしれない。


「嫌になっちゃうわね」


 もう関係ない人たち、と割り切っていたはずなのに、一つのきっかけで次々と過去を思い出す。そのまま流せればいいのに、冷静に理解しようとしてしまう自分が嫌になる。


「お嬢さま、そろそろサロンへ移動しましょうか」

「もう少し待って。できれば午後に」


 踏ん切りがつかずに、午後にするようにと抵抗した。


「では、午前中は全身磨きましょう!」

「どうしてそうなるのよ」

「是非とも美しく磨かれたお嬢さまをユリシーズ様に見てもらいたいですわ」


 ハリエットのやる気に満ちた顔を見て、ルエラは慌てて止めた。


「今すぐ支度してちょうだい。治療も午前中に受けるわ」

「そうですか? 折角ですので、男性の心を打ち抜くドレスでもと思いましたのに」

「それはいらない。わたしは患者、ユリシーズ様は治療師よ。それに心が弱っているから、普通の態度でもとても優しくしてもらっていると思ってしまうのよ」


 ユリシーズは治療のためにルエラと接しているのであって、仲を深めようとしているわけではない。距離だって適切に離れている。ほんの少しだけ、友人のような扱いをしてもらっているだけ。


「確かにユリシーズ様は女性が苦手だと言っていましたが」

「そうでしょう? 治療師と患者という関係だから親しくしてくれているだけで」

「いえ、そうではなくて。ユリシーズ様にとってもお嬢さまはとても心を許せる相手なんじゃないでしょうか」


 ハリエットの前向きな考えに、ルエラはため息をついた。


「いくらなんでも前向きすぎる」

「お嬢さまはどうなんです? ユリシーズ様、いいと思いませんか?」

「……人を好きになるのは怖いわ」


 ぽつりと思ったことを零せば、ハリエットがぎゅっと手を握りしめた。


「申し訳ありません。急ぎ過ぎました」

「ううん。ハリエットは心配してくれているんでしょう? そろそろ一か月を過ぎたころですもの。次の縁談が舞い込んできても不思議はないものね」


 体を壊して療養していても、貴族の縁談は関係ない。下手をすれば、不自由な体の娘を貰ってやるのだから、有難がれという人間が出てきてもおかしくはない。両親がそのような縁談を勧めてくるとは思えないが、何があるかわからないのが貴族だ。強い立場の人から勧められれば断れるかどうか。


 状況はわかっていても、自分から飛び込むのは怖かった。仕方がない、で結婚した方が、幸せになれなくても生きるのが楽なのではないか、と思うことすらある。

 前を向いているようで後ろ向きだから、ユリシーズの言葉にときめいてしまう。それだけグウィンの裏切りはルエラを深く傷つけた。


 ルエラは自分がどれほど女性として自信を失っているのか、改めて思い知った。


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